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セツナレンサ  作者: uta
15/20

ⅩⅤ



 夕方の空に居座り続ける太陽が、容赦なく僕を照り付けてくる。このまま日差しに焼き焦がされて、灰のようにどこかへ消えてしまいたくなる。


 コンクリートの歩道に反射した光が、俯く僕の瞳を刺した。目を細めながら顔を上げると、道沿いに等間隔で並ぶマロニエの木が、枝葉を伸ばして一身に日を浴びていた。花の季節を終えて、深緑色の大きな葉を茂らせている。


 あれから、暫く英語科準備室にいた。泣くことも喚くことも出来ず、立ち上がることすら億劫で、表情をなくした人形のように座り続けていた。


 残酷なまでにきらきらと輝く思い出の間を漂泊していた。胸の内で滞った想いが、僕という輪郭を失わせ、掴みようのない曖昧な痛みが心を苛んだ。感情があることは、時々不便だ。


 どれくらいの時間、その部屋で座りこんでいたかは解らない。水を吸ったように重い身体をどうにか立たせ、誰もいない教室へ鞄を取りに戻る頃には、窓から西日がさしていた。クーラーが消された空っぽの教室には、閉め切った部屋独特のこもった熱気が漂っており、息をするだけで苦しかった。それでも、空調のきいた英語科準備室よりは、ずっと楽に呼吸が出来た。


 校門を出て駅につづく道を歩きながら、のろのろとした動きでズボンのポケットからケータイを取り出す。通行人の邪魔にならないよう、道の隅で足を止め、折り畳まれたケータイをじっと見つめた。パンダのストラップが手のひらから零れて、ゆらゆらと宙で揺れていた。


 終わらせられない恋を、終わらせるおまじない。それが僕の願いだと知ったら、英太は悲しむだろうか、哀れむだろうか。


 想いが叶うことと、想いが通じ合うことは違うのだと、改めて思い知らされる。もう、いいだろ? とパンダのぬいぐるみに言われたような気がして、溜め息を吐き出すと全身から力が抜けていった。本当に、充分過ぎる恋だった。


 川のように車が流れている道路へ目を向けた。閉じられた一つ一つの空間が、忙しなく走り去って行く。鞄を肩に掛け直しながら、力のない笑みを浮かべて、ゆっくりとケータイを広げる。少し迷った後、ボタンをひとつ押してアドレス帳を開き、『すばるさん』の項目を選択した。


 高校の合格発表の日、彼にさよならを告げられた。その後も、僕はこの名を何度もケータイの画面へ出していた。名前を出すだけで、それ以上のことは何も出来なかった。


 今の今まで、すばるさんの連絡先を自分のケータイから消せなかった。いつか、彼からの連絡が来るかもしれないと、自分のメールアドレスも番号も変更しなかった。


 結局、一度も彼から連絡は来なかったし、僕から連絡もしなかった。そんな風に淡い期待を抱きながら生きていた自分に呆れてしまう。幸せだったんだな、と苦い笑みが虚ろな表情に滲んだ。





 メニューボタンから消去の項目を選択する。「一件消去しますか」とケータイから温度のない問いかけが返ってきた。


 灰色の息を吐き出しながら、車が引っ切り無しに行き交っている。ケータイから顔を上げると、通り過ぎるトラックに煽られて、マロニエの木が大儀そうに葉を揺らしていた。まだ淡い西日が、車のフロントガラスにちらちらと反射した。


 明かりの落ちたケータイのディスプレイが、決心をぐらりと揺るがせた。親指に僅かの力を込めるだけで、今まで築いてきた想いがすべて無くなってしまう。余りに脆い現実に愕然として、親指をセンターキーからゆっくりと離した。


 ケータイを畳む、ぱたん、という硬い音がやけに大きく響いた。灰色の空気を大きく吸い込んで、気持ちを落ち着かせようとした。決定的な事実を告げられたのにも関わらず、まだ希望を信じている愚かな僕が心の深い部分に残っていた。


 ケータイをポケットに戻して、熱気の漂う道をふらふらとおぼつかない足取りで歩いた。


 電話はいくらでも繋がってくれる。でも、気持ちは決して繋がることはない。ボタンをひとつ押すだけですばるさんと繋がれるのに、決して繋がることはないという事実が哀しかった。




 駅にむかう途中、吸い込まれるようにして、道沿いの小さな公園に入った。


 剥げかけた空色のベンチに浅く腰を下ろして、鞄を横に置く。先客のショウリョウバッタが、驚いたように草むらの中へ飛んで行った。誰もいない公園で、僕はようやく息をつくことが出来た。


 東桜学園を受験した日の帰り、この公園のベンチに座って、すばるさんからもらった板チョコを食べたことを思い出す。


 高校に入学してからは、学校の行き帰りの際、ただ横を通り過ぎるだけで、この場所のことは気にも留めていなかった。いつも英太が隣にいてくれたから、小さな公園の存在に気付きもしなかった。


 今、僕は泣きたいのだろうか? 怒りたいのだろうか? それとも、笑ってしまいたいのだろうか?


