表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
例の魔術師  作者: 紅炎
2/2

続・人里にて人と交わること

 閉門、しばしのち。


「ご馳走様でした。」


 三姉妹の家で夕飯をご馳走になった。三人分の食事を無理やり四人分に分けてくれてありがとうございました。


「そういや縫い物屋やっているんだったけ。」

「はい。縫えるものなら何でも縫いますよ。」


 正面切ってそこまで言うとは頼もしい。


「じゃあさ、この外套の修復って頼める?」

「もちろんいいよ! その代わりに」

「魔法は見せん。慧音に止められているから。」


 悠は未だに諦めてないらしい。

 不満そうに文句を並び立てる悠を隣の詠がなだめる。歳差が十はありそうな姉妹だが、容貌はどこか似通っている。血の繋がりとは不思議なものだなあ。


「……ねえ。」

「ん? 何だ遥。」


 食事の間も沈黙を貫いていた遥が始めて口を開いた。隣が静かでちょっと居心地悪かったぞ。


「……それって博麗門の変で?」


 顔面の筋肉が少し引きつる。幸いに詠と悠は会話に夢中でこちらに注意していない。なにしろ、慧音と陰陽寮が情報統制を行い俺との関連性を必死で隠しているはずの事件の名前を、易々と口にしやがったのだから。

 博麗門の変。つい一ヵ月半ほど前に俺が起こした、この人里の存亡を危ぶめた大事件。博麗門と言うのは東門の別称で、博麗神社に続いているから博麗門と言うのだ。ほかにも理由はあるが、今は語らずしてよいだろう。

 どんな思惑が働いたか知らないが、この事件の真相は闇に葬られている。当事者の俺からすれば不気味でならないのだが、人里で生活しやすいとありがたいのも否めない。


「何で知ってるんだ?」

「……ちょっと。」


 結構重要な事をちょっとですませやがった。こいつ、中々できる。

 なんて悠長に構えてはいられない。俺は遥の耳元に呟いた。


「誰にも話してくれるなよ。人里に来られなくなるから。」


 俺がな。そっちに被害がないなんて嫌な関係だなあ。


「……大丈夫。」


 こいつの質だと分かっていても、一瞬の間と言うのは心臓に痛いものがある。悪いことはするものじゃないね。あれを悪いことと思っているわけではないが。

 一本ぐらい釘を刺しておこうか。そう思ったときである。


「あの、誠さん、遥と何を……」

「遥お姉ちゃん真っ赤ー!」


 二人の声にはたと我に返り、ずさっと離れた。確かに、この距離はまずかった。見れば遥は耳まで真っ赤である。


「いやな、遥の、その、頭につけている髪留めか、それが綺麗だったんでな。つい、な。」

「ああこれですか! これはしゅうしゅ(・・・)と言う髪留めで、頭に花を挿せたらいいなと思ってみんなで考えたんです。これは試作品なんですけど。」


 予想以上の食いつき。話題が一気に逸れた。


「へえ。面白いな。いつもみんなでやっているのか?」

「そうだよ。ね、遥お姉ちゃん。」

「……みんなで考えて、みんなで作っている。」

「そりゃいいや。」


 その後は俺に話す係りが回ってきた。三人はあまり里の外には出ないらしく、俺の何気ない薬草採りと幻想郷散策はかなり貴重な話らしい。その合間合間に、悠が魔法見せてとねだってくるが全て無視。ここまでくれば意地でも見せてやらない。


「いいじゃんちょっとくらい。」

「駄目ったら駄目。」


 正攻法では崩れないと判断した悠は詠に視線を持っていった。賛同を求めたいようだ。実に小賢しい。


「ねえ、詠お姉ちゃんも見たいでしょ?」

「誠さんが駄目って言うんだから我慢しなさい。私はもう見たし。」


 最後の一言で悠という火に油の注がれるのが見えんのですか!


