第二章 十九話 彼のわがままに、応じるわけにはいかない
奴がゆっくりと、けれども確実に一歩ずつ距離を詰める。
対処が面倒な触手の間合いに入るわけにはいかない。
僕らが取れる対応策は、怪物とは反対に一歩を踏みだし距離をとること。
一歩詰められては一歩距離を置き、詰められては距離を置きの繰り返し。
一見すれば、それはただの平行線。
だが真実はさに非ず。
僕らの背後には、フェンスという後退の限界点が設定されている。
そうである以上、この一連のやりとりは平行線のいたちごっこではなく、ただ一方的に僕らが追い詰められているだけなのだ。
だから一歩を刻む度、僕の心はざわつく。
追い詰められていく、その一歩一歩が死に近付いていく歩みであるのだから。
その度、覚える恐怖がどんどん強くなる。
泣いて叫んで、ここから逃げてしまいたかった。
死にたくないと喚きながら、真っ先に背中を向けてしまいたかった。
でも、その欲求をなんとか堪える。
それらの姿は、言うまでもなくみっともないもの。
再会した友人の前で、そんな姿見せたくない、見せてたまるか、という僅かな意地が、今僕をこの場に留まらせていた。
「まずい。実にまずいねえ」
他人事のような音で、ハクが呟く。
直前、ちらと僕らの背中を見ていたところから察するに、壁までの距離はもうほとんどない、と見るだろう。
「……一つ、提案がある」
低く抑えた声で北条君が言う。
彼は僕ら一団では最も前、化け物の間合いに入らないギリギリの位置に身を置いていた。
「どうぞ」
ハクは頷いて続きを促す。
「さっき戦った感じじゃ、俺の実力でもある程度はやりあえそうだった。疲れ切らない限りじゃやられはしない。つまり、時間は稼げる。だから……」
「それはダメっ!」
思わず出た否定の言葉。
それはとても大きな声で、しばらく洞窟内に残響として留まるほどだった。
彼の言わんとしていることはわかっている。
つまりは、また殿になろうというのだ。
彼が戦っている間、残る僕らが来た道を戻れば、なるほど、確かに奴から生きて逃げ切ることができるだろう。
だが、それはやはり北条君自身の生存を勘定に入れていていない、自己犠牲甚だしい解決策だ。
そんなの絶対に認めるわけにはいかない。
「饗庭……」
彼が僕を呼ぶ。
俺が働けば、頑張れば、皆を救うことが出来る。なら、是非やらしてくれ。
そんな意図が、呼び声には含まれていた。
「嫌。それは絶対に」
だが、僕はその嘆願を受け入れる訳にはいかない。
彼が言うことは、つまるところ、友人が死に向かうことを、黙って受け入れろということ。
生存欲に溢れた、いつもの浅ましい僕が語りかける。
受け入れてしまえと。
そうすれば取り敢えずは生きながらえることが出来るぞと。
だけど珍しくそれ以上に大きな声で、語りかける声がある。
その正体はわからない。
でもその声はこう叫ぶのだ。
そんなの出来るわけない! 嫌だ! 絶対に受け入れるわけにはいかない! 他の誰かならばともかく! と。
僕はその内なる声に同調し、何度も何度も首を横に振った。
「私もツカサと同意見だな」
心強いことに、レイチェルが僕の意見に同調してくれた。
「私たちは君たちを助けるためにここに入ったのだ。全員存命の内に合流できたこの僥倖。無駄にしてくれるな」
「だけど、俺がやらなきゃ、全員」
いずれこいつにやられる。
そう続くはずの北条君の発言をレイチェルは、強引に言葉を被せてかき消す。
「自惚れるなよ」
と、凄みのある声で。
「君は確かに剣が出来るようだ。が、所詮はまだ素人剣術の域を出ていない。その剣筋は不安定。あっさりやられかねず、足止めを任すには少しばかり心許ない」
手痛い指摘に、北条君はぐうと息を呑む。
加護を込みにしても、北条君より数段技量が上のレイチェルに実力不足と指摘されては、反論する余地などないだろう。
「ここはな。この聖堂騎士に任せよ。何、殿を引き受けることも使命の一つよ」
レイチェルは最前に居た北条君の肩を叩いて、親指で後ろに下がれと要求。
が、北条君は応えようとしない。
それどころか、目を大きく見開いて、レイチェルに抗議をする意思を見せた。
「なっ。任せよって……ダメだそんなの! 死ぬ気か!」
「……君は存外にワガママなんだな」
呆れたようなレイチェルの突っ込みに、僕は大きく頷く。
