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続*虹を架ける人  作者: 城 マリカ
17/24

◆みえないもの

 それから二日ほど、学校を休んだ。

 ハロウィンを境に、町の空気はすこしずつ冬の香りをおびはじめていた。

 放課後の清掃。

 木造校舎のまわりに積もった枯れ葉を、熊手でかき集めていく。

 掃除がはじまってからずっと、葛西くんがわたしの後についていた。

 さりげないつもりだろうけれど、全然さりげなくない。熊手で地面をかきながら、物言いたげにわたしをちらちらと窺ってくる。

「あのさ……」

 ようやく真面目に話しかけられて、わたしは顔をあげた。

「なあに?」

 葛西くんは、いつになく困惑したような表情をしていた。言いにくそうに間をおくと、ぼそっと切りだした。

「気にすんなよ、俺が言ったこと」

 きょとん、とわたしは葛西くんをみつめた。

「なんのこと?」

「蝶がどうとかいうあれ……」

 葛西くんは、ばつが悪そうに言いよどんだ。


 ――秋に瑠璃色の蝶をみたら、年内に家族のだれかが死ぬって言うよな。


 忘れていた、蝶の飛行が目にうかんだ。

 瑠璃色の軌跡。

 ただの偶然だったらいい。だけど。

 意味のない出来事なんて、この世にあるの?

「や、ごめん、よけいなこと言ったっぽい?」

 わたしはどんな顔をしていたのだろう。

 葛西くんが慌てたように謝ってきた。わたしが休んでいるあいだに、お父さんのことを耳にしたのに違いない。

 葛西くんは目をそらすと、わしゃわしゃと頭を掻いた。

「俺、気がきかねぇな……」

 茶髪が絡まって、寝起きみたいに乱れた頭になった。

 もともとは何色なのだろう。

 細くて、まっすぐな髪の毛。なにもしなくても綺麗なはずなのに、どうして染めたりするのだろう。

「葛西くん」

「え?」

「どうして茶髪なの?」

 掃除を再開しながらわたしがたずねると、葛西くんは渋い顔をした。

「変なこときくなよ」

「変じゃないよ。ねえ、どうして?」

 葛西くんは、考えこむように黙ってしまった。

 焼きいもができそうな、枯れた小山をふたりで築いた。

 葛西くんがうすく笑った。

「自己主張ってとこ?」

 俺って空気だから、と付けくわえた。

「空気? 透明なの?」

「まぁ、そんな感じ?」

 葛西くんは自虐的だった。

「家でも学校でも、俺って空気な存在なんだよ」

 気配がなくて、いるのかいないのかわからない。だれにも目をとめてもらえない。

「寂しいから?」

 だから不良ぶって目立とうとしているの?

