03
意識は既に覚醒している。
だが視界がぼやけており、目視で確認することは出来てはいない。
しかしハッキリと分かるのは、体中に伝わって来る冷たい感触。
そして鼻孔に抜ける懐かしい臭い、それは泥であろうと気が付く。
水気が不規則に落ちては、自分の頬を伝い垂れ流れている。
周囲の音からから察するに、今は雨が降っていて、それを只々浴びている状態である。
とにかく寒く凍えそうだ、体を裂く様な寒さから身を隠そうと思いつつも、体が重く中々力が入らない。
「なぁー!コイツまだ生きてるみたいだぜ、どうする?」
「そんなの売れねえよ、勝手に死なせておけ。」
誰かが近くで会話しており、俺について話しているのが何となく分かる。
その時ようやく、視界のピントが正常になり、目の前に誰かの足が見えているが、直ぐに去っていってしまう。
そうか、俺は今の今まで倒れてたのか。
視界一杯に、剥き出しの地面が至近距離に広がっていて、その態勢の低さがそれを物語っている。
そして少し離れた場所に、一本の茎から二つの花を持つ彼岸花が咲いているのを見た。
同時に視界の端から、カラスがトコトコと歩いて来て、一瞬俺の方を見たが直ぐに飛び去ってしまう。
あのカラスはもしかして・・・ヤタガラスだったりなんかして・・・
だがそれよりも何よりも、異様なまでの喉の渇きに気が付き、呼吸する事も難しい。
口の中は枯れあがった様に水分を感じず、唾液も出てこない。
何とか手を動かし、頬に垂れてきていた水を集め舐める――しかしこんな事では足りない。
右腕で少しだけ状態を起こし、辺りに水源が無いかを確認する。
すると目の前に水溜まりを発見し、這いずってそこまでゆっくりと近づいて行く。
水溜まりは誰かが踏んだ後で、茶色く濁っておりとても飲む事は出来そうに思えない。
現代日本で育った自分には、決してあり得ぬ行為だが、なんとか水分補給しなくてはいけない。
これを飲むと言う行為に対し忌避感が強い。
だが飲まなくては、また死んでしまうかもしれない。
それに見渡した限り、近くに妹らしき影は見えない。
探さなくてはいけないのだ、合流するにはこの渇きを少しでも癒し、体を動かさなくてはいけないのだ。
泥水に口を付け、一気に吸い上げ飲みだす。
それはそれは酷い味で、ジャリジャリとしている。
例えるなら、転んだ時に砂が口に入った時の様な、そんな感覚を覚える。
だがまだ足りず、もっと飲まなくてはと思い、口いっぱいに泥水を含み鼻を摘まみ、一辺に飲み込む。
そして気付いた時には、水溜まり全てを飲み干していた。
こりゃ絶対明日、腹を下すやつだ・・・間違いない。
近くの壁に手をつきながら、何とか立ち上がり、そして自分の状況に気が付く。
腕はやせ細り、手も一段と小さくなっている。
服は黒づんでおり服の臭いなのか、自分が臭いなのか分からない――だがとにかく自分の体臭がキツイ。
長くボサボサの髪の毛に、視点の高さから明らかに子供の肉体。
相当劣悪な環境で、今後生活していく事になりそうだ。
ふと背中とズボンの間に枝が挟まった様な、違和感を感じ右手で探る。
するとそこには、鞘に入った小さな果物ナイフが入っていた。
念の為、ズボンのポケットなども探ったが、コレと言って特に金銭などが入っている訳ではない。
けれど、こんな小さなナイフでもないよりかはマシだ。
あぁ天照様・・・このナイフだけでも素晴らしい贈り物です、ありがとうございます。
胸の内で密かに祈っていると、そこに突如として、子供の悲鳴が聞こえて来る。
同時に男の怒号も耳にし、妹かも知れないと考え、声のした方へ駆け出した。
体力が完璧に回復したわけではない、だがもしも凛ならば助けなくては―――
でなければ新しい生を受けた意味もない。
悲鳴が聞こえた道の先には中肉中背の男が二人いて、右側の男が大きな麻袋を肩に背負っている。
それはモゾモゾと芋虫の様に動いており、中に人が入っているのは明白である。
近くにあった投棄されたであろう木箱の裏に潜みながら、その二人を更に観察する。
一方の男は先程、目の前に立っていた人物と同じブーツを履いており、売るだの何だのと話していたのを憶えている。
人攫いか、何かだと考えて間違いないだろう。
だが彼等が、何か凶器に成り得る物を持っていても可笑しくない。
確認しようにも背を向けている為、判別が出来ない。
「離しなさいよ、糞野郎!こっから出せ!」
「暴れんなクソガキ、殺すぞ!」
「あぁ、上等よ!袋に入れないと、人も殺せないチキン野郎が何をするってぇ!
お巡りさぁ~ん!ここにとんでもねぇケツメド野郎がいますよ~!」
間違いない、袋の中身は凛で間違いなかろう。
彼女がキレた時は、いつも同じ様な啖呵を切っていたのを憶えている。
出来る事ならこんな事で判明したくはなかったが、結果オーライだと考えよう。
だがどうやって助けるべきか、辺りを見渡し使えそうなものを探す。
すると隠れていたこの路地には、ゴミが集められていた――けれど今は鬼気迫る状況、それ故に探す時間があまりにも惜しい。
数秒考えた結果、今隠れている木箱に目を付け、そこから角材を回収する事に決めた。
角材はビスで固定してある、その為木材の隙間にナイフの切っ先を突き刺し、転がっていた石で叩いて食い込ませる。
そしてテコの要領で手前側に押し上げ隙間を作る。
もう片面も同じ方法で浮かせてから、箱の上に乗り両足で蹴って、なんとか角材を取り外す事に成功した。
いざと言う時の為に、ナイフを歯で噛んで咥えて備えておき、角材を左手で拾い上げ走り出す。
角材は凡そ60cm弱の長さで、この体でも結構短く感じる程である。
さて、どちらから攻撃を加えるか、最初の一撃目が肝となる。
痩せ細った非力な肉体、明らかな身長差、そもそも大人相手に子供の体で勝てるとは思えない。
自分の腕と角材の長さを考えるに攻撃範囲も小さい。
しかしやらない訳にはいかない!
