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セツナレンサ  作者: uta
20/20

ⅩⅩ




 抱きしめてくれる英太のあたたかさを、力強さを、僕の身体は覚えていた。肩越しに見える向日葵の花が、永遠を願った冬の終わりを告げた。


 絶望の底に落ちかけた僕を救い上げようとする彼の優しさが、肌を通して伝わってきた。それは、僕の笑顔を、泣き顔を、あらゆる感情が生み出す表情を、心の闇から護ろうとする強さだった。


――ちゃんと素直に泣いて、笑えるようになるまで、帰しません。


 大真面目な表情で、そう口にした中学生の英太を思い出す。彼の優しさが、失恋の痛手を被った傷口に染みこんで、執着し続けたものをゆっくりととかしていった。


 それまでの僕は、すばるさんを忘れないようするために心の棘を逆立てて、乾き始めた傷口を何度も何度も開いてきた。じくじくと膿む傷口を抱えて、過ぎ去ってしまった思い出たちと生きていた。


 自分を欺いて安易な癒しに走るくらいだったら、激痛にうめき続ける方がずっと良かった。優しい嘘に甘えながら、僕はそれを否定した。


 でも、矛盾のすべてを一人で抱え続けることは、もう限界だった。


 誰でもいい、誰かに、腕いっぱい抱えた僕の想いを知って欲しかった。身勝手な願望だと解っていた。痛む心を抱えながら、そのまま英太に寄り掛かってしまいたかった。


 涙でぐっしょり濡れた彼の胸から顔をあげて、僕はぽつりと呟いた。


「東桜の、合格発表の時、ありがとう……」


「どーいたし、」


 口にしかけた言葉を胸の中に押し戻すように、英太はハッと息を飲み込んだ。彼の解りやすい行動に、僕は小さく笑みを漏らす。久々に思い出せた笑顔は、涙で濡れた頬にぎこちないものとして刻まれた。


 東桜学園の入学式の時、体育館に並べられたパイプ椅子に名簿順で座ったため、僕は英太と席が隣になった。彼を見つけてすぐに声をかけようとしたが、互いに名前を知らないことを思い出して、開いた口をそのまま閉じた。


 学ランではなく、真新しい濃灰色のブレザーに身を包んだ彼は、一月の違いなのに、ずいぶんと大人っぽく見えて別人のようだった。


 式が終わり、クラス順に退場するのを待つ間、おずおずと言葉を選びながら隣に座る彼に話しかけた。「合格発表の時、もしかして僕等、会いましたか?」


 訊いた瞬間、彼は「ごめん、多分違う」と言い残し、ぷいっとそっぽを向いてしまった。彼の沈黙を否定と受け止めた僕はそれ以上深く訊けずに、気まずい空気を吸いながら退場の合図を待っていた。


 英太は嘘をつく時に、決して相手と目を合わせない。今考えるとおかしい話だと思うが、その時の僕は入学式ですばるさんを見つけてしまったショックもあいまって、彼の嘘に気付けずにいた。


「高校に入って、一番最初に話した時のこと、覚えてる? 入学式で、君は僕に会ったことがないって言ってたこと」


「ごめん……。でも、あんな情けない状況見られた奴と、仲良くなりたいとか思わないだろ?」


 言葉を濁しながら口にする英太に、軽く首を傾げながら切り返した。


「やっぱり、情けなかったかな? あの時の僕って」


「ほんと、世界の終わりって顔してた。でも、入学式で会って以来、普通に笑ってるから、優に何も言えなくてさ。……錦先生と電話してる時も、同じ顔してた」


 だから、すっげぇ心配だったんだ、と僕をきつく抱きしめながら、英太は搾り出すように呟いた。彼の真っ直ぐな優しさが、虚しさに満たされた荒地のような心を潤していく。


「うん、そうだね。確かに、世界が、終わっちゃった。すばるさんが大好きで、大好きでしょうがなかった僕の世界が終わっちゃった……」


 喪失感というものを、生まれて初めて味わった。


 暴力的な痛みを伴いながら、身体に風穴がぽっかりと空いてしまう。それは、執着に近い感情を持ってすばるさんを愛した痛みとは異なるものだった。自分自身を半分持っていかれたような虚しさに支配されてしまう。そんな痛み、それまで僕は知らなかった。


