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第一章 四話 良心の呵責に苛まれてる場合じゃない

 結局のところ、この場所での生者は僕一人だけであった。


 死体に触れ、挙げ句踏みつけてしまったショックから、なんとか立ち直った僕は、涙を湛えながらも、生き残りを探し求めたのだ。

 当初の目的通り話を経て情報を得るために。

 なにより、死者に囲まれ独りぼっち、そんなぞっとする状況から脱するために。


 転がる死肉の砕片を避けつつ、誰か、誰かと大声でこの町を回り歩いた。

 それこそ声枯れるまで叫び続け、足が棒になるまで歩きまわった。


 けれども、返答は一つも得ることはできなくて。

 ついには先の通り、生存者は一人も居ないという結論に至ってしまったのだ。


 人と話して情報を得るために、壁の内に入ったのに、話せる状態の人間が誰一人として居なかった事実。

 そして忘れようと努力してきた、ここは何処なのだろうという未知への恐怖。

 そこに場所そのものが死んでしまったかのように、不気味で虚無的な静寂が加われば、もはや、僕が途方に暮れ、絶望しない理由なんてどこにもなかった。

 あまりのショックに、しばし、ぼうっと立ち惚けてしまう。


 そうしている内に、あたりが薄暗くなり始めた。

 空が分厚い雲に覆われてるせいで気が付きにくかったけど、日が暮れてしまったらしい。


 死に満ちあふれたこの場所に留まるのも、はっきり言って嫌だったが、こんな場所で野宿をするのはもっと嫌だった。


 だから、僕は日が完全に落ちてしまうその前に、ダメージを受けていない家屋を見つけ出し、とりあえずの宿として身を寄せることにしたのだ。

 運良く岩による蹂躙を受けていなかったこの家屋は、その内に一人の死者も住まわせておらず、休みには丁度いい場所であった。


 ろうそくのか細い炎が、木造の質素な室内をゆらゆらと照らす。

 小さな光だけども、しっかりと闇を払ってくれるその姿はとても頼もしい。

 ほくちと火打ち石で起こした火を保つこのろうそくが、現状僕の最大にして唯一の味方だ。

 依存心めいたものを抱いてしまう。


 その味方がちょこんと鎮座する机の上に、三つの紙片が横たわっている。

 いずれも僕が見つけたもので、一つはこの家屋由来のもの。

 火をおこし、光源を手に入れた僕は、何か情報を得れるものはないか――

 と、火事場泥棒的であるのは重々承知で、この家屋の隅々を漁った末に手に入れたものだ。

 

