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第一章 三話 事実に気が付きたかったわけじゃない

 赤銅の荒野で見つけた、人類の存在をにおわせる異物に近づいているその最中、僕の胸中はとある不安でいっぱいだった。

 それは、あの荒野の異物の内に住んでいるかもしれない人たちに対する不安だ。


 そこに住んでいる人たちにとって僕は、文字通り異邦人である。


 近づくにつれ、覆い囲う壁が、どうにも外敵から身を守るための防壁であることが明らかになった。

 もしかしたら、僕が迷い来てしまったこの場所は、外敵の襲撃がしょっちゅうあるような、情勢不安定な地域なのかもしれない。


 そうであるならば、きっとそこに住む人たちは、極めて外への警戒心が強いとみて間違いないだろう。


 僕の不安とは、外的要因に対し神経質な人々が、果たして異邦人を、その壁の内に招き入れることがあるだろうか、というものだ。


 さらに悪いことに、何か身分を示すものを提示せよ、と求められた場合、僕はそれに対応する物を持ちあわせていない。

 あの悪魔の言う通り、ここが本当に異世界であるのならば、この世界では僕の身分を証明するモノなど存在しないのだから、持っているはずもなかった。


 異邦人にして身元の一切が不明。

 今の僕のステイタスはそれ。


 ああ、なんて胡散臭い奴なんだろうか、僕は。

 正しい意味での門前払いを食らうことになるだろう。

 しかし、そうとは思いつつも、現状において情報を得るためには、嫌でもあそこに行かねばならないのだ。


 そんな不安が異物に近づくにつれ、どんどんと大きくなってゆく。膨張してゆく。


 僕の視力でも防壁の詳細が視れる距離になった頃合いである。僕の心情に変化が生まれた。

 異物に住む人たちによって、僕が彼らの異物と見なされ、門前にて弾かれるのではという恐れ。それが、凄まじい勢いで萎んでしまい、そしてついには、綺麗さっぱりなくなってしまったのだ。


 それと交代する形で僕の心に現れたのは、まったく別の危惧。

 その危惧とは。


「ここ、誰かが住んでいるのかな?」


 見つけた荒野の異物が、実は遺物ではないだろうか? というものだ。


 狭間が等間隔に開いた丸太作り防壁は、あるところは抉れ、あるところは割れ、そしてひどいところに至っては、防壁そのものが消し飛んでしまっている。

 これではとてもではないが、防壁としての機能を、今もなお十全に発揮している、とは言えない有様である。


 素人の僕から見ても、今すぐにでも修繕した方がいい、と思うくらいの損傷具合なのに、まったく手がつけられていないのだ。

 廃墟では? と訝しんでしまう。


 防壁の傷のささくれ具合を鑑みるに、どうにも最近壊れたものらしいのではあるが……

 これから修復にあたろうとしているのかもしれないが、やはり応急処置もせず、破損を放っておくのは奇妙でしかなかった。


 生々しい傷が刻まれた防壁に沿って、門は何処と探し歩く。

 壁のそばには、それまで荒野には見かけなかった灰色の岩石が大小問わず、ごろりと転がっていた。

 大きな岩だと、赤銅の大地にその巨体の下部をめり込ませていた。高いところから落ちてきたかのようだ。


 地と岩の境を見る限り、壁の傷と同じくめり込んで日をおいていないように見える。

 推測だが、壁を抉り、穴穿ち、そして吹き飛ばした原因は、この岩石たちが原因なのだろう。

 どこかから飛来し、直撃し、その衝撃でもって壁を傷物したのだろう。


 だとしたら投石機でも用いられたのだろうか?

 つまりはこの場で戦闘が行われたのだろうか?


 だとすれば、ここが廃墟になっていなければ、余計に壁の内の人々は神経質になっていることだろう。


「それは困ったな」


 そうだとすれば。

 僕みたいな怪しい人間を入れる道理なんて、どこにも見当たらないじゃないか。


 げんなりした気分で歩みを進めると、やがて目的の場所にたどり着くことが出来た。


 門だ。

 大きな大きな、跳ね上げ式の門。壁と同じく木で出来たやつ。


 けれども傷だらけで奇妙な防壁と同じく、その門もやはりどこか様子がおかしい。


「見張りが居ない?」


 これだけ壁がぼろぼろなのに。

 これだけ岩石が降り注いだかもしれないというのに。

 本来厳重に守らねばならない門前が、無人であるのは不自然に過ぎないか?


 それも見る限りでは、門は開放されているように見える。

 この異物は外に開かれていることになっているのだ。

 明らかに異常が起きた痕跡があるのに、である。


 いや、そもそも狭間があるのにも関わらずにだ。

 暢気に、そして無防備にここに近づいてきた僕に対して、矢の一つも飛んでこなかったことも今考えればおかしかった。


 見張りの居ない門。その上門は解放されており、防壁の狭間も、どうにも機能している様子もない。

 つまりは――

 