 オブラートの膜に包まれたような、薄ぼんやりとした世界しか感じ取れない。今の僕には、そんな当たり前のことすら解らなかった。


 ポケットからケータイを取り出して、汗ばんだ手のひらで握りしめる。世界と繋がれるこの機械は、僕に何も語ってくれなかった。


 パンダのストラップが、柔らかな感触を指先に伝えてくれる。恋のお守りだと言ってくれた英太の優しい微笑みを思い出す。あたたかさが胸に染み渡るのを感じた。


 その気持ちに背を押されるようにして、もう一度ケータイを開いた。震える右手を左手で優しく包み込み、ひとつひとつ丁寧にボタンを押していく。ケータイからの最後の問い掛けに、僕は「はい」を選び、ゆっくりと親指でセンターキーを押した。


 すぐに「消去しました」と無機質なメッセージが出て、何事も無かったかのように、待受け画面へと切り替わった。


 あまりの呆気なさに、僕は言葉を失ってしまう。


 茫然としたまま、空を仰ぎ見た。深緑色をした葉の間には、真っ赤な夏空が広がっている。零れ落ちる茜色の日差しが目に眩しい。沈み行く太陽を惜しむかのように、蝉がオクターブを上げて鳴き狂っていた。


 凍てついた冬がいつの間にか過ぎ去り、春を飛び越して、焼け付くような日差しに照らされた夏へと移り変わる。


 飛び込んでくる光と影の深いコントラストに、瞳の中で白い星がちらちらと舞った。額を伝う汗を、滲んだ涙と共に腕で乱暴に拭いながら、きつく瞬きをした。





 溜め息と共に真っ暗になったケータイへ視線を落とすと、画面がパッと明るくなり、メール受信中の画面が表示された。突然のことに、指先からすり抜けそうになるケータイを両手で握り直す。少し遅れてケータイが振動し、『久屋英太』からのメールの受信が完了したことを伝えた。


『新着通知あり Eメール一件』というメッセージを、ぼんやりと動かない瞳で見つめながら、メールを開く。久々に酉子先生から誉められた、と華やかな絵文字が使われている彼からのメールを見て、乾いた頬に微笑が滲んだ。


 ゆっくりとした指先で、ケータイのディスプレイを待ち受け画面に戻す。アドレス帳を開いて英太の番号を選び、息をつめながらケータイを耳に当てる。プ、プ、プ、という音の後に無機質なコール音が鳴り響く。早く出て欲しいという気持ちと、頼むから出ないで欲しいという気持ちが、浮かんでは泡のように消えていった。


 三回目のコールが鳴り終わらないうちに、ケータイを通して英太の声が聞こえてきた。


『もしもーし、どーした? 優から電話なんて珍しいじゃん』


「うん、突然、ごめんね」


 いつもと変わらない英太の声を聞いて、僕はようやく呼吸の仕方を思い出した。強張った肩から力が抜けていく。ベンチに深く腰掛け直して、背もたれに身体を預けた。


『何か、あったのか?』


「いや、何も。ただ、その……君の声が、聞きたくなったから」


 そう口にした瞬間、英太からの返事が途切れた。空いた方の耳で、焦がすような蝉の声を聞きながら、彼からの言葉を待った。


 暫くして、ようやく僕の耳に届けられたのは、彼が大きく息を吸いこむ音と、それを言葉に出来ない深い溜め息であった。


 何か言わなければいけないのに、何か言いたいのに、言葉が見つからない。その苦しみを彼に強いているのは、他でもない僕自身だった。彼の苦悶が、電話越しに痛いほど伝わってくる。


 僕は彼に何を言って欲しいのだろう。自分でも答えが解からない身勝手な問いかけを、僕は彼に平然と投げかけた。その事実に気付き、頭から冷水を浴びせ掛けられたような気分になる。


「……ごめん」


 口を開けば、馬鹿みたい軽い言葉が紡ぎ出された。英太に頼ってばかりで、迷惑をかけることしか出来ない自分が居た。対等でいたいと願っていたはずなのに、実際は彼に頼るばかりで、一方的に甘えていた。


 沈黙だけを伝え合う電話に、気まずさが募っていく。着地点の見えない会話を一先ず終わらせようと、「じゃあね」と一言告げて、僕は逃げるようにケータイを耳から離した。


『ちょ、待てよ! 今、どこにいるんだよっ?』


 英太の大声が耳を打ち、僕は慌ててケータイを元に戻す。


「えっと、学校の近くの公園だけど……」


『じゃあ、駅前のスタバで待ってるからな!』


 そう畳みかけるように言われて、返事を言う前に電話を切られてしまった。力のない笑みを溢しながら、通話を終えたケータイをポケットの中に入れる。


 随分と傾いた太陽の下、足に力を入れてベンチから立ちあがった。ゆっくりと近づいてくる夕闇に紛れるようにして、楠の葉の間から、蝉が一匹、濁音を響かせ、空へと飛び去った。


 さっきよりもしっかりとした足取りで、僕は再び駅に向かう道を歩き始めた。




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