エルフの令嬢は婚約破棄されましたが、復讐に燃えた結果、隣国の王子に溺愛されました
「婚約は、破棄させていただく」
目の前の男──第一王子アルノーは、冷たくそう言い放った。
「君は婚約者でありながら、聖女であるリリアーナに嫉妬し、陰湿な嫌がらせを働いた。その罪、軽くはない」
周囲の貴族たちがざわめき、リリアーナと呼ばれた少女が涙を浮かべて、可憐に俯く。
──くだらない茶番だ。
エルフの血を引く公爵令嬢、アリシア・フェルセリナは無表情にアルノーを見据えた。
(私が何もしていないことなど、貴方が一番知っているでしょう)
リリアーナは平民出身の聖女。だがその正体は、裏で何人もの令嬢たちを陥れてきた毒婦だ。アリシアはその証拠を掴みかけていた。それが気に食わなかったのだろう。
「……わかりました。その代わり、今後私への接触は一切お控えください。少しでも関わるような真似をなされば──命の保証はいたしません」
「っ、アリシア、貴様……!」
「何か?」
淡い金の髪を揺らし、アリシアは微笑む。
エルフの瞳に宿る冷ややかな光に、アルノーは一瞬たじろいだ。
そしてこの瞬間から、アリシアの復讐が始まった。
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アリシアはすぐに行動を起こした。まず、自身に流された悪評の出所を突き止め、偽証を行った令嬢たちの証拠を握り潰す。そして、リリアーナが水面下で行っていた毒物の購入記録、婚姻のために貴族を誘惑していた証拠を丁寧に集めた。
それを支援したのが、隣国アルテアの第二王子、カイ・ヴァレンティアだった。
「助けが欲しいなら、使っていいよ、僕の力」
「その代わり、何か見返りでも?」
「うん。君の笑顔が見られたら、それでいい」
最初は軽口かと思ったが、カイは本気だった。調査、潜入、外交工作、そして情報操作──彼の後ろ盾により、アリシアの復讐は鮮やかに進行していった。
裏切った使用人たちは、買収の証拠と共に国外追放。
アリシアの名誉を毀損した令嬢は、婚約破棄と家名剥奪。
アルノー王子には、リリアーナとの間に密通していた記録と、彼女が聖女ではなくただの偽者である証拠が突き付けられた。
王宮中が騒然とする中、アリシアはただ静かに言った。
「これは当然の報いです。二度と誰かを踏みにじらないでください」
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王国を後にしたアリシアは、カイの招きでアルテア王国に渡った。
白い結婚──形式上の政略結婚を提案されるも、彼女は最初拒否した。
「私は誰かの飾りにはなりたくない。自分の足で立ち、自分の力で生きたいの」
だがカイは微笑んだ。
「だからこそ、君を隣に迎えたいんだ。君の力を、誰より信じているから」
その言葉に、アリシアはようやく、自分が一人ではなかったことに気付いた。
カイは彼女の剣であり、盾であり、何よりも彼女の味方だった。
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数ヶ月後、王都の噴水前で、カイは彼女にひざまずき、言った。
「君を愛している。どうか、僕の隣で笑っていてほしい」
アリシアはゆっくりと手を差し出す。
「……ええ。貴方が隣にいるなら、私は戦える」
二人は政略結婚ではなく、心からの結婚を選んだ。
白いドレスに身を包んだアリシアの瞳には、かつての氷のような光ではなく、柔らかな愛情の色が宿っていた。
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「……なあ、アリシア」
「なに?」
「今日も綺麗だね」
「はいはい、毎日それ言うのやめてくれる?」
「でも事実だし」
「もう……」
ふわりと微笑んだ彼女の頬に、カイは優しく口づけた。
復讐を終え、傷を乗り越えた二人の未来には、もう血の匂いはない。
あるのはただ、互いを慈しむ優しい時間だけだった。
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白亜の礼拝堂に陽光が降り注ぎ、ステンドグラスの色彩が淡い虹を描き出す。
「……ようやく、ここまで来たのね」
