サイモンの夢
王都にいる間、サイモンはしばしばターナーの家を訪れ、彼からさまざまなことを学んだ。
ターナーは山賊の襲撃の時にサイモンが真っ先に斬り込んできた度胸や彼の聡明さに感心し、彼の知りたいことを教えてくれる。
商家への出入りに父はいい顔をしなかったが、その分、サイモンは王都で文武に励んだため、彼を止めることはなかった。
「ターナー先生、王都の大番役を終えて帰ることになりました。
大変お世話になりました」
サイモンはターナーに別れを告げに行く。
誰も見ていない時、サイモンはターナーを先生と呼ぶ。
商人の心構え、商品の仕入れや販売、相手との交渉方法、帳簿の付け方、従業員の使い方、商売敵の蹴落とし方、幅広くターナーは教えてくれた。
「ふふっ。
あなたのような賢い子供は教え甲斐がありました。
一を聞いて十を知るとはこういうことを言うのですね。
あなたがうちの子供であればと思いますよ。
これからも勉学を欠かさないことです。
そしてあなたの売りは武勇優れた騎士の出。それを活かさない手はありません。
武勇と知識を活かして、望むような商人になれることを祈っています。
そしてもう一つ。
私たちのような下からのし上がりたいと望む者は、血の滲むような努力とともに、どこかで乾坤一擲の勝負に出なければなりません。
その時期とやり方を見誤らないよう気をつけてください」
「先生も勝負に出たのですか?
その話を聞かせてください」
「わたしにとって恥ずかしい話ですが、あなたとは今度いつ会えるかわかりません。少し自分のことを話しますか。
それはこの商家の主要商品に強力なライバルが現れ、急激に売上げが落ちていた時です。
私は若手の手代でした。
もう少し様子を見るべきという意見と新分野に出ていくべきという意見に分かれ、先代は決断できず立ち往生していました。
このまま手をこまねいてはジリ貧になると思い、私は幹部に働きかけましたが、若い私の意見は相手にされません。
ベテラン幹部は自分の引退まで店が持てばいいと冒険を嫌がりました。
その時に私はある情報を手に入れ、何日も考えに考えました。
そして誰にも相談せずにまだ量産できていない新商品を独断で大貴族に売り込みに行きました。
その貴族様がそのような商品を求めていると聞いたのです。
好条件を勝ち取り、契約を結んでから先代に話しました。
これを実現できなければ貴族様に家産を没収され皆牢獄行きだと言うと、激怒した先代に殴る蹴ると半殺しにされましたが、退路を絶たれた店は一丸となって契約を守りました。
そしてそれが契機となって新分野で売れ行きを伸ばし、発展できたのです。
その結果を見て、先代は怒りながらも、私を婿養子にしてくれました。
命を賭ける騎士様からすればささやかでしょうが、これが失敗すれば私は首を吊るつもりでした。
これが私の一世一代の勝負ですね」
ターナーはその言葉を少し恥じるかのように小さな声で言う。
サイモンは聞いた。
「その貴族が商品を求めていることを先代当主に話してから動けば良かったのではないですか。
結果として上手くいっても、独断では勝手なことをと叱責されるではないですか」
「そこがミソです。
独断で動いてこそ私の手柄だと印象づけられる。
時には人を出し抜くような抜け駆けも必要です」
ターナーはそう笑って、少なくない金を餞別として渡してくれた。
厚く礼を言い、遠慮なくサイモンはそれを懐ににしまいこんだ。
去っていくサイモンの姿を見送ったターナーに、妻が言う。
「いつも冷静なあなたがずいぶん入れ込むのね」
「成り上がろうと野心に燃えるところが、昔の自分を見るようでね。
十に一つですが、大化けするかもしれません。
初期投資とすれば安いものです」
ターナーは遠い将来を見るように目を細めた。
兄が嫁を迎えることとなり、16歳となったサイモンはいよいよ家を出ることとなった。
父からの餞別は、古い武具一式である。
父はそれを自分で磨いたらしくピカピカであった。
「一度家を出れば退路はない。
死んだ気になり、王家直参たるフィッシャー家の名誉と誇りを忘れず、祖先に恥ずかしくない働きをしてこい」
父はその言葉で彼を送り出した。
母と兄はこっそりと、「うまくいかなければ帰っておいで」と囁いてくれた。
もちろんサイモンには路傍で屍となっても帰るつもりはない。
学校を卒業した下級貴族や騎士の子弟は、試験を受けて合格すれば王政府や騎士団、また貴族に仕えることが出来る。
世襲でほとんどのポストが決まる中、それは極めて狭き門であり、太いコネを持っているか、又は卓越して優秀でなければ合格は難しい。
あとは体力があれば王国軍で肉壁扱いの下級士官となる道しかない。
それすら成れない者は実家で飼い殺しにされるのみ。
