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第二章 十七話 あまりの空気の悪さに胃痛を覚えざるを得ない

「へえ。それじゃあ、やっぱりツカサとカズヤは同郷ってことなんだね」


 興味深そうなハクの声が響いた。

 手を組むか否かで一悶着あったものの、なんとか綺麗にそれを治めた僕らは、ハクの提案通り、横穴をひたすら前進していた。

 ここに来るまでの間、いくつか会話があった。

 僕が今さっき、北条君と同郷である、という答えをしたのは、その内の一つであった。(もちろん異世界出身の事実は伏せてあるが)


「やっぱり? ある程度は予想してたの?」


「まあね。私を見る目が同じだった。珍しいものを見る目だったからね。近い環境で育ったんだろうな、という予感はしてたさ」


「そんな目を。ごめん。気分、悪かったでしょ?」


 好奇の視線は案外身に突き刺さるものだ。

 決して気持ちのいいものではない。

 素直にわびるべきだろう。


「いいや。むしろ好都合だったさ。敵対する意思は見られなかった。だから、君たちを通してなら、交渉出来ると思ったんだ」


 誰かさんたちとは違ってね、と呟きながら、彼女はレイチェルを初めとする再生教徒たちを見た。

 皮肉に溢れた一連の動きに、歯ぎしりの音が一つ、露骨に聞こえた。

 音の距離は極めて近い。

 多分、僕のすぐ後ろを歩くレイチェルのものだろう。


「……余計なお世話だと思うけど。あんまり挑発的な態度、取らない方がいいと思う」


「ん。気をつけよう。ま、私が気をつけても、彼女たちが突っかかってくるかもね」


 ハクはくつくつと喉の奥で笑い声を作った。

 やっぱりその笑いも、直前に言い放ったことも十分に皮肉に満ちている。

 それを受けて、背中から伝わるギスギスした雰囲気が一層強くなった。


 こんなやりとりはやめて欲しい。

 共働することを決めたのに、こんなことをしてちゃ、ろくな連携が取れるとは思えないからだ。


 そして何よりだ。

 ここに居る人類と魔族、その要となると覚悟を決めたはずの、僕と北条君の精神が持たない。


 北条君は彼女たちの小競り合いがある度に、背中をどんどん丸めて小さくなっていき、今や腰の曲がった老人のような姿勢でとぼとぼ歩いている。

 こんな彼女たちを組ませて悪態の応酬を招いてしまった、そのことに対する責任を感じているようだ。

 その姿は、すいません。無理矢理組ませてしまってすいませんと、わび続けているようで、なんだか切ない。


 僕は僕で、胃痛なんて持ってなかったはずなのに、鳩尾のあたりがキリキリ痛み始めている。

 人間、雰囲気には敏感なもので、例え無関係であっても、悪い空気の場に放りこまれてしまえば、それに感化されてしまうもの。

 僕も例外ではなく、冷戦染みた緊張感の中、真っ先に胃が白旗を上げてしまったようだ。


 ますます悪くなってしまった空気が原因だろう。

 とうとう話し声が途切れて、僕らに無言の間が訪れた。

 代わりに場に満ち溢れたのは、僕らが奏でる足音たち。

 こつこつ、がしゃがしゃと騒がしく洞窟内を騒がせる。

 足音を数えることは難しい。

 あまりに多くの音が、狭い横穴の空気を、好き放題に揺らし続けているからだ。


 けれど、僕らの総数は七人。

 その内二人の聖堂騎士は自分の足で歩くことが出来ないから、本来五つの足音が響いているはず。

 五人分の足音なら、頑張れば音を聞き分けて、数えられそうなものである。

 しかし、それは不可能で、つけ加えるならば、耳に入る足音は五人よりも多くてやかましい。

 足音の数は、絶対に二桁は下らないだろう。

 人数分よりも明らかに多い足音。

 その原因は、僕ら一行の先頭集団を見ればその理由がわかる。


 視線を前に向ければ、骸骨が居た。人の骸骨。理科準備室の隅っこに突っ立っている、骨格模型みたいなの。

 それが五、六体、松明を持って、全身の骨をがしゃがしゃ鳴らしながら、行進していた。

 直立歩行する骸骨たちの群れは、さながら百鬼夜行のようで、真夜中に突然見たのであればトラウマ必至の光景だ。

 寺社生まれの人が見たら、きっとお経なり祝詞なりを唱えて、悪霊退散を願うことだろう。


 しかし彼ら(?)は悪霊の類いではない。

 ファンタジーの常連である、アンデッド系のモンスターでもない。

 では、彼らは何モノか?

