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第二章 七話 僕にはきっと救われる資格なんてない

「ツカサさん? どうしました?」


 怪訝な表情でアイザックさんは言う。

 他の三人が退出したのに、部屋を出るそぶりを見せず、その場に突っ立ていたら、不思議に思うのは当然だ。

 しかもそればかりか、僕は聖堂騎士たちとは正反対、つまり扉でなく、執務机に歩みを進めたのだ。


 だから、褐色の穏やかな面立ちが、更に疑問の色を深めることとなる。


 構わず僕は懐から、袋を取り出す。

 質実剛健そのもの執務机に置けば、かちゃりと金音がした。


「これは?」


 唐突に執務机の上に現れた、粗末な麻袋。

 当然ながら、この街の司祭はその正体を掴みかね、先に僕に向けていた疑念の視線を、それに傾けていた。


 一度、彼の目は僕に戻る。

 そして聞いていた。

 正体が解らない。

 だから中を見ていいかと。


「どうぞ」


 対して僕は言葉で返答する。


 彼の生来の生真面目さが由来しているのだろう。

 人の持ち物だからと、丁寧な指運びで、僕の差し出した袋の口を開けて、中をのぞき込んで。

 そして、表情が変わる。

 驚きのものへと。


「それらを売って、食料の足しにしてください」


 僕のその言葉に、驚嘆の表情、更に深まる。

 そしてその後に、アイザックさんは、袋の中身を白日の下にさらした。


 きらきらと、豊かな輝きが僕の目を刺した。

 金属由来の鋭い光。

 宝石由来の複雑な色合いの光。

 それは趣向に凝った、金属と宝石が見事に調和した、いかにも価値のありげな装飾品の光だった。


 そう、僕が差し出したものとは、あの商人から拝借した売り物。

 生き残るためと自分勝手な免罪符を拵え、死体からはぎ取った、僕の堕落の結晶である。


 大都市エクレにて暫くの費えを手にするための、懐に入れたそれら。

 しかし、エクレ滅亡と僕のカペル定住により、彼らを現金に姿を変える機会を逸した。

 故に今の今まで僕の懐にて、塩漬けとなっていたのだ。


 このままこの街に身を寄せている限りでは、どうにもこれらは役に立ちそうにない。

 ならばいっそ、この機会に売ってしまって、その金でもってカペルに住む全ての人々のために使うべきではないか。


 僕はそう思って、このこれを表に出したのだ。


 もっとも、今このタイミングで、僕の悪事に染まった麻袋を取り出した理由は、それだけではない。

 僕らしく、もっと自分勝手な理由もきちんと存在していた。


「ええ……いえ。非常に助かりますが……いいのですか? これをあなたのために使わなくて」


「ええ。ここの皆の役に立てるなら、喜んで。それに……そのアクセサリー、元はと言えば僕のものではないんです」


「と、言うと?」


 アイザックさんの表情がすっと変わる。

 それまで困惑一色だったのに、僕の一言によって、いつもの通り立派な聖職者の顔に戻る。


 真実を見透かしそうな、そんな真っ直ぐな目で僕を眺めてくる。

 口では、では誰のものか、と問うてきてるけど、きっとおおよその見当はついているに違いない。


 彼は促しているのだ。

 僕の告解を。


 心臓が大きく鳴った。

 自らの罪を認め、正直に話す。

 ただそれだけのことなのに、強い緊張感に僕は襲われた。


「レイチェルに出会うまで、場所もよく解らないところをふらふらしてて……その、そこでたどり着いた荒廃した街や……ご、ご遺体からくすねたんです」


 自らの悪事を告白する。


 それがこんなにも勇気が要ることなんて思わなかった。

 口は緊張でからからに乾いたし、僕の矮小な心は、何度も誤魔化せ、嘘をつけ、と僕に誘惑し続けた。


 けれども、それも言葉にする直前までのこと。

