公爵家の使用人事情
執事のエルトン。
(公爵城の筆頭執事だったよな…)
私も全く知らない訳ではない。
私の住む部屋へ上がる階段の登り口は洗濯女達が洗濯物を仕分ける作業場にある。
常に誰か居るという訳ではないが、大抵誰かしらが近くにいる。
洗濯女のネトルと掃除婦のティファはお喋り好きだ。
しょっちゅう年長者達の目を盗んで作業場でお喋りに興じている。
彼女達のお喋りから仕入れられるのは主に公爵城で働く人達のことだ。
その中には執事達をネタにした噂話も含まれる。
エルトン・ハートフィールド。
先代公爵の乳兄弟で、子供時代は従者。
姓はハートフィールドだが生まれは爵位を持たない家の出。
エルトンが生まれて2ヶ月後にギデオンが生まれ、エルトンの母が乳母に雇われた。
どうやら地位の低い傍流の親戚を乳母に雇うのが貴族流のようだ。
敵が多いため赤の他人を乳母に雇ったり、赤の他人を乳兄弟として遊び相手兼従者にしたりしない。
家令のアクトンも侍女長のミモザもハートフィールド姓。
コチラは子供の頃からキチンと教育を受けて優秀だったハートフィールド伯爵家の人達。
アクトンは現ハートフィールド伯爵の叔父にあたり、ミモザは現ハートフィールド伯爵の妹にあたる。
身内で上級使用人の地位を固めているので下級使用人達から見て先代公爵も公爵家の人達も接する機会の全くない人種だ。
因みに女中頭はパンジーという名前。
ヤーノルドに連れられて来た時に部屋まで案内してくれた中年女性だ。
姓が無いので平民。
それでいて勤務歴が長いので女中頭を任されている。
下級使用人の女達の中ではトップだ。
パンジーは子供の頃は孤児院にいたが、当時の女中頭に養女として引き取られ、そのまま公爵家で働き続けているらしい。
「本当は男爵家の先代当主が若気の至りで平民娘を孕ませて産ませた庶子だったって噂があるんだ」
との事。
「平民が出世する背後には、余程スキルが良いとか、実は貴族の庶子とか、何か絶対あるものなんだよ」
「頑張ってれば認められるとかって訳じゃない」
と出世を諦めているネトルとティファが語っていた…。
ともかく筆頭執事のエルトンはギデオンの乳兄弟という事もあり家令をも凌ぐ権力を持っているが、それは
「ギデオン様在ってこそ」
のもの。
「ギデオン様の身に何かあれば用済み扱いされて小額の退職金と共に暇を出されるだろう」
と専らの評判。
そのエルトンからの呼び出し…。
(ホント何なんだろうなぁ…)
と思いながらも私は大人しく侍女長の後について公爵城内を歩いた。
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「公式に冒険者ギルドを通して依頼を出した方が良いのでしょうが、それだとギデオン様に知られてしまいますので、こうして非公式に来ていただきました…」
とエルトンが頭を下げてきたので私は驚いた。
考えてみれば侍女長のミモザも最初から腰が低かった。
それでいてその腰の低さは誰にでもという訳ではなかった。
「【治癒】スキル持ちのマリーに対して」
腰が低かったのだ。
私はエルトンとミモザを見遣ってから溜息を吐いた…。
エルトンが縋るような目で見てくる…。
「…表沙汰になってはいませんがギデオン様の健康には翳りがあります。
先代とは言え実質ギデオン様が公爵領を運営しているのが現状です。
そのギデオン様が病を患っている事が周知されると、他派閥から『隙あり』と見做されて、嫌がらせまがいの干渉がハートフィールド公爵派全体に振りかけられるものと予想されます。
なので我々としてはサックウェル伯爵からマリーさんのスキルの話を聞いた時には喜んだものでした。
ですが当のギデオン様自身が『老いた者がいつまでもこの世に居座り続けるべきではない。病は天命だ』とお考えになられる方だという事もあり、マリーさんのスキルでの治療を受ける気が全くないのです。
しかも医療技術の進歩に伴う新しい療法などもお拒みになられる…。
どうしたものかと悩んでいた所にマリーさんが公爵城に住まれる事になったので、人目が及ばないタイミングを見計らっていた所でした」
どうやら私を「護衛兼毒味役の侍女兼治癒師として雇いたい」という話に対して、ギデオンの側仕え達は乗り気だったようだ。
「先代公爵様がご病気って…。公爵家の方々はご存知ないんでしょうか?」
疑問ではある。
シミオンやリオンが祖父が病気だと知ってて【治癒】能力を持つ私に対してああいう対応だったのだとしたら…
アイツらは自分達の祖父のことを「死んでも良い」と見做してることになる…。
(うわぁ〜…。マジでクズだ…)
「…大旦那様のご病気の事は旦那様と奥様しかご存知ありません。坊ちゃんがたは何も知らされてらっしゃらないご様子でした」
侍女長が私の疑問に素早く答えてくれた。
少しホッとした。
「…代々、この城の城主は敷地内の薬草園で育てている薬草を使った療法で健康を保ってきました。
侍医も侍医の子が次の侍医といった形で完全に伝統を踏襲していて、何一つ新しい方法が取り入れられる事がありません。
マリーさんが薬材商ギルドで働いていた時の薬草や薬も仕入れられるだけ仕入れたかったのですが、ギデオン様に知られると拒まれてしまうため、薬効を増幅された薬材も薬も全く入手出来なかったのです」
「…要するに先代公爵様は『天命だ』と思ってて、長生きする気も治療する気もないって事ですよね?