 その正体は――


「お」


 ハクが呟く。

 直後、ひときわ大きい何かが崩れ落ちる音がした。

 からから、ばらばらと妙に軽い音は先ほどまで僕が見ていた方向、即ち、先行する骸骨たちの方から聞こえた。


 見ると、歩いていた骸骨が一体減り、見るも無惨にバラバラとなって、ごつごつの地面に転がっていた。

 独りでに分解したのではない。

 その原因は。


「また罠か」


 うんざりといった様子で北条君がぽつりとこぼす。


 そう、罠だ。

 この横穴には至る所に罠が仕掛けられているのである。

 今の罠は、どこからともなく長い槍が射出されるもの。

 哀れ、砕け散った骸骨を見れば、長い槍によってだろう、背骨が滅茶苦茶に砕け散っている。

 このように侵入者を刺し殺すものもあれば、落とし穴で一網打尽を試みる仕掛けもあった。

 もちろんこれだけではない。

 まさに古今東西、ありとあらゆる種類の罠を含んでおり、さながらこの横穴は、罠のデパートと呼ぶべき様を成していた。


「ここを掘った奴、どうやら相当性根が悪いようだ」


 夢遊病めいた、覚束ない一歩を刻みながら、ハクは独りごちる。

 その声色はやはり皮肉めいている。

 ただ、今回のそれは、僕の後ろに控える再生教徒たちに向けたものではないので、空気が悪くなることはない。


 彼女は懐に手を突っ込み、長細い、ガラスで出来た試験管様の容器を取り取り出す。

 その内には、艶の欠いた白い粉末が、ぎっしりと詰まっていた。


「ま、今回は相手がちょっと悪かったようだがね」


 そして彼女は不敵に笑むと、その試験管をぽいと下手で放り投げる。

 放り投げる直前、溜めを作るような、そんな不自然な間があった。

 ハクがおいた一拍の間の意味はなんなのか。


 僕には、それの見当がつく。

 あれは想起がための間なのだ。

 自分が望む現象を考え出す、そのための時間。

 つまりそれは――


 ぱりんとガラスが弾ける音がした。

 試験管は割れ、中身の白い粉末は、ふわりと宙を舞う。

 そして本来は重力に従い、そのままゆらゆら舞い落ちるはずだが、粉末はそれを無視。


 風もないのに、くるくるとつむじ風よろしくに粉末は空中で渦巻いて。

 やがてつむじ風の中心に小さな影が生まれ、あれよあれよとそれはつむじ風と共に徐々に拡大。

 ついには影は人型となり、そいつがかしゃんと一歩を踏み出せば。

 新たな骸骨が僕らの目の前に姿を見せた。


 そう、彼女の一連の行動は魔法の行使。

 そして僕らを先導してた骸骨の正体は、彼女の魔法で生み出したモノ。


 ――使役魔法。

 彼女が目の前で使って見せた魔法はそれだ。

 魔力でもって生物、非生物を術者の意のままに使役させる魔法。

 人類の側ではとうの昔に失伝した古の魔法は、どうやら魔族の側では活きているようだった。

 今のは骨粉を媒介として、骸骨を呼び出したようだ。


 僕らの命を救った、あの巨大な蜘蛛の巣。

 あれもハクが使役魔法にて呼び出した蜘蛛によって拵えたものだという。

 そういえば彼女は、蜘蛛の巣を"作った"のではなく、"作らせた"と言っていた。

 言い間違いかと思ったけど、なるほど、使役魔法で呼び出したモノの産物であれば、まったくもって彼女の表現法は正しいこととなる。


 使役魔法で呼び出した骸骨たちはつまりハクの従者だ。

 その証拠に、新生した骸骨は、かたかたと音を鳴らしながら、彼女の足下に恭しく跪く。

 まるで臣下の礼を取る騎士の姿のようだった。


「先行く連中に合流して私たちを先導するように。罠は出来るだけ踏んで、その身で受け止め、私たちの安全を確保せよ。では行け」