 すばるさんを好きでいた時、世界はひたすらに仄暗いものだった。空はこんなにも晴れ渡っていたはずなのに、僕は頑なに足元を見続けていた。


 光を求めながら、それに背をそむけた。そうすることで足元に長い影を伸ばしていた。見えない光は、存在しないことと同じだった。


 自分の仄暗い影しか視界に入れようとしなかった。そのうちに、世界がすべて影で覆い尽くされていた。自作自演の不幸だけを僕は見つめていた。




 戸惑いながらも、彼から身体を離して顔を上げる。視線の先には優しい笑みが広がっていた。それは、どこまでも果てしなく広がる青空のようで、真っ直ぐに人を愛せない自分を嘆いてばかりだった僕の瞳にとても眩しく映った。


「本当に、いつも傍にいてくれてありがとう。英太のこと、大好きだよ」


「……それは、どういう意味で?」


 いつもとは違う感情を抑えた彼の口調に、僕は用意した返答を飲み込んでしまう。くるくる変化する彼の表情も、今はしんとして動かない。見つめ合う僕等は、沈黙に周りを固められて身動きが取れなくなる。彼の漆黒の瞳が深い湖面のような揺らぎをたたえていた。


「どういう意味、って……?」


 掠れた言葉で僕が尋ねると、英太は寂しそうな笑みを曖昧に浮かべた。ゆっくりと息を吸いこみ、笑いを消し去った真面目な表情で彼は口を開いた。


「俺は、優のことが好きだから、傍にいたいんだ」


「僕も……好きだよ、英太のこと。だから、傍にいたいって……」


「ったく、天文学的に、どニブチンな奴……。ほんと、千年に一度のミラクルって感じのニブさだな……」


 真剣な表情をあっさり拭い去って、はぁっと芝居じみた大袈裟な溜め息をつきながら、英太は一人ごちるように呟いた。その言葉を僕の耳が器用に拾い上げる。


 それは、考えれば考えるほどに、奇妙なひっかかりを覚えさせられる言葉だった。口元に手を当てて、僕は視線を宙に泳がせながら記憶を遡る。


 どこかで聞いたフレーズ。テレビだったか、漫画だったか。


 いや、そうじゃなくて、英太自身が発した言葉だ。


 じゃあ、いつ? どこで?


「……あ、スタバで言ってた人!」


 ぴくっと英太の肩が小さく上がった。それを指摘するように、僕は彼に向けて人差し指を立たせる。沈黙は肯定だ。


 しかし、すぐに顔を背けられてしまい、僕から彼の表情は見えなくなる。僕は行き先を失った人差し指を、宙でくるりと一回転させた。


「でも、それって英太の初恋の相手じゃ……」


「だから、俺が好きなのは、優なんだって」


「え、でも、僕に相談してきたじゃん」


「あっ、あれは、話の流れでそうなって! ……俺、ホント情けねー! 好きな奴に恋の相談とか!」


 綺麗にセットした髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き毟りながら、英太は「もっと、カッコ良く言うつもりだったのに!」と大きなひとりごとを叫んだ。


 感情を剥き出しにして嘆く彼とは反対に、僕はするすると思考が理性に冷やされていくのを感じた。


 英太が好きなのは、僕。


 僕が好きなのは、すばるさん。


 すばるさんが好きなのは、広小路先生。


 見事なまでの一方通行な恋愛模様。切なさの連鎖反応しか起こさなかった不毛な関係。真実の弾が込められて高らかに鳴り響いた終焉の号砲。


 僕の中で何かが崩れていく音がした。




「……な、んで?」


 呼吸するように吐き出された疑問が空気を揺らした。その言葉に動きをとめた英太が、ゆっくりとこちらを向く。


 泣き出しそうな僕を、漆黒の瞳が捉えた。お互いの視線と視線がぶつかった瞬間、感情の栓がぱちんと弾き飛ぶ。意識するよりも先に、言葉が口を飛び出した。


「僕なんか、どこがいいの? 男だし、根暗だし、ずるくてマイナス思考だし、これといった特技もないし、勉強も運動も努力してやっと人並みになれるくらいなのに。そんな僕が好きだなんて、周りに言ったら気持ち悪がられるよ。有り得ないって、言われるよ。それに、英太だったら、人気者の可愛い女の子だって……」