さっきまで決死の覚悟をしていた人の言葉とは思えない。
こうして、レイチェルに殿をされることを嫌がっているところ見るに、彼は命を賭して逃がされる、その後味の悪さを想像出来ているはずだ。
そうなのに、自分の命を賭す場面となると、どうして途端に遺された者の気持ちを考えることが出来なくなるのだろう。
自分が死ぬのはいいけど、他人が死ぬのは嫌。
確かにそれは、レイチェルの言うとおりワガママでしかない。
「あのさ、誰が足止めするだのと盛り上がってるところすまないが」
俺が、いやいや私が、と、どちらか残ることが既定路線になりかかっているところに、ハクがくちばしをはさむ。
「来た道を引き返したところとて、結局は行き止まりなんだ。化け物にやられて、速やかに死ぬのが、飢えて渇いてゆっくりと死ぬのに変わっただけで、何にも解決したことにはならないよ」
そんな中、命を賭けたところで、それはただの無駄死にでしかない。
自棄にならずに一度冷静になれ、と言外に彼女は語っていた。
「こいつを倒して、ここから外に繋がる道を探す。私たちの生き延びる道筋は多分これだけさ」
「そう言うからには、あれを倒す、その切っ掛けを掴んだと見ていいんだな?」
「いやいや。そこはさっきの私のぼやきを思い出して頂きたいところ」
「貴様なぁ……」
熱くなるその前兆が見られた二人に、冷や水をぶっかけたのはいいけど、肝心の代替案がやっぱり思い浮かばなかったらしい。
どうしようか、とへらへら笑うハクに、レイチェルは冷ややかな視線を送った。
そんな問答を続けている最中も、お構いなしに奴は距離を詰める。
僕らが退くに許された距離は、あと僅か。
いよいよ本格的に追い詰められてきた。
心臓が恐怖に高鳴る。
冷や汗が顎を伝う。
指先から血が退いてきたのか、ぴりぴりする。
怖い。
どうしようもなく。
怖い。
この恐怖から解放されたい。
でも、一体どうすれば。
どうすればこの恐怖を、危機を乗り越えられる?
「……ツカサさん」
背後より声がする。
声の主は怪我人と一緒に、骸骨によって客席に運ばれていたリグであった。
「あれの……そうですね。どれでもいいので、腕を一つ魔法で吹き飛ばしてくれませんか?」
客席に居る分だろうか。
彼女は僕に比べれば落ち着いた口調で、語りかけた。
「でも……やったところで」
きっとすぐに再生されてしまうだけだ。
ほんのちょっと時間は稼げるだろうけど、焼け石に水にしか思えない。
それでもやるの? と僕は彼女に目を向ける。
リグはゆっくりとした瞬きをした後、僕の目を真っ正面からのぞき込んで。
「――いいから。お願いします」
そして念を押して頼まれた。
やんわりとした語り口で。
だけれども、どういうわけか彼女の頼みを拒むこと、それを許さないような強い圧を感じた。
脅迫のように威圧的な態度を取っているわけでもなければ、命令のように高圧的ない。
なのにどうして、それらに似た圧を感じるのだろう。
不思議に思いながらも、彼女の言う通りにすべく、魔法を発動。
例によってつららよろしくな鋭利な岩を、奴の左前腕目がけて射出。
奴はゆっくりと動いているため、狙いを定めることは容易い。
さらにその再生能力に自信があるのだろう。僕らの攻撃を避ける素振りすら見せない。
となれば、あっさりと魔法を当てることが出来る。
ぶつんと肉を断つ音を生みながら、放った岩は、目論見通り腕を吹き飛ばすに到った。
支えの一つを失って、ぐらりと揺らぐ巨体。
しかしそれも一瞬のこと。
ぐちゃりと粘っこい音を発しながら、体の側の傷口から血液と共に、赤黒い血管が幾つもにわかに伸びた。
見る見るそれらは絡み合い、融け合い、あれよあれよの内に、先ほど吹き飛ばした腕とまったく同じものに姿を変える。
やはり再生された。
大方の予想通りに。
一体リグは何が目的で、僕にあんな頼み事をしたのだろうか。
「……再生。飛ばした腕は……もう動く気配はない……ならば……」
「リグ?」
目をリグに向けてみれば、彼女は口元に手を当て、なにやらぶつくさ独りごちている。
何かを推理しているようだった。
辛うじて聞き取れた言葉を頼りに、吹き飛ばした奴の腕を見てみると、彼女の言うとおり、その動きを完全に沈黙させていた。
それは当然だろう。
体から離れてしまったのだから、腕が動く道理がない。
一体彼女は何を確認している?
