葬送
「つ、疲れたわ……今日も」と、私。
「お疲れ様です。奥様」と、ハンス。
「奥様、だらしない姿はお控えください」と、レーナ。
マーサの持ってきたホットタオルを顔に載せソファに沈み込む。
夫の突然の訃報からこのひと月あまり、信じがたい怒涛の日々だった……。
まるでジェットコースターの様に激しく得難い経験である。
永久に得難いままでよかったんだけど。
衝撃の事実を知った時からしばらくしてアントン達はダルセン領に帰還した。
但し魔法で冷凍処理された遺体としてである。
変な所だけ便利な魔法だ。
遺体を現地で埋葬する必要が無くなるのでありがたがるべきだろうか。
ともかくこの目で夫とその愛人の遺体を確認した私は領主の葬儀を取り仕切った。
妻としての最初の仕事が夫の葬儀だったのは我ながら悲惨すぎる。
そんな私が気持ちの整理も満足につかないまま次に取り掛かったのは領主の仕事の引き継ぎであった。
この国では領主が亡くなった時点で実子が未成年の場合、配偶者が代行をする。
つまり私だ。
領主と云っても重要な方策を決め、最終決定を下す事が主な仕事である。
領という広大な土地を一人で何でも全て手配し対応する訳では無いので特別な事態でもない限り通常は決め事に従って領運営を補佐する者達がいる。
頼りになるハンスが居るので私は引き継ぎに専念できた。
でも、私はアントンの様にこの領の衰退を座して待つつもりは無い。
その為に覚える事知るべき事も山ほどあった。
そういう訳でこのひと月は仕事に没頭していたのだった。
「ユリアは帰っているの?」
「お嬢様はまだ教会に居るのでしょう」
「そう……」
何かと隙間時間を見つけては出来る限り接していたけれど時期が時期だ。
領主関係の用事が多くてユリアの精神的ケアに充分時間が取れなかった。
(その分使用人の皆で何かと気にかけてもらっていたのだけれど……。体が一つしかないのが恨めしいわ)
ユリアは最近鬱ぎ込みがちで教会学校が終わってもすぐ帰ってこない事もあった。
教会という場所がそのまま両親の死と向き合う場所になっているのだろう。
愛情が無かったつれあいが亡くなった私と比べてユリアにとっては実の親の死だ。
無理もない。
「奥様、どちらへ?」
「夕食の時間も近いし、ユリアを迎えに行くわ」
「え? いえ、私共がお迎えに参りますが」
いつもは陽が落ちる前に帰って来るかハンスやレーナ達家人が迎えに行っている。
しかし今日は私自身が行く気になった。
とりあえず葬儀・引き継ぎ関係が一段落したからだった。
ユリアに大事な時に充分寄り添えなかった後ろめたさもあった。
「いいわ。近いし、私もたまにはね」
「では、私もお供致します」
レーナもそう云ってついて来た。二人で屋敷を出てしばらく大通りを歩く。
侯爵領や王都に居る時と比べて少し離れた所へも移動する時は歩く事が多い。
王都と違って余所者が来たら目立つので寂れた田舎の方がかえって治安がいい。
5分も歩くとダルセン領都の大教会へ着いた。
教会の扉を開くと最前列の椅子にユリアが居るのが見えた。
司教は奥の部屋に居るらしく他には誰も居ない。
ユリアはこの世界の女神に祈りを捧げていた。
関心を払われていなかったからと云って子供が親を愛していない訳ではない。
理屈では分かっていたけれどそれでもこういう所を見ると心が痛む。
「ユリア」
「……奥様?」
「もう遅い時間よ?」
「あっ! す、すみません。帰ります」
「あ、いいのよ。慌てなくても」
私はそう言ってユリアの隣に座った。レーナは少し後ろの方で立って控えている。
肩を抱くとユリアは私の肩に控えめに頭を預けて目を閉じた。
しばらくそのままでいると教会備え付けの粗末なピアノが私の目に留まる。
ダルセン領都で恐らく唯一のピアノかもしれない。
(そういえば教会にはこれがあったわね……)
普通、貴族のお屋敷にはピアノが用意してあるものだがダルセン男爵邸には無い。
令嬢の教育や屋敷で小規模な催しを行う時に必要だがここでは必要ないのだろう。
経費削減で売り飛ばしたのかもしれない。
落ち込んでいる様子のユリアを見て私は一つ思いついた事があった。
「ユリア」
「はい」
「帰る前に、改めて『私の夫』と『あなたのご両親』をお送りしましょうか」
「……え?」
ユリアにそう言って立ち上がった私はピアノの鍵盤を指先で軽く弾いた。
調律すら真面にされてないであろう、田舎の小さい教会の粗末なアップライト。
この異世界は変な所だけ私の前世にリンクしている。
何故オルガンよりも先にピアノがあるのか不明だが開発の歴史が私の世界と違うのだろう。
(どういう訳か現代日本並みにピアノが普及している世界でよかったわ)
ピアノと同じく年季の入った椅子に座って呼吸を整えた。この感覚は久しぶりだ。
レーナの意外そうな顔が見えた。
この世界では上流階級の子女は嗜みとして大抵ピアノ教育を受けている。
でもレーナは私が特別得意だった訳ではない事を知っているからだろう。
『記憶』が蘇って以来弾くのは初めてになるけど前世に取った杵柄だ。
私はかつての仕事道具を使って天に召された二人の為に曲を奏でた。
凡才なりに4歳から27歳まで20年超費やして身に付けた技術は健在だった。
私は次々と曲を変えて弾き続ける。この世界では誰も聞いた事が無いはずの曲を。
音楽が人の心に訴える力は世界が違っても変わらない。
これは亡くなった二人に対する私達の葬送だった。
「……ありがとうございます、奥様……」
ユリアの閉じた瞼から涙が零れ落ちるのが見えた。
私は心を込めてしばらく弾き続けた。