 一度口にしてしまえば、後は止まらなかった。


「僕……どうやったらこんな環境で生きていくのか、考えても考えても解らなくて……今後のためにお金はあった方がいいだろうと思って……だから……」


 そう、僕がしたかったこと、それは懺悔だ。


 悪事を秘密にすること、それによって僕の心は常に痛みを覚えていたのだ。

 それから解放されたい、全てとは言わなくても、ほんの少しでいいから。


 だから決意したのだ。

 火事場泥棒という罪悪、それを神前にて吐露しようと。


 悪事に対する罪悪感が、それをずっと秘密にしてきた自己嫌悪が、僕の口を滑らかにする。

 隠してきたことにより、覚えていた痛みが、少しずつ和らいでいくように思える。

 口を動かす度、ずっと痛みと同時に、胸の奥につかえていたものが無くなっていくような、感覚も覚えた。


 かたりと、椅子の脚が床を蹴る音が聞こえた。

 質素な椅子に座していたアイザックさんが立ち上がったのだ。

 そしてそのまま、つかつかと僕に近寄る。


 罵られるだろうか? いや、それも当然か。

 火事場泥棒なんて真似をしたんだから。

 下手をすれば、はたかれるかもしれない。


 彼と僕の距離はもはや、目と鼻の先。


 大きな両手を、にわかに持ち上げて。

 次に来るかも知れぬ、面罵に備えて僕はきゅっと目を瞑った。


 が、その準備は杞憂に終わった。


 彼はぽんと両手を僕の肩の上に乗せたのだ。

 それも優しい手つきで。


「よく」


 瞑った目をゆっくりと開ける。

 人好きのする、柔和な微笑みを湛えた顔があった。


「よく、打ち明けてくれました」


 その反応に面食らう。

 ぽかんと口を開けてしまった。


「……怒らないのですか? だって僕のしたことは……」


 倫理にもとることはもちろん、戒律にある不偸盗も堂々と破っている。

 指弾されることはあっても、このように、受け入れられることはないはずだ。


「確かに、あなたのしたことは、本来許されざることです。神の怒りにも触れる事柄でしょう。しかし」


 一度、大柄な司祭はそこで息継ぎ。


「あなたはこうして、勇気を持って私にその罪を明かしてくれました。それは心からの罪悪感を感じねば、出来ぬこと。あなたは悔い改めたいと、心の奥底から願っていたのでしょう」


 重要なのは悔いること。

 開き直ることではなく、悔いて反省することなのだ、とアイザックさんは言う。

 僕の心中にある、罪悪感を慮ってのことだろう。


「神の慈悲は無量のもの。悪しき人に罰を与える一方、悪しき行いを悔いる人々には、悔い改めの機会をお与えになり、罪をお許し下さるのです」


「でも、僕がやったのは。一度だけの話だけじゃ……」


「ええ。故に神の慈悲は無量なのです。ツカサさん。あなたに悔い改める心がある限り、神はその度にあなたをお許しになることでしょう。何度でもね」


 犯した罪を告白する度に、軽くなる僕の気持ち。

 でも、完全には軽くはならない。


 何故なら僕は、火事場泥棒以上におぞましいことをしでかしてしまっているから。

 そして僕はそれは口に出す勇気がない。


 窃盗を供述する勇気はあっても、殺人を告白するほどまで強くはないのだ。

 彼が、皆がどんな反応を示すか、それを見るのが怖いから。


「それでも、もし、あなたがあなた自身を許せないのであれば」


 一向にすっきりとしない僕の様子を見てか、アイザックさんは話の切り口を変える。


「その時は、あなた以外の誰かの罪を、聞き入れて許してあげて下さい」


「僕が、他人を?」


「そうです」


 司祭は鷹揚に頷いて答える。


「今、あなたは私に、そして私を通して神に自らの罪を告白しましたよね? その時、あなたの心に淀んだ罪悪感は幾らか晴れ、安息が心に広がったはずです。その安息は、即ち救いなのです」


