いなくならないで
「奥様……」
ユリアを目覚めさせる手段が尽きたと悟った私にレーナが心配そうな声を掛ける。
よろけた私の体をレーナが支えていた。
「ありがとうレーナ。大丈夫よ……」
そう言ったものの胸の動悸が収まらない。
ベッドに寝ているユリアの顔が涙でぼやけて来た。
(ごめんなさい、ユリア。母として私は貴方に何も出来ない……)
居た堪れない気持ちになって私はユリアの寝室を出た。
息苦しさから解放されたくてそのまま屋敷の外に出て花壇の前に歩み寄る。
綺麗な花に彩られた男爵領の小ぶりな花壇はどこもよく手入れされていて心が和む。
私とユリアは時々ここに来て花壇の縁石に腰を掛けて雑談した。
そのまま花を眺めながら記憶をなぞっているとユリアと親子になった時の事をふと思い出した。
義母と呼んで欲しいと言った私に驚いた後で遠慮がちにユリアは言った。
本当にそう呼んで良いのか、と。
私はあの後で何と言ったのか。
『貴方には私が付いているわ。何も心配しないでいいから』
よくもそんな事が言えたものだ。
現状が力の及ばない範囲の事と分かっているが自分に腹が立つ。
(こんなつらい思いをするなら、私がこうなればよかったのよ……)
息苦しさから解放されるどころか一人になると自問自答で自虐的になってきた。
でも実際そう思うのは当然だ。フンベルトは私を恨んで犯行に及んだのだから。
自分への至らなさとユリアに対する自責の念が入り混じる。
また涙が出てきた時に後ろから声が掛かった。
「リーチェ」
「アーサー……?」
「今日は残念だったが……そろそろ休んだらどうだ?
こんな事では君が体を壊してしまう」
「……っ」
アーサーの優しい言葉を聞いた途端、色々な感情があふれ出した。
私はアーサーにしがみついて少しの間泣いた。
最後の望みの聖女の力もダメと分かって心の整理がつかなくなった。
落ち着いた所で胸を貸してくれたアーサーから優しく声がかかる。
「落ち着いたかい?」
「ごめんなさい。取り乱して」
「いや」
アーサーはそのまま何も言わなくなった。
そのまま黙って私の感情を受け止めてくれると感じて私は自分の感情を吐露した。
「……ねえ、アーサー」
「何だい?」
「私、思い出したの。大事な人が居なくなる事の怖さを……」
私が8歳の時にお母様は亡くなった。
あの時の涙が枯れる事が無い感覚。
その絶望的な喪失感は勿論今でも覚えている。忘れる事は無い。
「……」
「怖いのよ。このままユリアが目を覚ましてくれないかと思うと。
私の手が届かない所に行ってしまうのではないかと」
「……」
「ユリアの体はここにあっても、心に触れる事が出来ない。
大事な人が遠くなってしまう事がこんなにも絶望的な気分になるなんて……」
その言葉に反応した様に私の背中に回したアーサーの手が一瞬、動いた。
「……そうだな。私も、君がダルセンへ行ってしまうと知った時に同じ気分になったよ」
「そうだったの?」
「ああ」
優しいアーサーの言葉になぜか急に自分が幼い頃に戻った気分になった。
自分以外の誰かに猛烈にすがりたい気持ちが強くなる。
アーサーはそんな私を優しく包んでくれた。
しばらくそのまま時が過ぎる。
「落ち着いた?」
「……ええ、ごめんなさい。どちらが年上かわからないわね」
「もっと頼ってくれていいんだ。僕はその為にここに来たんだから」
「え……?」
「……こんな大変な時にこんな事を言うのはどうかと思うけど、そう云う事だよ」
ユリアの現状からの逃避からかもしれない。
ただ、心が弱くなった私はアーサーからの甘い一言が欲しかった。
「はっきり、口にして」
「愛してる、リーチェ。ずっと私にとって君は姉以上の存在だった」
いつもの顔を赤くしてぶっきらぼうな物言いではない。
アーサーは正面から私と瞳を合わせてそう言ってくれた。
