石の記憶 過去編 ブタ翔ける青春
春の柔らかな陽射しが、電車の窓から差し込んでいた。
柳原玲奈は窓の外を眺めながら、小さく欠伸をした。
家から高校までは少し遠い。
友達からは「大変だね」と言われるが、玲奈は嫌いではなかった。
毎日違う景色が流れ、駅前には学校の近くでしか見ない店もある。
それだけで少し大人になった気分になれたからだ。
その日の放課後も、玲奈はいつものように駅前を歩いていた。
特に目的はない。
ただ寄り道が好きだった。
雑貨屋を覗いたり、本屋を覗いたり。
高校生らしいささやかな楽しみだった。
そんな時だった。
見慣れない店が目に入った。
風水や天然石を扱う小さな店。
玲奈は風水に詳しいわけでもなく、石にも興味はなかった。
けれど何となく足を止めた。
「ちょっとだけ見てみようかな」
軽い気持ちだった。
店の中には色とりどりの石や置物が並んでいた。
龍や亀の置物。
水晶の玉。
見たこともない石のブレスレット。
玲奈はふらふらと店内を歩く。
その時だった。
「あっ……」
思わず声が漏れた。
ショーケースの片隅。
そこに並んでいたのは豚の形をしたビーズが連なったブレスレットだった。
一匹ではない。
何匹も繋がっている。
透明な体をした小さな豚たち。
「なにこれ……」
玲奈は思わずケースに顔を近づけた。
「かわいい……」
ただその一言だった。
石の意味も知らない。
風水の意味も知らない。
でもそんなことはどうでもよかった。
大好きな豚さんが並んでいる。
それだけで十分だった。
店員が優しく声をかける。
「気になりますか?」
玲奈は少し恥ずかしそうに頷いた。
試しに腕に着けてもらう。
手首の上で小さな豚たちが並ぶ。
光を受けてきらきらと輝いていた。
玲奈の顔が自然とほころぶ。
「かわいい……」
さっきと同じ言葉しか出てこない。
それでも十分だった。
値札を見る。
高校生の玲奈には決して安い買い物ではない。
少しだけ迷った。
だが気持ちは決まっていた。
欲しい。
理由はそれだけだった。
その日から豚さんは玲奈と一緒になった。
専門学校へ進学した時も。
初めてアルバイト代で好きな物を買った時も。
プログラマーとして働き始めた時も。
嬉しい日も。
落ち込んだ日も。
手首にはいつも豚さんがいた。
石の力を信じていたわけではない。
お守りだと思っていたわけでもない。
ただそこにいるのが当たり前だった。
長い時間を共に過ごした相棒のような存在。
だから辛い時ほど無意識に豚さんへ目を向けていた。
「今日も一日終わったな」
そんな風に小さく笑った日もある。
そして今。
二十七歳になった玲奈は静かな日々を過ごしていた。
無理をせず。
少しずつ。
自分のペースで。
その日もいつもと変わらない夕方だった。
帰宅し、荷物を置く。
ふと腕に違和感を覚えた。
次の瞬間。
ぱちん。
小さな音が部屋に響いた。
玲奈は何が起きたのか理解できなかった。
豚さんが床を転がっている。
机の下へ。
椅子の脚のそばへ。
あちこちへ。
切れた。
ブレスレットが。
玲奈は慌ててしゃがみ込む。
震える指で一つ一つ拾い集める。
高校生の頃から一緒だった豚さん。
専門学校も。
仕事も。
苦しかった時間も。
全部知っている豚さん。
掌の上に並んだ小さな豚たちを見つめる。
玲奈の視界がぼやけた。
その夜。
机の上には整列した豚さん達が並んでいた。
玲奈は布団の中で目を閉じる。
胸の奥にぽっかり穴が空いたようだった。
まるで長年の相棒を失ってしまったような気持ちだった。
静かな部屋の中。
机の上で豚さん達だけが月明かりを受けていた。




