第二章 十四話 あまりの待遇の差に呪詛をかけざるをえない
リグは変わらず止血魔法を使い続けているし、レイチェルはもう一人の騎士の怪我の様子を看ている。
巨大ゴブリンの脅威が排除された後も、やはり慌ただしい。
闘争の対象が敵から、怪我に移っただけで、依然この場は戦場そのものであった。
そんな一種の緊張感でぴりぴりしてそうな空気の中、すべきこともなく、申し訳なさげに事を見守る視線が二つ。
僕と北条君のものだ。
僕らが手持ち無沙汰になってしまった理由を挙げよう。
ここに来て現代っ子ぷりが、空気を読めずに炸裂してしまったのである。
温室育ちもいいところなので、止血の仕方も解らなければ、骨折の処置も知らない。
つまりは僕らに大怪我の処置は出来ない。
はっきり言って戦力にならないのだ。
それでも、怪我人を放置するのはどうかと思うので、レイチェルやリグの周りをうろつき、何か手伝えることはないかを探した。
言うまでもなく、仕事している人の周りを、うろうろするのは妨害行為以外の何物ではない。
頼むから座って休んでてくれ、というやんわりとした戦力外通告を受けてしまったのは、自然ななりゆきと言えた。
そんな訳で、ごつごつの地面に座って、肩を並べて処置する二人を眺めているわけである。
僕らの間に会話はない。
聞きたいことならいくらでもある。
ここに居る経緯とか、この世界に飛ばされてからどうしてたとか。
けれども、あまりに聞きたいことが多すぎて、それが脳内で氾濫している状況にある。
結果何を聞いたらいいか、それすら当たりがつけることが出来ないのであった。
「あの人……」
「あ……うん。レイチェルのこと?」
「そう。レイチェルさん」
躊躇いがちに北条君が問いかける。
どうも話すべきことを決めかねているのは、彼も同じ事らしかった。
取り敢えず当たり障りのない会話をしようとする意図が窺えた。
「綺麗な人だよな」
……何ですと?
いや、彼女は文句の付け所がないくらいに、美人であるけれど。
振り向いて見れば、彼女の一挙手一投足を目で追う北条君がそこに居た。
ただ、頬は赤らんでいないし、鼻の下は伸びてないから、レイチェルに一目惚れしたって訳ではなさそうだ。
動きに目を奪われてはいるけど。
「……そうだね。手、出さないでね」
「手を出すって。おいおい」
彼に気付かれない位に小さくため息をついて、ちょっとだけ釘刺し。
思いの外低い声がでてしまった。
僕の釘刺しをボケと受け取ったらしい、北条君は突っ込み気味の声色で言葉を返す。
僕は結構真面目に言ったんだけどな、と抗議の声を上げようかと思ったその時、ばきりと乾いた音がした。
音はレイチェルから聞こえた。
「さあ、足を。こいつを当て木にして固定してしまおう」
見れば両手には大ゴブリンが使っていた、あの戦斧の柄が、ぽっきり二つに折られた形で握られていた。
どうやら、添え木して使うために彼女が折ったらしい。
流石騎士。骨折の治療もお手の物……
ってちょっと待て。
大ゴブリンの戦斧だって?