鏡の前に立ち、アリシア・フェルセリナは静かに微笑んだ。
純白のドレスは、エルフの血を引く彼女の銀髪と透き通る肌に映え、神聖さすら感じさせるほどだった。
鏡の奥で視線を交わすのは、かつて婚約破棄され、全てを奪われかけた悪役令嬢──いや、今や隣国アルテア王国の第二王子妃となる、凛とした女性だった。
「アリシア様、準備が整いました」
侍女の声に頷くと、扉の向こうから軽やかな足音が響いてくる。現れたのは、彼女の最愛の人──カイ・ヴァレンティア王子だ。
「……カイ? 花婿が、花嫁の控室に来るものじゃないわ」
「うん、でも我慢できなかった。君があまりに綺麗すぎるって、噂で聞いて」
「……誰からよ」
「僕のスパイ網は完璧なんだ」
冗談めかして笑うその顔は、今朝方まで政務に追われていたとは思えないほど柔らかく、そして愛しさに満ちていた。
アリシアは溜息をひとつ。だが唇には、自然と笑みが浮かぶ。
「式に遅れたら、あなたが叱られるのよ?」
「叱られるなら君にがいい。さ、行こう。僕たちの物語を、ここで始めよう」
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アルテア王宮の大礼拝堂には、各国から招かれた賓客が並び、華やかな装いと熱気に包まれていた。中でもひときわ注目を集めているのは、王妃となるアリシアの姿。
「……なんて美しい……」「まさかあの“悪役令嬢”が……?」
かつての噂を覆すその姿に、人々は息を呑んだ。
司祭が聖句を唱える中、王族の列を抜けてアリシアはゆっくりとヴァージンロードを歩む。
父の代わりに腕を取ったのは、カイの兄である第一王子。アリシアの決断を尊重した王家の厚意だった。
そして、その先で彼女を待つのは──
「……ようこそ、僕の世界へ」
笑顔で右手を差し出す、未来の夫。カイ・ヴァレンティア。
アリシアは何も言わず、その手を取る。
神前にて、二人は誓いを交わした。
「我が心は、今この瞬間から永久に、貴女と共にある」
「我が魂は、あなたとともに歩み、あなたとともに生きます」
誓いの口づけが交わされた瞬間、礼拝堂に盛大な拍手と花の雨が舞った。
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披露宴では、アリシアが用意した“ひとひねり”が話題を呼んだ。
それは──
「……この場を借りて、皆様に一つだけお話を」
アリシアが立ち上がり、音楽が止まる。
「私はかつて、婚約破棄を言い渡され、世間から糾弾されました。けれどそれは、私を守ってくれる人の存在を知る機会でもありました」
彼女の瞳が、カイを真っ直ぐに見つめる。
「あなたが手を取ってくれなければ、私は今、ここにはいなかった。ありがとう。心から感謝しています」
会場に、感動の空気が流れる。
カイは目元を押さえながら立ち上がり、彼女を抱きしめた。
「僕の方こそ……ありがとう、アリシア。これからも、何があっても君を守る」
「その言葉、忘れたら許さないわよ?」
「一生、忘れない」
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夜の帳が下りる頃。
新居となる離宮のバルコニーで、ふたりきりの時間を過ごしていた。
「……皆、驚いていたわね。エルフの“悪役令嬢”が王子妃になるなんて」
「過去の呼び名なんてどうでもいい。今の君は、僕の最愛の妻だ」
「……あなたって、本当に変わらないわね。昔も、今も」
「そう? ならキスして確認して?」
「……もう、子供みたいなことを……」
そう言いながらも、アリシアは微笑み、彼に寄り添った。
風に髪が舞い、ふたりの影が寄り添うように揺れる。
「これからの人生、どんな困難があっても、あなたとなら歩いていけるわ」
「うん。僕も、君となら何でも乗り越えられる」
白い月が照らす中、ふたりはそっと唇を重ねた。
──これは、復讐の果てにたどり着いた、ひとつの愛の形。
冷たい世界を抜けたその先で、ようやく手に入れた温もりだった。
✟✟✟
春の風が王都アルテアを優しく撫で、街は色とりどりの花々に包まれていた。
王宮の離宮、その奥の一室で、アリシア・ヴァレンティア──かつて「悪役令嬢」と呼ばれたエルフの令嬢は、静かに目を閉じていた。
