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続*虹を架ける人  作者: 城 マリカ
14/24

◆つめたい予感

 宮内先生の厳しい命令のおかげで、わたしたちは衣装を演劇部に返すこととなった。

 いつもの格好で、夕刻間際に学校をでる。

「胃が重い」

 お菓子の食べすぎで奏ちゃんは、いまだ変な表情をしていた。

 片手に鞄、片脇にお化けかぼちゃを抱えているので手がつなげない。

「はなちゃん、今日はお父さん帰ってくるんだろ?」

 風がつよい。

 乱れる黒髪をそのままに、奏ちゃんがわたしをみた。

「うん」

 どきどきして目をそらす。

 乱れ髪の奏ちゃんは、それだけでなんだか色っぽくみえるのだ。

「いつもより早く帰ってくるみたい」

「よかったな」

 〝花見橋〟を渡る。

 穏やかな川の流れ。海につながる場所。

 わたしは無意識に、虹魚の姿を探した。

 みえない。

「家族って、いいよな」

 奏ちゃんが、ぽつりと呟いた。思いつめたような顔をする。

「おれも、はなちゃんと家族になりたいよ」

 視界の端に、七色のきらめきがよぎった。

 ふりむく。

 なにもいない。

「家族だよ?」

 わたしは奏ちゃんを仰いだ。

「結婚したじゃない」

 おかしなことを言おうとしている。

 困惑した。

 けれど、言葉がとまらない。

「祝福してくれたもん」

 奏ちゃんが、怪訝そうな顔をした。

 わたしは脳裏に思いうかべた。夏の水面みなもで跳ねる、虹色のさかな。

 忘れてはいない。

 心が通じあったそのときに、ふたりで眺めた。

「虹魚がね、祝福してくれたもん」

 奏ちゃんの目が、ゆるゆるとみひらかれた。

「だからもう結婚してるの、わたしね、奏ちゃんと結婚してるんだよ」

 ごつっ、と音がした。

 橋のうえに、お化けかぼちゃが転がった。けなげに笑顔をつくったまま、かぼちゃは蒼空をみつめた。

「奏ちゃん駄目じゃない、せっかく作ったのに」

 地面にしゃがもうとした、つぎの瞬間、わたしは抱きしめられていた。

「おれは、きみに救われてばかりだ」

 胸をしめつけるような、せつない声だった。

 わたしは戸惑って、奏ちゃんの背中をてのひらで叩いた。

「奏ちゃん、なに言ってるの?」

「おれ、ちゃんと返せてるのかな」

「ねえ、変よ?」

 奔流。

 あふれかえる想いを、どうしたらいいのかわからない。

「すきよ」

 体に腕を絡める。

「ねえ、すきだから」

 どちらからともなく、くちびるを重ねた。

 川のせせらぎを聴く。

 綺麗。

 映像がみえる。目を閉じていても。

 虹魚が泳いでいるのがみえる。

 わたしたちはまだ、子どもだけれど。愛おしいと、想う気持ちは知っている。

「今日ね、お母さんがかぼちゃ料理つくるの。食べに来てね」

「やった、おれかぼちゃ料理だいすき」

「気持ち悪いの、治った?」

「治った」

「お菓子、食べすぎちゃ駄目よ?」

 奏ちゃんが、くすくす笑いだした。

「妻みたいだな」

 わたしの頭を、大切そうに腕にくるんだ。

「妻だもん」

「あなた、って呼んでみてよ」

「あなた」

「ものすごい棒読み」

 大根役者、とからかう。

「大根はね、おでんにしたのが一番すきなの」

「はなちゃんって、たまにおかしいよな」

 そこが可愛い、と言って、わたしの髪をなでてくる。ふわりと花の匂いがした。

 目を閉じてもう一度、やさしいキスをうけとめた。

 映像がひろがった。

 川床に、さかなの幻影がみえた。陽射しにあたってきらめいた瞬間。

 橋の下で、水の跳ねる音を聴いた――……


 家のまえに救急車をみたとき、顔から血の気がひいた。

 庭から担架が運びだされて、その後をお母さんが追ってきた。両手を組んで、心配そうに担架をみつめている。

「お母さん!」

 わたしは青くなって駆けよった。

「はなちゃん」

 お母さんはわたしに気づくと、緊張した面持ちで言った。

「お父さんがね、気分が悪いって倒れたのよ。たぶんこのまま入院になると思う」

 若いころ看護婦をしていたお母さんは、なにか心あたりがあるような表情をした。

「はなちゃんは家で待っててちょうだい。あとで電話をかけるから」

 いつになく早口で言い置いて、お母さんは救急車に乗りこんだ。

 けたたましいサイレンが鳴り響いた。

