第14話 ただの意地だよ
体が重い……。力が、入らない……。恐怖が死が心臓を肺を、体を、満たしていく……。世界の色が……消える。
音が……意識が……遠く……。
ゆっくりとシュンの体が傾いていく。遠のく視界の中、瞳の中に諦念を宿した、どこか寂しげなだれかの顔が映った。
『め……ぶる……な! …………お……こな……いじ……れ! ……はる……! 』
ダンッ! !
唇の端を噛みきり痛みで意識を保ちながら、足を大地に叩きつけ、倒れないように踏ん張る。
「カヒュッ! ッはぁ!」
視界が色づく。いつの間にか止まっていた呼吸が戻ってくる。
「はぁはぁはぁ」
乱れた呼吸を必死に整えながら、震えが残る手で足元に転がっていた自分の刀を拾い上げ構える。
いまだにシズカからの殺意の波動は止まっていない。気を抜けばすぐにでもさっきの二の舞になるだろう。
何とか呼吸を整えたところで視線を彼女に戻す。
視界の中の彼女は目を驚きに見開いて俺を見ていた。
「な、ぜ?」
彼女の口から問いが零れ落ちる。
「なにがです?」
何を聞きたいのかは、何となくだけど……わかる。それでも俺は彼女に問い返した。
「なぜ、踏み留まれたのですか?」
その問いに俺は目を閉じ、口元に笑みを浮かべる。
「私はあなたの命を奪うつもりで殺意を放ちました。事実あなたの呼吸は止まり、体は死と恐怖に満たされていたはずです。それなのになぜ立っていられるのですか? なぜ笑えるのです! あなたの命を、心を! 容易く殺すその恐怖に、どうして抗っていられるのですか!?」
彼女の興奮を示す様に殺意の波動が力を増す。現実を否定するように、だけど諦めたはずの何かに手を伸ばす様に、彼女は言葉を紡ぐ。
そんな彼女の問いに俺は笑みを苦笑に変えながら、答えて見せる。
「俺にも正直よくわかりません」
目を開き、彼女の瞳を見る。その漆黒の瞳に映る俺は恐怖に震え、恐怖に染まった顔に笑みを浮かべた歪な表情を浮かべていた。
「“男なら意地を張れ”」
「え?」
「昔、教えを受けた爺さんに言われた言葉です」
“目をつぶるな! 男なら意地を張れ! 春樹! ”
「“理不尽に怯え、臆病になるなど人であるなら当然のことだ”」
あの時の景色が、音が、よみがえる。
「“それを受け入れろ。覚悟だとかなんだとかそんなもん、ただの建前でしかないっ!”って」
俺の言葉を聞いて、目だけでなく口まで開けて彼女は驚きをあらわにする。
その表情に思わず同意して更に深く苦笑してしまう。
まだ少し先があるけど概ねこんな感じだ。思い出せば出すほどめちゃくちゃな言い分だと思う。
いつの間にか体の震えは止まっていた。
「だから敢えて言うなら、意地かな?」
「意地、ですか……」
「ええ、意地です。変ですか?」
「いいえ。ふふっ。まさか覚悟を問うて意地を返されるとは。良い師に出会いましたね」
そして彼女もいつの間にか笑みを浮かべていた。
が、次の瞬間には表情を引き締める。
「この試しを越えたのならば……」
彼女は刀に添えていた手をそのままに、
「後、私が視るは一つ」
ゾッと、背筋に寒気が走る。
「生き延びなさい」
感じるままに身体を前方に投げ出す。
その時には先ほどまで彼女がいた場所にその姿はなかった。
首筋に鋭い痛みを感じる。その痛みに顔を顰めながらも投げ出した身体を跳ね上げ、その場から離れ立ち上がる。
自分がいた場所に目を向けると、そこには斬撃の痕が横一文字に伸びている。
首筋に手を当てると再び鋭い痛みが!
もし躱せなかったら今頃俺の首は……。
「余所見をしていていいのですか?」
咄嗟に刀をその声の方向に振るう。
ギィン! !
「ぐっ!」
刀が上に跳ね上げられ、身体が流れる。その瞬間開いた腹に蹴りが入り、俺は壁に吹っ飛ばされ叩きつけられた。
「ぐはっ!」
肺の中の空気が全て吐き出される。だが痛みに呻く暇もなく危険を感じ、必死の思いで横に飛ぶ。
ザンッ! !
呼吸を整え、立ち上がりながら壁に目を向けると刀を横に振り切った状態で彼女は立っていた。壁にはもちろん横一文字の斬撃痕。
さっきからこの人首を狙い過ぎだろう!
「はぁはぁはぁ」
「ふむ。なかなかしぶといですね? 何か感知系のスキルを持っているのでしょうか?」
顔だけをこちらに向け、そのようなことを彼女は言う。
感知系? 必死に思考を巡らし手持ちのスキルを思い出す。危機察知スキルのことか?
「危機察知のスキル? ですが私の攻撃は危機察知では感じ取れないはず……」
そう言って彼女は目を細める。
「感じ取れない……」
「ええ。私の攻撃は危機察知では反応しないはずです。なぜなら私の斬撃を危険なものだと相手は認識できないのですから……」
認識できない? それはつまりその斬撃は危険なものではないと感じてしまっているってことか?
最初に見たあの自然な動きを思い出す。あまりに自然でその動きを見逃してしまいそうになった。
「反応のタイミングもおかしいですね? 私が動き出す前に感知しているみたいです」
ふむ、と彼女は興味深げに俺を見つめ、
「もう少し試せばわかりますか……」
刀を納刀し、彼女は壁に向けたままだった、身体をこちらに向け直す。
「ぐっ!」
まずい。このままじゃさっきの二の舞だ! 考えろ……考えろ!