「本当に廃墟?」


 その可能性が極めて大きい。

 僕は落胆と安堵が複雑に混ざったため息を吐いた。

 落胆は言わずもがな、にわかに高まった廃墟かも知れないという可能性に対して。

 反対に安堵は、門前払いされることはなくなったことに対して。


「まあ、まだ廃墟と決まったわけじゃないし」


 狂気の男に絡まれるわ、身に覚えのない場所に飛ばされるわと、ここまで気が滅入るに十分な目にあってきているのだ。

 ここは、門番がいないことをポジティブに捉えよう。


 足止めされることはないんだ。自由に入れるんだ、と気楽に考えよう。


 僕は先に抱いた落胆を、ひとまず忘れることにして、壁の内へと踏み入ることにした。

 壁はひどい状況だけれども、意外にも内側は栄えているかも知れないのだ。

 我ながら随分と苦しい考えではあるが、事実あの門をくぐらなければ、ここが廃墟か否か、それを判別する決定的な証拠は得られないのだ。


 まずは行かないと、なんにもも始まらない。

 そう腹を決めて僕は門をくぐり。

 そしてその壁の内の光景に驚愕した。

 仰天した。


「これは……ひどい」


 壁の内の光景は、月並みな言葉ではあるが地獄であった。

 外で見た大小問わずの無骨な岩々、それがそこにも無慈悲にも転がっていた。

 人々の生活を壊していた。


 道が岩で砕かれていた。

 店が岩で圧縮されていた。

 広場が岩に踏みにじられていた。

 家が岩で潰されていた。

 人々の生活を、営みを。

 無骨な岩共が蹂躙の限りを尽くした傷跡。

 それが僕の目の前にて広がっていた。


「一体……何が」


 奇妙な耳鳴りがする。

 ぶんぶんと耳の奥でまとわりつくような、そんな不快な耳鳴りがしていた。

 いや、耳鳴りなんかに気を取られている場合じゃない。

 目の前の光景、それをまず受け入れることが肝心であろう。


 言うまでもなく、目の前は廃墟。

 ああ、確かにここは廃墟であった。遺物であった。

 それもただの廃墟ではない。

 気をつければ日常の残り香が感じ取れるような、言うなればそんな新鮮な廃墟であった。


 砕かれた道を見れば、誰かが使っていたのであろう荷車が粉々になっていた。

 防壁と同じく新しいささくれを主張しながら。


 圧縮された店を見れば、売り物であったはずの果物が砕け散り、どろりと黒く腐りきっていた。

 腐った果汁は乾いた土をわずかに潤していた。


 そして、広場を、家を見れば。

 岩の下からでろりとはみ出たモノがあった。

 家の残骸に紛れてばらばらに散乱するモノがあった。

 あれはなんだろうか?

 目を細めてそれを確認――


「だめ」


 ――することを、僕の体と頭は反射的に拒絶した。


 かぶりを振って視線をそらす。

 目をつぶって視界を閉じる。

 確認作業を中断する。


 緊張で口の中が渇く。

 鼓動が荒れる。

 めちゃくちゃな律動でもって僕の心臓が動く。

 苦しいくらいに。


 どうしてここまで胸が早鐘を打つのか?

 どうしてこんなにも口が渇く?

 どうして反射的に認識を拒絶した?


 答えは簡単だ。

 見てはいけないモノを見てしまいそうだったから。


「うっ」


 激しい動悸と、その直前に勢いよく頭を振ったことが原因だろう。

 にわかに立ちくらみを引き起こす。 

 前後不覚となり、一歩、二歩、三歩、四歩と大きくよろめく。

 そして五歩目にふらついたそのときだ。

 左足が薄いソール越しにぐにゃりと柔らかい感触を覚えて。

 足を取られて、僕はそのまま尻餅をついた。


「あ」


 立ち上がろうと両手を地面につけたつもりだった。

 乾燥した土のじゃりじゃりとした感触を、両の手のひらに感じるはずだった。


 けれども、左手はそれを感じることが出来なかった。異なる感触を手にしてしまった。

 ぐにゃりと上履きで感じたものと同じ感触。気持ち悪さが先行する感触。左手で感じたのはそれだった。

 

 だから僕は反射的に。

 僕の左手が何に触れたのか、一体僕は何を踏んだのか。

 それらを確かめるために。

 視界にそれらを入れてしまった。

 見てしまった。


「ああ」


 見てしまった。

 左手で触れてしまったそれは。


「あああ」


 黒ずみ。

 腐って、腐って、真っ黒な汁を滲ませ。

 蛆が集るまでに腐敗した。


「ああああ」


 人のちぎれた腕。


 そして僕が踏んでしまったのは。


「あああああ」


 岩にその身を食いちぎられた人の胴。 


 その時僕は理解してしまった。

 この廃墟の内に足を踏み入れてより鳴り響く奇妙な耳鳴りの正体を。

 そして立ちくらみを起こすほどに、かぶりをふって認識を拒否した何かの正体も。


 耳鳴りは実は耳鳴りではなかったのだ。

 ぶんぶんと耳にこびり付くような嫌な音の正体は。

 餌場に群がらんとする蠅の羽音であったのだ。

 ちぎれた胴と腕へと飛びかかる蠅たちのものだったのだ。


 そして認識を中断した、何かとは。

 僕が踏んでしまった、僕が触ってしまったモノと全く同じ。

 かつては人間であったモノだったのだ。


 認識してしまったことが契機だったのだろう。

 それまで広場の跡と家の残骸だけだと思っていた、この廃墟の街には。


 ああ、なんということか。

 そこかしこにあるではないか。


 視線を滑らせど、移せど、どこかしらにそれが見えてしまうではないか。


 どこを見ても。

 どこを見ても!


 死体が!

 遺体が!

 遺骸が!

 亡骸が!

 骸が!

 屍が!

 ホトケが!

 カラダが!


 目に映ってしまうではないか!

 この場に遍在してしまっているではないか!

 死が! 死体が!

 満ちあふれてしまっているではないか!


「いや……いや……いや」


 その事実に気がついてしまった僕は。


「い」


 認識したくない事実を認識させられてしまった僕は。


「ゃ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 とてもとても大きな叫び声をあげた。

 悲鳴を、あげた。


 死が充満したこの場所に僕の悲鳴が反響する。

 しつこいくらいに響かせる。

 何度も、何度も、うるさいくらいに。

 わんわんと鳴り響く。

 僕もわんわんと泣きわめく。

 けれども、うるさいと咎める声は。

 いつまで経っても上がることはなかった。

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