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第二章 十三話 友人が戦おうとすることを、僕は容認することが出来ない

 どうして。何で。何故。

 頭の中で類義語が次々と浮かび上がり、ぐるぐると渦巻いては、最後には同じ言葉に繋がってゆく。


 どうして。何で。何故。

 ここに、この世界に北条君が居るのかと。

 全く予想しなかった事態に、僕の脳髄はひたすら混乱する。


 それは北条君も同じことらしい。

 目をまん丸に見開いて、ぽかんとした様子で僕を見る。

 僕も彼を見返す。


 癖のある黒髪に左目下の泣きぼくろ。

 それでも人の良さそうな雰囲気を隠しきれない、驚愕により目一杯開かれた黒の双眼。

 何度見返してみても、やはり間違いない。

 彼は正真正銘、僕の友人の北条和也だ。


 なおもしばらくの間、じっとお互いを見つめ合う。

 半ば呆然として見つめ合う。

 交錯した視線を、初めに解いたのは北条君だった。

 はっとした顔になり、勢いよく振り返って、未だ対峙するレイチェルと大ゴブリンを見る。


「ぼうっとしてる場合じゃ。すぐにでも」


 細身の金色の剣を握っていた、彼の右手にぎゅっと力が籠もったのが見えた。

 ゆらりと上半身が揺れて、立ち上がって、すぐさまレイチェルの下へ駆けつけようとしていた。 

 が、それは能わず。

 動きが途中で阻害される。物理的な要因によって。

 僕はほとんど反射的に、彼の空手である左を掴んでしまった。


「饗庭?」


「あ……えっと……」


 怪訝な表情で僕を見る。

 そして目で問う。

 何故止めるのかと。

 とは言え、僕も衝動的に彼を制止してしまったものだから、その理由を上手く言語化することが出来ない。


 心にもやもやがあった。

 さっきまで、ゴブリンと戦うのが北条君だとは知らなかった時には、それはなかった。

 北条君だと知ってしまった後に、にわかにもやもやが心にかかり、そしてその強度は、彼が再び戦おうとした時に、最大値を観測したのだ。


 多分、僕は彼に戦って欲しくないのだろう。

 だって北条君は、あの世界で、日本で、一緒に高校生活を送っていた、ごく普通の少年なのだ。

 闘争とは無縁な生活を送ってきたのに、どうして問題なく戦えると思えようか。

 さっきまで問題なく戦えていた事実よりも、一緒に穏やかな日常のイメージが強く僕の心に作用しているのだろう。


 だから彼が戦うことを認められない。

 だから彼が傷つくことを恐れている。


 相も変わらず僕は自分勝手だ。

 二対一になれば、レイチェルにかかる負担も軽くなるというのに。

 自分の感情を優先してしまっている。


「ここに。奴の一撃を受け止める人が居ないと、彼らが」


 でもそんな汚い心根を、彼に悟られたくなかった。

 だから必死に止めた理由を考えて、そして口にする。

 岩の防壁を誂えたと言えど、それでもあくまに間に合わせ程度。

 怪我人たちを奴から守る人手が、どうしても必要なのだと告げる。


「しかし……」


 北条君に納得した様子はない。

 確かに傍目から見れば、剣を携えども、レイチェルは細身の美人で、とてもではないが戦えそうに見えない。


「大丈夫、レイチェルは強いから。それに」


 だが、僕は知っている。

 彼女はとんでもなく強いことを。

 三メーターは下らない大きなオークを一刀で斬り伏せてしまうほどに強いことを。


 それでもレイチェルのことを知らない彼からすれば、僕の保証もまるで説得力がないのも事実だろう。

 だから別に証拠が居る。

 彼が援護に回らなくても十分という、物的証拠が。

 息を軽く吸って、いつも通りのあのイメージを浮かべる。


「ここからでも。僕でも。きちんと彼女の援護はできるから」


「え? え? な」


 鋭く大きな岩を魔法でもって作り出し、宙に浮かべて待機状態へ。

 僕が魔法を用いたことも、また彼にとっては予想外であったらしい。

 口をぱくぱくさせながら、驚愕の表情で僕を見た。

 まあ、当然だろう。

 学校では地味な僕が、魔法なんてとんでもない代物を使い始めたら、クラスの誰だって度肝を抜かれるに違いない。


「まあ、でも。必要ないと思うけどね」


 岩を作り出したと言えど、正直、僕の魔法が炸裂することはないと思う。

 レイチェルは僕の援護を必要とせずに、あっさり勝負にケリをつける。

 そうなるであろうという確信が僕にはあった。

 確信の根拠は彼女の実力への信頼。

 北条君を止めてしまった原因の一つには、その信頼があった。


 さて、そのレイチェルを注視。

 状況は一見膠着状態にある。 

 互いに得物を構え、じっと出方を窺っている。

 その様子を見て、もしかしたならば、彼女らの実力は伯仲しているのかもしれない。

 ぞくりとそんな嫌な予感が胸中に走った。


 ぽつ、ぽつと水が滴る音が聞こえる。

 どこかで地下水が岩肌から滲み落ちているその音だろうか。

 いや、違う。

 音の源は僕の視線の先にあった。

 正体は汗が顎を伝い落ちる音。

 見れば大きな体に似つかわしい、これまた大きな汗の粒滲ませるゴブリンが居た。

 表情をよくよく見てみれば、焦りの色が濃いような気もする。

 