 その通り。確かにその通りだ。

 告白により、少なくとも盗みによる罪悪感が晴れて、僕の心はずっと軽いものになった。

 苦しさは幾らか晴れた。

 苦悩が薄まること。

 これが救済であるのであれば、間違いなく、さっきの僕は救われたことになる。


「その救いを、今度はあなたが与える側になるのです。そしてその救いは、あなたに罪を告解した者のみのものではありません。罪を聞き入れ、何者かに神の赦しを与えるのに貢献した、あなたもまた救われるのです」


「救いを与えて救いを与えられる? 救いを与えられて救いを与える? なら、さっきの僕は」


「ええ、あの時、私もあなたにしっかりと救われましたよ。罪を聞き入れ、神と共にあなたを赦したことによって。あなたを救えた実感によって」


 誰かを救うことが救い。

 つまりは自利利他の理。

 誰かを赦すことで、誰かを救い、そして自分を救う。


 こんな僕でも誰かを救えるかもしれない。

 エクレの時を思い出す。

 あの時、僕はレイチェルを救った。

 自分の僅かに残った良心のためと、とにかく自己中心的な欲求だったけど、とにかく救った。


 その時の僕の心は何を感じていたか。

 達成感に包まれていたではないか。


 そしてこれからも、誰かを救い、その達成感を度々感じる未来があるならば。

 そうならば、その未来ははとても心地の良いものに思えた。


 だって、レイチェルの時も、告解によりアイザックさんを救えたと告げられた時も。

 達成感によって、少しの喜びが得られたではないか。

 出来るなら、これからもその心地よさに包まれていたい。


 でも。


「でも……僕に出来るでしょうか? 人を、誰かを救えるのでしょうか」


 この僕に。

 自分勝手な僕に。

 果たして誰かに慈悲を向けるだけの度量、それがあるのだろうか。

 そもそも、資格があるのだろうか。


「あなたにもきっと出来るはず。天に在す神は、ご自身の姿を模して、我ら人類をお造りなさりました。それは外側だけではなく内側も同じこと。あなたにも、人類に対する無量の慈悲が備わっています。それに」


 アイザックさんは、大きな体を屈めて自身の目を、小さな僕のものと同じ高さにして諭す。

 静かに机の上の盗品の入った麻袋と、アクセアリーを指差す。


「由来はどうであれ、あれらで私たちの腹を満たすことが出来ます。大丈夫、告解によってすでに罪は贖われました。それでも贖いが足りぬと、未来に困る我らのために、あなたはそれを投げ打つのであれば」


 もう二度、軽く僕の両肩を叩く。

 それはきっとほら、しっかりして、と僕に伝えるためのジェスチャー。


「あなたは十分に人を救えていますよ」


 そして、大丈夫、問題ない。

 優しく僕に語りかけてくれた。


 その優しさに、僕は思わず泣きそうになった。

 なんていい人なのだろう、と。


 でも、アイザックさん。

 僕は人を殺しました。

 そればかりじゃなくて、もっと赦されないこともしました。

 しかもそれを懺悔のための告白すらしてません。

 黙ることによって、優しい貴方を現在進行で裏切っているのです。

 罪悪感を覚えつつも、仕方がなかったことだ、と割り切れてしまっている自分も居ます。


 僕にの中に、無量の慈悲があるとは思えないんです。

 きっと、僕は異世界の人だから。

 この世界の神様に造られた存在じゃないから、備わっていないんだと思うんです。


 いや、それじゃ僕の同郷の人々に迷惑だ。

 僕は、二つの世界に共通するはずの、人として大切な何かを欠いた人間なのだと思うのです。

 きっと僕は人類のふりした、もっと別のナニカだと思うのです。


 ねえ、アイザックさん。

 そして神様。

 そんな僕が人を救っても、本当にいいのでしょうか?

 僕に救われる資格なんてあるんでしょうか?

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