あの柄って確か、野球のバットの太さくらいはあったはずだ。
……普通そう易々と折れるものではないと思うのだけれども。
「……ちょっと力、強すぎないか」
「た、頼りになる女性って素敵じゃないかな」
その腕力の強さに、ちょっと引いてしまったのか。
ぽつり小声で北条君が呟く。心なしか声が震えているように聞こえた。
彼女の腕力に驚いたのは、足を折った騎士も同様らしい。
ぽかんと口を開け、その上、目を白黒させてレイチェルを見ていた。
「なあ……当て木作ってくれるのありがたいけどさ。ゴブリンたちが遺した斧があるんだからよ、その内の一つで切れば良かったんじゃねえか?」
けれど、そこは聖堂騎士。
あっという間に平静さを取り戻して、控えめに指摘をする。
それを受けてレイチェルはぴたりと硬直。
しばし考え込むような間が空いた後。
「あ」
と、あまりに間の抜けた音を口から漏らした。
どうやら考えつかなかったらしい。
「……頭。残念な感じなんだな」
「えっと……生まれはいいんだろうねっ。学があるのは確かだよ。うん」
どうしよう、これはちょっとレイチェルを援護しきれない。
彼女は天然なところがあるのか、時々こんな風にポンコツになることがある。
カペルで学んだことの一つであるのだが、言うまでもなく、これは最も役に立たない知識だ。
ここで天然行動を連発されると、とてもではないが彼女をフォローすることが出来ない。
そう考えた僕は、話を変えることにした。
「そ、それよりも。北条君、剣術なんて習ってたんだね」
大きなゴブリンと対峙していた北条君を思い出す。
その体裁きは、レイチェルやケイトに比べれば粗が目立つものの、堂に入っていて、決して素人のものではなかった。
それも動き一つ一つが自然であった。
ここ数ヶ月で身につけた、にわか仕込みではなさそうだった。
となれば、向こうの世界で何かやっていたはず。
武道とかをやっているイメージがなかっただけに、それはとても意外なことに思えた。
だが、僕のそんな予想は全くもって外れていた。
あっさりと彼自身が否定したからだ。
「んー? いや全然。ここに来て初めてだ。加護のお陰だと思う」
「加護?」
「あれ?」
加護? なんだろうそれは。
いまいち話が飲み込めず、僕は首を傾げる。
北条君も北条君で、僕が得心いかない様子に何か引っかかっているらしく、とても不思議そうな顔をしていた。
「オーケイ。一旦確認しよう。あっちの世界で最後にしていたことはなんだった?」
「君と一緒に文化祭の準備。それが最後だね」
「ん。そこは俺も同じだ。どうやら同じタイミングでこっちに来たみたいだな」
それを知ってちょっとだけほっとした。
僕が急に居なくなって、北条君が心配しながら学校生活を送っていた、なんてことはなかったようだから。
……言い方を変えれば、僕が行方不明になっても、身を案じてくるのは彼くらいということだけども。
「よし、それじゃ次だ。この世界に来る直前さ。変なところというか……空間? そんなのに飛ばされなかったか?」
「うん。飛ばされたね。薄暗くて悪趣味な場所だったけど」
「あー。そこが違うのか」
「え?」
「俺の時は、光の中というか雲の中というか、そんな真っ白で眩しいところだったんだ」
どうにも彼と僕では、異世界に飛ばされる、その直前で体験したことが異なるらしい。
「そこでさ。声がしたんだ。女の人の声。これから飛ばされる世界について。そこで何が起こったか。与えられた力、加護について。色々と教えられたんだ」
「何、その親切仕様」
「饗庭はどうだったんだ」
「……心が折れそうな仕様だったよ。変な男が出てきて、回りくどい言い回しで詰め寄ったと思えば、急に笑い出して……それでおしまい」
「おおう……そりゃまた」
この差は一体何なのか。
異世界に飛ばされた時、その直前に何かしらのイベントが挟まるのが必定であれば。
僕だって彼みたいな感じな方がまだ良かった。
なのに何が哀しくて嫌いなタイプの男と対面して、その上、ねちねちとした会話をしなければならなかったのか。
これじゃあ、僕に対するイジメみたいじゃないか。
うん。ふつふつと怒りが沸いてきた。
怒りのやり場がなくなると、北条君に八つ当たりしてしまいそうになるので、取り敢えず矛先を、境界でふんぞり返ってるあいつに向けることにした。
境界の悪魔よ、呪われてあれ。
出来れば死んで欲しいな。
それが無理なら、高名なエクソシストに祓われて欲しい。
「あ、饗庭?」
悪魔に呪いをかけているその表情が、傍から見れば大分危なかったのか。
彼の僕を呼ぶ声は、どこかたじろいた印象であった。
