開幕式、あるいはとある教授の一人語り
魔法──霊術という常識外の代物が、日常に溶け込んだ理由を知りたくはないか?
世界中のあらゆる裏の人間達がひた隠しにし続けたその秘蹟を、誰もが知り使いこなすようになった真相を、知りたくはないか?
自らの欲求に従い、その知識の杯を満たしたくは無いか?
是ならばほら、席につき、チャイムが鳴り始めるのを待とう。
これから始まるのは、小学生に向けるような概要の概要を膨らませた薄っぺらい風船じゃない。
今の世界を形作る鍵が、主軸となった技巧が、その不定形の過去からいかにして生まれたか。その真髄に迫るお話だ。
ああ、ああ。そうか。素晴らしい。君たちは実に優秀だ。
なんと、全員が席についた。時計はまだ30秒も残っているけれど、なに、じきに始まりを鐘がキチリと告げる。
時がくれば、そう。
さあ──歴史の授業を、始めよう。
◆
──始まりは、とある一つの『報告』だった。
最初は、何のことは無い、児戯程度にしか思われない、そんなもの。
いわく──うちの庭で河童が宴会を開いている。
とある片田舎の交番から街場の警察署へ大真面目な声で、村人からそんな通報があった、と報告がなされた。
天狗だの座敷わらしだの、そういった伝承が未だに残る山間の村でのことである。普通ならば、よくあるいたずら電話や見間違い、と駐在も取り合わなかっただろう。しかし、その通報は少しだけ毛色が違っていた。
理由は単純。
電話の主に対する信用度合いの問題であった。
通報してきたのは子供でもなければボケた老人でもない、一人の壮年の男性だった。それも若くして村の顔役を務めるほど、皆からの人望もある男である。
電話の向こうで混乱する駐在にむかって、受話器越しにもあせり伝えてくるような緊迫した声で、河童が、河童が踊っている、と繰り返す大人の男。
駐在も最初は少し疑ったが、少なくとも嘘をついている声音ではない。河童などはありえないとしても、男性が何かしらの異常に巻き込まれていること位は悟ることが出来た。精神を病んでしまった、などということもありえたため、とりあえずは現場へとむかうことに決めたのだった。
多少おかしな理由付きであっても、職務は普段どおり。村人の安寧を守ること。
そんなことを考えながら、舗装もされていない田舎道を自転車をこいで行った、その先で、
──駐在は、『ありえなくておかしい』などと、つい数分前まで思っていたその現象を、目撃することになる。
◆
結果から言えば、男は至って正常だったのだ。
異常だったのは──世界の方。
あの夜。その異常の全てが終わった後。
誰もが気付き、そして言った。
ああ。
世界の骨子はすでに歪んでしまっていたのだ、と。
◆
話を戻そう。
そこからは、堰を切ったようだった。
河童は認知のきっかけにすぎなかった。もしかしたらもっと前から起こっていたのかもしれない。
なにが原因で、いつ始まったのかも解らないけれど、確実にあふれ出す異常の群れ。
まるで洪水のように、世界中で同一の現象の発生報告が押し寄せた。
あらゆる所で怪異がうごめいている、と。
けれど、決して触ってはこないし、向こうからこちらが見えている様子もない。
確かにそこに在るのに、一枚の壁で隔絶されている。
その壁の向こうでは、世界中に散らばる寓話や伝説が、そのまま再演されていた。
龍が空を駆ける伝説がある村でも、人魚が目撃された伝承の残る海域でも。
それらが半具現化し、現世に生きるもの達とは関係のない次元で勝手に動く。
それは、まるで幻燈のように。
直接には危害も加えない、こちらから触れることも出来ない只の映画のようなものだったが、人々は大いに混乱した。
なにしろ毎日家の中や庭、学校、屋上、道路の真ん中、果ては公園の滑り台の上で龍が暴れ、騎士が倒し、鬼や武士が切った張ったの大試合をエンドレスで行うのだ、普通に生活など行えるはずがない。
今度こそ精神に異常をきたす人間が増加し、犯罪率も異様に上昇した。
人間とはかくも脆いものだ。