「あの悪魔の言うとおり、か」


 がさがさしていて、妙に繊維が目立つ紙切れを手に僕は呟く。

 どうやらそれは帳簿の一種であったようだ。

 祭礼の饗宴のために、となり街より購入した鶏、豚、牛の頭数と金額が記してある。


 ――ただし、まったく見慣れない文字でもって、である。


 ひらがなでも漢字でもなく、ローマ字やアラビア文字でもない。

 一見すればミミズか蛇がのたうち回ったような形で、とてもではないが文字には見えない。

 ただの記号の羅列にしか見えず、そこから意味なぞ、到底読み取れないと思ったのにだ。

 僕はそれが帳簿だと解ったのだ。

 読めてしまったのだ。

 そう、淀みなく、実にスムースに読めてしまったのだ。


 あのホストな悪魔が、僕を扉の外へ押し出す前に、こう言っていた。


 僕は異世界の言葉を理解出来るようになっている、と。


 そして見たこともない文字を、こうして苦もなく読めてしまっている現実がここにある。


 ああ、認めねばなるまい。

 僕は――


「本当に、異世界に」


 ――来てしまったのだ、と。


 異世界を示唆する情報は、この紙切れを手に入れる前からいくつかあった。

 その内の一つが屍達が身に纏っていた衣服であろう。


 麻かなにかの、ごわごわとした生地で織られた、ゆったりとして質素な、けれども色彩は豊かな衣服。

 澄んだ青や、鮮やかな赤の装飾布が目立つそれを、死んでしまった人たちは例外なく身につけていたのだ。


 たかだか十六年の人生の狭い知見が根拠であるけれども、僕が生まれた世界に、これに似た衣服は存在しなかったはずだ。

 だから、ここは異世界である、そう判断してもおかしくなかったのに。

 けれどもその情報で、ここが異世界だと断定しなかったのは何故だろうか。


 いや、その疑問の答えなんてわかっている。


 本当にどこか知らない国に、気がつかないうちに拉致されたのかもしれない。

 それもまた非現実的であるけれども、それでも異世界転移よりはまだマシと思われる可能性を、否定したくなかったからであろう。

 異世界転移なんて認めてたまるか。そんな意地がその判断を妨げていたのであろう。


 けれどもその意地はもろくも崩れ去った。

 他でもない、僕自身に植え付けられた、異世界言語解読能力によって。


「僕が狂っていたなら。僕の記憶の方が狂っていたなら、もっと楽だったのに」


 そう、僕はこことは違う世界で生まれた異世界人であるという、その認識が実は妄想の産物で、実は僕は元からこの世界の住民であった――


 そんな現実であったのならば、僕はいくらかは救われていただろう。

 狂っているのは僕自身であって、しばらくすればまた違う妄想にとらわれ、今抱いている絶望からは解放されたことだろう。


 けれども、誠に残念ながら。

 救いがないことに、どうやら僕は正気であるらしい。


 それを裏付けるのが帳簿とは別に見つけた、二枚の紙片である。

 これらは異世界の家屋から見つけたものではない。

 ほくちとなるものを探すため、制服のポケットというポケットに手を突っ込んでいた時、胸ポケットから発見されたものだ。


 一枚は二つ折りにされたメモ用紙であり、もう片方はタロットカード。

 僕の記憶をたどっても、その組み合わせの二枚を胸ポケットに入れた記憶はない。


 だから、はて、なんだろうか、と首を傾げながらも、僕はまずメモ用紙を開いたのだった。

 紙の上には、不愉快になるほど綺麗な文字でこう書かれている。


『君へのプレゼント。役に立つはずだ。気に入るといいが――境界の悪魔より』


 と。


 いつ僕の胸ポケットにこれをねじ込んだのか、それは定かではないが、どうやらあの男の仕業であるらしい。

 あの男の残り香のようで、メモを見るたびに機嫌を損ねそうだ。


 けれどもこの悪魔の手紙は一つの重要な事実証明でもあった。

 それは、荒野に放り出される直前の、あの境界での出来事。

 それが僕の妄想の産物でも何でもなく、現実に起こったなのだという証。


 つまりは僕の記憶が現実と合致しておりかつ、僕が正気であることの証明とも言えるだろう。

 

「そしてもう一枚が」


 タロットカードを手に取り、その裏表を見やる。

 カードの表面には細やかなエンボス加工によりざらついていた。


「多分このカードがプレゼントなのだろうけど」


 ザクロが描かれた衣服を纏う、冠を被った女性。即ち、女帝のタロットカードであった。

 それが僕の胸ポケットに逆位置でもって突っ込まれていた。

 僕はタロットの知識に乏しくく、精々それぞれの図柄が何であるかを――それも漫画由来の知識――判別できる程度。

 意味もかじった程度にしか知らない。

 確か女帝の逆位置は――


「……これが何の役に立つって言うんだ」


 表を見ても、裏を見ても、側面を見ても、曲げてみても。

 確かめれば確かめるほど、手の中のこれはただの紙のカードだ。

 確かに妙に心揺さぶる何かを感じるけれど。

 それでもやはりこれはただのカードでしかない。


 これが役に立つはずだ?

 気に入るといい?


 なんて悪い冗談なのだろう。

 それもネガティブな意味の逆位置で渡してくるなんて!


 一つも機能を見いだせないこれを、どう役に立てろと言うのだ?

 占いでもしろと言うのか?

 女帝一枚しか渡していないのに?


 あの軽薄な奴からのプレゼントを、僕が気に入ると本気で思っているのか?

 いまいちあの男の意図が読み取ることができなかった。


 いや、たとえ読み取ることができたとして。

 これが、本当に役に立つものだとして。


「悪魔の贈り物なんて……使ってたまるものか」


 古今東西の神話が、説話が説いているではないか。

 悪魔の声に耳を傾けた者の末路は、即ち破滅か地獄と。


 なら、するべきことは決まっている。

 悪魔の手を払いのけるべきだ。


 僕はゆっくりと、けれどもしっかりとした手つきで、悪魔から与えられたカードを引き裂いた。


 二つに裂き、四つに裂き、八つに裂き……

 とにかく念入りに引き裂いて、細切れにして、叩きつけるように机の上にばらまいた。

 もちろんこれは八つ当たりだ。

 

