異変
馬車がダルセン領に入った時、既に陽が落ちていた。
特に急いでいる訳では無いのに馬車は以前と比べて断然スムーズに移動している。
蓄音石事業のおかげで大半は国の税金で行われている馬車道舗装のおかげである。
通常は領内の事は領内の財政で賄うものだが事業を国に抱えて貰った事が大きい。
偶々、蓄音石の技術が悪事や軍事に利用出来るものだったからだ。
公共事業でもない娯楽事業なのに国に丸抱えしてもらえる。
今思えば色々ついていた。実にありがたい。
「辺境と聞いていたけど、昼間見た感じでは全然そんな感じはしないな。
景色はのどかな感じだけど」
「舗装のおかげね。明るい時見たら道以外の景色に驚くかもよ。
なにせ今通っている所なんて何も無いんだから」
アーサーの好意的感想に私が現実的回答を返した。
この世界ではどの都市や町や村も全て、頑丈で高い外周塀に囲まれている。
要するに魔獣がうろついているからだ。
そして現在は町と町の間の、まさに何もない区間を走っているのだ。
昼間に見たとしても目に入るのは荒野か森か遠くの山の雄大(?)な景色だけだ。
「整備済みの街道だからそんな風に思うのかもしれないけれど、そろそろ未舗装区間だと思うから。
お尻の痛さに気を付けてね」
「そうなのか」
「ダルセン領都までの道は長いって事ね。そういう意味でも。
まあ、あと数時間だけれど」
「今日で王都を出て7日目か。こんなに何日も続けて馬車に揺られた事は無いな」
「だから言ったじゃない。来るのはせめて卒業してからにしたらって」
つい先日、王都で交わした会話には続きがある。
アーサーがダルセンに来るという申し出を私はありがたく受け入れた。
しかし、気になる事はアーサーはまだ卒業はしていないという事だ。
『卒業まではあとふた月程あるのに、本当に大丈夫?』
『大丈夫だ。どうせ残りの期間は卒業までの猶予期間。
それにどうせもう働き先は決まっているのだからね。
少しでも早く行った方がいいよ』
『でも、簡単にそういう訳にはいかないでしょう?』
『最期の仕事の学園祭も終わったし、後の事は次の会長のパスカルに任せている。
本人にも了承済みさ』
『本当に? 大丈夫なの? パスカル』
私は呑気な顔で会話を聞いている弟を見る。
『大丈夫だと思うよ。アーサーは欠席届は出しているから別に中退じゃない。
後でゆうゆう卒業証書を受け取るだけだ』
『……呆れた』
『大体、時期的にとっくに必要な事は引き継いでいるしね。
姉さんの心配には及ばないよ。
それに卒業後にダルセンに向かうにしても遠乗り馬車の費用が馬鹿にならないだろ』
そこまで言われたら断る事も出来ない。
幼馴染のやる気をありがたく受け取るまでだった。
「……後、2カ月もあれば領都までの舗装も終わる頃だったから丁度良かったのに」
「到着まで後せいぜい数時間だろう? 問題ないよ。それに……」
アーサーは一度言葉を区切って私の顔を見つめた。
「1年ほど前、君がどの様な道のりでダルセンに向かったのかその一端を感じることが出来る。
この道の変化はいわば君の努力の成果だ。
今日まで君が色々と頑張って来たのを知る事が出来るからね」
「……嬉しいわ。そう言ってもらえると」
「ユリアも大丈夫だろう? 一回王都に来る時に通って来たのだし」
「はい、アーサー様。でもピアノが弾けないのはつらいです」
ユリアはピアノが無い場所では紙鍵盤で練習するか楽譜を穴が空く様に見て時間をつぶしている。
しかし、流石に1週間もピアノに触れないでいて禁断症状が出てきている様だった。
「そればかりはしょうがないわね。もう少しだから戻ったら思いっきり弾きなさい」
「はい、お義母様」
「奥様、そろそろ未舗装区間に入ります」
ユリアの言葉が終わった丁度その時に御者から声がかかった。
そしてそれから直ぐに馬車の振動が変わる。
今まで石畳の上を転がり軽快に音を奏でていた馬車の車輪の音が土で消える。
その代わり馬車の揺れに横揺れが増えた。
「少し速度を落とします」
御者の一人は私達に再び声を掛けた。
御者はロッシュさんとジーベルさんではなく、馬車も普通の遠乗り馬車だ。
今回の帰途は輸送ギルドに依頼していたので問題ない。
あの二人の信頼度とは正直比べられないけれど。
ロッシュさんとジーベルさんが来られなかった理由は二人の立場上の都合による。
引退した身でも未だに二人の元には相談事が多数持ち込まれているらしい。
私達と共に今回王都に帰って来た二人はその件で忙殺された。
結局、二人はそのまま王都に残る事になってしまった。
残念に思いつつも世話になったお礼をし、謝礼を渡して二人と王都で別れた。
元々老後のバカンスに来ていた客人だったので居なくなるのはしょうがない。
同時に、今までロッシュさんの伝手で借りていた軍用装甲馬車もお役御免となった。
元々はピアノを運ぶ為に調達していたものだったからだ。
ハイエルフに関しては情報の秘匿を約束してくれた。二人なら心配ない。
今回ダルセンへ帰るのに依頼した輸送ギルドは王国の交通や物流を一手に引き受けている。
かつては冒険者だった者が転職して御者を務めているので護衛も務められる。
だから特に不安に思う事も無い。
そう思っていた時に速度を落としていた馬車が止まった。
「?」
「どうしたのかしら」
訝しむアーサーと私が顔を見合わせる。
アーサーが御者台に身を乗り出して御者に聞く。
「どうしたんです?」
「いや、道が塞がっているんですよ」
「簡単な馬防柵みたいな物が置いてあるでしょう? 迂回しないと駄目かな」
「本当だ……しかし、こんな所迂回できないだろう?」
御者二人とアーサーの会話を聞いて私は馬車の横の窓を開いて外を見た。
既に王都への往復で何回か通って知っている。
恐らく領都と領境のちょうど真ん中にある森の中だ。
(殆ど一本道だから迂回路なんて無いと思うけど。ここは森の中だし)
現在ダルセンは街道が急速に整備されつつある。
整備された道には定期的な魔力供給こそ必要だが魔光照明もちゃんと付いている。
街道が整備されれば魔光を嫌う獣や不届き者の類の夜襲も減るので安全につながる。
この森は一番最後に残された未整備区間だ。
(森……?)
不意に思い出した。
ロッシュさん、ジーベルさん、カルラと共にピアノをダルセンに持ち帰った時の事である。
あの時、何かの気配にロッシュさん達やカルラが気付いた事があった。
彼らならではの研ぎ澄まされた鋭敏な感覚や特殊能力によるものだ。
その後の王都との往復時にはそんな事は一度もなかったので最近は忘れていた。
街道整備が完了すれば道中の不安も大分解消されるという安心感もあった。
でも今、彼らは居ない。馬車も装甲馬車ではない。ここは最後の未整備区間。
「ぐわっ!」
前方から聞こえたその悲鳴に私の思考は中断された。
私はユリアの体を反射的に抱きしめた。