「遥お姉ちゃんは見たいよね!」

「……私も、もう見た。」


 ああ、あれね。爆薬しか入れないその根性見上げたもんだよ。


「ずるいー! お姉ちゃんたちばっかり!」

「はいはい、運がなかったと思えって。あ、そう言えばさ、最近西の山の妖怪ってどんな様子だ?」

「西の山?」


 詠は考えるように手を頬に当てた。あまり外に出ないから分からないのかもしれない。


「……大きな蚯蚓が現れたみたい。」


 遥が答えてくれた。へえ、とほか二人が感嘆しているのを見ると、二人は本当に知らないらしい。少女一人里の外に出るとも考えづらし、何処からか仕入れてきた情報なのだろう。なるほど、遥は情報屋か。


「大きさは分かるか?」

「……一抱えの丸太ぐらいって」

「なるほど。」


 思っていたほど大きくないな。それなら今の装備だけでも十分やれるか?


「その蚯蚓の妖怪がどうかしたの?」


 悠が疑問の声で聞いてきた。


「慧音に依頼されてな、明日には退治しようと思う。」

「そうなんですか。くれぐれもお気をつけて。」


 詠が笑顔で言ってくれた。いや、こうやって送り出されると嬉しいものだな。

 思えば人恋しい。常日頃はたった一人で広大な屋敷にこもりっきりなのだし、しかたないことか。こうやって誰かと食事を取って、こうやって誰かに送りの言葉をもらえる。誰かがいないとできないことだな。

 と感慨耽っていると遥が裾を引っ張ってきた。何かと視線を移すと、こちらを見上げていたはるかの視線とがっちり合ってしまった。こうも近くで視線が合うと少々気恥ずかしいものだ。

 はい。はよして。


「……気をつけてね」

「ん、ありがと。」


 何故だろうか。遥の瞳が必要以上に不安を溜めているように見えた。

 俺としては、今夜の方が不安なのだけどな。



  ***



 外の世界には街灯などという電気を用いて道を照らす仕掛けがあるそうな。外来人といっても文明的な生活とは無縁だった俺にはまったく馴染みのない品である。そして、この幻想郷にも馴染みのない科学の一品。幻想郷の闇を照らすはただ月明かりのみ。それさえも、時によっては今のように隠される。


「そろそろかな。」


 都合よく満月。雲に隠されていようと光量は侮れない。両目に暗視魔術をかければ本を読めるほどである。目に良くないけどね。第一、何で草木も眠る丑三つ時に裏庭の縁側で本を読まねばならないのか。おかしな話であるが、これはどうも仕方ないらしい。

 即興の実戦とは、魔術師に対して酷なことをする。


「来たか。」


 本を閉じる。

 この家は裏に用水が通っているのだが、水を得るためにそれと庭を仕切る木戸塀の一部が切り取られているのだ。さすがに簡単な戸ぐらいはしてあるが、あってないような物である。

つまりはそこからの侵入は容易い。


「俺がいても構わず決行か。無謀だな。」

「……へへへ。魔術師ってのは呪文を唱えなきゃいけねえからな。」

「見つかったところで魔術使われる前に殴っちまえばいいだろ?」


 目視。正面に男が三人。無手。武器を身につけている様子もない。

 夕方の視線を辿ると如何にもごろつきの態をした男どもがいた。疑わしきは、と寝ずの番をしていればどんぴしゃり。警戒心の薄れる満月を狙うとは意外と知能犯かもしれない。いや、魔術師を甘く見る時点で読みの浅さが知れるな。今晩何も事を起こさなければ慧音に便宜を図ってもらうところなのだが、来てしまったものは仕方がない。


「運動前には軽い準備体操しねえとなあ。」

「こんな奴殴っても手ごたえねえよ。」

「そりゃそうだ。」


 三人揃ってげらげら笑いやがる。やはり訂正しよう、ただのごろつきだ。


「じゃ、大人しく寝ていろよ。」


 一人がいきり立って突っ込む。いや、突っ込んでこようとした。


「ばーか。」


 男の足が地面を離れる前に俺が呟く。


「は?」


 訳が分からないといった表情を浮かべて男は自らの足に目を向けると、それはすでに膝まで沈んでいた。男たちは声を上げて足を引き抜こうとするが、支点がないためにますます沈んでゆく。