 ほんの少しは八つ当たりの効果は得られたらしい。

 気の滅入ることの連続で、鬱に入りかけていた僕の心は、ほんのりすいた気分になった。

 でも、それも一瞬のこと。

 すぐさま暗く落ち込んだものへと逆戻りをする。

 しゅんとした気分で机のそばにあった椅子に腰掛ける。


「これからどうしたらいいんだろう……」


 八つ当たりをしたところで、現状は何も変わらないのだ。

 異世界という未知極まる世界に一人放り出された事実。

 情報を得るために人を頼ろうとも、たどり着いた地で見たのは、例外なく住民が死に絶えていたという事実。


 そしてなにより厄介なのが。


「お腹、すいたな」 


 僕のお腹が寂しく鳴る。


 そう、空腹の問題だ。

 僕は昼食よりその後、水分を除いて何も口にしていなかった。


 家屋を隅々まで漁った結果、ここには食べれるものは存在しないことは解っている。

 真っ黒に変色し、異臭を放つまでに腐敗した元・食べ物なら、食料保管庫と思しき部屋に山積みになっていたけど、それを口にする勇気はない。


 外に食べ物を求めるのも、岩に潰された店で見た、腐りきった果物を見るに望み薄だろう。

 と、なれば僕に出来ることは、空腹を我慢するほかにない。


 幸いにして井戸は使えるようだし、死体も浮いていないから飲用するに問題はなさそうだ。

 水をたらふく飲んで、空腹感を誤魔化す手が使えるのが、ひとつ救いと言えるか。


「どうしたら」


 けれども空腹を我慢したところで問題そのものは何も解決していない。

 確かに一日や二日程度なら問題はないだろう。


 が、この世界にどれくらいの期間留まることになるのか、それが皆目見当がつかない状況なのだ。


 いや、そもそも元の世界に帰れる保証もない。

 帰れる手段があったとて、それが今すぐ空から降ってくる、なんて都合の良いことにはならないだろう。


 なら、僕は少なくとも、帰れる方法があるかどうか、それを知るその日まで生き延びなければならない。

 毎日毎日空腹を我慢し続ければ、当然餓死が待ち受けるだけだ。

 それを避けるためには、生き延びるために僕がすべきことは。

 そう、食べ物を見つけることだ。


 けれども今、この地には食べ物がない。

 それを意味することはつまり、ここに留まり続けるなら死は避けようがないということ。

 この地を出て行くこと。それが生存の前提条件になろう。


 なら、僕が取るべき行動は。


「明日。朝になったらここを出よう。出来れば地図と……お金を見つけて」


 朝一でもう一度この家屋の隅々を探し回ろう。

 地図とお金を手に入れるために。


 それは火事場泥棒的な行動じゃなくて、真に火事場泥棒の所行。


 けれどもこの際、()()()()()


 道や方角を無知で外に行くのと、既知で行くのとではその先の生存率は著しい差があろう。

 地図があれば、少なくとも街のない方向に突き進む、なんて事態は避けられるだろうから。


 そして、お金の有無も重要だ。

 運良く人の集まる場所にたどり着けたとして。

 食料を手に入れるにもっとも簡単な手段は、人から購入するということなのだから。


 お金がないのとあるとでは、やはりその先の生存率に大きな違いが存在しよう。

 なら、ためらうべきではない。


 どうせ地図にせよお金にしろ、この地の死人達には必要のないものなのだ。

 その二つは、生きている人たちのために作られたものなのだから。


 なら真に必要にしている、まだ生きている僕の懐にいれること、それが果たして本当に悪いことなのだろうか?


 もちろん、良心は痛む。

 なんだかんだで平和だった日本で十六年生きてきたのだ。

 培ってきた倫理観が悲鳴をあげることだろう。

 人としての誇りはないのか、と情が怒りの声をあげるだろう。

 平凡から逸脱するぞ、と僕の信仰心が泣き叫ぶだろう。


 けれども、ためらってはいけないのだ。

 良心の呵責に負けてはいけないのだ。

 たとえそれ仏教において、畜生道に落ちるにふさわしい所行であっても。

 最後の審判で地獄に落とされる悪事であっても。

 僕が良しとしたはずの、平凡とは真逆のものであっても。


「死ぬよりはマシ。死ぬのは、嫌」


 僕が死んでしまうことに比べれば、その痛みは微々たるものだ。

 些細なものだ。

 無視しても構わないものだ。


 平凡にしてもそうだ。

 平凡にしていたら、死んでしまう可能性が生まれるのであれば。

 もう、平凡を求めることに意味なんてない。

 なら、迷いなど、もうどこにもありはしない。


「どうして、僕がこの世界に来なければならないのか。元の世界に帰れるのかどうか。それらを知って、決断するのに一番必要なことは」


 その時、その瞬間までに、僕は生きていなければならない。


 目的は生き残ること。


 そう、すべては生き残るために。

 一日でも長く生きながらえるために。

 僕は生まれて初めての大悪事をしてのけることを心に決めた。


 でも。


「どうして泣くんだよ……饗庭司」


 その決意とは裏腹に、目からつうと一筋の涙。

 自身の浅ましい自己愛に幻滅したが故の涙か。

 それとも、他人に顔向けの出来ない悪人になってしまうことの後悔の涙か。

 後者、のような気がする。


 だって。


「会いたいなあ……」


 脳裏に浮かぶは一人の顔。

 この世界に来る直前、一緒に文化祭の準備をしていた友人の顔だ。

 なんだかんだで頼りになる彼が側に居てくれたのならば、どんなに心強いことだろうか。


 でも、僕はこれからそんな彼から、指弾されかねない悪事を犯す。

 同じ場所に立つことすら憚れるところまで墜ちることとなる。

 それがたまらなく寂しい。


 涙の理由はきっとそれだった。

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