左手で角材の根元を持ち、右手を沿える。
そして脇構えの態勢で、相手を殴れる射程圏内へと入る。
まず先に袋を抱えた男へと目標を絞る。
背後からの奇襲は気付かれる事無く、左膝裏に角材を横薙ぎに叩き込む事に成功した。
すると男は体制を崩し腰が下がり始める、このまま角材を膝裏にあてがっていると、尻と膝に角材が挟まり抜けなくなる。
直ちに角材を引き戻しつつ、両手持ちのまま角材を右肩に担ぎ、標的を中心に逆時計回りで男の正面に回り込む。
男の膝が地面に着き、咄嗟に衝撃を受けた左後方へ振り返るが―――そこに俺を見つける事は出来ない。
しかしピチャピチャと泥を踏んで走る音を聞かれてか、相手の顔が正面を向いた。
だが角材を予め担いでいた事により、最短で中段に構えることが出来ている。
男は瞬間的に状況を理解し袋を投げ捨てて、懐に右腕を伸ばそうとしたが、今から放つ三連突きには対応できない。
突きは確実に相手の喉仏に叩き込まれ、人攫いは喉元を抑えつつ、唸り声を上げて倒れ込んだ。
「おめぇさっきのガキ!」
角材を次の相手に向けつつ、地面に転がる袋に後退りし、咥えていたナイフで袋を斬り裂く。
「商売の邪魔すんじゃねえ、大人しく死んでろ!」
「うるせえ、今の今まで死んでたわ!二回も三回も死んで堪るか、クソボケ!」
袋からガサゴソと音が聞こえており、外に出ようとしているのが分かる。
背後に一瞬目を向けると、黒髪の女の子が外に出て来ており、彼女と視線がかち合う。
恐らく妹であろうと考えつつも、念の為聞いておくことにする。
また相手に意味を悟られない様に日本語で話すと、向うも察して日本語で返してくる。
『リンだよな?』
『うん!』
すると彼女は左手の甲を右拳で二回叩いている、それは昔懐かしい合図で、直ぐにその意味を思い出した。
『それ懐かしいな、やってみ。』
『へへへッ!いいね、分かってんじゃん。』
俺は今しがた走って来た道をゆっくりと後退りする、凛も同様に俺の背後を歩いている。
男は懐から黒い鞘に納められたナイフを取り出し、逆手でそれを構えた。
そして初めに一撃加えた場所まで戻ってきて、角材を中段に構えて相手の動きを伺う。
すると背後では、凛が走り去る音が聞こえている。
「女だけ逃がそうって事かよ、面倒臭え!」
「愚痴ってねえで掛かって来いよ、おめぇ玉付いてんのか?」
「この野郎・・・殺してやる。」
挑発が効きた男は、ナイフを構え一直線に走り出した。
それを動く事無く正面に捉え続け、右手で合図を送る。
更に後方からも走る足音が遠くから近づいて来ている、それで合図が伝わったのを確信する。
凛の提示した作戦を実行するには手にした角材が邪魔な為、男に投げつけて手ぶらにし、そのまま両膝立ちになる。
そして背中はしっかりと伸ばし、背後で両手を絡め合わせ踏み台を作る、後は待機するだけであるが――高さが足りない。
『待て!高さが足りてない!』
『大丈夫!アタシに任せて!』
凛は右足で俺の手を踏みつけ、左足で肩へ駆け上った。
既に目と鼻の先には男がナイフを振りかぶっており、命の危機を感じる。
しかし凛は中止しようとはせず、駆け上った勢いのまま相手の顔に飛び掛かり、顎に膝蹴りをお見舞いする。
更に追撃が続き、相手の首に足を絡ませ、左手で髪の毛を掴むと右の拳を叩き込む。
振り切ろうとした拳の後には、エルボーも放たれた。
この攻撃が、男をダウンさせる最大の一撃となる――これぞ凛の十八番、拳と肘を絶妙な角度でぶち当てる事により、相手に脳震盪を起こさせる技だ。
危惧していたナイフは到達する事なく、男はピクピクと痙攣し初め、そのまま仰向けに倒れてしまった。
「おい、流石にやり過ぎなんじゃ。」
「大丈夫でしょ、一応これでも手加減してるし。」
「そうかぁ?・・・まぁ何にしても、再会出来て良かった。」
「うん、来てくれると思った!」
驚くべき事に、凛が抱きついて来たのだ。
何時から我が妹がこれほど丸くなったのか分からないが、とりあえずこちらもそれに応えておく。
軽く右腕を背中に回し、二回ポンっと叩く。
しかしどことなく恥ずかしさが込みあがって来る。
「なぁ~そろそろ逃げた方が良くねえか。」
「そ、そうだね、でもその前に。」
凛が殴りかかった男の懐から、革の袋を取り上げる。
「そりゃなんだ?」
「アタシのポケットに入ってたのよ、けどこのクズに取られたの。」
「へぇ~財布かな?」
「取り敢えず、逃げてから確認しましょ。」
「だな、そうすんべ。」
遂に合流がなされ、俺達は雨の降りしきる中、この場を後にするのであった。
こいつらクズの所為で出鼻をくじかれたが、まずはこの場所や世界について知るとしようじゃないか。
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