 男たちの周囲に隠すように配置された数本のクナイ。これが魔術の媒体となっている。こいつらのおかげで魔術陣を描かずとも魔術を発動状態にできるのだ。


「罠がないとでも思ったか。」


 魔術師は短所である詠唱の時間的遅れを自覚している。故に、魔術師はそれを補うための方法を数多く編み出しているのだ。その一つがこれ、罠魔術。


「後は中に侵入した奴らか。」


 俺の呟きに三人揃ってはっと顔を上げた。やはり馬鹿だこいつら。ただの鎌かけだったのに。

 夕方に俺たちの後をつけてきたのが二人。家の周りをうろついていたのも二人。ここで推定される人数は最低四人。

 そこで裏口に来たのが三人。残り一人は見張りかとも思ったが、女子供と言えども人間三人を押さえ込むのに三人とは些か少ない。単体行動は考えにくいし、どうやってか侵入した仲間が二三人いると推測できる。

 そうかそうか。やっぱり中にいるんだな。

 三姉妹の部屋には結界をかけてある。少し余裕を持ってもいいだろう。

 黙唱。魔術師たる綾野誠の名の下に水精霊の召喚を願わん。


「水よ。地に染み渡りて土を固め給へ。」


 首まで使った男たちを確認してから沼の水分を抜いて固定し、蹴りで脳震盪を起こし静かになってもらった。しばらくはその格好で我慢してもらおう。

 縁側から家に上がる。

 暗視を強める。鮮明になった家の中、物音が聞こえた。


「玄関。」


 角を曲がれば長廊下から玄関が見える。身体強化の上に跳躍を用いて一瞬で終わらせてやる。

 そう思って幾分かの余裕を持って角を曲がったが、しかし、その程度の余裕などすぐに吹き飛んだ。

 土間の暗がりに、男が二人。

 二人とも四つん這いになり。

 その下には、暴れる女の手足。

 遥の、くぐもった声であった。


「――――!」


 魔術の詠唱ももどかしい。身体強化のみで廊下を走りきり、男の一人の顔面に膝蹴りを打ち込んだ。勢いのままに男を押し倒した俺は無理やり体を捻り、魔力被膜を施した高硬度の拳をもう一人に打ち込む。ちょうどよく脇腹に入り、相手はうめき声も上げずに失神した。


「遥!」

「……ま、こと。」


 遥は茫然自失とした声で答える。

 着物の乱れはあるがどうやらまだ事の前だったらしい。それに少しほっとするが、そんな問題ではない。


「遥、大丈夫か」

「……手、貸して」


 伸ばされた手を取って引き起こす。その手はあまりにも冷たく、そしてかすかに震えていた。はっとして遥の顔を凝視する。暗視の視界だから細部は分からないが、顔面は血の気が失せて真っ青だ。

 当然、こんな事があったのだから。


「……ありがとう。」


 声に目立った震えはないが、気丈に振舞っているだけなのだろうか。こんな時、一体どんな声をかければいいのか。


「すまん。」


 俺にはわからない。


「すまん。事前に言っておけばよかった。裏で片づけようなんて考えなければ良かった。」


 そうすれば、遥がこんな目に遭うこともなかった。


「本当に、すまん。」


 自然と顔が下がる。とても、遥に顔向けできない。それだけの失態を俺は犯したのだ。あんなに余裕ぶっていた自分が愚かだ。愚かで愚かで憎々しい。しかし、今は後悔している場合でもない。こいつらを早々に縛り上げて裏庭の奴らと共に警邏団に突き出さなければならない。

 そう思って体に力を入れたとき、遥が手を握り返してきた。


「……怖かった。」


 手が痛いぐらいに握られる。


「怖かった怖かった怖かった……」


 遥の頬を伝って涙が零れ落ちた。それは、俺と遥の手を濡らしていく。

 ああ、また泣かせてしまった。

 やっぱり、俺が女の子を守ろうとするといつもこうなってしまうんだ。中途半端に守って泣かせてしまうんだ。

 昔からそうなんだ。あの時もそうだった。


「本当に、ごめん。」


 だから俺は、謝るしかないんだ。



  ***



 満月の照らす裏庭へ遥と共に行く。

 早々に泣き止んでくれた遥だが、数度寝るように言ったが聞かずについてきてしまった。先ほどの件であまり強気に出られない俺は、無言を貫いた遥に押し負けしてしまった。仕方なく、遥に縄を取ってきてもらい男二人を縛っておき、裏庭に行く。