「ツカサさん。もう一度お願いします。次は……前膊を飛ばす感じで」
「別に構わないけど、でも、きっとまた再生されるよ?」
「それでも、です。……もしかしたら、あれを倒す、その突破口が掴めるかもしれません」
全員の視線がリグに集中した。
あの戦うのに面倒な化け物の攻略法が見つかるかもしれないだって?
それは僕らが真に欲している情報。
なら、一秒でも早く彼女の言われたとおりにしなければ。
焦りを覚えつつも、想起。
四肢を引き裂くに不足しない、鋭い岩を再び脳裏に思い浮かべた。
間をおかず、イメージが現実となり、すぐさま岩を放つ。
そしてまたしても直撃。
奴の肘から先が宙に舞う。
が、それが重力そのまま地に落ちることはなかった
腹の触手が素早く伸びて、吹き飛び宙にある腕を引っつかんだのだ。
うぞうぞと何かが蠢く上膊と下膊、それぞれ二つの傷口をぴたりと押し当てれば、あっという間に元通り。
千切れた腕はいとも簡単に、くっつけて治されてしまった。
それは先とは違う光景だった。
が、新たに腕を生やしたか、飛ばされた腕をくっつけたかの違いはあれど、再生されたことに変わりはない。
しかしながら、奴の体が再生する今の光景の、一体どこにこの化け物を攻略する鍵が隠されていたのか。
僕にはとんと見当もつかなかった。
「……なるほど」
ただ、リグにはしっかりと、その鍵が見えていたらしい。
淀みの一切見られない一言をぽつりと紡いだ。
「見ての通り、あれは体を再生する手立てを二つ持っています。欠損した箇所を新たに生み出すか、強烈な再生力でもって、治癒するか。そこに突破する手がかりがあります」
「と、言うと?」
まだ、彼女の言わんとしていることが見えてこない。
僕は首を傾げながら、次を促す。
「ええ。まずは床を見て下さい。斬り落としたり、魔法で吹き飛ばしたあれの体の一部が散乱しているでしょう」
コロシアムの床面は、ホラー映画のような絵面だった。
あちらこちらに、血だまりがあり、腕や触手がその中心にごろりと転がっている。
そのいずれも中々に巨大だ。
血なまぐさい存在感を堂々と放っている。
「注目すべきは大きさです。先ほどツカサさんが飛ばした前膊より小さなものは、一切見られません」
言われてみれば、その通りだった。
転がっている部位の大きさは、最初に飛ばした腕よりも大きなものは数あれど、下回るものは見られなかった。
「それは何故か。恐らく前膊のサイズを基準として、あれが再生の仕方を変えているからです」
つまりは奴は、失った部位が大きければ新たに体を作りだし、小さければ落とされた部位を回収、そして癒着によって元に戻すというのだ。
しかも、散乱する奴の体の大きさが一定を下らないところ見るに、その再生の法則は随分厳格に定められているようだ。
そこにリグは光明を見たらしい。
静かに、けれども自身に満ち溢れた様子で頷いて口を開く。
「一度もその基準に基づかない再生は行われていないのならば。これは、失った部位が小さければ新たに体を作らない、のではなく、作れない、と見るべきでしょう。ならば」
「全身を細切れに刻んでやれば、奴は再生出来ないってこと?」
「恐らくは」
追い詰めらたが故のきな臭い空気が変わり始め、希望のにおいが漂い始めた。
リグの推測が真ならば、この詰みに見える状況を打破できる。
もちろんこれはあくまで推測で、そう都合良く自体が推移しない可能性もある。
けれども、今はこれに縋るしかない。
全員が全員、そう思ったに違いない。
しかし問題は未だに存在する。
「どうやって細切れにしてやるか。そいつが問題だな」
まさに北条君の言う通り。
どのようにして、奴の再生能力の限界に挑むかが問題であった。
「剣ではまず無理だろう。手数が圧倒的に足らん。斬ってるそばから再生されるのが関の山だ」
レイチェルが渋面を作ってぼやく。
斬って落とすその速度よりも、再生される速度の方が勝っている以上、どうやっても剣で倒すことは不可能だ。
「間合い、奴の方が広いしなあ……そもそも触手が邪魔で、本体にたどり着けないし」
