第二章 二話 環境が環境だけに、人の悪意に敏感にならざるを得ない
良く言えば質素、悪く言えばボロ家。
そんな風体であるカペルの教会なのだから、当然と言うべきか、各所扉の立て付けはよろしくなかった。
僕とケイトが居座る司教坊もその例外にあらず。
今、まさに、ぎいと耳障りな音を扉が立てて、新たな客人の出現をかなりオーバーに告げていた。
扉の向こうから来たのは一人の背の高い男だった。
癖のある金髪を、頭の後ろにまとめた、ギリギリ壮年に足を踏み入れていない、何とか青年と言える年頃の男。
その格好を文字にて表現すればそのようになり、品に溢れる繊細な美青年の図を想起させることだろう。
が、現実はさにあらず。
彼は確かに背が高くて、綺麗な金髪を蓄えてはいる。
王子様属性を持っている、と言えるだろう。
が、そんないかにもな王子様属性、その全てを台無しにするのは殺人的なまでに鋭い三白眼を同時に彼は持っているのだ。
そこに鼻筋を横断する紫色の古傷というトッピングがつくとなれば、もう、ヤのつく自由業な人々にしか見えない。
生まれ育った世界であれば、交遊を謹んでお断りしたい外見。
しかしこの世界にたどり着いてより、数奇な運命を辿り続けている我が身である。
本来なら関わりたくない見てくれの彼と、僕は既に交友を暖めていた。
彼の名前はデイビット。
このカペルの聖堂騎士の長を勤めている強者である。
「ん。ケイトに……ツカサ? どうしてここに? もしかして何かやらかした?」
だけど、どうにも僕はこの人がそんな責任のある地位に居るべき人のようには、悪いけど思えなかった。
だって、ほら、今僕に語りかけた声色を聞けば、そう思っても仕方が無いだろう。
クラスに一人は居るだろう。
いつも先生に怒られる、いたずら好きのお調子者。
そのような人が、新たに被説教仲間を見つけた時のような、そんな期待とからかいが混じった声を僕に飛ばしてきたのである。
もちろん、その声にぴたりと合致するニヤニヤを顔に張り付かせながら。
「私が勧めたんですよ。ここに来た方がいいって」
さて、どう反応したらいいか。
無い頭をフル稼働させてそれに悩んでいると、ケイトが助け船を出してくれた。
「レイチェルの連れてきた新しいのの件?」
なんだ、つまらない、と一瞬あまりに子供っぽい表情を出したのも一瞬。
次いで、年相応の、落ち着いた態度を取り出してケイトに問い直した。
「ええ、そう。もしかしたら、ツカサにも話、通した方がいいと思って。勿論勘ですけど」
「勘、ね」
床が抜けるのではないか。
そんな危惧を抱くほどに喧しく床を軋ませながら、デビットさんは歩を進める。
そして、応接のために使うのであろう、それだけは質素とは言えぬ造りの長椅子に、彼はどかりと腰を下ろした。
「一応根拠、聞いておこうか?」
「このご時世、街の外でどんな災厄が襲いかかっても不思議ではありません。しかし、それを抜きにしても、彼の人が見せた反応は異常でした」
「と、言うと」
「ツカサ、あるいは私を見つけた時、心底怯えた様子でその場で蹲ってしまいました。あんな反応見せるのは二つに一つ」
一度、ケイトはそこで息を継ぐ。
「私かツカサから手酷い暴力を受けたか。でなければ、人類という種そのものに絶望しているか」
僕にせよ、ケイトにせよ、今日レイチェルが連れてきた被災民に会ったことはない。
と、なれば答えは言わずもがな後者となる。
即ち、何か人類の大きな悪意に巻き込まれたと、彼女は暗に言っていた。
「私は似た反応を見たことがあります。盗賊に攫われ、その数日後に助け出した女性がそれでした。男を見て恐慌するか、人間を見て恐慌するか。その違いはありますが」
「……もう一つだけ聞こうか?」
「どうぞ」
「それは嫌な予感?」
「ええ、勿論」
「……お前の勘って、嫌な方向ばかり当たるからなぁ……」
彼はボリボリと無造作に頭を掻きむしりつつ、抜けそうな床を眺める。
心底うんざりしたようなため息を漏らしながら。
彼女の予感。