 地面に埋められた三人をどうするか、すぐに算段をつけてしまう。そうして木戸一枚をがらりと開けた。


「……どなたか。」


 俺の記憶では、裏庭には地面に埋まった稀有な男三人がいたはずなのだが、それらは掘り起こし縛られ、さらには中年の男二人が裏庭に肩膝を突いてこちらを向いている。


「こんばんは、若人たちよ。」


 そして、戸口の向こう、燕尾服を着た老紳士が水上に立っていた。

 ただの老人でないなど言うに値せず。二人の中年は付き添いぐらいだろうが、警戒するに越したことはない。そう考えて遥を背中に庇いつつ、魔力で剣を作り構える。これに老人は目を細めて言葉で答えた。


「今宵は手の内の者が失礼した。その謝罪と、取締りと、それから穏便に済ませてくれたお礼に参っただけだ。どうか身構えないでほしい。」

「できると思いますか?」

「それでも、だ。」


 言葉に重みを感じる。能力持ちか、それとも同業者か。俺とて無闇に争いたいわけではないが、悠長に会話をすれば催眠にかかりかねない。さて、どうするか。

 方策を模索していると、老人は再び話しかけてきた。


「例の魔術師、と言って誰をさすか分かるかい?」


 ピクリ、と遥の反応が伝わってきた。例の魔術師、とは博麗門の変を機に俺を示す隠語として用いられているのだ。


「あの時、私は確かに君の力を見た。あれほどの力の持ち主と、私は争いたくはない。」


 君もそうだろう? 老人は見透かしたように聞いてきた。質の悪い人間だ。


「貴方は何者か。」

 剣を消して問いかける。これがあっては話が進まないだろう。会話も短くすませたい。

 老人は愉快そうに微笑を浮かべている。


「私という人間は、強いて言えば、単なる金持ちであり、奇特な慈善事業者なのだよ。」


 老人は静かに言った。


「今のところは、これで満足しなさい。」

「慈善事業者、ね。」

「納得してくれたかな?」


 前者に疑念なく、後者に甚だ信はない。ごろつきを手下にする人間が何の慈善事業者であるのだろうか。

 老人は言葉を切ったが、俺は無言で先を促した。


「そうだ。この機会に少し話をしないかい?」

「お断りします。」


 老人の提案を即時却下した俺は、しかし老人の言葉を止めることはできなかった。


「まあまあ、そう言わずに。」


 言って老人はあたかも椅子のあるように空気に座した。足を組み、肘掛に寄りかかっているように見える。


「先ほども言ったが、私の正体を話すわけにはいかない。しかし、君が協力者となってくれるのであれば、必然的に私を知る事になるだろう。」

「協力者?」

「そう。君の力、実に素晴らしく、是非とも手に入れたいものだ。我々の一員になれとは言わない。しかし、有事の際に我々に協力してほしいのだ。」


 我々。力。有事。

 俺は老人の背後に組織の存在を見た。推測ではあるが、かなり大きな組織だろう。なるほど、ごろつきを何人抱えていようと不思議でない。それらだけでなく、もっと強力な人材を手にしていてもおかしくはないだろう。

 あの老人、確実に人里の中でも何かしらの影響力を持っている。老人は俺を欲しているのであり、傘下に入ればこの先都合のいい便宜を図ってもらうことも可能だろう。短絡的に言えば魔術の使用を解禁できるだろうし、長期的には何かしらの利権を得ることも可能だ。

