兄妹として
サイモンが飛び込んだ谷川は見た目よりも急流であった。
レイラを背負いながら丸太に必死になってしがみつく。
この手を離せば流れに飲まれて死は免れない。
季節は秋で、まだ寒くはないのが救いである。
必死で急流を乗り切り、川がおだやかな流れになるとサイモンはようやくホッとした。
(先程の場所からはかなり離れたはず。
あまり水の中にいて身体を冷やすとレイラ様の体調が不安だ)
「そろそろ川から上がります」
サイモンが声をかけてもレイラは返事をしない。
慌てて岸に上がり、くくりつけていた紐を解くとレイラは気を失っていた。
「すごい熱だ。
これはまずい」
もう日も暮れかけている。
サイモンは荒い息のレイラを背負い、近くの森に入り込んだ。
そこに洞穴を見つけると、枯れ木を集めて袋の中の火打石で急いで火を焚く。
(このままでは助からないかもしれない。
レイラ様を失えば、ハリー隊長もトマスさんも犬死になる。
手段を選んではいられない。
問題となれば後で僕が死ねばいいだけだ!)
苦しそうなレイラの服を脱がせて裸とし、自らも服を脱ぐと、サイモンは思い切って彼女を抱きしめ、自分の体温で彼女を温めた。
そして様子を見ながら、時折意識のない彼女の口に、じぶんの口から水を飲ませる。
サイモンは明るくなるまで様子を伺っていたが、レイラの息遣いが落ち着くと、激しい疲労を感じ、眠ってしまった。
サイモンがハッと目を覚ますと、すでに日が煌々と上がっていた。
すぐに離れようとしたサイモンの動きを感じたか、レイラも目を覚ます。
彼女は最初状況がわからなかったようだが、サイモンと自分が裸であることに気がつくと、顔を真っ赤にした。
それは羞恥ではなく、激怒のためである。
「下郎、そこに直れ!
すぐに刺し殺してやる!
わたしが気を失っているのをいいことに・・
許さん!」
サイモンは、レイラが自らが穢されたと誤解していることがわかった。
自らの袋から懐剣を取り出そうとするレイラに、土下座して必死で詫びる。
「姫様、誤解です!
高熱が出ていた姫様の命を救うためにやむを得ず介抱したまでのこと。
お身体を見てください。
何か違和感を感じますか」
そう言われてレイラは自らの身体を点検し、何事もなかったことを納得した。
二人は気まずく服を着る。
「下郎、名をなんと言う?」
(この姫様、僕の名前を知らなかったのか。
さすが下々の者に興味のない貴人というべきか)
そう言えばハリーとトマスしか彼女と話していなかった。
「姫様、サイモンでございます。
これから大公様の下までお供いたします」
「うむ」
レイラ姫の顔には隠しきれない不安がある。
この若僧、大丈夫かという思いが滲み出ているのだ。
(僕も不安だが、姫様に不安を与えてはいけない。ハリーさんとトマスさんの仇を討つためには、なんとしてもレイラ様を生かして連れて行かねばならない)
「姫様、若くて不安かもしれませんが、ハリー隊長とトマス先輩に姫様を託されました。
必ず姫様を送り届けます」
少しでも不安を減らすため、サイモンはあえてそう力強く話す。
「わかった、頼むぞ」
そう言うレイラの腹から音がした。
サイモンは山から食べられる果実とキノコ、そして川で魚を取り、焼いてレイラに渡す。
当初と打って変わり、彼女は何も言わずにむしゃぶりついた。
それを見て微笑んだサイモンも食べ始める。
疲労が溜まっているのか、また寝てしまったレイラを見て、サイモンは考えた。
翌朝、目を覚ましたレイラはサイモンがいないことに気がついた。
「下郎、ではなくサイモンか、
どこにいる?」
呼びかけても出てこない。
(まさか私を売りに行ったのか?
あのような下賎な出身じゃ、金になると思えば何をするかわからぬ)
レイラは自分の価値を理解している。
自分のことを敵に渡せば大金を貰えるだろう。
しかしどうすればわからない。
せめて懐剣を握りしめておくことしか彼女にはできなかった。
ジリジリと時間が経つ。
レイラが焦る中、ようやくサイモンが帰ってきた。
「どこに行っておったのじゃ!
