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第二章 二十二話 暗い欲望と交渉と

 西の地平線に陽が触れ始めている。

 世界がすっかり赤く染まった黄昏時、ハクは一人、小さな小山を背に、やはりふらふらとした足取りでひたすらに南へと向かっていた。

 

 あの小山の内側で、随分と時間を取られてしまった。

 どう考えても日没までに、仲間である彼らと合流出来そうにない。


「いやいや……今夜は野宿、か」


 ハクは憂鬱に独りごちる。


 どうにも彼女は野宿を好きになれなかった。

 地面そのものな寝床で眠りにつけば翌朝体の節々が痛くなるし、お構いなしに耳元でぶんぶんと飛び回る羽虫どもによって、安眠を妨害される。


 それらに今のご時世が加わるのだ。

 そこかしこに息を潜めている、ごろつきどもを警戒しながら寝なければならないときた。

 いくら使役魔法でいくらかは警戒の負担を減らせるとはいえ、とれる睡眠は浅いものにならざるを得ない。

 こんな境遇で眠るなんて、まるで拷問ではないかとすら、ハクは思っていた。

 故に野宿が好きだと公言する、彼女の腐れ縁にある彼の嗜好は、彼女の理解の範疇をまったく超えていた。


「とにかくまずは……連絡を入れないと」


 彼女は懐から水晶を取り出した。

 透明度の高い、澄んだ水晶だ。

 ただの水晶ではない。

 同じ代物を持つ対象の魔力を想起し、自らの魔力を水晶に込めることで、遠隔地での会話を可能とする魔道具である。


 とてもではないが活発な気性とは言えず、加えて出不精である自分が、いつまで経っても帰ってこないというのは、相手の精神衛生上よろしくないだろう。

 今から話さんとしている相手は、お気楽であると同時に、彼が身内認定した相手に対しては、とても心配性でもあるのだ。

 長い付き合いのある身として、その不安を払ってやる責任があろう、とハクは思った。


 そのためのこの魔道具である。

 野宿するから心配するな――そう一言入れるだけで、帰りを心配する者のそれは、随分と和らぐもの。

 彼の不安を払拭させる、そんな一言を伝えることの出来る、この道具。

 これを作った者に対し、ハクは内心で盛大に褒め称えた。

 苦しゅうない。褒めてつかわそう、と。


 そして迷いなく、ハクは魔力を込めて、腐れ縁の魔力を思い浮かべる。

 しばらくの間の後、ぶつりと水晶は音を生み出すために、その身を震わした。


「ハクか?」


 開口一番名を呼ぶ男の声がした。

 予想通りいつものお気楽な声色は鳴りを潜め、心配そうな音であった。


「うん。そう。悪いね。こんなになるまで連絡しないで」


 いつも通り、気のない返答をハクはした。

 その様子に特に大事ないことを悟ったらしい。

 水晶の向こうから小さく安堵の吐息が聞こえてきた。


「まったく……心配したぜ。ただでさえ引きこもりのお前が、外に出ただけでびっくりなのによう」


 滅多に見せない、ハクの過失を、どうやら彼は最大限楽しむことにしたらしい。

 ここぞとばかりに引きこもり、と普段のハクを揶揄する言葉を投げかけた。


 彼のくせになんと生意気な。

 ちょっとした悔しさを彼女は覚えた。


「……随分な口じゃないか」


 とはいえ、引きこもりなのは覆し難い事実だ。

 反論のための言葉が、一切思い浮かばず、今回は彼の勝ちだと素直に敗北を認めた。


 が、このことを一本取られた、と天晴れに思うつもりはない。

 そこまで彼女は気持ちのよい性格をしていないのだ。

 ハクはしっかり胸の内にこの恨みをしっかりと刻み込む。

 後で覚えておけよ、君をなじる機会を得たら、何倍にして返してやる、と静かにハクは復讐を決意した。


「……あのー、なんだか逆恨みしてません? ハクさん? なーんか背筋が凍るような寒気がするんすけど……」


 普段は頭が回らないくせに、相変わらず、自分が後々怒られそうな空気を察する能力は、無駄に長けているな。

 なら、その力を逆手にとって、もっと恐怖を覚えてもらおうじゃないか。

 ちょっとした逆襲をハクは試みた。


「いいや? 気のせいじゃないかな」


 努めて冷たい声を水晶に浴びせかける。

 我ながらいい役者だな、とハクは思った。

 今の言い方。誰がどう聞いても、私は怒ってますよ、と解釈するに違いない。