「俺に興味があるわけ?」

 期待しちゃうじゃん、と葛西くんはにやけた。

「あんまり踏みこんでくんなよ。あいつに怒られるんじゃね?」

 無神経。

 暗にそう言われたような気がした。

「ごめんなさい……」

 うつむいた足もとに、緑色のカマキリをみてわたしは悲鳴をあげた。

「虫!」

 飛びのいた勢いで足がもつれた。危うく転びかけたところを、葛西くんに抱きとめられた。

「驚かすなよ!」

 びっくりして状況がきちんと判断できない。

 わたしは葛西くんに支えられたまま、カマキリをふりかえった。

 気持ち悪い。

 おおきなかまをぶらさげて、まるで死に神みたいだ。

「なんだよ、拝み虫じゃん」

 頭のうえから、ほっとしたような声が降ってきた。

「拝み虫?」

 初めて聞くなまえ。

 葛西くんの落ちつきが伝染して、わたしはひと息ついた。

「死んだ婆ちゃんが言ってたんだよ」

 葛西くんは簡単に、由来を説明してくれた。

 カマキリは、胸のまえで鎌をこすりあわせるようにして立つ。その姿が拝んでいるようにみえるから、昔の人は拝み虫と呼んだ。

「なにを拝んでんだか。神さまなんているわけねぇのに」

 馬鹿だよな、と葛西くんは笑った。

 かき集めた枯れ葉が散っていく。

 抱きとめられていることに、いまさらどきどきしてきた。

「葛西くん、あの、ありがとう」

 離して、の意味をこめて言ってみた。けれど葛西くんは、腕をゆるめてくれない。

「だれかにみられたら噂になるな」

 そんなことを、冗談まじりに囁いてくる。

 困ってしまう。

「葛西くん」

「わかってるよ」

 葛西くんは、ぐっ、と腕に力をいれると、

「あいつがうらやましいな」

 ちいさな呟きを漏らして、わたしを離した。

 顔がほかほかする。

 腕をふりはらえない、自分がいやになる。

 奏ちゃんのそばに行きたい。

 風に吹かれて小山が崩れていく。いくら枯れ葉を集めても、これでは意味がない。

 わたしはため息をついた。

 清掃をあきらめて、砂の地面に熊手でもようを描く。

「葛西くんは、神さまを信じてないの?」

 いつのまにか、カマキリはいなくなっていた。

「そんなもん、信じられるかよ」

 葛西くんが呆れたようにかえした。

「どうして?」

「みたことねぇもん」

 いたって単純な理屈だった。

「みえたら信じるの?」

「まあな」

 神さまは、どんな姿をしているのか。

 目でたしかめてみないことには信じられない、と彼は言う。

 ピアノの音色が聴こえてきた。しっとりと艶のある旋律が、風に運ばれてくる。

「またあの曲か」

 葛西くんの髪が、さらりとなびいた。

 瞬間、ざあっ、と音をたてて枯れ葉が舞いあがった。

 旋律がかき消えて、スカートがはたはたと翻る。枯れ葉が地面をすべりながら、池のほうまでさらわれていく。

 風の力。

 透明な、目にはみえないものの姿。

 ゆらゆらと、砂煙が漂う。

「すげぇ風だな」

 葛西くんが、目を細めながら言った。

 風がやってくる方角へ、自然に顔がむくのはどうしてだろう。

「風も、目にはみえないよ?」

 言葉が口をついた。

「え?」

 葛西くんが、怪訝そうな顔をした。

 どこか頼りない琥珀色の瞳を、わたしはまっすぐにみつめかえした。

「風だって透明でみえないよ? なのに、どうしてそれがあることは信じられるの?」

 葛西くんの目が、わずかにみひらかれた。視線をあわせたまま、わたしは問いかけた。

「ねえ、何色にみえる?」

 みえないものが、たしかに存在するならば。

 わたしたちはきっと、その姿をとらえられるはずなのだ。

「葛西くんは、何色にみえるの?」

 赤い枯れ葉が渦を巻く。

 瞬間の芸術。

 透明な風のなかに、生きた絵画がある。

「わたしはね、赤にみえるの。葛西くんは?」

 ふりむいたときには、つよく抱きしめられていた。


「すきだ……」


 初めての、告白だった。

「すきだ、すきなんだ……」

 絞りだすような、声、だった。

 わたしの髪を、葛西くんはつかむようにしてなでてくる。

「だめ、離して」

 声が震えた。

 迫ってくる気持ちがあまりにも熱くて、怖くなってくる。

「葛西くん」

「俺をすきになる可能性は、すこしもない?」

 せつなくきかれて胸がつまった。

 わたしをすきになってくれた男の子。たったいま、はっきりとした告白をもらった。

 だけどわたしは、その気持ちに応えられない。

「わたしは、奏ちゃんがすきだから」

「俺、大事にするよ、それでも?」

「うん」

「一ミリも、期待したら駄目?」

「……うん」

 涙がうかんだ。

 生まれて初めて、〝振る〟ことの痛みを知った。

「そっか。そうだよな」

 葛西くんは寂しげに呟くと、そっと腕を離した。おたがいに、赤く染まった顔をそむけた。

「ごめんな、俺、抑えがきかなくて」

