それくらいしてくれてもいいでしょう?
第二王子との心が冷えきる再会と、父親との心の温まる再会を終えた私はその後謁見の間で国王陛下とも再会した。
とは云うものの、謁見の間は個人的な会話を交わす場では無い。
エゴン殿下の言った嫌味を私がわざわざ陛下に問いただすなどする訳がない。
殿下に私が言った事は単なる反撃の脅しである。
その場で私が国王陛下から賜ったお言葉はただ一言だけだった。
「大丈夫な様だな」
言葉の真意は分からないが陛下はご自分の中で何か納得された様に頷かれていた。
公的な場であるから単に個人的感情を隠しているだけなのかもしれなかったけどそこに善意も悪意も感じない。
一人の親として息子のかつての婚約者に何か云う事もやはり無かった。
私はただ黙って頭を下げた。
とにかく私は無事叙爵をされて正式に男爵に叙せられた。事が済んだら用はない。
私はレーナと共にさっさと王都を出てバルツァー侯爵領に向かった。
王家直轄領のすぐ隣にある侯爵領は一日かからずに着く距離である。
馬車はその日の夕方には領都のバルツァー侯爵家に到着した。
「姉さん!」
馬車の音を聞きつけたのか門番が屋敷に行く前に金髪の人物が飛び出して来た。
私は馬車から降りて弟と抱擁を交わした。
「久しぶりね、パスカル」
「本当だよ。あんな辺境なんてすぐ行けないからさ……」
2歳年下の私の弟、パスカルは人懐っこい笑顔を見せた。
母を早く亡くした我が家では弟の母代わりの存在は乳母と姉の私だった。
つまり弟は基本私に甘い、というより頭が上がらない。
幼少期の躾?の賜物である。
「お久しぶりです。リーチェ様」
「貴方もね、アーサー。また背が伸びたわね」
パスカルの横に立つ背の高い銀髪の青年はアーサー・フォン・マイアー。
侯爵領の隣にあるマイアー伯爵家の次男である。
年齢は私とパスカルの中間で私達は1歳違いの幼馴染だ。
「リーチェ様はお変わり無い様で安心しました」
「そう? これでも色々あったんだけど」
「いえ、変わらないですよ。貴方は」
丁寧な口調でそう云ってアーサーは優しく微笑んだ。
普通の令嬢ならイチコロな貴公子の微笑みも耐性が既にある私には何の影響もない。
寧ろ本人にその気は無くても、私からしたら弟の様な小さい存在が精一杯無理をして背伸びした態度を取っている感じがして微笑ましい。
私は生真面目な幼馴染に注文を出した。
「あのね、アーサー。私達だけの時は畏まらなくていいわよ。
外ならともかく家で貴方にリーチェ様なんて言われると背筋が寒くなるわ」
「寒くなる、ですか」
「アーサー。確かに姉さんの言う通りだよ。僕らの仲でしょ?」
「……わかった」
何処か不本意そうにアーサーは頷いた。
二人とも王立学園の学生ではあるがパスカルは不在がちな領主のお父様に代わって既に屋敷レベルの事をほぼ一任されている。
その事もあって王都にある学園の貴族寮と侯爵領を頻繁に行き来している訳だった。
アーサーもそのお供で遊びに来ているのだろう。
お互い年齢は重ねているもののその仲は幼少期と変わらない。
広大な屋敷の敷地内にある東屋に移動して近況を語る事にした。
ここに来るのも久しぶりだ。
よく知っている侍女が笑顔で私に紅茶を淹れてくれた。
「……それで? 姉さんの向こうでの暮らしはどうなの?」
「短い間に色々あったけれど……今は特に問題なく過ごさせてもらっているわ。
実質まだ三カ月くらいしかいなかったけれど」
「新婚早々何というか、まさかの事態だったね」
「そうだな」
珍しく遠慮がちにパスカルが口を開く。アーサーも私を気遣う素振りを見せた。
王子に婚約破棄をされたあげく別の男に乗り換えて即結婚。そして即未亡人。
世間的に見れば同情か好奇の目を向けられる立場だから無理もない。
この二人だけは単純な見方はしないだろうけど。
「あなた達は私が不幸な目に遭っている様に思っているかもしれないけど、それは違うわ」
