はじまりはじまり(04)
一息ついたところで、改めて先刻の走馬灯の内容を思い出す。
そんな訳で、俺が今いる場所は、研修の舞台である緋鏡学園初等部。この学園では幼稚園から大学まで、一貫した霊術教育を行っており、俺と世那はその高等部に所属している。
一週間の研修もこれで五日目。
授業も大分慣れてきたのだが、どうやらそれは児童側も同じらしく、最初は大人しかった子供たちが、今ではご存知の通りあの有様だ。一応授業内容を聞いてくれているのだけは、救いともいえるが。
「今日は担任が見てないからか、一層テンション高かったからな……」
ぽつり、と独り言をもらして見るも。今度はそれに帰ってくる声は無い。
今日は本来の担任が二人とも出張で不在のため、俺達だけでこのクラスの面倒をみることになっていた。そこそこ厳しめの教員のため、奴らのフリーダムさに拍車が掛かるのも解からなくは無い。
……そういえば、俺と世那が二人ともここにいて、授業はどうなっているのだろうか。
「今は国語の時間よ。私の受け持つ授業までは、そうね、あと三十分ってところかしら」
俺の疑問の表情を読み取ったのだろうか。前時代的な救急セットを抱えてきた世那は、実に的確に答えて見せた。
「なら問題ないな」
「大有りよ。私の貴重な休憩時間が削れるじゃない」
不満そうな顔つきで、さっきまで座っていた丸椅子に再び腰掛け、救急セットをあける。
「術式で治せればいいんだけど。生憎アンタに使える持ち合わせはないのよね」
「かまわない。この位ほっときゃ直るよ」
正直なところ、さっきまでならともかく、このくらい回復していれば問題はないのである。
「そうもいかないわ。一応ポーズだけでもとっておかないと……」
「お前、自分が単なる暴力教師として見られるのを防ごうとしてるだろ」
その言葉に世那はじっと俺の目を見つめて、一瞬の間の後、目を逸らして言う。
「……そう思うなら、そう受け取ればいいじゃないー」
「結局どっちともとれるセリフだよな、それ。あと棒読みを隠せ」
まあ、言われなくてもそうさせてもらうつもりだが。
まったく、と世那は折られた綿布に消毒液を染み込ませて、俺を呼ぶ。ここで逆らうのもアレなので、俺は体を少し彼女の方へと滑らせた。
「……何が弱いものは屠られる、よ。アンタが一番弱いくせに」
先ほどの俺の演説に対する物言いがついた。蹴られた原因でもあるので、まあ、解かっていたことだが。
文句と共に、ゴシゴシと乱暴に消毒綿を頬の傷口あてて拭われる。ビリビリと眼球まで痛みが到達するが、文句を言うと傷が増えそうなので言わない。代わりに、世那の行動ではなく台詞に抵抗を試みる。
「む、失礼だぞ世那。少なくとも、今日の教え子たちよりは強いからな」
「小学生に勝ってどうなるのよ」
「俺のプライドが満たされる」
「やっすいプライドねえ!?」
「安くない」
「安いわよ」
「ゼロなしのさんきゅっぱぐらいはする」
「やっぱり安いじゃない!?」
「ばっ、安くねえよ! お一人様二個までの九十八円お徳用タマゴパック(10個入)いくつ買えると思ってる」
「二個でしょう」
「デスヨネー」
誰かが一緒に買い物を手伝ってくれることはないらしい。おかげさまで俺の一人暮らし家計はいつだって火の車だ。
「よし、終わり。もう動いても良いわよ」
そんな馬鹿話をしている間にも、世那の手は休み無く動いていて、手、顔や首、はだけたワイシャツの胸元辺りの治療を完了していた。外部に見えるところだけ、というのがなんだか策略じみたものを感じさせる。
「おお。ありがと」
けれども一応お礼は欠かさないでおこう。向こうには向こうの、家の都合やらがあるとは言え、いつも迷惑をかけているのは、確かだ。
「どういたしまして。まあ、お礼を言われるようなことでもないのだけれど、この位」
「お前はいつもそう言うよな」
言いながら、自嘲じみた微笑を浮かべてしまう。普段はお役目とか、関係ないって言ってるんだけどな。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、世那は立ち上がり、スカートを軽くはたきながら、こちらに向かっていつも通りの表情を浮かべる。
「さてと、それじゃあ、私は次の授業の準備に戻るけど。どう? 予定通りこれそう?」
予定通り、という言葉に俺は少し思考を巡らせ、ああ、とひらめく。
「問題ない。世那の治療のお陰か、傷もそんなに痛まないし。担任連中に言われてるからな。参加するよ」
参加、というのは、世那が受け持つ予定の次の授業についてである。二人組みのうち、俺が座学担当ならば、残る世那は、当然──。
「そ、そう」一瞬なぜか戸惑いを見せ「じゃ、動けるようになったら先に体育館で待ってて」
「了解。そうするよ」
そんな、極力笑顔で返した俺の答えを聞いて、満足そうに世那は保健室を出て行った。
その後姿を少し見つめて、
「ホント、迷惑かけてばっかだな、俺」
俺は呟きと同時に、頬をかく。
まだ直りきっていない擦り傷が、チクリと痛んだ。