「――優だから」


 止まらない僕の否定を遮るように、英太の声が凛と響いた。


「優だから、好きになったんだ。それじゃ、ダメかな?」


 男だから、などと世間の物差しを持ち出した僕に、英太は愚直なまでの正直さでぶつかってくる。彼の真っ直ぐな瞳を受けとめきれなくなり、僕はまた視線を下に落としてしまった。澱み切った瞳を、彼の瞳に映されることが怖かった。


 沈黙の居た堪れなさに、僕は垂らした両手を握り締めようとした。力を込めた指先が白い布にあたり、弾けるように曲げた指を伸ばした。


 手のひらに巻かれた包帯の存在を思い出す。また僕は自分の想いから逃げようとしていた。それがどこまでも追いかけてくると知っていたはずなのに。


 本当のことを白状すると、僕は自分の想いが解らないでいた。ただ、英太への「好き」は、すばるさんへの「好き」とは明らかに質の異なる感情だった。


 すばるさんに恋していた時、僕は彼に世界を見つめないで欲しいと思っていた。僕と彼自身だけに、彼の瞳を向けて欲しかった。他に与える優しさや笑顔は、すべてそのまま僕に向けて欲しかった。恋と言うには余りに愚かで傲慢な欲望だった。


 英太に対して、そんな想いを抱いたことは一度もなかった。瞳の奥にある黒曜石のような深いきらめきを世界へ、他へ、もっともっと外へと向けて欲しいと思っていた。僕だけじゃない、僕のいる世界も、彼のいる世界も、その瞳に映して欲しかった。


 見たものを、感じたものを、お互いの言葉で語り合いたいと願っていた。僕が見つけた答えと彼が見つけた答え、そのどちらとも知りたいと思った。一番傍にいて、いつまでも一緒に生きていきたかった。この感情に何と名を付ければ良いのか、僕はまだ知らない。


「もう、頑張るなよ。何があったか知らないけどさ、優は錦先生のことで、たくさん悩んだだろ? だから、これからは俺が優を笑わせてやりたいんだ。ひとつ、世界が終わってしまっても、また、何度でも探しに行けるから」


 俯く僕の頭をくしゃりと撫ぜながら、英太は言葉を続ける。


「男同士ってバカにする奴もいっぱいいると思うけど、好きなんだからしょうがねぇじゃん。それに、俺は優に出逢えて、本気で人を愛したいとか、初めて人を護りたいとか……ちょっと臭いことも思えるようになったんだ。フツーフツーって言ってる奴らよりも、よっぽどちゃんと愛する気持ちを知ってるんだって胸を張って言えるよ」


 彼の優しさは、僕の心の傷跡に深く染み入る傷薬のようだ。悪戯に傷付いた痛みが和らいでいくのを感じる。その優しさに、僕はいつだって声を上げて泣き出したくなる。


 負けたくない、と思っていた。あの時、僕は、何に負けたくなかったんだろう。


 意固地になってすばるさんを愛していた。想うことを止めたら、もう誰も愛せなくなると心のどこかで怯えていた。少しでも心が折れたら、もう二度と、自分の足で立ち上がれなくなりそうだった。


 痛みに涙を流すことしか出来ない、あまりにもちっぽけな自分の存在を思い知らされる。僕が嫌悪した弱くてずるい自分も、僕が否定した情けなくて駄目な自分も、全部ひっくるめて僕だった。


 それをすべて受け入れていこうと思えたのは、英太が傍にいてくれたからだ。一人ぼっちだったら、きっと何も出来なかった。


 逃げずに自分と向き合うことで、自分のすべきことを知る。少しずつだって笑えるようになる。彼がいつか教えてくれたように、自分から、逃げなければ。





「……いて」


「え……?」


 出尽くしたと思った涙が、また頬を熱く濡らした。


 それは悲劇の主人公のように、絶望を嘆いて泣くための涙じゃない。泣き終えた後、泣いた分だけ強くなれる涙だ。


 すばるさんを好きだった僕へ告げた「さよなら」は、終わりの合図だ。そして、ひとつ始まりでもあった。ひとつの世界が終わったあとに続くものが、新しい世界の始まりだと、僕は逃げずに信じていたい。


