第二章 十一話 時間を浪費するほど、僕らに余裕はない
陰気。とにかくそこは陰気が凝り固まった、閉塞感に満ちた空間であった。
暗闇、湿り気、カビのにおい。
五感が捉えるそのほとんどがネガティブな感情伴う情報で、長くここに居座っていると、気が滅入ってしまいそうだ。
唯一例外と言えば、手に持つ松明が、時折奏でる軸木が爆ぜる音と、オレンジ色の揺らめく光だけだった。
今、僕たちは小高い山の横っ腹に開いた穴、つまり件の洞窟に居る。
ここに残った三人の勇気ある人たちを助けるために、洞窟に足音を反響させながら奥へ、奥へと進んでいた。
足音は殿となった彼らと同じく三人分。
僕と、レイチェルと、そしてリグが音の主だ。
そう、この洞窟内の捜索に、荒事に明らかに向いていないリグが、本人の意思でもって同行することとなったのだ。
もちろん、レイチェルは彼女のその決意をはじめ受け入れようとしなかった。
武でもって人を救うのは、聖堂騎士の領分であり、僧がすることではないと。
優しく、だがはっきりとした態度で、彼女の動向を拒んだのだ。
だが、リグは食い下がった。
自分は止血魔法が使える。
もし、残った三人が怪我をしていたのならば、自分が役立つはずだ。
そう言って憚らなかった。
また、自分は洞窟の内部をまったく知らないわけではない。
案内役が必要だろうと、あの手この手でレイチェルを説き伏せようと懸命に試み、結果、渋々ながら了承を得ることに成功したのだ。
そんな根性を見せて食い下がったリグであるが、早速、彼女の根性に拍手せざるを得ない状況に僕らは見舞われた。
やって来た洞窟なのだが、その内部は複雑に道が分かれ、なるほど、確かに案内なしでは容易に遭難しかねぬものだった。
もし、リグを連れてこなかったらと考えると、本当にぞっとする。
速やかに遭難し、目出度く二次災害というしくじりを生み出していたことだろう。
「待て」
抜剣のまま、先頭を歩んでいたレイチェルがにわかに足を止めた。
進行を止めたのは、ここに入ってから初めてのことではない。
既に幾度か、分かれ道が目の前に現れる度、歩みを中断せざる得ない事態に、直面している。
今回もその例に漏れなかった。
静かに、騎士は半身に構える。
臨戦態勢だ。
それを見て、僕も対応。
中空に一つ、岩の塊を拵える。
直後のことだった。
左の暗闇から、大音声の咆哮響いたのは。
人間由来の理性を感じさせるものではない。
獣由来の本能に満ちた、そんな絶叫。
それと共に、ゴブリンがまた六体、ぬるりと飛び出し、僕らに躍りかからんとする。
機先を取られ、奇襲を受けた形となる。
「だが、鈍い!」
だが、最前線に立つレイチェルに焦りはない。
どたどたと喧しく音を立てながら駆け寄るゴブリンに、冷たい一笑を投げかけて、そして。
「祓魔」
低い一言ともに一閃。
先制の機会を得たはずの、また、先んじて一撃を与えんがために、大斧を振りかぶったのはゴブリンなのに。
遅れて剣を構えたのはレイチェルだというのに。
比べものにならない剣速で振り抜いた一撃は、奴らより早く相手に到達し、容赦なく一体の魔物の命を屠った。
そして僕とて見ているだけではない。
彼女が一体仕留めたと同時に、残る五体の内の一つに狙いを定め。
予め生み出しておいた岩を射出。
子鬼の五体を無残に四散させる。
瞬く間に同胞二体を葬られたことを見た相手は、僕たちの戦力評価を大幅に上方修正したのだろう。
さっきの蛮勇そのものな突撃から打って変わって、じりじりと距離を取り、互いの間合いの外にその身を置いた。
「またか」
舌打ちと共に、忌々しげにレイチェルが吐き捨てる。
そう、また。またなのだ。
この洞窟で既にゴブリンに数回遭遇してきた。
その度に迂闊に襲いかかってきたゴブリンを返り討ちにしてきたのだが、そうすると奴ら決まって距離を取り始めるのだ。
そして距離を取り始めた連中は、一向に攻めてこようとせず、防御一辺倒となるまでがお約束。
奴らの意図はきっと。
「こちとら急いでるんだ! 時間稼ぎなんぞしよって!」
きっと、時間稼ぎ。
現に後ずさりを選択した彼らは、守りの体勢に入ろうとも、いずれレイチェルか、あるいは僕の魔法でやられるだけにも関わらず、逃げようともしない。
しかも最前線に立つのは常に一体のみ。
他の連中は加勢もなにもせず、前に出た一体がやられるまでずっと後ろで待機しているのだ。
そのため、順繰り順繰り、一体ずつゴブリンを倒さざるを得ない状況に陥ってしまう。
おまけに後ろに控えている連中に僕が魔法でちょっかいをかけても、どういうわけか、レイチェルと正対している一体が、躍り出て、身代わりになる始末。
奴らは間違いなく、自分たちが一体ずつやられるように、戦い方を調整していた。
戦力の質としてはこちらが圧倒しているはずなのに、片をつけるまでの時間がかかってしまう。
これを時間稼ぎと言わずなんと言おうか。
「なんと嫌らしいことか!」
今、また一振りでもって、レイチェルがゴブリンを屠る。
例によって後ろに控えていた内の、一体がすぐさま彼女の前に立ちはだかる。
嫌らしい。
その戦い方は、本当に今の僕らにはよく刺さった。