 真っ赤な回転灯がみえなくなっても、わたしはそこから動けずにいた。

 奏ちゃんが、庭の入口にお化けかぼちゃを置いた。

 魔よけ。

 もっと早く、こうしていたら。

「おいで」

 肩を抱かれて庭に入る。

 つめたい予感がする。うまく息ができない。

「お父さん、死ぬの?」

「ばか」

「だって、蝶をみたの」

「あんなの迷信だから」

 玄関をあけた。

 しんと静まりかえっている。

 うす暗い廊下。

 いつもなら、お母さんがいるのに。

 鳴咽が漏れた。

 玄関に立ちつくして、わたしは泣きだした。

「はなちゃん」

「寂しい」

「しっかりしな」

「でも、蝶が」

「考えるな」

「でも、でも」

 ぱちん、と、両手で頬を挟まれた。

 厳しいまなざしで、奏ちゃんは静かに問いかけた。

「おれよりも、迷信を信じるの?」

 漆黒の瞳が叱責する。

 わたしは奏ちゃんの胸に飛びこんだ。ぎゅう、っと抱きついて、かたい感触をたしかめる。

「おれが一緒にいるから」

「うん」

 わたしが泣きやむまで、奏ちゃんは背中をなでてくれていた。


 電話が鳴った。

 受話器をとったのは奏ちゃんだった。

 わたしはソファのうえで、膝を抱えてぼんやりしていた。頭のなかで、瑠璃色の蝶がひらひらと舞う。

「はなちゃん」

 奏ちゃんが、ばたばたと戻ってきた。

「病院いくよ、必要なもの準備するから手伝いな」

 お父さんは入院することになった。

 タオルや歯ブラシや髭剃りなんかを袋に詰めて、わたしたちは病院へむかった。

 徒歩で行けない距離ではない。けれど途中、〝緑花公園〟のまえでバスに飛び乗った。

 一番うしろの座席に腰かけて、ほっと息をつく。

 そこで初めて財布を持っていないことに気がついた。

「わたし、お金……」

「おれが持ってる」

 奏ちゃんは荷物を膝に乗せて、凜然とまえをみていた。

 泣きそうになる。

 くちびるを結んで、窓の外を眺めた。

 景色が流れていく。ゆっくりと、色彩が変わっていく。

 樹木のあいだをぬけて、海辺の町へたどりつく。

 景色が変わっていくように、いつのまにか、気持ちも変化していく。

 不思議。

 ただの幼なじみだった男の子が、いまは大切な恋人になっている。

 生まれたときには知らなかった。

 慕って、焦がれて。

 涙がこみあげるような、この気持ちはどこからやって来たのだろう。

 わたしの手の甲を、奏ちゃんがてのひらでつつんだ。

 大丈夫。

 そう言われているようで、胸に安堵がひろがっていく。

 わたしたちは無言のまま、海岸通りでバスを降りた。つよい潮風が目に染みる。

 沈みかけた太陽をみて、なぜだか郷愁がわきあがった。

「太陽にも、家があるのかしら」

 呟いたわたしに、奏ちゃんが笑いかけた。

「子どもが待ってるかもな」

「家族なの?」

「大家族だよ」

 手をつないで坂道をのぼる。

 わたしのおかしな想像を、奏ちゃんは決して馬鹿にしない。

 すき。

 だいすき。

 想いをこめて、わたしはつないだ手を握りしめた。


 〝海猫病院〟の二階、殺風景な個室にお父さんはいた。ベッド脇に、目盛りのついた透明袋がぶら下がっている。

 尿を取っているのだろうか。なかには茶色い液体が溜まっていた。

 お母さんは、椅子から立ちあがるとわたしを抱きしめた。

「奏ちゃん、ありがとう」

 この子ひとりじゃなにもできないから、と申し訳なさそうに言った。

 奏ちゃんはかぶりをふって、お母さんに荷物を手渡した。

「どんな具合いですか?」

 お母さんは、うかない顔をした。

「意識はあるにはあるみたいなんだけれど、朦朧としてるのよ」

 お父さんは、謎の機械につながれて横たわっていた。

 鼻と口を酸素マスクで覆われて、半分だけ目をあけている。

 顔をのぞきこむと、わずかに反応するだけで声もでない。

 白目が黄色くなっているのをみて、わたしは怖くなった。お父さんはいま、この世とあの世の境目にいるのかもしれない。

 うしろから、やさしく肩をつかまれた。

「大丈夫だから」

 おだやかな奏ちゃんの声を聴いて、恐怖がうすらいでいく。奏ちゃんはわたしの手をとると、お母さんをふりむいた。

「ちょっと落ちつかせてきます」

 お母さんは安心したようにうなずいた。

 信用しきっているのだ。