「そ、それよりもだ。どうだったんだ?」


 そして彼は、彼女の目論見通り、ハクを怒らせてしまったと思い込んだらしい。

 しどろもどろになりながらも、不器用に話題を変えようと試みた。

 どうだと彼が問うのは、この外出の目的をしかと達成出来たかどうかについてである。


「ああ、うん。間に合わなかった。ゴブリン。再生教徒たちにやられちゃってねえ」


「あらー……そいつは」


 ついてなかったな、と彼は形ばかりの同情を示した。


 ハクがあの小山に踏み込んだその理由。

 それはそこに根を張るゴブリンを調査するためであった。


 どうにも知恵を働かせるゴブリンが生息しているらしい――


 その情報を耳にした時、ハクはいてもたってもいられないほどに、知識欲を刺激されたものだ。


 ゴブリンはほとんど獣と同じで、本能によって動くはず。

 そのことはハクもとてもよく知っていた。

 にもかかわらず、知恵を働かせるとはどういうことか。

 これは進化か?

 ならば何が原因で?

 知りたい。

 是非とも捕獲して、調べなければ。


 運動音痴なんだから、頼むから無茶なことはしないでくれ。

 そんな彼の懇願も耳にせず、おぼつかない足取りで小山に向かったハクを待ち受けたのは、すでに死体と化した件のゴブリンたちであった。

 

 考えてみれば当然だ。

 あの一帯は向こう側の人類の勢力圏。

 そこに急に彼らに仇なす魔物が巣を張ったとなれば、とてもではないが、気が気ではあるまい。

 ただでさえ大災害によって、生活基盤が滅茶苦茶になっているのだ。

 これ以上生活を荒らされてたまるかと、速やかに排除してしまうのは自明であろう。

 

 かくして目的を果たせなかった彼女であるが、まったくの収穫がなかったわけではない。

 向こう側の人類との協働を持ちかけ、そしてそれに成功するという体験は値千金の収穫と言えよう。

 少なくとも危機に立ち向かうためには、相手が再生教徒であっても、協力することができることが証明されたのだから。


(それに)


 知恵あるゴブリンと同じくらいに興味をそそられる事象も、この身で感じることもできた。


 ハクは思い返す。


 魔力の同調のために胸に抱いた、小柄な黒髪の人物のことを。

 ツカサが用いた魔法のことを。


 ツカサの魔法の腕は悪いものではなかった。

 同調して直接感じた限りでは、魔力も決して少なくはないし、魔法の威力も十分。

 そして、想起から発生までのタイムラグがそこまでなかったことからも、ツカサが質の劣った魔法使いではないことは疑いない事実であった。


 とはいえ、決して秀でたものでもなかったのもまた事実。

 使える属性は極端に偏っていたし、単発術者であることから、優秀な魔法使いとはとてもではないが言い難い。


 魔法使いとしては凡庸の域を出ていない。

 それがハクが下したツカサの評価であった。

 この世界に掃いて捨てるほどに居る、ごく普通の魔法使いの、その内の一人。

 故に希少性はまったくなく、本来であればハクが興味を抱くほどの人物ではなかった。


 そう、魔法の実力でツカサを見た場合であれば、である。

 しかし、その身に宿した魔力の質に目を当てたとき、ツカサは特徴のない平凡な魔法使いから、極めて特異な存在へと変貌を遂げる。

 

 魔力は消費した時、使ったそばから、とてもゆっくりであるけれども、回復し始めるものである。

 これは必然の法則なのだ。

 魔力は生命が生み出すエネルギーの一つである以上、生きている限り、使った分は必ず元に戻る。

 失った血が体内で、再び生み出されるのと同じだ。

 物が重力に引かれて落下するように、生物には生死が宿命づけられているように、決して覆らない世界の理の一つ。

 彼女はそう教えられてきた。


 だがツカサは違った。

 確かにそこに生きているはずなのに、減った魔力が一切回復する気配がなかったのだ。

 その身で世界の根源に接続しているはずの理を破壊して見せたのだ。


 あり得ないことが目の前で起きている。

 その事実にハクは驚愕した。

 そして。

 

 知的なゴブリンを知ったときに覚えたものとは、比べものにならないほどの強い興奮を覚えた。


 自分が知り得ないこと。

 いや、世界にとっても未知の現象が自分の腕の中にある!