人を救助することは、即ち時間との闘いである。
救助にかける時間が増えれば増えるほど、救命率はがんがん下がっていく。
それは天災にしろ戦災にしろ人災にしろ、それはありとあらゆる災害に共通していることだ。
だから、奴らの戦い方は繰り返すようだが、本当に嫌らしい。
僕らの主目的である救助を、それだけを潰そうと戦い方だからだ。
ただひたすらに、僕らの時間を奪おうとするその戦いぶり。
決死の殿軍。
僕の心にそんな言葉が浮かび上がった。
そして、また、時間は浪費されてしまった。
「なんなのだ! こいつらは!」
襲撃してきたゴブリンを全て冥府に送り去った後、レイチェルは苛立ちげな声を上げた。
八つ当たりに足下の小石を思いっきり蹴飛ばすあたり、相当お冠らしい。
「ゴブリンが知恵を効かせた戦い方するなんて、聞いたことないぞ!」
オークと比較して、ゴブリンの脅威度はいくらか低い。
その理由は連中の知性にあった。
時には罠すら張る狡猾さを見せるオークに対し、ゴブリンは猛獣よろしくに自らの欲望にあまりに忠実で、獲物に対し真っ直ぐ真っ正面に突っ込んでいく。
それしか能がないのだ。
腹が減ったから人間を真っ直ぐ襲って食らい、性欲を満たすために同じく真っ直ぐ襲って食らう。
愚直にまで自らの欲望に忠実で、それ故行動を読みやすい。
だから罠にかけやすい。
故にある程度戦闘慣れさえすれば、恐るるに足らず――
それがこの世界における、ゴブリンの認識だった。
が、この洞窟に巣くったゴブリンはどうにも話が違う。
「六体一組で襲いかかってくる、遅滞戦闘は行う! いやはや、これじゃあ、まるで軍隊じゃないか!」
大声で愚痴を吐き出しつつも、絶命したゴブリンたちを跨いで歩みを再開。
失った時間を取り戻すために、やや早足で暗闇の向こうへと進んで行く。
「……そう。だからこそ。だからこそ、私たちが調査にここに来たのです」
不機嫌なレイチェルに圧倒されてしまったのか。
おずおずと言った様子で、リグが声を上げた。
「どうしてこの洞窟のゴブリンたちが、知恵らしきものを持ったのか。時折見える、ここ以外の個体にはその傾向はないのに。ならばその理由は……」
「この洞窟の奥に。何か原因があるに違いない、か」
レイチェルの言葉に、リグは静かに頷く。
「それで。何か、ゴブリンがそうなってしまった。その手がかりは掴めたの?」
「いいえ……それを掴む前に」
「……そっか。ごめん」
僕の不用意な問いかけに、再び初めてこの洞窟で襲われたことを思い出させてしまったらしい。
松明の十分とは言えない光の中でも、にわかに顔色が悪くなるのが見て取れた。
自分の無神経さに、強い嫌悪を抱く。
そして僕らの間に沈黙が横たわった。
鼓膜を振るわせるのは、地面を蹴る三つの足音だけ。
視覚、聴覚、嗅覚を駆使して、襲い来るかもしれぬゴブリンの、その予兆を捉えようと努力する。
やはり、三つの足音以外に聞こえるものはない。感じるものはない。
しばらくは襲撃はない、と考えていいのか。
小さく小さく安堵の息を漏らしたその時、僕の耳が僅かながらだけど、違和感を捉える。
思わず足を止める。
「ん。どうした、ツカサ?」
急に足を止めた僕を、レイチェルは不思議そうな目で見る。
「音、が聞こえた気がして」
もしかしたら、気のせいかもしれないけど、と小さく付け加えて、そのままの体勢で、じっと意識を耳に集中。
「音?」
僕の言葉に、二人も立ち止まる。
そして二人とも僅かに視線を上に向ける。
何かを聞き取ることに神経を集中させているのだろう。僕と同じように。
唯一動いていた僕らが、止まったものだから、当然洞窟から音が消え去る。
耳鳴りにも似たしんとした静けさが、僕たちを出迎える。
十秒経ち、二十秒経つ。
時間をおけども森閑は破られず。
やはり、気のせいか。
視線を足下に落とし、ため息つこうと少し大きく息を吸った、その頃合い。
遠く遠くで、小さく小さく、がちんと硬質な音が、今度は確かに聞こえた。
素早く目線上げれば、レイチェルとリグのものと交錯する。
彼女らの目はまったく同じ事を僕に問うていた。
今の、聞いた? と。
こくりと頷いて、彼女らに返答。
また、音が到達。
今度は先よりも明確に聞こえた。
そのように少なくとも僕は感じた。
「これは……」
そしてそれは、レイチェルも同じことだったらしい。
今ので音がやって来た方向を特定したのか、僕に向けていた体の正面を、くるりと翻す。
その上特定出来たのは、音源の位置だけはないらしかった。
「剣戟。その音」
彼女は、その音が何によって生み出されたものなのか、それすらも同定出来ていた。
即ち誰かが戦っている、その戦闘音曲であると。
この洞窟内で戦っている人間が居るとすれならば、それは間違いなく――
リグ達、王領の神官を逃がすために残った、勇気ある者達。
ぴりりと、僕ら三人の間に緊張が走る。
「走るぞ」
静かにレイチェルは告げて、リグと僕の返答を待たず、疾駆。
リグと見合わせた後、レイチェルから一拍遅れて、僕らも彼らの下へと急行するために、ごつごつとした地面を蹴った。