気にしないでと、僕は努めて笑顔を作った。
「あ、うん。何でもないよ。それで、その加護ってどんなやつ? 特殊能力みたいの、ってことだよね?」
「お、おう。そうだな、その認識で間違いないが……まず、これを見てくれないか」
傍らに置いてた、艶やかな銀色の剣を掴んで僕の目の高さまで掲げる。
装飾が施されていない、とてもシンプルな剣だった。
小綺麗であること以外は、何も変哲のない剣とも言える。
これが北条君の加護とやらに、何の関係があるのだろう。
訝しつつも、言われた通りじっと剣を見る。
するとイリュージョンが起こった。
音もなく剣が消え去った。
比喩表現ではない。本当に消えてなくなったのだ。
手品めいた目の前の現象に、目を大きく見開く。
剣は一体何処にいったのだろうか。
姿を探して、彼の身の回りを隅々まで見渡す。
が、何処を見ても剣は見当たらない。
北条君が愉快そうにくつくつと笑うと、次の瞬間には消えたはずの剣が、またしても音もなく彼の手中に現れた。
本当に訳がわからなくて、僕は思わず北条君の顔を見た。
やはり愉快そうに破顔する、彼の姿があった。
「これさ、俺の魔力で作られているんだ。出し入れ自由。だから、ほら。俺、鞘持ってないだろ?」
「あ……言われてみれば」
「都合がいいことにさ。すわ戦わんとする際、直感、と言うべきか。それが強化されるんだ。だからどう動けばいいか。それが判るようになるんだ」
「だから、あんな風に戦えたってこと?」
「そういうこと」
戦闘補助付きの剣を作り出す能力、といったところだろうか。
「荷物が増えなくて、便利な能力だね」
少なくとも僕はそう思う。
剣ってやつはそこそこ重いのだ。
貧弱な僕が、四六時中下げてれば疲れるくらいには。
「そうでもない。こいつな。条件によって直感の強化され具合が異なるんだ」
「と、言うと?」
「誰かを守る形になればなるほど、どう戦ったらいいか、それがはっきりと見えてくる。逆に誰も守る必要のない戦いならぼんやりさ。いつも同じ威力を誇るわけじゃないんだ。誰かを守らねば、強くなれない。これ、"護人の剣"って名前なんだが、実に名前通りの能力だろう?」
「護人……」
人を護る。そういう意味。
それは彼にぴったりな能力だと、僕は思った。
だって彼は何時だって人の役に立つこと、それを求めていた人間だったから。
彼はいわゆるいい奴だ。
何か頼み事があると二つ返事で了承する。
たとえそれが自身の能力では、どうしようもないことでもだ。
その上見返りを求めない人間でもあった。
自分のことを、あまり考えられない人間であるとも言う。
だから僕はクラスで何度も見た。
明らかに損しか受けない頼み事でも、喜んで引き受けてしまう彼の姿を。
頼み事が重なりすぎて、それが彼のプライベートな時間まで食い込むことすらあった。
自分勝手な僕からすれば、そんな彼の姿勢は到底真似できるものでなかった。
どうしてそんなことをしているのだろう、と不思議にすら思った。
だから、はじめ僕は彼との干渉を進んで避けていたのだ。
でも、ある時のことだ。
毎日のように放課後残って、頼まれことを消化している彼に見かねた僕は、彼の隣で手伝う真似をしたのだ。
友達としての付き合いが生まれたのはそこからだ。
話してみると、僕と正反対な気性だというのに、どういうわけか僕らは気が合った。
自分のことしか考えられない僕と、自分のことを考えられない北条君。
一緒に居れば、自分が出来ないことを補完できる――
仲良くなったのは、お互い本能で、それを感じ取っていたからかもしれなかった。
「変わってないね。北条君」
両膝を抱えながら、一言呟く。
向こうの暦に従えば、この世界に飛ばされて三ヶ月ほど。
この世界での出来事はとても濃密だ。
だから、三ヶ月という短い期間であっても、人を変えてしまうのは十分だ。
でも北条君は変わってなかった。
自分の加護である"護人の剣"を話しているときの、彼の顔を思い出す。
なんだか嬉しそうだった。
自分の能力を、それも威力の高まるシチュエーションで用いれば、それは即ち、誰かの為に戦っていることとなる。
そこに満足感を抱いているような、そんな顔をしていた。
誰かに役に立つことを喜ぶ――その根っこは、変わらず彼の内にあった。
「饗庭は。何か変わったのか?」
「僕は」
対して僕はどうだろう? この世界に来て何か変わったか。
大きく変わったと言えばそうだろう。
魔法が使えるようになった、ほんの少しだけど農業が出来るようになった。
そんな変化がこの三ヶ月の間にあった。
でも何よりも変わったのは。