 私たちの安全のために、ぶっ壊れてこい。

 骸骨に命じたことは、結構ろくでもないものだった。

 既に死んでいる骸骨だから、悲壮感に薄いけど、これが生きた人間だったら大問題間違いなしだ。


 そんな命を確かに受け取った骸骨は、その頭骨を揺らして首肯。

 途中、罠で壊れた骸骨が持っていた松明を回収して、やはりがしゃがしゃ音を立てながら、先行する一団に合流した。


「結構便利だろう? 身代わりとしては」


 心置きなく使い捨て出来るからな、とへらへら笑いながらハクは言う。

 もし、この使役魔法をリグなり神官の誰かが使えていたのであれば、北条君たちは殿として残る必要はなかったはずだ。

 そう考えると、確かに便利この上ないかもしれない。


 が、さっきから呼ばれた側から罠を踏んで無残にバラバラになってゆく骸骨たちを見ていると、変な気分になってしまう。

 その姿はまるで、引っこ抜かれて戦って食べられるあいつらだ。

 お陰でなんとも言い表されぬ奇妙な同情が、僕の心にはあった。


「おっと。もう一体呼ばないと」


 思った側から、骨が崩れ落ちる音が前方から聞こえる。

 今度は地雷型の罠を踏んだのか、まるまる下半身を綺麗に吹き飛ばされた骸骨が、派手に転がり回っていた。


「しかし……なんなんだ、ここは」


 男性の声が訝しげに響いた。

 足を折った聖堂騎士、サイモンさんのものだ。

 彼は、今ハクが呼んだ骸骨に負ぶさって横穴を移動している。

 この骸骨は当然のことながら、例外的に罠を踏むよう命令されていない。


「妙なゴブリン共が沸いた時点でおかしな洞窟だと思ったのに、まさか人の手の加わった穴まであるとは。しかもこうも罠ばかりときた……一体誰が何のために」


 よくよく壁面を見れば、筋状に何かしらの工具にて掘削した跡が見られる。

 それでなくとも、罠の存在があるのだ。

 いずれも、人の手によってこの横穴が掘られたということを意味している。


「さあてね。そいつは私にもわからないな」


 彼の呟きに、新たに骸骨を呼び終えたハクが答えた。


「けど、そこの神官の彼女ならわかるんじゃないかな? ここの奥に進む度、どんどん深刻な顔になっていっている彼女なら、さ」


 やはり皮肉たっぷりの笑みを浮かべながら、ハクはリグを顎でしゃくった。

 全員の視線がリグへと飛ぶ。

 ハクの言うとおり、顔面蒼白といった具合の顔色で歩みを進めるリグの姿があった。


 対するリグはハクを憎悪に染まりきった表情で一瞥。

 その表情はそれまでの敵意溢れるものとは、どこか違う色を見せていた。

 憎悪一色ではない。恨みも多分に混ざった、そんな表情。

 それは、そう。余計なことを言いやがって。そう言いたげな顔であった。


 彼女の反応を見て確信した。

 ハクの言うとおりリグは何かを知っているに違いない。


「リグ。何か、知っているのか?」


 レイチェルがリグに問う。

 王領の神官は俯くことで、彼女の問いに答えた。

 回答拒否、というよりは言っていいことが否か、その判別がつかないような、そんな態度だった。

 掘削跡の目立つ地面と、僕らとを何度もリグは見比べて。

 やがて、小さな息を吐いた。

 それは決意のため息だったか。

 以降、彼女の視線は沈むことがなくなった。


「……まだ、王家が国を治めていたころの話です」


 呟きと称すべき控えめな声量。

 そんな小さな声で彼女は語り始めた。


「刑罰の一つに、強制奉公、というものがありました。それは奉公とは名ばかりのもの。咎人に鞭飛ぶ環境下で労働をさせるのが実態で、当然唾棄に値するものだったのですが……」