「返事なんかしないでいい。ただ、今は君の側に居させてくれ。
苦悩している君を放ってはおけない」
「ありがとう、アーサー……」
私は再びアーサーに体を預けた。
アーサーの服を掴む手に力が入る。
一人で悩み悲しむ事は無いと云ってくれている。
こんな時なのに、私もアーサーに対する家族愛以上の愛情が溢れ出てきた。
「……私の大事な人達」
「うん?」
「ユリア、お父様、パスカル。……そしてアーサー、貴方もよ」
「わかっている」
「アーサー」
「ん?」
「いなくならないで」
「ああ」
「私の側にいてくれる? ずっと」
「ああ。私は君の側にいる。ユリアもだ。君の元に帰って来る。絶対に」
アーサーの言葉に私は心から頷いた。
(そうよ。きっとユリアは帰って来るわ)
祈る事しか出来なくても信じている。私も、アーサーも、皆も。
(いつの間に、こんなに大きくなったんだろう……)
頭で理解していても感触で理解したのは今が初めてだった。
私は目を閉じてとっくに自分を追い越しているアーサーの胸に顔を寄せた。
アーサーは私を抱き寄せたまましばらく優しく私の頭を撫でてくれた。
♦
翌日、殿下が王都へ帰還するので私とアーサーと屋敷の人間は全員御見送りに出ていた。
殿下はダルセン滞在中はこの屋敷に宿泊していた。
ここ以上に王族が逗留出来る様な施設が無いから当然そうなる。
前に一度お父様と来ていただいたおかげで今回は屋敷の人間も緊張せずに済んだ。
「色々とお手間をお掛け致しました。殿下」
「いや……結局役には立てなかった。すまない」
「そんな事は無いです。襲撃犯の捕縛でも本当にお世話になりましたから」
「私以外でも出来たよ。あれだけ明確な証拠があればね」
殿下が去る前に私は言っておきたい事があった。
昨日は取り乱して気が回らなかった事だ。
「殿下、差し出がましい事と思いますが……」
「ん?」
「……アンナに関してはどうかユリアの件で責めないでください。
この件に関して彼女は関係ありませんから。
そして、私は聖女の力は万能では無いと今では思っております。
同じ元聖女候補として彼女を責める気になれないのです」
「……わかった。君の気持ちは考慮しておく」
殿下の返事に少し安心する。
正直、婚約破棄の経緯を考えてもアンナにはいい感情がない。
しかし筋違いの事で彼女の罪を増やす事は本意ではない。
ホッとした感じの私に今度は殿下が口を開く。
「私からも一言だけ言いたい。ユリア嬢の容体についてだ。私の個人的な見解だが……」
「はい」
「完全な治療が遅れた影響があるかもしれないが、それでもその後にハイエルフの薬や聖女の神聖魔力を試したのだ。
ユリア嬢の肉体は恐らくもう治っている。
しかし目覚めない。では、何か別のきっかけが必要なのかもしれない」
「きっかけ……」
「ああ。何というか、全く論理的な言い方ではないのだが……。
幻の民を知己に得た君ならばその何かを与える事が出来るかもしれない。
それが何かは残念ながらわからないが」
「心に留めておきます」
私がそう言うと、殿下は今までの難しい表情を崩してから口を開いた。
「……どうも君と会う時は真面目な話か深刻な話になる事が多い。
ユリア嬢がいつか回復してから、もっと気楽な立場で会いたいものだ」
「何時でもお出で下さい、ダルセンへ」
私がそう言うと殿下はこちらの方をしばらく見た。
そして少し考えた様な後、残念そうに笑った。
「いや、遠慮しよう。どうやら既に意味が無い様だ」
「え?」
私か家人が何か失礼をしただろうか。
少し考えたが思い当たる事はなかった。
「まぁ、ユリア嬢にも私にも多分時間が必要だという事だよ。
では失礼する。ユリア嬢の回復を心から祈っている」
殿下はそう云い残して元聖女のアンナと共に王都へ帰っていった。