即ちそれは、レイチェルが新たに保護した、被災民に関わる問題。
やがてそれは、僕にも関係してくるやも知れぬと、外でケイトは語った。
そして彼女はこうとも言った。
もう、僕も立派なカペルの防衛戦力の一つであると。
で、あれば、彼女の懸念、それは自ずと絞られてくる。
僕は口を挟む。
「もしかしたら、カペルが攻められるかもしれない? その……」
つまりはそういうことだろう。
防衛するための力が必要になる展開なんて、そうしか考えられない。
それも、対ルフの戦力として一応機能している戦力に、改めて話をする必要のある問題となれば。
同族である人類に深い恐れを抱いているのであれば。
僕が言いよどんだ部分に当てはまる言葉は、そう、一つだけだ。
「それはいささか話が飛躍しすぎだが――」
デイビットさんは床に貼り付けた視線を、ゆっくりと引き剥がした後に僕を見る。
鳶色の瞳は諦観に染まり、声無き言葉をしっかりと紡いでいた。
俺がここに呼ばれた時点で察してくれ、可能性は否定できない、と。
暗い未来予想の前に、僕は押し黙る。
きっと同じことを想像しているのだろうか。ケイトの口も僕にならう。
部屋の内に沈黙が訪れる。
「んで? この部屋の主は未だ面談中? その件の保護民と?」
沈黙を破ったのは、ヤクザな聖堂騎士であった。
背もたれに思い切り体重をかけながら、気楽そうな口調で言う。
その様子はあまり事態を深刻視していないように見える。
が、前後の会話から察するに、今の態度は演技であろう。
重い雰囲気を少しでも和らげようとするための。
彼は顔に似合わず気遣いの出来る人間なのだろう。
「ええ、でも」
廊下の床板が軋む音を耳に入れて、ケイトは答えかけていた口を一度止めた。
音は真っ直ぐこの部屋に向かって来る。
どうやら、噂をすればなんとやら、ってやつらしい。
「今、終わったようです」
ケイトのその一言から一瞬の間をおいて、いつ聞いても心配になる軋み音をあげて、扉が開いた。
部屋に入ったのは二人。
片方はケイト、デイビットさんと同じ服を着たレイチェル。
彼女はもう一人の一歩後ろの位置についていた。
そして一歩先行するのは、法衣を纏った中年の男性。
彼こそがこのカペルの教会の長で、名をアイザックと言った。
彼は褐色の肌と筋肉質なで堂々たる体躯を持っていた。
それでも見る者に威圧感は与えないのは、目元は穏やかなおかげであろう。
人の良さを感じる顔つきであり、目つきで全てを台無しにしてしまっている、デイビットさんと好対照を成していた。
けれども、平時は柔らかい表情を持つ彼といえど、今、見せている表情は渋い。
それは保護した人と交わした会話、その内容が芳しくないことを意味していた。
現に追従しているレイチェルのそれも、明るいものとは言えない。
「おや、ツカサさん……ああ、そうですか。ケイトが」
僕を見つけ、意外そうな表情も浮かべるも、それも一瞬。
ケイトがそっと手を上げると、おおよその経緯を悟ったのか、得心せり、と僅かに一回頷いた。
「顔色見るに、あんまり楽しい話題ではなかったようで」
会話の口火を切ったのは、長椅子に座したままの騎士の長。
背もたれから背を剥がして、僅かに前のめりの姿勢を築きながら、彼は言外に問うていた。
彼の身に何が起こったのか、と。
「そうですね。これからの私たち、その身の置き方を考え始めるきっかけとなる、そんなお話でした」
「ほう、それはそれは」
アイザックさんは執務机の椅子に腰掛けながら答える。
造りはデイビットさんのそれとは対照的に、とても質素だ。
教会同様、体重をかけたその瞬間、大きな音を立てて椅子は軋んだ。
次いで司祭は一度レイチェルに目配せ。
軽く頷いた彼女は、デイビットさん、ケイト、そして僕の順に視線を寄越した後、はきはきとした声で語り始めた。
「彼は被災者だ。天災ではなく、人災の」
そんな意味深な一言で始まった、保護された彼の顛末。
それは先に僕らがうっすらと予想していた事態よりも、深刻なものであった、と言わざるを得なかった。