 しかし、生憎と俺にその意思はない。口ぶりからして面倒に巻き込まれるのは明らかだ。嫌な予感は尊重すべき。俺は魔術師なのだ。

 何度か老人に持ちかけられるが、俺は沈黙を貫く。


「仕方ない。また時を変えてお誘いさせてもらおう。」


 もう二度としないでほしいと思ったが、俺も老人に対して不覚にも興味を抱いてしまった。正確には背後にある組織。次に出会うまでには調べておこう。


「神之介。」


 ミシリ、と背後の床板が鳴った。とっさに振り向くと裏庭にいたはずの付き添いの片割れ――神之介――が玄関の男二人を抱えて立っていた。すぐに遥を離し、裏庭を確認する。確かに付き添いは一人しかいなかった。しかし、一体どうやって中に入った。

 考えてはっとした。老人との会話だ。あの会話で老人へと意識を集中させてしまい、その隙に神之介が脇をすり抜けたのだろう。何と言うことだ。わかっていたのに俺はまんまと相手方の策略にはまったのだ。


「失礼する。」


 神之介が近づいてくる。俺は三歩下がり短剣を作ろうとしたが、その前に神之介が縁側から裏庭へと降りた。俺はすぐさま後を追って裏庭に出た。遥も着いてきた。

 神之介ともう片方の付き添いが五人の男を軽々と抱えて立っていた。


「そいつらは置いていけ。」

「安心しなさい。こやつらはしっかりと警邏団に突き出す。しかし、証言者として君たちも共に来てほしい。」


 君たち。


「わかったが、俺一人で十分だろ。」


 遥にあれを思い出せと言うのか。


「別段君一人でもいいが、何、君がこの家に泊まっている正当性を示す必要もあろう?」


 確かに。俺だけが証言しても、人里の外に住む俺が何故ここに泊まっているのか、それが疑われる。下手すれば作り話をしているのではないかと言われるだろう。それほどの不審をもたれている気はないが、言葉だけで終えられる信頼を勝ち取った覚えも無い。


「それなら家長を連れて行こう。その方が都合いい」

「私が。」


 俺の言葉を遮るように外套を引っ張り、遥が言った。

 何故だ、と心が呟いた。


「私が行きます。」


 遠い記憶の、その誰かと重なる響きだった。



  ***



 朝になり、朝食までもいただいて三姉妹の家を後にした。昨日のことは詠に簡単に伝えるに留めた。悠は未だに駄々をこねていたが、未明に即興で作った魔術を用いた玩具を渡して無理やり収めた。随分と喜んでくれたから嬉しい。

 それから足を向けたのは、慧音の家である。


「眠たそうだな。」

「ふあ……徹夜明けでな。そう言う誠も眠たそうだが、こんな早くに来るなんて珍しいな。」

「まあ、な。」


 居間に上げてもらい、昨晩の出来事を伝えた。遥の件を省いて、である。


「それで、その自称慈善事業者の老人について教えてほしいんだが。」


 これに慧音の表情は一瞬にして曇った。


「何故だ? いや、答えなくていい。どちらにしろ私は答えられん。」

「どうして。」


 慧音は腕を組んで眉間にしわを寄せて唸った。


「人里の決まり、暗黙の了解というやつだ。あまり深入りしないでくれ。」

「そうか……」

「詠たちについては私の方で手を打っておこう。心配はいらない。」


 釈然としないが、里の決まりと言うことは少なくとも中核付近には存在する重要人物だということ。金持ちとも言っていたし、そちら方面から探ることもできるだろう。今のところは詠たちの保護をしてもらうと言うことで満足しておくか。


「そうだ誠、依頼のことだが。」

「ん? 今から行くつもりだが、何か変更があったか?」

「いや、何もない。少し確認したかっただけだ。じゃあ、よろしく頼んだぞ。」


 慧音に本を預かってもらい、西門から山へと向かう。

 西の山は人里から歩きでも四半刻足らずで着く。この人里の限界域は比較的狭いのだ。田園や畑を横目に見つつ目の前にそびえる西の山に視線を投じる。

 老人は有事と言った。幻想郷、ひいては人里内で使われる有事とは妖怪の人里襲撃を指す。妖怪による人里襲撃は規約違反であり、本来はありえないのだが、過去にそういった事例がないわけではない。故にそういった心配をするのは理に適っているのだ。

