少女 群野 芽郁(グンノ メイ)
わたしにはとても大事な幼馴染がいる。
牙城 狼。
名前は厳ついけど、オオカミじゃなく何時もほんわかとしている子犬系男子。
最初はただの大好きなお友達だった。
彼の両親とわたしの両親が幼馴染同士でとても仲が良く、家も隣同士でお互いに泊まりあったりして姉弟の様に育ってきたのだった。
そんな彼、ローくんを異性として好きになったきっかけは、飼っていた犬のラッキーが死んだ六歳の頃。
あの日、ラッキーに会えない寂しさで泣いてるわたしの頬を伝う涙をローくんがぺろりと舐めてきたのだった。
泣いてるわたしをラッキーは生前そうやって慰めていた。
そのラッキーと同じ行動に驚いて泣き止んだわたしの手をローくんは握りしめてきた。
「メーちゃん、もう泣かないで。ラッキーの代わりにはなれないけど僕が一緒にいるから。ずっと一緒にいるから!」
幼かったわたしはその真剣な眼差しに恋に落ちたのだった。
ただ、わたしとローくんの関係は幼馴染のままだった。
傍から見てる友人達にローくんは、オマエはメイのお母さんかっ!?と言われる事もあったが、仲の良い幼馴染のままだった。
……ご飯の時に学食のメニューで好き嫌いしたら食べるようにやんわり説得してきて、さらにわたしが嫌いなその食材を美味しく食べれるようにってお弁当を作ってきてくれたり、寝癖をそっと直してくれたり、ニキビができているのを見つけてこっそり食べた夜食のおやつを注意してきたり、糸がほつれているスカートの裾を縫ってくれたりとか、そんなところがお母さんと言われる所以なのだが、そんなお節介なところもわたしを大事に思ってくれている証拠なので嬉しかったのだった。
ある日、友人に言われたんだ。
「牙城くんってホントにメイの事大好きだよねぇ」
「いきなり何っ!?」
「メイといる時の牙城くんって、シッポを千切れそうなほどの勢いで振っている子犬の幻が背景に浮かぶんだよ。本当にすっごいスキスキーって感じで」
本当に?
でも、その好きは、わたしがローくんを好きな気持ちと一緒なんだろうか?
ただの友愛かもしれない。
だからわたしは、ローくんに女性として意識をしてもらえるわたしになるために努力をした。
見た目はもちろん、勉強も頑張った甲斐あって中学校の卒業式に卒業生代表の挨拶をしたり、複数の男子から告白されるほどのわたしになれたのだった。
もちろんこの努力は全てローくんのためなので、全員ゴメンナサイしたよ。
モテだしたわたしを見たローくんが少しは嫉妬して異性として意識してくれないかな?と考えてしまう自分はずるいのかもしれない。
告白して、友達としか見れない、とか言われちゃったら今の関係ではいられなくなる。
そう思うと勇気が出ない。
だからわたしはローくんに異性として好きになってもらえるように努力をするのだ。
そしてついにその日がやって来たのだった。
高校生になって少し大人びてきてわたしよりも背が高くなったローくんが帰り道の途中の公園で、急に立ち止まってわたしの手を掴んできた。
「ど、どうしたの?」
ローくんは熱を帯びた少し潤んだ瞳でわたしを真っ直ぐに見つめる。
「メーちゃん……。僕、僕……ずっとこの関係を壊したくなくて我慢してたけど、もう無理だ」
頬を赤らめるその姿にわたしの心臓が激しく飛び跳ねる。
「メーちゃん、僕は君を愛しています。他の男なんかに渡さない!僕のモノになってください!」
夢にまで見たローくんからの告白に思わず涙が溢れてくる。
「よ、喜んで」
嬉しすぎて言葉が上手く出てこないわたしの顔にローくんはそっと唇を近づけてきて、あの頃のようにぺろりと頬を伝う涙を舐めてきた。