「となれば、魔法しかあるまい」
奴の触手と再生能力の組み合わせは、近接戦闘を挑むのに極めて相性が悪く、時間稼ぎ以外に出来ることはありそうにない。
それを認めて、剣を扱う二人が悔しげに息を吐いた。
そして全員の視線がハクに集まる。
ハクは魔法に優れた種族である上に、先の魔法の扱いを見るに、極めて優秀な魔法使いなのは間違いない。
彼女であればあるいは――
魔族を忌む再生教徒のレイチェルですら、そんな期待を大いに含んだ目で彼女を見た。
「期待されているのはわかるがね。残念ながら私は戦闘は不得手なんだ。争いに向く魔法は、さっきのしか使えなくてね」
申し訳ないがね、と彼女は肩を竦める。
直接攻撃に適う魔法が、なにやら対策が施されている魔族魔法しかないのであれば、ハクもまた、奴を倒しきるには到らない。
一時は希望に染まった場の空気も、再び暗い影が落ち始める。
ハクがダメなのであれば、と北条君が僕に目を向けた。
僕の魔法であれば、確かにハクと違って奴にダメージを与えることが出来る。
そういった意味では、ハクよりも倒せる可能性は一見あるように思える。
だが、それは結局まやかしだ。
僕は僕で、奴を倒せない理由を持っている。
北条君の期待を裏切るのは、たまらなく心苦しかった。
「ごめん……僕、並列処理、出来ない」
僕はハクのように、複数の魔法を一度に使うことが出来ない。
だから、剣を使う北条君とレイチェルと同じ、手数が足りない問題が発生する。
もし、ハクと僕の使える属性が逆であったら、あっさりとこの危機を乗り越えられたはずなのに。
思い通りに行かないことがとても歯がゆくて仕方がない。
「万事休す、か」
レイチェルが両目を瞑り無念、と天を仰ぐ。
一度は手に届くかに見えた希望が、するりとこぼれ落ちた。
それだけに皆の落胆は大きかった。
交わす言葉が消えて、耳には奴が一歩を刻むその足音だけが届く。
「ふむ」
しかし、この期に及んで落胆を覚えなかった者が居たらしい。
ハクだ。声色に失望の色は見出すことが出来ない。
彼女は、先のリグと同じように、口元に手を当てて何か深く考えているようだった。
その仕草は長くは続かなかった。
結論が出たのか、手を口元から離し。
そして彼女は僕をちらと見る。
「ツカサ、ツカサ。ちょっと」
ちょいちょと、彼女は僕を手招きした。
「ハク? なに……ぅんむ」
それはあまりに唐突。
彼女は突拍子のない行動を取った。
いや、正確には突拍子のない行動をされた。
彼女の顔が、ずいと目の前に伸び来てそして。
唇にぬるりとあたたかさを覚えた。
返答の途中で開きかけた口の中に、ねとねとした、柔らかいモノが入り込む。
頬に彼女の鼻息があたって、くすぐったい。
つまりだ。
口づけされたのだ。
ハクに。
しかも深い方。
「な、な。ななななな! ききききき、貴様! なな、何を!」
あまりに突拍子もなく、そして淫靡な行動に、レイチェルが顔を真っ赤にして抗議する。
北条君も北条君で、それも正しい意味でのフレンチなそれを間近で見たのは初めてなのだろうか。
レイチェルに負けないくらいに顔を赤く染めて、あんぐりと僕とハクを眺めていた。
僕らの唇が離れる。
混ざり合った唾液が、銀色の橋となってつうと伸びては切れた。
「……魔力のね、簡易同調さ」
「え?」
「長くは持たないけれどね。これで私と君は互いの魔法に干渉できるようになった。こうして……よっと」
「わ、わわわ」
「肉体的接触がある限りは」
「え? ええ? わ」
次いで、彼女は後ろから僕に抱きつく。
この数秒の間に、脳に与えられた情報量があまりに多くて混乱する。
お陰で上手く受け答えが出来ていない。さっきからえ、とか、わ、とかしか言っていないような気がする。
「おい! 貴様! ふざけているのか!」
「ふざけてなんかないさ。言ったろう? 今の私たちの魔力は同調していると。つまり換言すれば、魔力的に見れば今、私たちは一個の存在となっているということだ」
……僕とハクが一個の存在と化したって?