「……傍に、いて。……お願い、僕のそばに、いて」


 とんっと英太の肩口に顔を埋めて、僕は搾り出すように呟いた。


 彼から言葉は返って来ない。代わりに力強い両腕で包み込むように抱きしめられた。そっと彼の背に腕を回すと込められた力が一層強くなる。


 一人の人間を愛することがこんなにも苦しいことだなんて、それまで知らなかった。落ちる瞬間も、気付いてからも、見失ってからも、想いは水のように手のひらから零れ落ちていった。それでも僕は、いつかこの手で掴めるのだと信じていた。


 好きになった相手は僕のことを愛してくれなかった。解っているのに、切なくて苦しいだけなのに、僕はすばるさんを諦めることが出来なかった。何度、この胸を潰しただろう。何度、声を殺して涙したのだろう。優しい嘘だけが、僕の支えだった。


 愛した人が愛した分だけ自分を愛してくれたら良かった。


 愛する人と愛される人が交差せず真っ直ぐに繋がって、お互い迷うことなく相手に辿りつけたら良かった。


 優しい嘘に頼らずとも、誰一人傷付かないで済んだ。馬鹿みたいな夢物語に縋りつきたくなる。


 僕がすばるさんに対して抱いていたのは、愛という感情ではなかった。子供じみた執着でしかなかった。


 男を好きになることを躊躇したのは、自分の臆病さを隠すための単なる隠れ蓑だった。上手くいかない恋に自分が涙せぬよう、僕は「愛」という理由が必要だった。


 かの文豪が言うように、恋とは、かくも罪悪なものであった。


 彼を追いかけていた僕は、どれほど他人を踏みつけていたのだろう。どれほど他人の痛みに目を瞑っていたのだろう。知らないということは、最大の幸福だ。しかし、それは最も重い罪だ。


 気付くことからすべてが始まる。切なさの連鎖反応が終わりを告げて、新たな世界の幕が上がる。そこで繰り広げられるストーリーがどんなものであれ、僕は俯いた顔を上げて、目をそらさずに見つめていきたい。


 僕がすばるさんを愛したこと。英太を好きだと言ったこと。たくさん恥をかいて、たくさん悔いたこと。それがあるから今の僕がある。


 普通じゃない、と誰かから吐き捨てられ、心が折れる日が来るかもしれない。僕も英太も、お互いに誰か違う人を好きになるかもしれない。もしかしたら、どちらかが先に死んでしまうかもしれない。それらはすべて僕の勝手な憶測だが、最悪なラストで終わりを飾ろうと、その瞬間まで僕は英太と一緒に生きていきたい。


 人を愛せる幸せと、人に愛される幸せ。それを否定する普通や常識って何なのだろう。日常的にその言葉を使っていた過去の自分を思い出す。


 自分の考えはすべて正しいという錯覚に心酔し、粘着質な嘲笑を浮かべて他人を踏みつける人。自己保身のため、被害者面して他人を踏みつける人。手に入らない愛や信頼を妬み、どろどろに腐った汚水を吸い込んで肥え太っていく人たちに僕は負けたくない。


 そんな風に未来を想った時、僕の隣にいて微笑んでいたのは英太だった。


 ずっと囚われ続けていた過去の僕にさよならを告げよう。そして、今の僕を迎えに行って、未来を見に行こう。英太が隣にいてくれるから、それはきっと難しいことじゃない。顔を上げて彼の名を呼ぶと、やわらかな笑みが返ってきた。


 英太が想う「好き」と、限りなくそれに近い僕の「好き」という感情。いつか、平行線のような僕等の関係は、ゆっくりと混ざり合って一本の線になるだろう。


 さよなら、あの時の僕。いつかまた笑顔で会えるその日まで。


 英太の肩越しに、すっくとこちらを向いている向日葵の花を見つめる。僕は涙で熱くなった頬を彼の肩にそっと預けて呟いた。「ありがとう」とありったけの想いを込めて。




.....fin



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