 リグは一度息継ぎ。

 間を作る。


「……教会もその片棒を担いでいて……異端認定した者を"奉公"させていたようなのです」


「なっ」


 音を一つ口から漏らしたのはレイチェルだ。

 その表情は驚愕に染まりきっている。

 驚いているのはレイチェルだけではない。

 骸骨に負ぶされたサイモンも、目を白黒させて自らの動揺を、素直に表に出していた。


 敬虔な再生教徒が腰を抜かさんばかりに驚いているのは、もちろん理由がある。

 人が人を裁く真似を、再生教は原則的には良しとしていない。

 法執行とは他人の自由を没収する一種の暴力に他ならない。

 罰金、投獄、死刑に代表される刑罰は、見方を変えれば、それぞれ正義の名の下に貯財の自由、生活の自由、生存の自由を奪い去る暴力でしかないからだ。


 全ての教徒は神からの寵愛を受けており、その与えられた寵愛の中には、自由という概念も含まれていた。

 神を謗じ、神が与えた律法を唾せぬ限りでは、神がその寵愛が取り上げることはない。

 それは換言すれば、寵愛、ひいては自由を奪う権利を本来持つのは、神のみであるということだ。

 ならば、人の身で他人を裁くという行為、これは神への越権に他ならぬ。

 本来的に人が人を裁いてはならぬという、教会の基本的なスタンスはそれに基づいていた。


 もちろん、いくら前の世界と比して、宗教が日常に溶け込んでいるこの世界とは言え、それはあくまで建前だ。

 社会を維持するためにはどうしても罰則が必要なもの。

 故に残虐に過ぎない刑罰に限って、その執行を教会は認めている。


 そんな教会が大昔のこととは言え、強制労働なる、残虐な刑罰を進んで行っていた。

 芯から善なるものとして教会を信じている人間にとっては、これは驚くに値する事実であろう。


「つまり。ここは」


 息を呑んでレイチェルがリグに聞く。

 いや、聞くと言うよりは確認だろう。

 きっと彼女はこの場所が何なのか、その見当が付いているに違いない。

 それを受けてリグはその通りとこくりと頷き。


「魔断石を採掘させる奉公場、であったようです」


 と、低く静かに言い放った。

 にわかに重い空気が場にたちこめる。

 何かを口にする、そのこと自体が憚れるような、そんな空気だ。


「なるほど、それは隠したくなるねえ。君たちのご先祖様たちの恥部ってわけだからね」


 が、その空気に飲まれない者がいた。ハクだ。

 彼女は異教徒であるが故に、教会の先人たちが行ってきた悪行に対して、大きな衝撃を受ける道理がない。

 もっとも、空気が読めなさそうな性格も多分に影響しているだろうけど。


「しかし、君は良くそんなことを知っているものだ。普通、その手のことって、後世の目に晒されぬよう、丹念に隠しておくものなんだけどね」


 良く隠された事実を掘り起こしたね、とハクは本心からリグに感心した様子であった。

 彼女が再生教徒に向けるものにしては珍しく、嫌味が込められていない。


 確かに、ハクの言う通りだろう。

 現にレイチェルもサイモンさんも、リグに話を聞くまではその過去を知らないようであった。

 だからこそ二人は、大きなショックを受けたのだ。

 二人を見る限りでは教会は過去の暗部を、とても上手に隠しているように思える。


 そんなリグは魔族に話しかけられたこと、それ自体が気に食わないのだろうか。

 綺麗な小鼻をふんと膨らませただけで、ついにその問いに答えることはなかった。


 ハクは肩をすくめて、僕と北条君に目を向ける。

 やれやれ、ちょっとくらい話をしたっていいと思わないか。そう言いたげだった。


 再び、僕らに沈黙が降りる。

 時折罠を受けて弾ける骸骨を踏み抜いて、ひたすらに横穴の奥へ奥へと進み続けた。


 どれくらい歩いたころだろうか。

 先行する骸骨たちのさらにその先、ちらりと目を指すか細い、一条の光を見た。

 骸骨が持つ松明からこぼれた火の粉か。いやそれにしては動きが乏しい。

 光は落ちることも、登ることもない、常に一定の場所にて輝き続ける。


 洞窟のその奥で光をみるということはそれは即ち――

 