最初の見逃しそうになる程の自然な動き、その後の動き出しが一切見えない攻撃。彼女が言うことが事実ならおそらく自然な動きすぎて、それを危険なものではないと認識している。隣を誰かが歩いていてもそれを自然な事と、気にしないように。
危機察知は結局のところ自分が危険だと感じるものに反応するんだろう。だから自分が危険だとわからなければ反応しない。
ではなぜ反応しているのか……。そこでふとある仮説が浮かんだ。もしこれが確かなら!
彼女が身構える。
俺はあるスキルを意識して、集中する。
「行きますよ……」
姿が消える。俺はその感覚に従って左半身を翻し半身になる。
次の瞬間、俺の左肩の関節を断ち切るように、刀を下から上へ振り上げた状態の彼女が俺のすぐ横に現れた。
「ッ!」
「はあ!」
驚愕を顔に浮かべ、驚きで一瞬身体の動きが止まった彼女に、右手に握った刀を振るう。
だが振るった時には既に彼女はそこにはいない。
視線を巡らせ彼女を探すと、俺から前方3メートル程離れた場所に今だ驚愕を顔に貼り付けながら立っていた。
「やっぱりそうか!」
興奮のあまり思わず言葉が零れる。これで少しは戦える目が出てきた!
彼女の方も一時は驚愕に支配されていたようだが、すぐに持ち直したようですでに冷静さを取り戻していた。
俺のことを見つめながら、しばらくして口元に笑みを浮かべた。
「素晴らしいですね。あなたはこの短い時間で自身の持つ力を理解しつつある」
彼女の口元の笑みが深くなっていく。
「もう少し、力を入れていきますよ?」
その言葉に俺は冷や汗を増やしながら、更に集中していく。
先ほどの彼女の動きを、呼吸を、視線を、気配を思い出せ!
もっと深く、もっと静かに……
「すぅー、はぁー」
呼吸と共に意識を集中の海に沈めていく。視界の中の彼女の動きが徐々に緩やかになって行く。
殺意を鮮明に感じ取っていく。
彼女が、殺意が動く。その殺意は……刃の形をしていた。
『刀には魂が宿る。刀とは己の心を映す鏡である』という言葉がある。もしかしたら誰しも一度は聞いたことがあるかもしれない。
この言葉は現実では一種の比喩表現として使われている。
心が迷えば、技も鈍る、と。
だがこの世界ではそれが比喩ではなく、現実のものとなっていた。
迫る刀に彼女の殺意を感じる。彼女の心が、視える。おそらく感応のスキルがまた良い仕事をしてくれているのだろう。意識して使い始めればその精度は更に上がる。
感応が殺意を感じ取っているから、危機察知が反応する。
彼女自身に殺意は全く感じられない。自然そのもののようにそうあることが当たり前であるように、草原に吹く風ように……。そこにある。
俺に彼女の動きなんて見えていない。気づけば彼女はそこにいて刀が振るわれている。始端が視えない。始まりが認識できない。気づけば終わりだけが残っている。
それでもそこには確かに彼女の思いが道を作っている。
今はそれこそがそれだけが彼女へ俺に残された道標。
迫る殺意の通り道からできる限り最小の動きで身体を退かす。
身体を後ろへ。目の前を殺意の刃が通り過ぎていく。
右半身を下げて半身に。横を殺意の刃が通り過ぎていく。
ほんの少し頭を下げる。上を殺意の刃が通り過ぎていく。
動く。躱す。動く。躱す。動く。躱す。動く。躱す。
動くほどに俺の意識は深く……深く集中の海に沈んでいく。
彼女の斬撃を幾度躱しただろう? 少なくとも十は躱しただろうか……?
ここまで一度も反撃は出来ていない。
彼女の動きに淀みはない。彼女の技に形はない。激しく、それでいて不安を感じさせない安定感がある。
まるで清らかな水が流れていくように、自由に吹き抜ける風のように、激しく燃え盛る火のように、すべてを受けとめ受け入れる大地のように、刀を振るい身体が動く。
まるで彼女が自然のものであるようにその呼吸は命の息吹を感じさせる陽だまりのようで、その瞳に見える魂は恐怖と共に安心を齎す。
だが、その彼女の全てはただ当たり前にそうあるゆえになにも感じ取れない。
そこで気がついた。そうかこれが、これこそが神通流!
自然を体現する者。自然とは世界であり自分自身でもある。
彼女の動きが自然なものであると感じたのは、当然のことだったのだ。なぜなら人は自然のものでありながら、自身を自然のものとして見ていない。
だが彼女は違う。彼女は自身を自然そのものとして完全に体現している。そう自身を認識しているとかそんな程度のものではない。
文字通り気配が呼吸が動作がその在り方そのものが自然と一体になっている。
意識せずとも、ただ彼女が動けばそうなるのだ。そんな彼女の在り方そのものが技と言ってもいい。
ーとんでもないなー
最初感じたそれよりさらに強くそう思う。感応スキルなんていう本来なら自然の中に当たり前にあるかもしれない、けれど誰も感じ取ることができない、『ないはず』のものを感じ取る力。こんな文字通り神様のギフトとでも言うべき、とんでもスキルがなければ絶対に対処なんかできなかった。
……扱いの難しさはこの際横に置いておく。
いつのまにか彼女の攻撃は止んでいた。
「合格です」




