何に、でしょうか
お父様と王太子殿下がダルセン領に到着する日が来た。
お二人共その気になれば軍用馬車を使って馬を各所で替えつつ強行軍でどこからでも素早くやって来れる。
王都から普通の遠乗り馬車で二週間かかるこの辺境へも同様である。
しかし今は戦時中でもなければ緊急時でもないのでそんな無茶をする必要はもちろん無い。
迎えるこちらの準備もあるので普通の速度でこちらに向かっているだろう。
迎える側としては問題なく準備は整えたとは思うが緊張感だけはいかんともしがたい。
そもそも普通だったら緊張する事などありえない。
辺境に嫁いでたまたま領主になった娘に父親が会いに来るだけの話だからだ。
恐れ多くも招かれざる賓客が来ない限りは。
(何でここへ来られるのかしら、殿下は)
王太子殿下の目的がまるでわからない。
お父様自身もお手紙からすると分かっていない様だ。
なんでも直接私に話したい事があると殿下がおっしゃったらしい。
(わざわざ何を話すのか本当にわからないわ……全く心当たり無いし)
そもそも王太子殿下と私は接点が少ない。
弟の前婚約者が私だったというだけで年齢も結構離れている。
確か殿下は私より5歳年上の23歳だ。王立学園でも接点がある訳がない。
それに学園卒業後は頻繁に国の顔として外遊されておられたし。
(まあ、いいわ。来たらわかる事よ)
父も居るから予想外な事は何も起こらない筈だ。
失礼にならない様持て成して久々に会う父との時間を楽しもう。
厨房の使用人達が慌ただしく動いている中、そんな事を思って私は朝から取り掛かっていた自分の料理の準備に没頭した。
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「ようこそお越しくださいました。王太子殿下、侯爵閣下。
ダルセン男爵領領主・リーチェでございます」
「久しぶりだね、ダルセン男爵」
「お久しぶりでございます、クラウス王太子殿下」
王太子殿下は私と挨拶を交わしてにこやかにほほ笑んだ。
いかにも人の上に立つ雰囲気を自然に纏わせている文字通りの王子様である。
悪い噂も特に無く有能との評判も高い。
私も王立学園在学時、かつて存在した完全無欠の生徒会長の噂はよく聞いていた。
「変わりないか、リーチェ」
「はい勿論。お父様もお変わりなく」
領都入口で二人を出迎えてからこちらで用意した馬車に乗り換え屋敷に移動する。
移動の最中に殿下が口を開いた。
「今日は親子水入らずの再会の時に押しかけてしまってすまなかったね」
「いいえ、次期国王陛下がこの様な辺境にお越し下さる事は私にも我が領民にとっても大変光栄な事でございます」
「大げさだな。私は単なる若輩者だよ」
「それは私が言うべき言葉ですわ。
何もない田舎ですがごゆっくりお過ごし頂ける事を望んでおります」
「ありがとう。お世話になるよ」
金髪と緑の瞳が印象的だがこうして間近で見るとエゴン殿下とあまり似ていない。
そしてエゴン殿下にある険の様なものも王太子殿下には感じない。
私の勝手な印象のせいかもしれないが。
死別した前王妃と現王妃。
二人の容貌は多分どちらも母親似なのだろう。
尤も王家は代々物凄い美姫を娶るから二人共醜くなりようもない。
その後屋敷に到着した二人を私は事前の予定に従って無難に持て成す。
何事もなく時間は過ぎて夕食後のお茶を摂って寛いでいる時だった。
王太子殿下が口を開く。
「いい所だね。ダルセンは」
「ありがとうございます」
「バルツァー卿から聞いているかもしれないが、話したい事があるんだ」
「はい……」
「ダルセン男爵。婚約破棄に関しての弟の愚行を謝罪する。
王家の人間として君に個人的に謝罪したいと思って卿に同行させて頂いた」