その言葉に混乱した頭が一気に冴える。
それはつまり、互いに出来ることを共有した、ということでもある。
そうであるなら――
すぐ横を見る。
僕の肩の上にハクの顔がある。
ハクは頷いてくすりと笑った。
「そうさ。君が岩を具現し、具現した岩の支配権を私が引き取り、そしてストックすることで――」
「土系統の魔法を、擬似的に並列発動することが出来る。二人ならば」
「うん。今の私たちなら、出来る」
頬同士が触れ合いそうな距離で互いに頷き合う。
消えかかった光明が、再び灯った瞬間だった。
「……釈然としないが」
口をへの字にしてレイチェルが恥ずかしくも絡み合う僕らを見た。
大きなため息の後、僅かに僕らの後ろへと視線を移して。
「どうこう口出す暇はないようだな」
そう呟いて、くるりと体を反転させて、再びあのおぞましい化け物と正面から向き合った。
「その通り。もう気付けば壁の際の際。正真正銘後がない状況だ」
気付けば、随分と後退していたらしい。
もう少し余裕はあるかと思ったけど、振り向いて見ると、岩の壁はもうすぐそこ。
後一歩後ずされば、踵がこつんと壁に当たる距離まで、僕らは追い込まれていた。
このまま距離を詰められれば、全員が触手の間合いに入る。
そうなってしまったら、魔法を使うどころの話ではない。
「カズヤ……と言ったか。聖堂騎士に任せよ、と言ったそばからこう言うのも何だがな。共に一働きして貰うぞ。ツカサと……奴を守らねばならん」
だから足止めしなければならない、とレイチェルは言う。
そして彼女は北条君に問いかける。
僕らが魔法を発動するまで、いけるか、と。
「もちろん。喜んで」
北条君の返事は淀みないものだった。
スムースなものだった。
迷い何から端っからないのだろう。
それを聞いた彼女は、満足げに唇の端をつり上げてそして。
激烈な踏み込みでもって、化け物の触手の間合いへと吶喊する。
対する奴は僕らを追い詰める歩みをぴたりと止めて。
間合いに入った獲物を打ち殺さんと、肉の鞭を用いてレイチェルを歓迎した。
「饗庭っ」
前へと踏み出すその寸前、北条君は僕に声をかけてきた。
危ないから、行かないで。
そう言ってしまいそうになる欲求を堪えて、努めて平静に返事をする。
「うん」
「頼んだぜ」
「……北条君も。怪我はしないで」
にっ、と笑顔を浮かべて、彼は一歩踏み出し、奴へと立ち向かう。
やはり暴力的な打擲の嵐が、彼を迎え入れた。
北条君はそれを躱し、あるいは剣で斬り落として打擲から身を守る。
「いいね。君たちの関係。綺麗な友情だ。まあ、それはそれとして、さて」
けらけらと茶化す笑いを浮かべた彼女は、緊張感のない表情のまま、僕に促す。
さあ、やろうぜ、と。
「始めようか。ただでさえ直視に耐えぬ化け物を、もっともっと趣味の悪い姿に変えてしまおう」
その台詞を合図に、僕は意識をイメージの世界に没入させた。
それが彼女の言葉への、返答の代わりだった。