 しかし、と俺は思う。

 あの老人の言う有事。果たしてそれだけだろうか。何かもっとほかの事が含まれている気がしてならない。人間の脅威は妖怪だけではないのだ。

 この幻想郷には、三つの人里が存在するのだから。


「はあ、面倒だなあ」


 元はと言えば博麗門の変がきっかけなのだ。あれさえなければ俺はもっと別の形で人里に受け入れられていただろう。別に博麗門の変を悪かったとは思わないが、決して良かったとも思えない。

 いやしかし、こんなことを考えても仕方ない。過ぎ去りしこと、自らの意思で起こしたこと、あれほどの被害を与えたのだ。それらを後悔すべきではない。

 そう結論付けて目前に集中することにした。

 木を組んだだけの簡素な門を抜ける。

 俺は今、限界線を越え、妖怪の領域へと足を踏み入れたのだ。つまりはいつ襲われてもおかしくは無い状態であること。


「陣内家結界総記より『真球形探知結界』」


 半径八メートルの真球形の結界を展開し、地面の中まで気配を探る。しかし、鍛錬不足でこの大きさでは数秒で崩壊を起こすため、すぐに体積を半分にする。

 西の山に入った。

 退治の算段はつけてある。どこか局所的に被害を受ける所があるだろうが、人里の安全のためと割り切ってもらおう。


「む、いきなりか。」


 呟きつつ跳躍。近くの太い枝に飛び乗る頃には、先ほどまで歩いていた所に一メートル半の大穴ができていた。土煙の隙間から爛々と光る目が見られる。

 淵から巨大蚯蚓の頭部が覗いているのだ。無数の細かい牙が密集している口内に六つの目が不等間隔に配置された顔は生理的嫌悪感をもたらす。遥の言っていたとおり胴回りが一抱えはありそうだ。地下生物なのに何故発達した目があるのか、それはすぐに分かった。

 蚯蚓が口をこちらに定め、そして何かを打ち出してきた。至近距離のために過たず俺を捕らえ、俺が避けたために虚しく空を切るに終わる。連続して何度も何度も吐き出してくる。自然と距離をとらねばならなくなった。


「泥の塊か。蚯蚓って土食うんだったな。」


 本当に蚯蚓が妖怪化したものなのだろうか、甚だ疑問だが別にいい。


「俺の仕事は妖怪退治っと。」


 外套から呪符を二枚取り出し、詠唱しながら蚯蚓向けて投げつける。


「獄符『灼熱の獄』」


 呪符は炎を纏いながら穴へと突っ込んだ。蚯蚓は目敏く危険を察知したようで、早々に穴の中へと帰ってしまっている。穴の中で燃える火は魔術的なものなので、しばらくは消えることはない。

 探知結界は展開したまま地面に降りて穴に近づき内部構造を調べる。大穴の深さは一メートル半か二メートルほど。底の壁には蚯蚓の横穴が掘ってある。


「ふんふん。この程度なら誤差範囲内だな。」


 用意していた策に少々の修正を入れつつ対処方法を決定する。後は準備なのだが、相手はどうも準備時間など与えてくれる気がないらしい。


「よいしょ。」


 地面が陥没する。次いで蚯蚓が噛み付いてきた。当然よけるが、もし噛み付かれたらひき肉になってお陀仏だろう。先ほどのような奇襲には気をつけなければならない。

 木の枝に飛び乗り、すぐさまほかの枝へと移る。


「魔術陣展開。我が独学から第一章一番『風斬』」


 背後から泥の塊が跳んできたがすぐにやみ、代わりに探知結果以内に侵入してきた。俺の背後、その地下をぴったりと付いて来る。地表から枝までは三メートルぐらいだから、地表二メートルほどの深さを進んできているようだ。


「しっかり付いて来いよ。」


 速度を上げた。枝のしなりも利用してより速く先へと進む。風が耳を切り、足元はかなり不安定。邪魔な枝も風斬で打ち落とさねばならない。風斬と言っても呪文単体の発動では鈍器であるのだ。