そして、腕の中に抱かれているのは──生まれたばかりの、小さな男の子。
「……カイ。見て。あなたに、そっくり」
銀髪に淡い碧の瞳。けれどどこか、アリシアの気高さも混じっている。
まだか細い泣き声をあげる我が子を、アリシアは両腕で大切に包み込んだ。
扉の向こうから、駆け込むような足音。現れたのは夫、カイ・ヴァレンティア王子だった。
「アリシア! 大丈夫? 無事……? 赤ん坊は……!」
「……落ち着きなさい。あなた、王族でしょう」
「そ、それはそうだけど……!」
息を切らして駆け寄ってくるその姿に、アリシアはかすかに笑う。
「……私たちの息子よ。健康で、強い泣き声をしているわ」
その言葉に、カイの瞳にじわりと涙が浮かんだ。
「……ありがとう、アリシア。本当に……ありがとう」
彼は赤子の頬に指先を伸ばし、優しく触れた。
「……名前は、どうする?」
「あなたに決めてほしいわ。ずっと考えてたんでしょう?」
「うん……そうだね」
カイはゆっくりと膝をつき、赤子の瞳を見つめた。
「──『レオノール』。獅子の心を持ち、優しさと強さを兼ね備えた王になれるように」
アリシアはその名を口にし、微笑んだ。
「レオノール……ええ。とても、いい名前」
レオノール・ヴァレンティア──二人の復讐と愛の先に生まれた、新たな命の名だった。
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それからの日々、アリシアは“母”としての時間を過ごしていた。
レオノールは夜泣きも少なく、エルフの血を継いでか、不思議なほど静かで落ち着いた子だった。
「不思議ね……まるで、私の中にいたときから何もかもわかっていたみたい」
「アリシアが母親だからだよ。レオノールは安心してるんだ」
カイは毎晩、離宮に帰ってきてはレオノールを抱き上げ、親ばか全開で笑っていた。
──ただ、王宮の中には未だにアリシアを「異邦の血」として遠巻きに見る者もいた。
ある夜、王城で開かれた小規模な貴族の茶会。アリシアは久々に公式の場に立つこととなった。
その場で、とある伯爵夫人が言った。
「ですがまあ……エルフの子というのは、成長が遅いと聞きますわ。王子として育つには、ふさわしくありませんのでは?」
まるで“あの悪役令嬢”の復活を望んでいるような、毒を含んだ声音。
だがアリシアは、微笑みだけで返す。
「ええ、確かに成長はゆっくりかもしれません。けれど、その分、誰よりも深く考え、真実を見抜けるようになるでしょう」
「まあ……」
「それに──心の目が曇っている方に、何が見えるのかしら?」
伯爵夫人の顔色が引きつる中、後ろから柔らかい声が届いた。
「アリシア、遅れてごめん。……ああ、ここにいたのか」
夫・カイが現れ、当然のように彼女の腰に手を回す。
「アリシアが僕の妻である限り、どんな言葉にも耳を貸すつもりはない。彼女こそが、僕の世界の正しさだ」
アリシアは静かに、誇らしく微笑んだ。
──そして、その夜。
寝室でレオノールを抱きながら、彼女はふと思い出す。
「……私、本当は……人を信じるのが怖かった」
「……うん」
「でも今は違う。あなたと出会って、戦って、家族を築いて……私は変われた」
「アリシア……僕も、君と出会えたから変われた」
カイはそっと唇を重ねた。
赤子の寝息が静かに響く夜。
アリシアは、ようやく本当の“幸せ”を手に入れたのだと、実感した。
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数年後。
王宮の庭で、一人の幼子が駆け回っていた。
「ままー! ぱぱー!」
レオノールはすくすくと育ち、言葉も達者になり、すでに“王子の風格”すら漂わせていた。
カイはその姿を、目を細めて眺める。
「……あんなに小さかったのに。僕の手の中に収まるくらいだったのに」
「今じゃ、走るのも速いし、言葉も賢い。……きっと、貴方以上の王になるわ」
「やっぱり僕、君に頭が上がらない」
「それは今に始まったことじゃないでしょう?」
ふたりは笑い合い、レオノールが駆け寄ってくる。
「まま、ぱぱ、だいすき!」
「……ああ、もう」
アリシアは、柔らかくその体を抱きしめた。
彼女の復讐はすでに終わり、新たな幸福の章が幕を開けていた。