「えっ、そうなの?」
「そうよ。よく考えて見なさい。
私が不幸になっているとしたら私が夫に愛情があった場合よ」
「……」
「ダルセン男爵を愛していた訳ではないのかい?」
あ、そうだった。
アーサーはそれこそ知る訳ないわね。侯爵家の事情だし。
「故人に失礼な物言いになるけど、そうね。向こうもそうだったからお互い様」
「……そうなのか」
どことなく弛緩した感じでアーサーが呟く。
「だよね。不思議に思ってたんだよ。
姉さんにそんな相手が居る訳ないと思っていたしいきなり僕らも知らない男と結婚するからさ。
何考えてたんだろ、父さんは」
「お父様にもお考えがあったのよ。色々とね」
私は父から聞いた事を二人に伝えた。
最後まで二人とも驚いた顔のままだった。
「はぁ~……そういう考えか。それにしても打つ手が早い」
「リーチェ、ついでに聞いていいかな」
「何? アーサー」
「リーチェはエゴン殿下に対して未練は無いのか?」
「それこそ無いわね。好きとか愛してるに変化する前で良かったわ」
万が一にもないけど。
心の中でそう付け加えて目の前で扇子をひらひらさせて私は答えた。
妻になる女性にも暗い嫉妬心を抱く陰険な男。
女性は男よりもあらゆる面で下でなければ許せない男。
それが私のエゴン殿下に対する人物評価である。
「とにかく私は今、別に不幸なんかじゃないわ。寧ろ逆。
社交界に無縁のド田舎に行って婚約破棄に関する私の噂からも離れられたしね」
「ド田舎……」
「わ、悪く言っているんじゃないわよ。誉め言葉よ。
口汚い噂にまみれた都会と違ってあそこはいいわよ。
人は優しいし、空気も美味しい。とても気に入っているの」
「「……」」
(うっかり地が出たわ。気を付けないと。
この子達の私のイメージを急激に壊しちゃいけないわ)
「……そうか。安心したよ」
「そうだね。それと、今思ったんだけどさ……何か姉さん、しばらく会わないうちに昔の性格に戻ってない?」
「そう云われるとそうだな」
「昔のって、どういう事?」
「令嬢っぽさに欠ける所。学園に通う頃にはかなりお淑やかになっていたけど小さい時は何でも結構ハッキリ言う方だったじゃないか」
そう言われてみると確かにそうだ。令嬢教育が始まる前までは。
お母様が生きていた頃は家庭教師なんてつけていなかったものね。
オマケにエゴン殿下と婚約した事で性格矯正に拍車がかかった。
「ここまであけすけに言うのはあなた達だからよ。パスカルは弟だし、アーサーも弟同然だしね」
「私も弟か?」
「不満かしら?」
「いや……まぁ、そうかもしれないけど何時までも子ども扱いしないで欲しい」
「鉄の生徒会長も姉さんにかかったら形無しだね」
パスカルがアーサーをからかう。
アーサーが王立学園の現生徒会長である事を思い出して閃いた事があった。
「そうだ、アーサー。あなた、卒業したら雇ってあげるからダルセンに来ない? 歓迎するわよ」
「えっ?」
これは冗談だ。しかし優秀な人材はいくらでもいるに越した事はない。
家督を継げない伯爵家次男とはいえアーサーは育ちの良さも能力も証明済みだ。
引く手あまたの本人が落ちぶれた男爵領で人生を送る意思があればの話だけれど。
「どういう事? 姉さん」
「私、正式に領主になったでしょう?
今のダルセンには領地運営に役立つ人材が一人でも多く欲しいのよ」
「ああ、そういう事」
「卒業後にうちに来てもいいという優秀な人材が居たらぜひ紹介して欲しいわ。
幼馴染の為にそれくらいしてくれてもいいでしょう?」
「いや、そんな事を一生徒の私が……」
「王立学園の生徒会長様は一生徒とは言わないわよ」
「……わかった。無理のない形で」
「お願いね。期待しているわ」
私はアーサーの手を取って0円スマイルを振りまいた。
アーサーは挙動不審気味に私の手を外して顔を逸らす。
やれやれ、女性とはいえ身内同然の幼馴染に慌てるなんて少しは大人になったのかしら。