黙って行く者がいるか!」
いきなり怒鳴りつけられたサイモンは驚くが、レイラの目に涙が浮かんでいるのを見て、その不安を理解した。
「姫様、申し訳ありません。
これを食べながら聞いてください」
サイモンが渡したのは粗末なものであったがパンと干し肉とミルクであった。
以前のレイラなら見向きもしなかったであろうが、彼女は喉を鳴らしてそれを見つめた。
「どうぞ、僕はすでに食べてきましたから、姫様の分です」
その言葉で呪文が解けたようにレイラはそれらを食べ始めた。
(お腹が減っていても優雅な食べ方だ)
サイモンは感心しながら話をする。
「トマスさんが女の子の遺体を持って欺瞞していますが、それで敵がいなくなったかわかりません。
そして姫様の身体は相当に弱られています。
幸い今は秋の収穫期。
農村はいくらでも人手を必要としています。
近くの農家に行って住み込みの仕事を決めてきました。
そこでしばらく身体を休め、それから旅に出ましょう」
サイモンの言葉にレイラは激怒した。
「馬鹿者!
一刻も早くお祖父様のところに行かねばならん。
何を悠長なことを言っているのだ!」
「姫様、急がば回れと言います。
まだ大公領まで先は長い。
ここで無理をすれば敵に捕まるか、姫様が倒れるかです。
時間がかかっても無事な辿り着けば姫様の勝ちです」
しばらくの口論はサイモンの勝利となった。
「では姫様、恐れながら、僕と兄妹という体でお話しください。
名前は、僕がソルト、姫様はラーリアにしましょう。
無礼な口をきくことになりますが、しばらくの間、何卒お赦しを」
そしてサイモンの剣やレイラの懐剣など身分を悟らせるものを森の中に隠し、サイモンはまだ熱があるレイラを背負って歩く。
やがて一軒の農家に入る。
「先ほどお話ししたソルトです。
これは妹のラーリア。今熱があるので寝かせてもらえますか」
相手は気の良さそうな中年夫婦とレイラと同じか下くらいの年の子供たち。
サイモンに尻をつつかれて、レイラも背中から挨拶をする。
「ラーリアです。
お世話になります」
「まあまあ、戦争のあった辺境伯領から兄妹で逃げてきたのだって。
気の毒に。
妹さんはこちらで休みなさい」
同年代の女の子が案内をする。
レイラは農家に上がり、ベッドを貸してもらった。
「あたしはサリナ。
あたしのベッドだけど貸してあげるわ」
「ありがとう。
悪いわね」
久しぶりのベッドにレイラはすぐに寝込んでしまった。
その夜、レイラはサリナに起こされる。
食事の時間だ。
テーブルの上には、黒パンと野菜スープ、それに肉の焼いたものがある。
「今日はソルトくんが兎を捕まえて肉が食べられるぞ」
子供達は大喜びだ。
「ソルトくんはわしの倍くらい働いてくれる。
こりゃ大助かりだ」
サイモンとレイラは農家に歓迎された。
寝場所は馬小屋だが、食事は家族と同じだ。
サリナはレイラと一緒に寝ようかと提案したが、万一を警戒したサイモンは自分との同じところで寝てもらうこととした。
数日後、病気が治ったレイラも炊事洗濯や果実山菜取りに働くこととなる。
庶民の暮らしを知らないレイラは、サリナに呆れられながらも丁寧に教えてもらい、すぐにマスターする。
最初、警戒していたレイラだが、友達のように振る舞うサリナに馴染んでからは楽しくやっていた。
そして昼に農地で働いていたサイモンとは夜に一緒になる。
「姫様、どうですか、大丈夫ですか」
と心配するサイモンを鬱陶しがっていたレイラだが、話し相手のいない中、知らず知らずに彼を頼りにするようになっていた。
これまで家族はいないも同然、親しくても家臣という一線が引かれていたレイラにとって、兄のような存在と友達というものは初めて知るものである。
そして、農村の暮らしも、誰もお供がいない自由な時間もはじめてであった。
レイラは生まれてはじめて料理や洗濯をし、対等な人から叱責や注意、褒められるということを味わった。
それは彼女の視野を大きく広げるものであった。