…そこに私がしゃしゃり出るのは『余計なお世話』と思われて、怒られるんじゃないですか?」
「そうなった場合には私が全責任を取ります。…マリーさんにはそういった心配はせずに、全力でギデオン様の治療にあたっていただきたいのです」
エルトンが無茶なことを言う…。
「…色々無理があると思います。先代公爵様は私がスキルを使って薬材の効果を高められる事もご存知なんですよね?
それだと私が先代公爵様のお薬にスキルを使ったとしてもバレるでしょうし、何してもバレるんじゃないですか?
『余計なお世話』して、『天命』を受け入れてる人の邪魔をして恨まれるのは割りに合いません。
それこそハートリーを出奔しなければならなくなるんじゃないですか?
こう言っちゃなんですが、先代公爵様が『天命だ』などと言って先進的な治療を全て拒むのは『人生の重荷を全て降ろして楽になりたい』と思ってらっしゃる気持ちもあるんじゃないですか?
それを使用人が勝手に治そうとするのは『楽になんかさせないぞ』と言って重荷を背負わせ続けようとしてるだけだと思うんですよ。
そんな権利が貴方達にあるんですか?『癒されたくない』と思ってる病人を癒すのは、とても無責任な偽善なんですよ」
と私はイラッとしながら容赦なく正論をはいた。
前世でも思っていたことだ。
「自殺希望者に自殺させまいとする」
「尊厳死を望む重病者に尊厳死を与えない」
それは残酷な偽善だ。
「何故死にたいと思うのか」
という点での
「当人の選択」
を完全に無視した周囲の一方的な善意の押し付け…。
それがとても嫌だった。
「…ギデオン様はまだ楽になる権利がありません。シミオン様・リオン様があの程度の人間のままだとハートフィールド公爵家はお終いです。
ギデオン様は内孫を人間的に成長させるか、見切りをつけて優秀な外孫を公爵家の後継に指名するかして、公爵家の安泰の目処を立てる事でしか『自分は居なくても良い』と思う事は許されません。
神が許しても私は許しません。私を含め多くの人間がハートフィールド公爵家のために人生を注いで尽くしてきました。
公爵家の方々はその想いを背負うべきです。安泰の目処も立っていない状況で自分だけ楽になろうだなんて、そんな事が許される筈がありません」
「エルトン…」
「…要するにエルトンさんは先代公爵様にまだまだ重荷を背負わせたくて治療して欲しいと思ってるんですね」
「そうです」
「ーーマリーさん。私からもお願いします。大旦那様はまだ亡くなっていい人ではありません。
御本人がどんなに重荷を投げ捨てたく思ってらっしゃっても継承者が順当に育っていない以上、後顧の憂いが残ります。
ちゃんと最期まで公爵家の人間としての責務を全うしていただきたいと思います」
エルトンだけでなくミモザもギデオンに楽をさせる気はないらしい…。
「…偽善じゃないんですね。ちゃんと『楽になりたがってる人を楽にはさせない』行為だって分かってて治療を依頼するんですね…?」
「はい」
「身勝手だとは分かってます」
「それで、先代公爵様が怒ったときには私には責任が及ばないように配慮してくださるんですよね?」
「「はい」」
エルトンとミモザの声が重なった。
善意の押し付けではない苦労の押し付け…。
人生を公爵家に注いだ使用人達が望むからこそ、その主人はそれに応えなければならないのかも知れない…。
「分かりました。ご要望、承ります」
私はギデオンの治療について検討する事にしたのだった…。




