王太子殿下がやって来る(お父様も)
「カルラ、本当にあそこでいいの?」
「ああ。あそこの方がかえって都合がいいんだよ」
私達の会話はカルラがダルセン領に構える工房の場所についてである。
カルラはハイエルフ村が近くにあるあの寒村に居を構えたいと云って来たのだ。
私としては色々利便性を考えて領都の中に居て欲しかったのだけれど、ハイエルフ村と鉱山が近い方がいいという実情があるからしょうがない。
ハイエルフ村から戻ったあの日から私の周りは急激に慌ただしくなっていた。
屋敷に戻って早々に領地運営に携わる主だった人達を集めて今後の方針を話す。
全員驚き、遠回しに本当の事かと疑う声も勿論出た。
結局、ハイエルフと接触したという証拠を私は持って帰らなかったからだ。
実はその事も少しは考えたんだけど浮かれすぎてまあいいやと思ってしまった。
尤も、別行動のカルラやジーベルさんはともかくユリア・レーナ・ロッシュさんが私の言葉を補足して教会であった事を証言してくれたから問題ない。
そして事実である事を第三者に証明するのにもさほど時間はかからなかった。
後日ハイエルフ村に再訪したからだ。
私達はユリアだけを屋敷に残して再び同じ面々で鉱山村に向かった。
でも結局村には全員入れなかった。私の他はカルラだけである。
村に滞在している間、護衛の二人には森の外で待っていてもらう。
魔石の応用に関しては工芸士のカルラが適任だった。
エルフは風精霊・ドワーフは地精霊を操るから基本的特徴が似ている。
何より音楽再生装置を作る技量は私に無い。
パシュケから前もって許可を得てから製造責任者として来てもらったのだ。
『なんであたしがエルフなんかの所に行かなきゃならないんだ』
カルラにそんな風にごねられる事だけを危惧していたのだが杞憂だった。
ファンタジー知識でエルフとドワーフは仲が悪いと思っていたので遠回しにその事を聞いてみたのだが、カルラ曰く
「あっちはハイエルフ。あたしはハーフドワーフ。全然違うだろ」
そんな言葉が返って来た。まあ言語的には確かにそうなんだけど。
その後、多少手間取ったものの当初の狙い通り音楽再生魔石は無事完成した。
基本的な物は既に存在していたから改良するだけだったのが大きい。
より音の振動を伝えやすい形に魔石を研磨加工するのはそれこそカルラの十八番なので安心して任せられる。
音楽再生魔石で唯一狙いが外れたのは思った以上に魔石が大きかった事だ。
てっきり魔石と云っても勝手に小さいものだと思っていたのだ。
持ち運べない訳では無いが少し辛い。
当面は据え置き型として考えるしかないがどうせ最初は富裕層向けなので今のところは良しとする。
ステレオコンポからアイパッドへの道のりはまだ遠い。
ちなみに先日のカルラの廃坑調査の結果は喜ばしいものだった。
ドワーフ特有の調査眼によると、魔石は大量に存在していた。
更に、鉱脈は大まかには掘り尽くされたものの坑道から全く離れた場所に別の鉱物の反応を感じるという事だった。
鉱物の量的には大した事は無いかもしれないがそれでも嬉しい。
今の所全ての物事がいい感じで進んでいた。
♦
「お義母様、今日は夕食までずっと御一緒出来ますよね?」
「ええ、大丈夫よユリア。行ってらっしゃい」
「はい! 行ってきます」
ある日の朝、元気な返事をしてユリアは教会学校に出かけて行った。
あの鉱山麓の寒村の教会で私がエドゥアルにハイエルフ村へ招かれ(拉致られ?)て以来、ユリアは私に甘える事が多くなってきた気がする。
あの日、ハイエルフ村から寒村の宿に着いた途端、弾丸の様にユリアが駆け寄って抱き着いてきたのを思い出す。
私が目の前で消えてしまった事がトラウマになってしまったのかもしれない。
ハイエルフ村に再訪する時にも、自分も同行すると云ってぐずったものだ。
宥めるのに大変だったけど。
音楽再生装置の量産の為の魔石を鉱山で採掘する人員の確保。カルラの元で働く加工要員の確保。
通常の領主の仕事に加えて新規事業で色々考える事はある。
しかし当面はデスクワークだ。
ここ最近はユリアと過ごす時間も比較的多めに取れている。
今日もそんな感じの一日だと思っていたらその静寂を破るモノが届いた。
お父様からの手紙である。
「奥様、お手紙でございます」
「ありがとう、レーナ。 ……あら、お父様から?」
「侯爵様も奥様を常に心に掛けておられるのでしょうな」
そう云うハンスの言葉に照れくささが出てしまう。
「心配性なだけよ」
私は憎まれ口を叩いてから父の手紙を読み進める。
そこには嬉しい内容が記されていた。
隣国の併合についての仕事で長く拘束されていたが一段落したのでダルセン領に顔を出すといった内容である。
「まあ! レーナ、ハンス、お父様がこちらに来て下さるらしいわ!」
「喜ばしい事ですわ! 奥様」
「何と! それはご歓迎の用意に取り掛からねばなりませんな。奥様、それで侯爵様はいつ頃にこちらへ?」
「ちょっと待って、ええと……」
私は直ぐに手紙の続きを読み始める。
『……来月の10日前後には行けるはずだ』
「ハンス、来月の10日ですって」
「おお、大体ひと月後ですな。なら、準備も間に合いましょう」
忙しいお父様にゆっくり時間を取ってもらえると考えて気分も上がる。
こちらもダルセン領の財政再建に一つの道が出来たと報告をしてお父様を安心させたい。
大仕事に区切りをつけたお父様にはこのダルセンの雄大(物は云い様だ)かつ、のどかな風景を存分に見てもらって充分に休息を取って欲しい。
『お前の方は変わりないか? お前の大好きな菓子を大量に持って行くからな』
(もう、お父様ったら)
何時まで子供だと思っているのか。
ここの文章は恥ずかしくてレーナとハンスには言えない。
『ところで重要な報告なのだが』
(ふむ、ふむ)
『実は王太子殿下が同行をご希望されている』
(ん?)
『遠回しにお断り申し上げているのだが断り切れないかもしれない』
(……)
『すまないがその時は出来る限り粗相のない様に頼む。
費用は侯爵家に回してよいので一応出来る限りの準備をしておく様に』
(ちょっと、ちょっと、ちょっと待って……)
理解不能の状況に落ち入った時、人は一瞬頭が真っ白になる。
確かに間違いない。今それを体感した。
(エゴン殿下との婚約破棄の時はそこまでならなかったから今回の方が衝撃が大きいのかな)
そんなどうでもいい事が頭をよぎる。
王太子殿下とは言うまでもなくこの国の第一王子であり次期国王。
何でそんなお方が縁も所縁も無いこの地に父と一緒に来るのだろう。
嬉しい気分が完全に吹っ飛んだ私はレーナとハンスに呼ばれてもしばらく動けなかった。




