勇者とカツラの男
悪意は無いです。まあ自分も将来、無くなるかもしれんので。
※誤字とか修正ならび調整。
神は毛はくれなかったが、その代わりに人々の笑顔が見られる祝福をくれた。
立場上、笑ったら不敬罪? いやいや、そこは私自身が全て許す。むしろ罰したらそれこそ不敬罪だ。
前と比べたら、こんな頭一つで人々が忘れていた笑いを取り戻すのだから、安いものだ。
その男は王位継承権を持ち、領地運営も順調で金回りは良く、武術の腕も立ち、魔法についても王宮魔術師に匹敵するとも言われていた。そして何より、幾人もの貴族の子女を虜にする美形だった。
細い顔は角度によっては女性より細く見え、それでいて鍛えあげられたバランス良い身体は、それ全てが上位の美術品のような出来だ。
だが、性格は最悪だった。やり過ぎる手前で実は独り落ち込んだりするので根は悪くはないのだろうが、そんな事実を知る者は居ない。持っているものが当たり前の環境で甘やかされて褒めそやされて育ったせいもある。誰も叱らなかったのだ。
ある日、隣国から旅の勇者とその一行が訪れた際も、そのワガママっぷりを発揮し、自分の配下のように高圧的に接した。
しかしながら勇者は一枚上手かそれとも稀代の阿呆か、それとも大人物なのか、その我儘に困ったりびっくりしたりとしながらも付き合った。
ある日、勇者の武具への対抗心から怪しい商人から買った兜を被り、それに収められた能力に酔いしれ、罪なき民を手に掛けようとした。
その時、これまで困った顔はしても決して怒らなかった勇者が大激怒したのだ。勇者の剣が割り込み、けが人はあれど死人は幸いにして出なかった。
数合の打ち合いの末、怪しい呪いの兜は勇者の剣に断ち割られた。そして、かぶっていた時の高揚感は無くなり、手に残ったのは罪なき民を殺めようとしたその剣の感触だ。
幸い、怪しい商人の正体を突き止め討伐した勇者の仲間たちのお陰で大事には至らなかった。
ここで癇癪でも起こせば愚かな王族と後の記録にも残っただろうが、男は根は善良であった。恵まれすぎて、誰も怒ってくれなかった、叱ってくれなかった、それが性格をねじ曲げた原因だった。
それは、勇者には痛いほどわかっていた。なぜなら自分もかつては同じ時期があったのだから。
王城の広場において、勇者は目の前の男に説教を続けている。周囲には騎士団や城の使用人や大臣や詰めている貴族やらが、半ば怒り、半ば不安げに表情を曇らせて集まっている。だが、滞在してより間近に迫った数々の大型の魔物、その討伐をする勇者の姿を間近に見ているだけに、誰も言い出せない。
「いいですか、この国の王族というのは…」
勇者は各地の王家についても造詣が深い。知識を得るためと勇者が国の歴史学者に仰いだ所、彼らは嬉々として成り立ちと歴史を伝えた。そしてその全てを自らの知識として修めたせいもある。
それだけに、勇者の説教は正しく、重みがあった。
東方の「正座」という姿勢で、膝を突き合わせた状態で延々と勇者は男に説教を続けた。騎士団の一人が不敬だと止めようとすると、
「貴方達は、この方をお諌めしなかったのですか!」
そう言ってじろりと威圧、今度は騎士団も鎧姿のまま説教の列に仲間入りである。勇者の持つ祝福の、強烈な呪いのような力に反抗できず、男と同じくうなだれたまま、勇者の前に正座で座る羽目となる。
半日続いた説教の間、勇者を止めようとした王国の人々が勇者の剣幕におされて、結局、大臣や貴族どころか、国王や教会の重鎮といったお歴々も勇者の説教に加わった。
気付けば、城の手入れをする使用人達を除いた、殆どの面々が説教の輪に巻き込まれていたのだ。
「…という訳で、私はこの方の中に、王族としての確固たる資質を見ています。それをきちんと引っ張り出すのが、皆様の役割です、いいですね!?」
いい加減、足が痺れて立つこともできず、勇者の持つ祝福の力で逆らう気力も失せた人々は、誰もがそれに頷いた。
「許してくれるのか?」
ぼそりと男が呟く。だが、それは言ってはいけない言葉であった。泡を食った他の面々は青ざめた顔で勇者と男を交互に見ている。
「私の話をちゃんと聞いていなかったのですか!? 謝るべきは私ではありません!」
男はびくりと身体を震わせる。
「殺めようとしてしまった国民の方々ですよ! 国は民無くば成立せず、これは貴方の国の国是です!」
男だけ説教が延長である。幸い、一刻ほどで済んだが、周囲の面々は立ち上がろうにも立ち上がれないまま、説教の環に加わり続けた。
男は立ち上がった時、生まれたての子鹿のような足になっていた。因みに、既に場を持した面々も同じような有り様だったという。
後日、男は集まった民に目を向けてから、深々と頭を下げた。王家の者が頭を下げるなど前代未聞ではあったが、一歩間違えば国自体を傾けかねない事を衆人環視の下、行ってしまった不始末だ。