僕が汚れてしまったことだろう。
人を殺して、そして――
良心と倫理を自ら捨て去った。
生き延びるために。
一番変わったところはそこだろう。
「うん……変わっちゃった、かな」
「……そうか」
自らの不甲斐なさに落ち込んだ様子を見てか、北条君はそれ以上僕に何も聞いてこなかった。
その心遣いが、今の僕にはありがたかった。
僕にとって心地良い沈黙だ。
「駄目……これじゃあ」
その無音をかき消したのは、洞窟に反響する声だった
リグのものだ。
リグは袈裟に着られた騎士の手当をしていた。
そんな彼女から飛び出た、駄目という単語。
まさか。まさかが起こったのか。
隣の北条君を見れば、嘘だろ、小さく呟いていた。
何があったのか。
それを知るために、僕らは立ち上がり、リグの側へ寄る。
「リグ。その……間に合わなかったのか?」
足を折った騎士に肩を貸しながらやってきた、レイチェルが問う。
躊躇いがちに問う。
「……血は止めることは出来ました。あと暫くは大丈夫でしょう」
その答えに一同安堵。
良かった、治療の甲斐なく、といったことが起きたのではなかったのだと。
「ですが、それは本当に暫くの間。傷が深くて応急処置では……早くきちんとした場所で治療を受けなければ……」
だが依然予断を許さぬ状況なのは変わりがないらしい。
リグは焦りの色濃い視線で、横たわる騎士を見た。
血に染まった衣服と、傷口を隠すための包帯に包まれた、痛々しいその胸が、弱々しく、細やかに上下している。
それは彼が呼吸をしている証だ。
これを絶やしてはならない。
全員が全員、今、きっとそう思った。
「出よう。ここを」
レイチェルの一言。
皆が首肯する気配がした。
それぞれ身を翻して、僕らが来た道へと向かう。
それとほぼ同時だった。
「あちゃあ。間に合わなかったか」
聞いたことのない誰かの声を耳にしたのは。
それは第三者の介入を意味していた。
声がした方向に、わざわざ意識を向ける必要はなかった。
何故ならその主は、僕らが向かおうとしたその先に居たのだから。
その正体は女性だった。
伸ばすままに任せた、手入れの怠った感のある、ボサボサな髪が特徴的な女性だった。
だけども、それ以上に目立つ身体的特徴があった。
それは目にあった。僕らとは違う目をしていた。
瞳を取り囲む、白目は問題なかった。
僕らと全く同じ。
ただし、問題はその内側にあった。
紫の瞳。
菱形に割れた瞳孔。
本で読んだことがある。
それは人に仇なす者どもの特徴であると。
そして思わず呟く。
「魔族」
と。
緊張が走った。
当然だろう。
有史以来人類と戦争を繰り広げている、天敵であるもう一つの人類が突如現れたのだから。
レイチェルも、リグも、足を折った騎士も険しい表情を作る。
特にレイチェルが見せた反応は、三人の中で最も敵意に満ちていた。
彼女は既に剣の柄に手をかけおり、いつでも抜剣出来る体勢を作っている。
対して、三つの殺気を遠慮なく受け止めている女魔族の方はというと、そこまでの敵意なさそうに見えた。
無関心と言った方が適当か。
僕たちには目もくれず、マイペースにも、うわっ、派手にやったなあ、などと嘯きながら先ほど僕が仕留めたゴブリンの死骸を眺めていた。
その様子からすれば、敵対する気はないように見える。
どうにもそう思ったのは僕だけではないらしい。
北条君だ。
これ、放っておけば戦いに発展しそうだけど、止めた方がいいんじゃないか?――
彼は目で僕にそう語りかけていた。
まったくもって僕と同意見。
そして首を振ろうとした頃合い、僕はある物音を聞いた。
ずるり、ずるりと何かを引きずるような音。
音の方向には確か……まさか。
ちらと目を向ける。
そして血の気が引いた。
信じられないことに。
「気をつけてっ。さっき倒したゴブリンが何かするっ」
腹から声を絞り出す。
そう、音は先にレイチェルに両断されたあの大ゴブリンが、最期の力を振り絞り、両手で地面を這いずる音だったのだ。
奴はもう、壁際まで移動していた。
何をするのか。
いや、何かさせてたまるものか。
すぐさま魔法を行使。
岩を生み出す。
でも、機先を取られたのは大きかった。
岩を打ち出すその直前。
奴が壁の岩肌にめり込んでいた、何かを引っ張ったのを、僕は見た。
何を引っ張ったのか。
何を。
だが、それを確認することは出来なかった。
ふわりと内蔵、骨盤が浮き上がるような感覚を覚えた。
マイナスG。
下を見る。
足下に何もない。
暗闇。
落ちる。
いや、落ちている。
どこかに。
真下に。
恐怖。
そして視界は暗転した。