 対するレイチェルはどうか。

 まずその顔に汗は見られない。

 表情も焦りとは無縁で、それどころか、興味深そうな表情をゴブリンに向ける余裕すらあった。


 剣に精通している者同士が相対すると、まず想像の上での斬り合いが生じると言う。

 きっと、今も彼女らは斬り合っているのだろう。イメージの世界で。

 そして二つの表情を比較すれば、その争いの結末は容易に想像出来よう。

 見る限りにおいては、僕の胸に走った予感は、杞憂であったように思える。

 

「ふぅん」


 暫く無言で睨み合っていた両者の内、小さい影の方から声が上がる。

 何かに納得したような、あるいは相づちかのような、そんな声色だった。

 声から察するに、奴の実力の底を見切ったのだろうか。

 そこに何とか隙を見出そうとしたのか、一度ゴブリンがぴくりと身を震わす。

 が、結局彼女に隙などなかったらしい。続く動きはなかった。


 場は再び膠着に陥る。

 が、今回の均衡は長くは続かなかった。

 そっちが動かないならば、と言わんばかりに、今度はレイチェルが動いたのだ。


「……え?」


 僕は思わず声を漏らす。

 レイチェルが取った動きが、あまりに大胆に過ぎたからだ。


 見ればレイチェルはにわかに構えを崩したかと思えば、右手に握った剣を、ゆっくりとした動作で右肩に担ぎ上げたのだ。

 その行動は、それを見た全ての者の度肝を抜いた。

 北条君も、そして何よりも相対するオークも驚愕したに違いない。


 しかし彼女の突飛な動きはこれで終わりではなかった。

 ずんと、勇ましく、ゆっくりとした足裁きで一歩を刻む。

 そこにすり足を初めとする、隙を生まぬ工夫の影も形も感じられない。

 ただただ、無遠慮に無造作に足を動かしただけの、本当に雑の一言で片付く一歩であった。


 これは挑発だ。

 レイチェルはゴブリンを挑発している。


 僕がそう気付いたのは、彼女が二歩目を刻んだその時であった。

 同じくゴブリンも彼女の意図に気がついたらしい。

 大きな大きな体を、わなわなと細かく振るわせていた。

 ぎゅっと食いしばった牙が、唇のその下から見えた。

 そこからぎしぎしと牙が軋む音が聞こえる。

 怒りを覚えているようだった。


 そして。


「――――!」


 形容不能の大音声を上げるや否や、奴は大戦斧を振り上げながら、レイチェルへと突撃する。

 対する銀色の騎士は動じる様子なく、未だ剣を肩に担いだままだ。


 そんな姿がなお気に食わないのだろうか。

 更に動きに荒々しさを加えながら、やがて自身の間合いに彼女を入れて。

 敵を左右に両断するために、怒りの勢いそのままに唐竹割り。

 隕石を連想させる強烈な一撃が彼女を襲う。


 だがしかし。

 

「はっ。魔物が一丁前に怒りを覚えるか」


 小馬鹿にした言葉を吐き捨てて、すんでの所でレイチェルはひょいと僅かに体を右に傾ける。

 そしてほとんど間をおかないで左隣の地面が爆ぜる。

 ゴブリンの戦斧が岩盤に食い込む。


 一撃を躱された。

 それだからどうしたのだ! 


 そう言わんばかりに、奴は力任せに戦斧を抜き去ろうと試みた。

 筋骨逞しい腕に力が籠もる。


 だが、それは能わず。

 ゴブリンが抜こうと試みる、それよりも早くにレイチェルは、がんと左足で力任せに戦斧を踏みつける。

 より刃を深く食い込ませたのだ。


 刃ががっちりと岩盤に噛んでしまい、簡単に抜くことが出来ない。

 巨体の動きが一瞬止まる。

 これは言うまでもなく大きな隙だ。


「だがな。お前弱いよ。私を殺すにはな」


 当然レイチェルはこの隙を見逃さない。

 空手である左手をゆったりとした動きで、担いだ剣の柄尻にかけた。

 両手で柄の感触を確かめるようにぎゅうと絞り込む。

 ここまでの動作はとてもゆっくりで、緩慢と換言してもいいものだ。


「祓魔っ!」


 だが後に続いたのは、緩慢とは縁遠いものだった。

 ぐっと腰がねじられるや否や、それ以外に予備動作も何もなく、にも関わらず雷光よろしくの一閃が、真一文字に走る。

 戦斧を抜くべく、体を傾けていたゴブリンにそれを躱す手立ても、抗う手段もない。


 吸い込まれるように腹に一撃が吸い込まれて。

 そして魔物の体が音もなく上下に分断された。


 レイチェルが尋常ならざる実力を見せつけて、闘争は終わりを告げた。

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