「あの日泣いてるメーちゃんにこれからもずっと一緒にいるからって約束した日から待ち望んでいたんだ。もうこの衝動を我慢しなくてもいいんだよね?」
耳元で囁かれる台詞といつもより低い声に背筋がゾクッとした。
「もちろん、しなくていいよ。……わたしもあの日からローくんと恋人になれる日を待ち望んでいたから」
「じゃあ、僕はもう我慢しないよ。メーちゃんのとこの両親と僕の両親、明日から一緒に旅行に行くから、メーちゃんは僕の家に泊まりに来ることになってるでしょ?……覚悟を決めて来てね?もう十年待ったんだ。これ以上は我慢出来ない。僕は明日の夜、メーちゃんを美味しく食べさせていただきます。メーちゃんが悪いんだよ。あまりにもキレイになっちゃうし、良い匂いを放ってるし、僕の理性は限界なんだ」
囁きながらそっと抱きしめてくるローくんに心臓が爆発しそうになる。
「ロ、ローくん!なんかキャラ変わってない!?子犬系って言われてる何時ものローくんは何処!?」
一瞬真顔になったローくんはすぐにイタズラっぽい笑顔を浮かべる。
「僕は子犬じゃなくて狼だからね。君を食べたくて仕方がないんだよ」
ああ、きっとこんなローくんを知っているのはわたしだけなんだ、と思うと嬉しすぎる。
「……わかった。明日は覚悟を決めてローくんの家に行くね。すごく恥ずかしいけど、わたしもローくんと一つになれる日を夢に見るほど待ち望んでいたんだよ」
そしてそのまま勢いでローくんの唇に唇を重ねるのだった。
しばらくして、唇を離した時にローくんの数メートル後ろに顔を赤くしてこっちを見ているパトロール中っぽいカズ兄の姿があるのに気づいてしまった。
昔から知っている近所のお兄さんに、初めてのキスシーンを見られていた恥ずかしさに、わたしはここから逃げる事しか考えきれなくなっていた。
「あ、あ……えっと、それじゃ明日ね。わたし、先に帰る!!」
その場を逃げ出すように走り出したわたしには、ローくんがその時浮かべていた表情を知る日が来る事は永遠になかった。
「メイちゃん」
「……あ、カズ兄」
家につく直前にカズ兄に声をかけられた。
さっきの公園で目撃されてしまった事が恥ずかしくて思わず視線をそらしてしまう。
「ロウくんと付き合い始めたんだね。子供の頃から知ってる二人がねぇ。時の流れの早さを感じちゃうなぁ」
「ヤダ、カズ兄おっさんくさい」
思わず正直に言っちゃうとカズ兄は苦笑する。
「メイちゃんより二倍ちょっと生きてるからおっさんくさくても仕方ないだろ?そうだ、記念にプレゼントをあげようか。前に二人で家に来た時にメイちゃんが欲しがってたオルゴール」
「えっ?いいの!?」
「いいよ。じゃあ今あげるからおいで」
カズ兄はわたしに手招きをしてそのまま自分の家に入っていく。
「カズ兄仕事中でしょ?いいの?」
「いいのいいの」
「もー、パトロール中にサボりだなんてダメ警官なんだから」
「…………そうだよ。私は駄目な大人だからね」
その後の事はよく理解出来なかった。
痛みと恐怖。
罵声と拳がわたしに振ってくる。
抵抗して引っ掻いたり藻掻いたりしていると首に手がかけられた。
ああ、ローくん、ローくん。
わたしは貴男のモノなのに、もうダメみたいです。
ごめんなさい。
息が出来なくなり、だんだん視界が暗くなっていく中、わたしはずっとローくんに謝り続けていた。
最後に見えた光景は窓から覗く殆どまん丸に近い月だった。
ああ、そういえば明日は満月だったなぁ、と思ったのを最後にわたしの思考は闇に溶けた。