「は、は、は」


 走り始めて十分ほどで、実際にはもっと短いだろうが、目的地に到着した。俺は風斬を消し、目前にそびえ立つ巨木の枝に乗る。地表との距離は六メートルを越え、用なさぬ探知結界は一旦解除する。

 この巨木は大人が八人がかりでようやく抱えられるほどの幹を有している。それに比例して根も地中奥深くまで張られており、あの蚯蚓では陥没させられないだろう。

 しばらく、自らの足元を見つめる。

 あたりは静かになった。鳥のさえずりも風のささやきもない。晩春の風が背後から通り抜けて空へと還って行くが、まるで俺だけの幻覚のように、外套はおろか葉までも動かず、風精霊さえも感じ取れない。

 俺は視線を少し上げ、巨木前の地面を睨む。魔力で二メートル強の槍を作り、地面に向けて投擲する。それを数度繰り返し、直径三メートルほどの円を描いた。


「陣内家結界総記より『半球形探知結界』」


 下半分限定の探知結界を展開し、同時に円の中心へと跳躍する。蚯蚓は警戒してか近づこうとしない。

 黙唱。魔術師たる綾野誠の名の下に水精霊の召喚を願わん


「地深き流水よ。相侮に因り土を侮り、土の領を侵し」


 結界の端に反応。痺れを切らして突進してきた。俺の直下をぐるぐると回っている。また陥没させる気らしい。


「土と混ざりて土を奪い」


 足に力を込めて垂直に跳び、最大高度を得る。


「我が怨敵を沈めよ」


 途端、顔を出した蚯蚓の周囲直径三メートルほどの範囲が深さ二メートルにわたって液状化する。昨晩使った魔術と同じものだが、数段強力にしてある。あの時は沼のような粘度だったが、今は完全に泥水にしてやった。

 水は一瞬周囲に溢れ出し、すぐに蚯蚓の空けた穴を通ってどこかへと流出する。

 つまり、俺は無防備な蚯蚓の頭上を取ったわけである。


「ぜあああああ!」


 三メートル以上ある槍を高密度の魔力で作り、蚯蚓の頭部に突き刺す。重量に落下の勢いもあり、それは易々と貫き地面に深く突き刺さった。


「――――!」


 耳をつんざく悲鳴が響き渡る。六つの目は全て俺を睨みつけ、身は俺を叩き潰さんと激しくうねっている。


「陰陽五行説において土に対する相剋は木だ。しかし、木とは生物的に生命を宿す独立体であり、魔術による干渉は難しい。」


 俺はもう一本槍を作り、今度は暴れる尾部に突き刺した。強化に強化を重ねたため、轟音を立てて地面に縫い付けた。


「しかし、木の派生として風がある。つまり、風剋土。」


 頭部の槍を握り、我が独学書を取り出す。蚯蚓の悲鳴がさらに大きくなり必死に槍を逃れようとするが、抜けられるはずもない。


「我が独学から第一章二十番『鎌鼬』」


 頭上に竜巻が起こる。それは不自然に回転速度を上げ、蚯蚓に落下した。


 

  ***



「やはり素晴らしい。」


 誠が蚯蚓妖怪を屠る様を限界域の上空から眺めた老人は、一人手を叩いて彼を賞賛した。


「ご家老。私にはあの者の何処に惹かれるのかが分かりません。」


 ただ一人側に控えていた神之介が言った。


「あの者が博麗門の変で出した力は怒りに過ぎません。現に今回はあのようにまどろっこしい手段しか持ち得ませんでした。制御できぬ力は破滅でしかないのでは。」

「お前の目は節穴のようだな、神之介。」


 老人の愉快気な言葉に神之介は首をかしげた。だが老人は続けようとせず、くつくつと笑うだけである。神之介はそんな己の主を困惑の視線で見つめる以上何もできない。

 昔からそうなのである。


「時に、神之介。」

「何でしょうか。」

「家老、とはもう止めまいか。どれほど前の話と思っている。」


 これに神之介はただ強い意志を持って、首を横に振るだけであった。


 どうも、紅炎です。

 これはこれで完結。次回は、前作にのっとれば紅魔館編です。まあ変更になるかもしれませんけどね。

 では、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