幻影に脅威を感じ、幻想に恐怖する。
人々は、はるか古代にのみ発生した騒乱を、起こし始めていた。
それは、旧約に記された災厄。世界を一掃した大洪水や、火と硫黄の雨に焼かれた悪の街、果ては言葉を乱した怒れる神の雷の話のように早く、強大ではなかったが、それに連なる事象として、一連の事件を人々はこう呼んだ。
──大神災、と。
◆
世界中の政府は対応に乗り出さずにいるわけにはいかなかった。なぜならそれは、『映画』であると同時に『舞台』にもなりうる可能性があったからだ。
つまりは、このまま放置すれば幻影の完全な具現化──神災そのものが実害を持って、世界中の現実に影響を及ぼすことは免れないと全世界の霊術師によって示唆されたのである。
それを受け、各国政府や、バチカンを初めとするそれぞれの宗教は、魔術師や霊的存在、それぞれが持つ霊政の中心機関を公式に認め、大神災の収束に全力を費やした。
あらゆる神秘を、秘跡を、彼らは公開したのだ。
人類が文明を持つ以前から延々と隠匿してきたその奇跡を、単なる問題解決のための技術として、ツールとして。
結果的に、実際に幻燈が顕現した例は少なく、被害もさほど大きくはなかった。
せいぜい、街が1000ほど消えてなくなって、世界の人口の25分の1ほど減った程度だったよ。
しかも、そのうちの3割が、公開された霊術のによる自己破壊で、1割は普通の人間による普通の暴力によるものだったけれど、そんなものは世界にとって微々たる事象だったらしい。
そして、とある夜。なんの前触れもなく、唐突にすべてが終わっても、世界はすでに止まる術を知らなかった。 時は巻き戻らない。
一度知られた便利な道具を、人というものは往々にして手放すことは出来ないものだ。
確実に世界は変わってしまっていた。
◆
エネルギー・資源枯渇・環境問題に後押され、霊術はその便利さを抽出され、攻撃能力のない生活必需品となりライターの火すら今では霊術が多い。
対して、攻撃力を有する強力な霊術は、戦闘の道具として国家や都市、機関組織間で保有・管理された。
ただし問題が一つ。
──霊術は強力で特殊であればあるほど、血筋や才能によるところが大きく、人間の制御が必要になり、コンピューター制御は不可能になる。
そのため、各都市に霊術師の育成と保護を目的とした学校施設が設立された。君たちが所属する、あるいはしていたはずの箱庭のことだね。
君たちが一般人と区分けされ、そこで得た学びは、決して国の親切心によるものなどではない。あらゆる政治的、戦争的戦略的に耐えうる才能を育成するため霊術はもちろん、白兵戦、電脳戦、交渉戦などの各技術も同時に叩き込まれたんだ。
いわば、国防戦略だよ。
徴兵制となんら変わりない。
その証拠に、ほら、今私が話した物語を、どこまで知っていたかな?
学校で教わったような、幻燈現象を解決するために世界中が力を合わせて頑張りました、なんて小奇麗な話じゃないんだ。
実際には国家間の腹の探り合いだよ。これから自国の最大の兵器として公的に運用されることが分かっている技術を、そうそう公開したくはないだろう?
ためらって、ためらって。
そうして無駄な時間が浪費されている間に、いくつの街が消えたんだろうね。
そんなことは数えもしないし、子供たちには教えない。
資料は残っているから知ろうとすれば知れるけれど、そもそも知ろうとすら考えない。そういうふうに君たちは作られてきたのさ。
政治が絡まない教育なんて存在しない。
だからこそ、今、ここで知っておいて欲しかった。
これから国家の所持物として機能する君たちには。
この世界の歪んで歪んだ在り方を、人間の醜くも美しい今までの生きざまを。
ふむ。思ったより、長くなってしまった。
けれど、授業はこれでお終いだ。
君たちは明日から、日常に戻る。
今までと同じ、けれど少しだけ色あせた、日常に。
──さあ、青春を謳歌しよう。
平和な日々がずっと続きますように、なんて。
すでに失われているモノを求める、無駄な祈りをしながらね。