下級使用人生活
貴族家の下級使用人の朝は早い。
夜が明ける前から井戸の水を何度も汲んで、食材の野菜を洗う。
料理人の数が少ないので下働きは手伝いをさせられる。
皮を剥いたり一口大に切ったりという下拵えを終えた後は、野菜の皮や切れ端を馬用・鶏用に取っておかなければならない。
「何一つ無駄にしない」根性で食料の有効利用が行われている。
調理場での手伝いを済ませると、今度は乾いた雑巾で廊下の窓ガラスを拭いて、廊下の床をモップ掛けする。
その後は洗濯の手伝い。
洗濯があらかた済むと次は菜園で草むしり。
その後で馬用・鶏用の野菜クズと雑草を抱えて、先ずは鶏小屋へ行く。
餌箱付近を掃除してから餌箱に野菜クズを入れる。
鶏が餌箱に集まった隙に小屋の中を掃除。
その次は馬小屋へ。
餌箱付近を掃除してから餌箱に野菜クズと雑草を入れる。
その間に馬糞を回収。
馬小屋全体の掃除は馬が小屋から出払ってる時に手が空いてる者がする。
朝できるのは糞の片付けのみ。
ウィングフィールド公爵家では、馬糞は陽当たりの良い場所でカラカラに乾燥させてから土に混ぜ込まれて肥料代わりに使われている。
庭園や菜園にも使って良さそうなものだが…
それは公爵夫人から止められているらしい。
元馬糞の肥料と、口に入れる葉や実との位置が近いと不潔感を感じる。
客人と散歩する事のある庭園では排泄物を持ち込みたくない。
そういった理由。
私は元侍女が産んだ子なので公爵夫人とは一切血が繋がっていない。
遠目から見かけた印象では
「いつも仏頂面をしてる意地悪そうなオバサン」
なので、今後も関わりたくないと思っている。
ホワイト王国の高位貴族は金髪で瞳の色がカラフルな者が多い。
ウィングフィールド公爵も公爵夫人も金髪。
公爵が私と同じ青紫の瞳なのに対して公爵夫人も長男以外の子供達も水色の瞳。
この世界では「金髪=美男美女」というファンタジー図式は通用しない。
金髪白人の肌色はピンク色とか青紫がかった白に近い色合い。
なので赤鬼・青鬼のように見える。
睫毛や眉毛も色が薄いと睫毛や眉毛が無いように見える事もあり
爬虫類を連想させる顔。
金髪白人の大半が美しさとは縁遠い人が多い。
(ブルネットの方が遥かに美形が多いのが実情)
現ウィングフィールド公爵スチュアート・ウィングフィールド。
私の父親は、そんな中で「奇跡的に」美男だ。
彼の妻であるウィングフィールド公爵夫人チェリー・ウィングフィールドは典型的な青鬼顔。
2人の子供は
長男ヒューバート・ウィングフィールド
長女オリーヴ・ウィングフィールド
次男エグバート・ウィングフィールド
次女ローレル・ウィングフィールド
の4人。
計6人の公爵家の面々は今まで一度も私と口を利いた事がない。
なにせ下級使用人は上級使用人とは違って貴族家に仕えていても貴族と接する機会はない。
そもそも
「平民の下級使用人が貴族の前に姿を見せると処罰の対象になる」
のだ。
スチュアートが
「侍女に手を出して庶子が産まれているという事情を妻にも子供達にも知らせていない」
なら、妻も子供達も
「ローズマリーの存在自体に気が付かない」
事だろう。
私の方では公爵家の面々が馬車の乗り降りをする場面を遠くから見かける機会はあるため、血縁者達の容姿を知っている。
が、向こうは私を知らない。
ヒューバートは『聖華の花冠』の攻略対象なだけあって父親似の美形だ。
その父親であるスチュアートによって、ヒューバートは幼少期から王城へ連れ出される事も多かった事もあり、次期公爵として周知されている。
ヒューバートは王立学院の長期休暇の度にフェザーストンのこの屋敷に帰ってくるので、その間ヒューバートを訪ねて来る同世代の友人や知人も多い。
その中には同年代の王族も含まれていた。
ローズマリーの婚約者の王子様
第三王子フィランダー。
見かけた事はある…。
学院在学中も15歳を過ぎればデビューするので、ヒューバートの社交は始まっている。
私のような認知すらされていない子供とは大違い…。
ーーともかく私は
今は自分の身の上に関して深く考えず
機械的に自分の仕事をこなすしかない…。
大人しく自分に課せられた仕事をこなしていれば
特に誰からも意地悪も嫌がらせもされずに済む。
鶏小屋と馬小屋の掃除後は犬小屋へ残飯を運んで、犬小屋の掃除。
それが終わってやっと手を綺麗に洗って自分の食事。
午後からは厠掃除。
ひたすら便槽の汚物を汲み取って排水路の排水口まで汚物を運ぶ。
一段落着いたら、川の浅瀬まで行って身を清めて公爵邸へ戻る。
二度目の賄い飯を掻き込むと、食器類を洗って片付け厨房を掃除する。
そこまでしてからが自由時間。
他の使用人達は給金をもらっていて休日も週に一度は与えられているのに…
私の場合は給金が出ていないし休日もない。
借金奴隷ですら返済が終われば奴隷身分から解放されて給金を受け取れるようになる世の中で、奴隷に分類されてない筈の孤児が奴隷待遇を抜け出る機会すらない…。
「死亡フラグの回避」という目標が無くても
安全に公爵家から出奔できるのなら私はいつでも公爵家を出た事だろう。
(誰にも見られずに教会まで行って帰って来る、という手順を習得しておく必要がありそうだな…)
と当面の課題を割り出した。
その課題の準備のために
「人参の皮の確保」
が必要だと思っている。
夜盲症の改善のために必要な手に入る食材と言えば人参の皮が最も手近だからだ。
なので早速、野菜クズを入れた箱から人参の皮を選んでくすねていたのだが…。
「お前、何やってるんだよ…」
と馬番兼御者のギルに背後から話しかけられた。
「…人参って、他の何よりも美味しいなぁ…って思って。…大好きなんで、思わず…」
と苦しい言い訳をすると
「動物の餌を喰うなよ。曲がりなりにも人間が」
と正論を吐かれた。
「…そんなにメシが足りてないなら、干し肉でよければ多少は分けてやれるぞ?腹が減って寝れないようなら夜に俺の部屋まで取りに来い」
「…夜に男の部屋に行っちゃいけないってノラから言われてるんで、朝のうちとかじゃダメですか?」
「お前に食い物恵むために、わざわざ仕事抜けて取りに行けと?」
「…スミマセン…」
「というか、お前のようなヒョロガリのガキをどうこうしようと思うほど俺も落ちぶれてないつもりなんだが…」
「…スミマセン…」
「お前は休日も無くて、町を見て回る事もないから、自分の着てるものが貧民レベルのボロ着だって事にも気付いてないんだろうな…」
「…そうだったんですね…」
ギルは溜息を吐いてから小声でブツブツと呟いた。
「…(この屋敷に居続けてもコイツの未来は暗いだろうな。いっその事ニックがコイツを娼館にでも売り払った方がもっと人並みの暮らしをさせてやれるんじゃないのか?)」
「?何か言いましたか?」
よく聞こえなかったので尋ねたのだが
「いや、ただの独り言だ。気にするな」
と言われた。
ギルは少し考え込んだ様子でその場を後にした。
結果的にーー
私が動物用の野菜クズから人参の皮をくすねるのを黙認してくれた形になった…。