 僕は隣にいる北条君と目を見合わせる。

 彼の目には期待が満ちていた。

 きっとそれは僕も同じ事だろう。

 いや、僕ら二人に止まらない。

 この場に居る意識ある者、全てが同じ期待を抱いたはずだ。

 あれはきっと出口の明かりだと、皆がそう思ったはずだ。

 その証拠に、ほら。どんどん、どんどん歩調が速くなって、今や早足。


 近付くにつれ、光はどんどん大きくなる。

 流れゆく風も少しずつ強くなる。

 期待は更に膨れあがる。

 比例して僕らの歩調が速くなって。

 勢いそのままに、光の向こう側へ。


 そこで僕らを迎え入れたものは、乾いた土のにおいと、さわやかな風と、日の光――

 などではなかった。


 大きな変化は見られなかった。

 嗅覚は相変わらずじめじめとした陰気なかび臭さしか捉えないし、空気の流れもさわやかな風とは言い難い。


 回りくどく表現したものの、出口だと思った場所は出口などではなかったのだ。

 出てきた先は、出発した場所と似たような、ドーム状の密閉された空間。

 違う点はどういう仕掛けは知らないけど、ぼんやりと光る天井が用意されているだけ。

 きっと魔術的な加工がなされているのだろう。

 つまりは相も変わらず、僕らは地下に居た。


「何だ……ここは」


 落胆を隠しきれぬ声色でレイチェルがぼやく。

 彼女の言うとおり、奇妙な場所だった。

 

 まず足下を見てみれば、これまで歩いてきた岩盤むき出しのごつごつしたものではなく、均されたように真っ平らなもの。

 その上に、茶色い棒状の塊がところどころ落ちていた。

 あれはなんなのか。

 目を凝らしてみてみれば……錆びて半ば朽ちた鉄剣であることがわかった。


 妙なのは足下だけではない。

 その均された地面にをぐるりと囲むように、連続した岩の壁が、垂直にそびえ立つのも奇妙だ。

 高さは大体人の丈くらいだろうか。

 これはフェンスだと直感的に思った。野球場とかで見るあのフェンス。 


 それを補完するように、フェンスの外側は階段状に岩が削られている。

 人が座るに具合が良さそうだ。どう見たって客席にしか見えない。

 ここはスタジアムなのだろうか。


 いや違うか。

 錆びて朽ちた鉄剣がそこかしこに転がっているところからして、この場は。


「……コロシアム?」


 武闘を見世物とするあの血なまぐさい施設。

 そうとしか思えなかった。

 なんだって、地下空間に唐突にコロシアムが?

 訳がわからない。


「そのようだ。ほら」


 ハクが僕の独り言に同意する。

 視線を彼女にやれば、へらへらと笑みを浮かべながら、爪が伸びきった指で指し示す。

 その先には。 


「ひっ」


 恐怖で息を呑む。

 異形。異形が居た。

 異形としか称す術のない、ナニかがそこに居た。


 強いて言えば、そいつは人に似ていた。

 ただし、あまりにも相違点がありすぎてはいた。


 上下逆さについた顔。

 裏返った眼球。

 削がれた鼻。

 口からあふれ出て蠢く無数の舌。

 青いぬめり気を帯びた皮膚に、そこから突き出て白い先端を覗かせるのは肋骨か。

 腹腔は解放しており、赤黒いぬめりを持つ臓物が常に蠢き続けている。

 そんな体を支えるのは四本の手。所謂四つん這いの体勢だ。

 そう、支えるのは手足ではない。手だ。それも爪が剥がれて、常に血を流し続けている。


 おまけのその体は大きい。

 四トントラックくらいはあるのではないか。

 威圧感が凄まじい。


 根源的恐怖を惹起させる、おぞましい姿。

 しかも威圧感は大なり。


 がちがちがちがちがちがちがちがち


 それを真っ正面から見てしまい、僕は案の定歯の根が合わない。


 そんな僕とは対照的に、未だへらへらとした態度を保ったハクが、同じく緊張感の欠いた口調で告げる。


「対戦相手がお待ちのようだよ」


 挑戦者現る、と。

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