 ああ、ああ。

 知りたい!

 今すぐに解明したい!

 そのために今すぐツカサを持ち帰りたい!


 まして世界が崩壊しかかったこのご時世。

 今を逃しては互いに生きて再会できぬかもしれない。

 なら、なら!

 攫わなくては!

 今すぐに!


 そんな暗く黒く抗い難い欲求に駆られた。

 いや、人外の強さを誇った、レイチェルというあの聖堂騎士が居なければ、きっと欲望のままにツカサを連れ去ったに違いない。

 思えば、知恵あるゴブリンの親玉を葬り去ったのはレイチェルであった。

 おまけに、どうにも彼に貸したオーク達、その全てを潰してしまったのも二人の仕業であるらしかった。

 詳しくは知らないが、実力から推測するに、レイチェルが大活躍してしまったに違いない。


 彼女が居なければ……そう彼女が居なければ。

 万事思い通りになったのにな、と、ハクは悔しさに満ち満ちた舌打ちを内心で打った。


 しかし、物は考えようとも言う。

 あの化け物そのものな彼女のそばにいるのであれば、ツカサの身はまず安泰と考えてもいい。

 生きてさえすえば、再会できるチャンスはいくらでもあるのだから、この点では彼女に感謝すべきだろう、とハクは自分に言い聞かせた。


 とは言え、ツカサの身に関して懸案事項がないわけでもない。

 しかも、その懸案とやらは、案外ハクの近くにあったりもした。


 ハクは彼と、そして彼が集めた数多くの、向こう側の人類である仲間たちと、腰を据えることが出来そうな場所を求めて流浪していた。

 いずれも元の住んでいた土地を災害によって破壊され、生存のために移住を余儀なくされているのだ。


 とは言え、ハクと彼は魔族、仲間たちは再生教から迫害を受ける異教徒。

 再生教勢力地では、難民として受け入れる街などありはしない。

 魔族の勢力地は完膚なきまで破壊され尽くされており、ハクと彼が口利きをして仲間たちを連れて行くことも出来ない。

 災害によって潰れた廃墟と化した街はいくらでもあったが、とてもではないが人が住むに耐えられるものではない。


 と、なれば方法は一つしかない。


 襲って奪うのだ。

 生きた街を。

 再生教徒の街を。


 懸念とはつまり、ツカサが住む街を襲ってしまうということだ。

 確かツカサはカペルという街に身を寄せていたのであったか。

 荒事に関しては彼に任せている。

 とにかく襲おうとしてい街の名を聞いてみようと、ハクは思った。


「ところで、さ。一つ聞いていいかな?」


「おう。なんだ」


「拠点にするに丁度いい街を見つけたって、こないだ言ってたよね? その街の名前、なんて言うんだい?」


「ああ。確か……カペルって言ったか」


「……ビンゴー」


「え?」


 まさか、本当に自分の近くにツカサにとっての危機が存在しようとは。

 念のため聞いておいて良かった、と、ほうと安堵の息をハクは吐いた。


「悪いんだけどさ。襲う街、別なところにしてくれないかい?」


 一瞬の間の後。


「……はい?」


 間の抜けた声が返ってきた。

 単純な彼のことだ。

 それに込められた意味は、間違いなくシンプルに一つだけだろう。


 いやいや、ご冗談でしょ? ハクさん?

 きっとこれだろう。


「実はね。ゴブリンの巣でちょっと面倒事に巻き込まれてさ。その時力を貸してくれた人がそこに住んでるんだよ」


「えー……嘘でしょ? だって、カペル。教会の街だよ?」


 そこの住んでいる人が、俺たち魔族を認めることなんて、ありそうにないけど?