それ以降、男が以前のような傲慢な態度でのさばることは無くなった。生来の善良さ、それと王族としての本来の資質を発揮し、国家と民衆の為、これまでの負債を返済してなお余る、活躍をしはじめた。
ただ、自分を狂わせた兜の呪いは、壊された後も健在で、男の頭から大事なものを奪い去ってしまった。
頭髪である。
茶に近く、それでも美しく波打っていた男の髪は、物の見事に一本の例外も無く奪い去られていた。
だが、男は気にしなかった。それが自分への戒めであるとも言った。
勇者の滞在期間の間、男はもっと交友を深め、魔王の大攻勢の際は必ず駆けつけると約束した。
数年後、魔王が軍勢を率いて大陸に大攻勢に出る。勇者は常に筆頭として戦場に立ち、集った英雄たちや精強な兵士たちと共にそれを向かい撃った。その中には、男の姿もあった。
戦の合間、酒を飲み、笑い合い、腕を組み、踊り歌い、男は自分の頭を題材に、集った仲間たちに笑いを振りまいた。
「自虐ネタが過ぎますよ?」
「忘れられていた笑いが、この頭一つで生まれるなら、安いものだ」
それからまもなく、最後の魔王の軍勢との決戦が行われ、魔王の城へ突入した勇者が相打ちになって、魔王を討った事が確認される。魔族や魔物は散り散りになり、それぞれの領域に敗走した。
勇者の死に男は涙を流しながらも、勇者と仲間たちの健闘を讃え、高らかに勝利を謳いあげた。
男は王位は継がなかったが、周辺諸国へ外交をする特使の一人として飛び回った。その風貌と手腕、そして常に顔面と腹筋へ強烈な一撃を与える強者として恐れられた。
男は自信を持って自分の頭を今日も晒す。立派なカツラを挨拶の途中に落としたり、ずらしたり(づらだけに)、澄ました顔で気づいていないふりをして。
周囲で見る人々はたまったものではない。
ある日訪れた国では、男は城から出る時、共和国の王都の門から出るまではわざと身を晒す。カツラを除けば、白馬にのった美形の貴族だ。流麗な帽子がよく似合っている。
だが、ふわりと流れた長髪のカツラは、あまりにもふわりとしすぎて男の頭の上でふわんふわんと上下する。
城の門から都市の門の間まで、民達は歓声は上げる事なく、だが必死の形相で見送った。一度でも笑ってしまえば耐えられない事がわかっていたからだ。
そろそろ門から男が旅立つという前に、城からの告知官が厳しい顔で民衆の前に立った。
「かの方より『頭について語る事は咎め無し』とお約束を…」
共和国と交わした約束事の中では、男の姿を見て吹き出してしまう事については総じて不問に処す事が決められていた。
隣の従者が、顔をぴくつかせつつ目線で告知官に示す。
「何事…ブフゥー!?」
門を出る直前、男は帽子を取る仕草でカツラごと取り、優雅な挨拶をしていたのだ。
またある日、難しい条約の締結にと訪れた共和国の王が、厳しい顔をさらに厳しくし、側に居る王女も仮面のような表情で身を震わせていた。
一見すれば、条約の締結に身も震えんばかりの感情を押さえつけているようにも見える。だが王は必死に笑いを堪え、側に居る王女もプルプルと震えながら表情筋をおさえ続けている状態だ。
集った騎士たちは総じて兜の覆いを下げている。震えている所を見ると声が出るのをおさえているようだ。
(誰か一人でも決壊したら、耐えられない!)
騎士団の総意である。魔王軍と対峙した時以来の絶望的な戦いだ。
男は満足気にうなずくと、王への敬意を評して頭を下げる。固定していないカツラがずれ、正面に落ちた。
たまらず、側に使えていた大臣が鼻水を盛大に吹き出した。いつもは辣腕で知られる大臣が顔面崩壊である。
これには謁見の間に集う人々は耐えられず爆笑の渦に包まれた。
「少しは手加減頂けぬか?」
ひとしきり笑った後、やっとの思いで威厳ある顔を取り戻した王が言う。噂に聞いていた以上に、美形の禿頭が強烈だったようだ。この男が頭を外交の武器にも使っている事は知っていたが、我慢ができる代物だと思い違いをしていた。
登場した男の姿を目の当たりにして「あ、無理だ」と思い知らされたのだ。
「これでも、初めてという事で抑えましたが」
そう言って男は手前に落ちていたカツラを手に取ると、優雅な仕草で被った…。後ろ向きに。
「ブフォォ!?」
我慢できず、王女がうつむいて後ろを向いた。慌てた侍従長が笑いを堪えながら王女を下がらせる。
「…貴殿が来た以上は、取るべき未来なのだな」
王は半ばあきらめたような、それでいて憑物が落ちたかのような顔で言う。
「それこそが、我らが勇者にできる、数少ない恩返しです」
その後、条約は滞り無く結ばれ、大陸同士の交易路について細かい調整が行われる事となる。双方の国家と民に莫大な利益を齎すその第一歩が踏み出されたのだ。
魔王軍はもう居ない。だが、世界には戦いの傷跡が数多く残っている。国同士の不穏な動きもあり、それを鎮火し、民の不安をおさえ、そして…、
「魔王が討伐された後の、人々の笑顔を守って下さい」
「ああ、約束だとも!」
それが、勇者と呼ばれた青年と男の約束。