 わたしはうつむいた。

「葛西くんには、わたしじゃないと思うの」

 言葉を選びながら、つづける。

「葛西くんにぴったりな女の子、ほかにいるから」

 そうだな、と葛西くんは肩をすくめた。

「俺みたいなの、おまえには不釣合いだもんな」

「そういう意味じゃなくて……」

 わたしは栞ちゃんの笑顔を思いうかべた。

「葛西くんのこと、想ってる女の子がちゃんといるから」

「慰めなんかいらねぇよ」

「慰めじゃないよ」

「いるわけねぇだろ、そんな酔狂な女」

 葛西くんは、苦笑しながら全否定した。

「俺みたいな男、だれもみてねぇよ」

 自分自身を鼻で笑う。

 葛西くんは、自分の存在価値を信じていない。

 悲しくなってくる。

 渇いた心。まるで砂漠みたいな。

 唐突に思いだして、わたしはポケットに手をつっこんだ。

 砂漠のバラを取りだすと、

「あげる」

 葛西くんのまえに突きだした。

「なんだそれ?」

 葛西くんは石をうけとると、不思議そうに観察した。

「砂漠のバラ?」

「知ってるの?」

「いちおう。図鑑でみたことあるし」

 てのひらのうえで、石をころころと転がす。

「砂漠のバラってね、持ち主を幸せにしてくれるんだって」

 わたしは得意になって言った。

「だから葛西くんにあげる」

「おまえは? いらねぇの?」

 遠慮がちにきかれて、わたしはうなずいた。

「いらないの。わたしは幸せだから」

 葛西くんの顔が、つらそうに歪んだ。

「やっぱり釣り合わねぇな」

 自嘲ぎみにひとりごちると、石を握りしめた。

 さっきのつよい風が嘘みたいだった。いまは空気が凪いで、池の水音さえ聴こえる。

 不意に、木造校舎の角からクラスメートが顔をだした。

「草野さん、清掃おわりにするわよ」

 クラスメートは、わたしと葛西くんを交互にみとめると微苦笑した。

「いらない噂がたっても知らないわよ」

 軽い忠告をして、「じゃあね」ときびすをかえした。

 葛西くんが、わたしから熊手を取りあげた。

「俺が片づけといてやるよ」

 自分のそれと一緒に、楽々と片手でをつかんで背中をむけた。

「早くあいつのとこに行けよ」

「葛西くん」

 ごめんね、と言いかけたのを遮るように、葛西くんは肩越しにふりかえった。

「石、ありがとな」

 照れくさそうに笑って、けれどすぐに視線をはずした。

 うしろ姿が遠ざかる。

 葛西くんは、もう、ふりかえらなかった。


 昇降口に奏ちゃんの姿をみつけて、わたしはたまらず駆け寄った。

「奏ちゃん!」

 呼びかけると、笑顔で応えてくれる。

 抱きつきたい衝動をぐっとこらえて、かわりに学ランの裾をつまんだ。

「待ってたの?」

 息を弾ませてたずねると、

「待ってたよ。清掃ずいぶん頑張ってたんだな」

 お疲れさま、と鞄を手渡された。

「宮内先生、会議だってさ」

「倶楽部は?」

「なし。あの人ほんと適当だよな」

 言い終わるなり奏ちゃんは、わたしの頭を片腕にくるんだ。

「デートしようか」

 甘い声なのに、なんとなく強制的な響きがある。

「デ、デート?」

 気圧されて、おもわずどもってしまった。

 もしや、葛西くんとのあいだにあったことを見抜かれているのだろうか。

 わたしは内心うろたえた。

 知られたくない。だって奏ちゃん、なにするかわからないんだもの。

「はなちゃん」

 意味深な流し目に、どきっとした。

「なんかあったろ?」

「なにも?」

 わたしは平静を装って、かぶりをふった。我ながらしらじらしい。

「ふうん」

 探るようにみつめてくる瞳を、わたしは頑張ってみつめかえした。

 緊張する。逃げたい……。

「あったな?」

「ないよ」

「信じてもいいの?」

「いいよ?」

 声がうわずった。

 とたん、奏ちゃんが噴きだした。

「わかりやすいな」

 呆れ半分、おもしろ半分。そんな笑いかたをしながら、わたしのひたいに軽くデコピンした。

「ひ、ひどい」

「おれの勝ち。隠すならもっとうまくやりな?」

 おかしそうに笑いつづけながら、奏ちゃんは強引にわたしの手をひいていく。

「どうしてわかったの?」

「さあ? どうしてだと思う?」

 余裕ぶりが悔しくて、わたしはくちびるをとがらせた。

「わかんない」

「拗ねるなよ」

「意地悪なんだもん」

 奏ちゃんは、さすがにわたしの扱いをよく知っている。ちら、と横目でわたしを一瞥して、歯の浮くようなせりふを言った。

「拗ねた顔も可愛いからすきだよ」

 甘い言葉。

 これが聴きたくて、わたしは拗ねてしまうのかもしれない。

 愛されたいばっかりの子ども。

 つきあいが深まれば深まるほど、わたしは、わがままになっていく気がする。


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