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第二話 闇に消える若者たち


 深夜の大手町。オフィス街の喧騒が嘘のように引き、冷たいビル風が吹き抜ける路地裏。帝都中央銀行の搬入口付近に、一台の黒いワゴン車が音もなく停車した。


 車内には、重苦しい沈黙と、場違いなほどの怯えが充満している。


「……あ、あの、指示通りに清掃カートへ黒い箱を仕掛けました。これで、妹の借金はチャラになるんですよね」


 後部座席で身体を丸めているのは、大学生の佐藤だった。彼は数日前、SNSで「短時間・高額・ホワイト案件」という言葉に釣られ、この闇に足を踏み入れた。清掃員になりすまして銀行へ潜り込み、指定されたサーバーラックの裏に小さな通信デバイスを取り付ける。それが彼に与えられた任務だった。


 助手席に座る男、蛇谷へびやは、手元のタブレットから視線を外さずに鼻で笑った。


「借金? ああ、あれか。だがな佐藤、お前が仕掛けたデバイスは、たった数分で無効化されたんだよ。おかげで俺たちのクライアントは大激怒だ。損害額は……まあ、お前が一生かかっても返せない額だな」


「そんな! 僕は指示通りにやっただけです!」


「黙れ。お前がやったのは物理ハッキング……つまり、外部からは突破不可能な銀行の壁を、内側から穴を空けて毒を流し込む手助けだ。お前はもう立派なテロリストなんだよ。警察に行けば一生刑務所だ。逃げれば実家の妹がどうなるか……分かるな?」


 蛇谷は佐藤の髪を鷲掴みにして顔を寄せた。その瞳には、人間を使い捨ての駒としか見なさない冷酷な光が宿っている。


「自分を救いたければ、次の仕事で役に立て。……バールを持て。力ずくで裏口をこじ開けて、仕掛けたデバイスを回収するぞ。証拠を一つでも残せば、お前の人生はそこでおしまいだ」


 佐藤は震える手で重い鉄の棒を握りしめた。SNSという入り口を一段降りただけで、そこは二度と這い上がれない地獄だった。これがトクリュウ、匿名・流動型犯罪グループの実態だ。素人を使い捨ての道具として利用し、取り返しのつかない犯罪の泥沼へと引きずり込んでいく。


 一方、銀行内部。電算室では、リコウと澪が、復旧したはずのシステムに潜む「違和感」と戦っていた。

「リコウさん、見てください。メインフレームのトラフィックが、一分ごとに数バイトずつ増えています。復旧パッチを当てたはずなのに、何かがまだ、中で動いている……」


 澪の指摘に、リコウは鋭い眼光を向けた。


「……やはり、ただの暗号化だけじゃなかったか。澪さん、これは潜伏型ランサムウェアです。奴らは一度わざと復旧させ、僕たちに油断をさせてから、本命の破壊プログラムを起動させるつもりですよ」


「破壊プログラム……? データを戻すんじゃなくて、消去するっていうこと?」


「ええ。このウイルスは、システムが正常稼働に戻ったと認識した瞬間に、バックアップデータを含めてすべてを上書き消去するように設計されています。百億円を払っても、払わなくても、最終的な結末は

同じ……。帝都中央銀行の全データを、物理的に消滅させるのが朱雀の本当の目的でしょう」


 澪の背中に氷のような冷や汗が流れた。彼女がこれまでの人生を捧げてきたコードたちが、悪意という酸に溶かされていく。そんな絶望感が彼女を襲う。


「……そんなの、絶対に許さない。私たちが守ってきた信頼を、そんな汚いやり方で壊させるわけにはいかないわ」


「そう言うと思っていましたよ、澪さん」


 リコウはわずかに口角を上げ、キーボードに指を置いた。


「朱雀がデジタルで毒を盛るなら、僕たちはそれを一滴残らず濾過するまでです。ですが澪さん、残念ながら時間は足りなさそうだ」


 リコウが言葉を終えるのと同時に、電算室のモニターに映る監視カメラの映像が激しく乱れた。裏口の鉄扉が、激しい衝撃音とともに歪んでいく。


「来ましたね。……証拠隠滅と、僕たちの排除が目的でしょう」


「松原さん! 結衣さん!」


 澪が叫ぶ。


「ああ、聞こえてるぜ。……久保田主任、あんたは

リコウのサポートに専念してな」


 無線機から、松原利宏の太い声が響いた。


「若造たちがバールを持って暴れてるが、大人の喧嘩の仕方を教えてやるよ。……結衣、準備はいいか」


「いつでもいけるわ。私のドローン、夜戦モードは初めてだけど……容赦はしないから」


 坂口結衣の冷徹な声とともに、暗闇の中で複数のローター音が響き始めた。


 電算室の外では、蛇谷に追い詰められた佐藤たちが、半狂乱になって鉄扉を叩き壊そうとしていた。


 物理的な暴力と、デジタルの毒。その両方が、同時に銀行の心臓部へと迫る。


 リコウは、一切の動揺を見せず、流れるようなタイピングで新たな防壁を構築していく。


「澪さん、怖がっている暇はありませんよ。次に飲む萬寿が最高の味になるかどうかは、これからの数時間に懸かっています。僕が潜伏ウイルスの心臓部を叩きます。あなたは外部への不正通信をすべて遮断してください。一瞬でも隙を見せれば、データは塵になります」


「……了解です、リコウさん。私を誰だと思ってるの? 帝都中央銀行の主任エンジニアよ!」


 澪は、リコウの隣で自らの端末を叩き出した。

 自分と同じ名前の酒、澪のように、今は軽やかに、かつ鋭く。そして、いつか酌み交わす最高峰の久保田萬寿に恥じない戦いを。


 扉が破られる音が、すぐ近くまで迫っていた。

 0と1、そして鉄パイプの火花。


 帝都中央銀行、不退転の四十八時間は、ここから真の地獄へと突入する。


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