「えっ?」
「弟が君に辛い思いをさせた事を謝りたい」
頭を下げる王太子に私も父も慌てた。
「いえ、そんな事は! どうかお顔をお上げください、殿下!」
「その事でしたか。それはもういいと云ったではないですか!」
殿下の謝罪を聞いて父はそう言った。
つまり父は以前に殿下から既に謝罪を受けていた訳だ。
私に直接謝罪したいんだとなぜ訪問前に父へ素直に言わなかったんだろう。
前もって言っておいて下されば私も父の手紙を通じてもやもやしなかったと思うのに。
「今更だが許してもらえるかな」
「勿論ですわ。既に終わった事ですし」
「そうです、殿下。元々は娘が神聖魔力を失った事が原因でしょうから。
それに殿下はこの件に関して関与されていないではないですか」
「……ありがとう二人共。それを聞いて救われた気分だ。
いくら神聖魔力が喪失したとしても王国を担う大事な臣下とその愛娘に必要ない恥をかかせる事はない。
改めて言う。王家の一員として謝罪する」
殿下はそのためにわざわざダルセンに来たのか。
義理の妹になる予定だった私の立場を考えてこんな辺境に足を運んで下さったのか。
殿下は私のエゴン殿下に対する悪印象も綺麗に拭ってくれた。
私の心にクラウス殿下への感謝の気持ちが湧いてくる。
しかし、話はそれで終わっていなかった。
お父様が男爵邸の家令のハンスと話す為に席を外した。
娘が男爵領の運営をちゃんと出来ているか心配だったのかもしれない。
お父様の私に対する過保護ぶりが見えて恥ずかしい。
「ところで、ダルセン男爵」
「はい?」
二人きりになった途端、殿下の雰囲気が少し変わった感じがした。
「どうも君の様に若く美しい女性をダルセン夫人とか爵位とかでは呼びにくい。
名前で呼んでもいいだろうか」
「構いませんが」
「ありがとう。では以前の様にリーチェ嬢でいいかな?」
「……え? はい。どうぞお好きな様に」
以前にと殿下は言った通り私は以前にも殿下にそう呼ばれている。
王子妃教育の時に登城した時に顔を合わせる事もあったから。
「リーチェ嬢、では聞きたい事があるけどいいかな?」
「はい」
「君は本当に神聖魔力が無くなったのかい?」
「そうですが」
「王家の一員になる事が嫌で嘘をついてはいないね?」
「……」
殿下の意外な質問に驚く。
私の魔力が無くなっているのは教会のお墨付きだ。
教会の大聖堂には魔力強度を感知する水晶が置いてあるので直ぐ判かる。
婚約破棄前に確認をさせられたのだ。
「当たり前ですわ。光栄な事をどうして断りましょうか」
今の私は別にそう思っていないけどここはしおらしく同意する。
神聖魔力が無くなったのは本当だから疚しい事は無い。
「じゃあ、あと一つ。君が階段を落ちた時の状況について教えてくれないか?
私はその時国外に居て全て終わった後の事しか聞いていないからね」
私はこれにも素直に答えた。
王立学園在籍中、図書室の帰りに階段で落ちた時の状況を。
周囲の様子・状況・自分が感じた事、全てを。
私が誰かに突き落とされていようと何だろうと現実は戻らない。
既にもう半年を優に過ぎた過去の事だ。
今となっては自分の背中の感覚も何かの気のせいかとも思えて来る。
しかし黙って私の話を聞いていた殿下は深刻そうに何かを考えてしばらく黙っていた。
「ふむ……なるほど……なるほどね。そういう事なのか……?」
「あの、何か気になる事でもございましたか?」
「いや失礼。何でもない」
そう云った殿下は次の瞬間深刻そうな表情を消して奇妙な質問をした。
「ところでリーチェ嬢。また、なる気はあるかな?」
「えっ?」
階段を落ちた時の話と繋がらない。
一体どういう会話の流れなのか。
「何に、でしょうか」
「王家の一員にだよ」
「!?」




