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「こんな所まで付き合わせちゃったね。

私が悪かった。ごめん」

「真弓」

「名前で呼ばないでくれる?」

静かに言って、真弓は凍りつくような背中を僕に向ける。

時の経過は常に、何らかの変化をもたらしていて、無情に迫りくる一秒一秒に、過ぎ去った一秒一秒に、僕は歯を食いしばることしかできなかった。

真弓は僕が見えるか見えないか位に顔を向ける。

「本当は、君との夢を、一緒に叶えたかった。だから最後、君に問いたい」


「それで君は、生きているの?」



右の太ももから小刻みに一定のリズムで振動が伝わり、僕はぼやけながらも視界に差し込む照明の光を捉えた。

横たわっていた体を起こそうと首に力を入れるも、反発する頭の重さと痛みがあっさりと僕を断念させた。

テーブルの上には、つまみの残りとまだ中身の入っているワイングラス。酒を飲み、心地良くソファーでくつろいでいる間に寝てしまったようだ。

目覚めたばかりの口内に苦みを感じながら、ズボンの右ポケットに手を突っ込み、携帯電話を取り出す。

予定変更と書かれたメールはアシスタントからだった。内容を見るまで頭が回らず、読まずに画面を消した。

所々関節がきしむ体を持ち上げてベランダに出、煙草に火をつける。冷んやりする風が寝汗をかいた肌に触れ、思わず肩を縮めた。

夜の一時を回っても、駅周辺の街明かりは消えることなく煌々としている。ただそれは、ほんの一部で、少し視線を外せば、ぼんやりとした建物の輪郭がうっすら見えるほど、家々は寝静まっていた。

暗闇に昔の自分が重なる。良くない感情と何となくでも理解していながら、そこが自分の置き所だと思い込み、進んで否定的な思考を肯定してきた。

今となっては遠い過去。懐かしくも酸味を覚えるような恥ずかしさがある。

そうだ。

僕は夢を叶えることができた。写真家になって、世界中を飛び回り、色々な空や自然、人々の表情をフィルムに残している。自分の事務所兼スタジオを持ち、アシスタントも五人雇って、スケジュールはぎっしり詰まり、収入は右肩上がりだ。

僕は、広いマンションの最上階を手に入れた。都心からは離れているが、街明かりが綺麗な夜景を毎日堪能している。

僕には沢山の友人ができた。休日前には決まって酒を飲みかわし、互いの夢と共に酔いしれている。

僕は冗談を言うようになった。人を笑わせ、自分も笑わされ、けらけら声をあげるのが楽しくて仕方がない。

僕は今、最大値のない幸せを、日々味わっていた。

いつか夢見た姿がここにある。

道が、構築されていく。思った通りに。

勇気、可能性、信じる力、それはーー。

つまりは、今の僕が、何よりの証明だ。

道を変えられたからだ。きっと、心の深くでは、変わりたいと望んでいたのだろう。

それ以前のあの時も、それなりに幸せだったと言える。自分の思い通りに生きていたと知ったのだから。

けれど、それが自分の望みでないとも知った。

自分に背を向けていると気がついた。

僕はこうして生きている。

自分自身の存在が、大きな叫びだ。

過去を振り返る暇なんてない。

いつだって前を向いて歩いていく。

そうして色あせる思い出の中で、今も消えない十年前。

二十八年間の、たった一年。

生きている意味を見出せなかったあの時、動き続ける心臓だけが、僕の存在を教えてくれた。

許してもらいたかった。安易な言葉ではなく、僕を知る、僕が大切だと思える人に。

君はずいぶんと遠くへ行ってしまった。

できることなら、もう一度、ゆっくり話しがしたい。

笑い合いたい。

小さなことで、喧嘩したい。

そうだった。今なら、今の僕なら約束を果たせる。

権利はもう、手に入れていた。

最初に買ったカメラで、最後に撮った一枚。

無邪気に微笑む君。十年経っても、君が幼く見えることはない。写真を見ればいつだって僕は、あの頃へ返る。

「ねぇ。僕は、ちゃんと届いているかい?」

だから僕は、僕が辿ってきた、写真集を出すことにした。

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