これまで文武に必死で努力してきたサイモンだが、緊張しながら試験を受けた。
競争率は100倍を超える中、彼は王政府をはじめ、いくつかの合格を手にした。
迷った挙句、サイモンは名門のペッグ公爵家に仕えることとした。
ベック家の最終試験は公爵軍団長及び執事との面接。
サイモンはその前にターナーにもらった金で身振りを整えた。
中肉中背で平凡な容貌は変えられないが、服装と所作で印象は大きく変わる。
自分のライバルは爵位持ちか裕福な騎士の出ばかり。
あまりに見窄らしい格好ではその時点で落とされるだろうと、虎の子のヘソクリを投じたのだ。
「サイモン・フィッシャーか。
テストでは武芸、学芸とも申し分ない。
見たところ、体躯容貌とも平凡だが、身なりはしっかりしていた」
「受け答えも隙はない。
実家は古武士の家風のフィッシャー家。
唯一の不安は貧乏が過ぎて、当家には見窄らしいのではないかという恐れだが、あれならば及第点。
借金でもしたのか、真新しい身なりだったな」
「では合格でよろしいな」
団長と執事は合意し、出身、能力、人物とも申し分ないと判断され、採用が決まった。
特に王家直参として長く誠実に仕えて、武勇の手柄を持つフィッシャー家の出身というのは団長に響いたようだ。
後でそれを聞き、サイモンは初めて、フィッシャー家に生まれたことに感謝した。
「さて、貴様達は今日からこの栄誉あるペッグ公爵家に仕えることになった。
心身ともにお家のために捧げることを誓えるな」
「「イエッサー」」
当主が見守る中、団長が今年の新参の採用者である20名を睨みつけて、そう宣う。
この中には子爵、男爵など下位貴族の子弟もおり、身分順に並べられた中、サイモンは一番後方に位置していた。
(ここでも身分順か
やはり貴族社会はクソだな。
こんな社会を逃げ出して僕は実力でのし上がってやる)
公爵家では城にある宿舎に住まい、先輩についての見習いから始まる。
そこで身分差は一層はっきりした。
公爵家で仕える者の実家は上は伯爵から下は騎士まで。
そして古くから仕えていた譜代出身と新参がある。
宿舎に来ると、譜代の先輩が意地悪くニヤニヤしながらサイモン達騎士出身者を集めて言う。
「お前達なんか臭いな。
爵位も無いような奴らは下水の匂いがする。
お前達は宿舎でなく馬小屋で寝ろ」
裕福な騎士の家から来た者が憤慨する中、サイモンはさっさと「わかりました」と言って馬小屋を探しにいく。
(どうせ爵位持ちの先輩と同室でいびられ、下僕のように使われるのだろう。
それなら馬と一緒の方がマシだ)
貧しいサイモンの実家では馬は子供よりも大切にされ、兄もサイモンも雨漏りのする自室よりもしっかりした馬小屋でしばしば寝ていた。
馬と一緒にいることに抵抗はないし、名馬の多い公爵家の馬に夜こっそり乗れるかもしれない。
残された面々は唖然とした。
これは通過儀礼であり、騎士出身者に最初に身分差をかましておくのが目的。
そして持ってきている金子を出させて、恩着せがましく宿舎への住まいを認めて、先輩の言うことを聞かせるのだ。
(あのサイモンという男は何者だ?)
意図せずして仲間達にいきなり強い印象を残す。
さて、最新参で騎士の出であるサイモンは最下位。
そして挨拶の金も渡せない。
そのため、辛い真夜中の門番や豪雨の中の巡回、危険な野獣や山賊の討伐には真っ先に駆り出された。
更に、空いた時間に見つかれば先輩に使われ、風呂や食事は最後。
同じ騎士の出身では逃げ出す者、討伐に失敗し死傷する者も出るが、サイモンは笑顔で機敏に仕事をこなした。
最下位に位置するサイモンは誰からも便利に使われて、一日中走り回っていた。
しかし、それは公爵家に就職するときからわかっていたことだ。
サイモンは自分ばかりが追い使われ、子爵や男爵などの子息が惰眠を貪るのを見ても腹は立たなかった。
彼には夢があった。
それは公爵家からの信用を得て、仕事を任されたところで大金を持ち逃げし、それを資本に外国で商人となること。
だから、待遇は良くても金を持ち逃げするチャンスのない王政府や、多額の金がなさそうな中小貴族は避け、大金を持ち、管理のゆるそうな公爵家を選んだのだ。
しかし、持ち逃げが発覚すれば、その家族は見せしめに殺される。
サイモンは家風は嫌っても家族は愛していた為、うまく自分とわからないように逃げねばならない。
(すぐにできることではない。
先生の言ったように日々努力して信用を積み上げ、よく計画を練って、乾坤一擲の勝負に出る。
それまでどんな苦労でも買って出よう)
サイモンはそう胸に刻み、信用を積むために何を命じられても迅速正確に対応する。
更に商人になるため、簿記や為替、外国語の勉強も怠らなかった。