 もはや奏ちゃんは家族だった。いま、この場で最も頼りになるのは奏ちゃんなのだった。


 手をひかれて病室をでた。

 薬品くさい廊下の途中に、談話室があった。患者や家族が、それぞれ飲み物を片手にくつろいでいる。

 おおきな窓のむこうに家並が、その先には海が望めた。

 わたしたちは階段をおりて、病院の外にでた。

 通路以外はすべて砂地で、いたるところに小花が咲いている。うす桃色の建物の外観と相まって、天国みたいな風景に思えた。

「こっちにも通路があるよ」

 行ってみよう、と誘われて、素直についていく。

 わたしは地面をみつめた。

 どうしてこんなことになったのだろう。

 せっかく元通りになった家族に、また試練が降りかかった。

「罰なの?」

 奏ちゃんが、驚いたようにふりかえった。

「これは、罰なの?」

「はなちゃん」

「わたし、許されてなかったの?」


 ――死んでしまえばいいんだ!


 たった一度きりの罪を思いだした。

 許されていなかったの?

 あのときの呪いが、いまになって実現しようとしているの?

 本心ではなかった。

 本気で死んでしまえばいいなんて、望んだりはしていなかった。

「罰なの?」

 涙がこぼれた。

 あとから、あとから、こぼれる涙が地面を濡らした。

「奏ちゃん」

 おしえて。

 どうしたら許してもらえるの。

 ねえ、奏ちゃん。


「神さまは、どこにいるの……?」


 裏庭に、古びた礼拝堂があった。扉の蝶つがいが錆びて、壊れかけている。

 ぎしぎし音を立てながら、扉をあけた。

 すこし埃っぽい。

 けれど、静けさが心地よかった。

 祭壇には、マリア像もなにもない。目のまえに、色褪せた油絵が飾られているだけだった。

 翼をたたんだ天使が、ランプで闇の森を照らしている。

「考えてみようか」

 奏ちゃんが言った。

「はなちゃんは、どこにいると思うの?」

 絵画をみつめて問う。

 神さまは、どこにいると思う?

「宇宙……」

 漠然と、わたしは答えた。

 世界の創造主。

 神さまがいるとするなら、宇宙以外には考えられなかった。

 奏ちゃんが、わたしに視線をよこした。

「宇宙は、どこにつながってる?」

 意味のわからないことを言う。

 わたしはただ、奏ちゃんをみつめるほかなかった。

「人間にも、宇宙とおなじものがあるよ」

 奏ちゃんはそう言って、わたしの頭に人さし指をあてた。

「なんだと思う?」

 わたしは目をしばたたいた。

「頭? 脳?」

「惜しい」

 奏ちゃんが、なにかを伝えようとしている。

 理解したい。

 わたしは考えた。

 脳といえば?

「思考?」

「もうひと息。〝神〟はどこにある?」

 殴られたような衝撃だった。わたしは茫然として目をみはった。

「精神……」

 奏ちゃんは、満足そうにうなずいた。

「精神は無限。宇宙と一緒」

 もうわかるだろ、と首をかたむける。綺麗な黒髪を、さらりと横に流して。

「神さまは、どこにいるの?」

「精神……」

「すなわち?」

 奏ちゃんはいたずらな目をして、わたしの胸に人さし指をあてた。

 わたしの恋人。

 いつだって、答をくれる。

 わたしは奏ちゃんの人さし指を、両手でつつみこんだ。


「心……」


 見惚れるばかりの微笑がひろがった。

「はなちゃんは賢いな」

 うれしそうに、わたしの頬をなでまわす。

「神さまは内側にいる」

 奏ちゃんは、わたしの頬を両手で挟んだ。

「迷ったときは、自分の内側にきいてみるんだよ」

 瞳の奥までのぞきこむような、不思議なまなざしでみつめてくる。

「はなちゃんの神さまは、なんて言ってるの?」

 目がそらせない。宇宙みたいな、漆黒の瞳。

 その奥に、わたしは神さまをみた気がした。

 愛おしい。

 この気持ちは、きっと神さまとおなじ。

 迷いが、恐れが、晴れていく。

「神さまは、罰なんかあたえない」

 奏ちゃんが、慈しむように目を細めた。

「惚れなおした」

 天使のまえで、きつく抱きしめあった。

 背伸びして、首に腕を巻きつける。奏ちゃんの匂いを、胸いっぱいに吸いこんで。

 愛することは、神さまに近づくことなのかもしれない。

 そんなことを、考えていた。


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