 言葉には出してはいないが、彼が真に言いたいことはこれであろう。


「確かにカペルの聖堂騎士はすごい堅物で、嫌悪丸出しだったけれども。でも、もう一人はそうじゃなかったんだ。頼むよ、死なせたくないんだ」


「そうは言いましてもねえ。別の街を見つけるとなると……もう、野郎どもにいいとこ見つけたぞ、って言いふらしちゃいまして……」


 ぐずる彼が懸念するのは、襲撃中止の報が仲間たちの不満の種になるのではないか、という点であろう。

 信仰の違いから迫害を受けているという共通点はあるものの、彼が集めた仲間たちも、結局は向こう側の人類に他ならない。


 言を翻す姿を見て、やはり所詮は魔族か。

 信用ならぬ、と思われれば、それはこの同盟が瓦解する切欠になりかねない。


 それを防ぎたいが故の彼の反応である

 至極もっともなものである。


 しかし、だからと言ってハクも彼に同調するわけにはいかない。

 ここで認めてしまえば、ツカサが死にかねないのだ。

 顔見知りが死ぬのは目覚めが悪いし、なにより好奇心をくすぐる対象に死なれるのは困る。


(なら、仕方ない。奥の手を使うまで)


 あまりに姑息な手段が故に、あまり使いたくはなかったが。


「……君が見事に潰したオークの話だ」


 短く小さなうめき声が水晶から聞こえる。

 それは間違いなく、動揺の気配。


「意外とね。オークの調達費って高くつく。君に貸した数で……そうだね。大体君の年収レベルはするもんだ」


「……」


 動揺の気配が絶句の気配に変わった。

 そんな高いものを見事にぶっ潰したのか俺は。

 薄々、ハクの言いたいことを予測できたのであろう。

 ごくりと水晶からつばを飲み込む音が聞こえてきた。


「まあ、私と君の仲だ。二つの返済プランを用意してあげよう。利子ありか利子なしか。ま、こっそりと第三の選択肢もあるにはあるけどね。返済なしってやつ。ただ、今のままじゃ選べないけど」


 第三の選択肢を希望するなら、それなりの忖度をせよ。

 言外に彼女はそう彼に語り掛けた。


「……はい。わかりました……カペル襲うの、やめます」


「ん。よろしい」


 結局、彼は莫大な借金を帳消しにする方を選んだ。

 ハクにとってはめでたしめでたしである。


 勿論、めでたいのはハクだけだ。

 彼にとっては頭の痛い事態であることは間違いない。

 どう仲間たちに襲撃中止を告げ、どう説得しようか。

 ない頭で必死に考えていることだろう。


「しかし、私だって悪魔じゃない。代替案を教えて進ぜよう」


「悪魔じゃないって、どの口が言いやがりますか……」


「まあ、聞いてよ。カペルから離れたところにジェノという街があるだろう? そこを襲いなよ」


「ジェノ? 確かに候補だったけど、カペルより堅牢な壁持っててよ。普通に苦労しそうなんすけど……」


「まあ、だまされたと思ってさ。攻囲中にこう叫ぶんだ。話が違う。まだ応じないのかってさ」


 水晶の向こう側で、怪訝な顔で首をかしげているのだろう。

 何を言いたいのかさっぱりわからぬ。

 そんな空気を感じ取ることが出来たハクは、クスリと笑ってヒントを出した。


「ちなみにジェネは最近、壁の内側で重大な"もめ事"があったらしくてね」


「もめ事……? あー。つまり、あれか。一種の離間かこれ」


「その通り。故事にあったろう? あの者は生かしておけ! って叫んで動揺誘ったの。今回はそれに倣うのさ」


 ようやくハクの言わんとしていることを理解できた彼は、その着眼点に、感心しているような、あるいは呆れているような、それに判別に困る吐息をついた。


「えっげつねえこと考えるなぁ。仲違いを誘うなんていい趣味してるぜ」


「ふふん。褒め言葉として取っておこう」


 言葉自体は、ハクの懸案が悪趣味であると非難するものであれ、声色は真逆に歓迎するものであった。

 楽に街を奪えるのならそれに越したことはない。

 本心を素直に声色として出してしまうところは、昔から変わっていないなとハクは思った。


「それはそうと、どれくらいで帰ってこれそうか?」


 頭を悩ませることがすっかり消え去ったことで、晴れやかな気分になったらしい。

 彼の声の調子がいつものお調子者のそれに戻った。


「あー。多分、日没まで間に合わないから、今夜は野宿になりそうだ」


「おっ。ついに野宿に目覚めましたか? よっしゃ。じゃあ、快適な野宿法を今から伝授して進ぜよう。心して聞けよ」


 いつもなら興味ないね、とぴしゃり一言で打ち切る話題も、今は我慢して聞いてあげよう。

 何せ無理を聞いてもらったのだ。


 これくらいは駄賃として支払ってやらないと。

 ハクはそう思った。

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