閑話 神-1
神宮寺 快成が死亡した、その時。
二人の人間が立っていた。それが、快成の判断であった。だが、違う、実際には1人と一匹が存在していたのだ。
だが、そのようなことは神にとっては些細なことかもしれない。役割さえ果たせれば実際だれでもよいのだから。
その一人と一匹に何の関係があるのか、それすらも神は興味はない。
神が興味を示すのは、ただ一つ快成が死んだ。その事実だけである。そして、その事実を確認するために一人と一匹が必要だったに過ぎない。
本当は快成である必要すらないのかもしれない。しかしそれでも神は彼を殺し続ける
神の望む世界がどのようなものなのか、それは、人が知りえるものではない。
ただ、確かなのは、神には意思があり。それを達成するだけの力があるということ。
そして、神は殺すことができるということ。
神とて、永久を生きることはできない、確かに、生きようと思えば不可能ではないのだろう。しかし、記録が途中で途切れている神がいるということもまた、事実である。
第一、今語っている神が、途中から、別の神の話に代わっている可能性も否定はできない。
思考操作でもされているのだろうか、いつもこれらの話をするときは、文脈がおかしくなる。
しかし、確実なのはこの世界が一神ではなく多神で成り立っているということだけである。
だが、この世界に内包されるこの世界だけを見るのならば、確かに一神で成り立っているともいえる。
ゆえに、なぜ神が群れを成すのかといったことも、まだ、私にはわからない。
ただ、確かに私は今も少しづつ、神に近づいて行っているはずだ。
また、他に分かっていることとして、この世界を完了するためには、禁忌やそれから派生した存在、また、それに対抗しうる存在の解明が必要である。
早急に解明しよう。禁忌を作ったのはあくまでも神ではなく人だ。解明の余地はあるはずである。
ただ、その前に、人造の神が邪魔である。そのせいでこの世界の神はあまりにも仕事をしていなさすぎる。それ故か、なかなか神がどこにいるかという情報を入手できない。
ただ、人が神になりえるか、といった話では人造の神になれることは確定している。ただし、真の神になれるか、そうなってくると話は別である。
しかし、確かに元々が人だと思われる神は存在している。
この世界の神は元々人なのか、自然発生なのか、それとも神の繁殖行為によるものか、どのような経緯で発現したかはまだ、私の知りうるところではない。
とにかく、計画は順調に進んでいる。もう何年かけたのだろう、この計画のために。
そろそろ計画も最終段階だ。
チェックメイトといこうではないか。
そして、新たな物語を始めようではないか。