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第一章 二十二話 オークたちの屍溢れた沼にて

 考え得る限り最悪の光景に、彼は思わずその場で頭を抱えた。

 

 彼の眼前に広がるはまさしく死の光景であった。

 陰気極まる底なしの沼に、仰向けで、あるいはうつ伏せに、あるいは横向きになってオーク達が沈みかかっていた。

 ぴくりとも動かない。

 その全てが生命活動を停止しているのは明らかであった。


「……もしもーし。どなたか生きてますかー?」


 一縷の望みをかけて彼は声をかける。

 もし生きてたら、声を上げるなり、なんなり反応を見せろと。


 しかし、聞こえるのは、背中にある草っ原が風に揺られるさわさわという控えめな音のみ。

 それが意味することは、ただ一つ。

 オークの全滅という事実のみ。


「どうしてこうなった……」


 がっくし、と音が聞こえそうな勢いで、彼は肩を落とした。

 そう、彼は死に絶えたオークの主であった。


 本当に、本当にどうしてこうなった。

 彼は心の底から嘆いた。


 大都市という、いささか大きすぎる撒き餌に、人間二人が食いついたまでは良かった。

 劣悪な費用対効果に目をつぶって、女を捕らえることが出来たならば、いくらかでもオークの増産も能うる。


 仮に苗床とならずとも、僅かばかりではあるが、一応奴らの食肉としての利用の途もある。

 それに、その二人が新たな撒き餌となり、二人を探さんとやってきた捜索者を新たに、捕らえられる機会も増えたことだろう。


 だからこそ、宙に浮かした『目』が二人の影を捉えたときには、文字通り小躍りしたものだ。

 取り敢えず状況を好転させることが出来るぞ! と。


 万が一でも逃してはならぬと、支配下にあった全てのオークを、あの二人にぶつけよう。

 絶対に捕まえよう。

 そしてオーク達に繋いだ魔力パスにて捕獲の命令を出した。


 そこまでは本当に良かったのである。

 悪かったのはこの次にとった行動だろう。


 圧倒的な彼我の差に慢心した彼は、自分が細やかに指示を出さなくてもそのうち勝つだろう、と確信を抱いた。

 そしてあろうことか昼寝を決め込んでしまったのだ。


「いやいやいや。だってさ。二人だぜ、二人。何百倍の敵をなんで倒してんのよ。おかしいだろ、それ」


 だから昼寝から目覚めた彼は愕然としたのだ。

 繋がっていたはずのオークとのパスが全部切れていることに。


 慌てて現場に駆けつけてみれば、かくの如く。

 街を見れば屍の山となった姿を眺め、沼を見れば数多の溺死体を見る羽目となった。

 反論の余地のなく、彼は完全敗北してしまったのだ。


「やべえ、どうしよう……」


 途方に暮れた声色で彼は呟く。

 ただ単純にけしかけたオークが全滅してしまったから、途方に暮れているのではない。

 実は全滅させてしまったオークたち、厳密には彼の所有ではなく、他人からの借り物であったのだ。


 気分が底の底にまで落ち込むのも無理からぬことだろう。

 何故なら、本来の持ち主に、借りたモノ全部死なせてしまったことを報告せねばならないのだから。

 このろくでもない世の中を生き抜くために、どこか彼らの拠点となる街を奪って拵える計画が、頓挫してしまったことも報告しなければならないのだから。


 彼は腰紐にぶら下げた、よれよれにくたびれた布袋に手にかけた。

 そして手のひらより、やや小さめな黒い水晶を取り出す。

 これは彼の故郷が生み出した優れもので、遠く離れた地に居る相手と会話をするための道具であった。

 魔力を通して話したい相手を念ずれば、相手の持つ水晶と回線が繋がり、会話が可能となる――


 何故その仕組みで話せるのか、彼にはその詳しくはとんと見当もつかなかったけれど、確実に言えることが一つあった。

 話すのでさえ憂鬱な手痛い失敗を、速やかに伝えることが出来てしまうコレを生み出した奴を、今すぐぶん殴りに行きたいということだった。


 おかげで今とてもとても憂鬱な気分になってしまっているではないか!


「気が……気が進まねえよお……」


 後は魔力を込めて、借り主を思い起こせばすぐに会話可能となる。

 それなのに、一向に魔力を込めようとせず、ぐずぐずと手に持つ水晶と鈍色の空と、視線を行ったり来たりさせていた。


 何をどうやっても怒られるのだから、報告したくない。

 そんな子供そのものな欲求が心を支配していた。

 それを極めて遺憾ながら克服した彼は、いやいや水晶に魔力を込めた。


 数瞬の沈黙が、彼と水晶の間に流れた。

 そしてそれを破るぶつりという音がした。

 水晶越しに相手の息づかいが聞こえてくる。

 さあ、話さねばならない。

 意を決して、彼は口を開いた。


「あのー、もしもし?」


「やあ、君か。首尾はどうだい? 恙なく拠点を築くことが出来たかい?」


 女の声だった。

 決して声量は大きくはない。

 けれども良く通る落ち着いた雰囲気の不思議な声であった。


 だが、彼にとってそんなことどうでも良かった。

 彼と彼女は既知の仲で今更感慨を抱くこともないし、それ以前に女の声を評する余裕などないからだ。


「はい……そのことなんすけど……借りたオークのことでちと報告がございましてね……」


「どうしたんだい? まさか丸々全部潰した、なんてことはないよね」


 冗談めかした口調で、彼女は軽く言った。

 畜生、相変わらず妙なところで勘が鋭い女だ。

 態度には出さないこそ、彼は内心悪態をついた。


「あの、あの。ひっじょーに申しにくいんですが、その通りなんすよ。はい……」


「……は?」


 一瞬の空白の後、威圧感に満ちた一言が返ってきた。

 彼女が発した言葉はたった一音なれど、それに込められたのは間違いなく多義であろう。


 何で潰した。

 どうして負けた。

 何を試みて失敗したのか。

 お前、何したのか解ってんのか。

 

 長考しなくとも、少なくともこれだけの意味を発掘することが出来る。

 放っておくと、延々と込められた意味を掘り起こしてしまいそうになる。

 もちろん現実逃避が目的で。


 が、その欲求をどうにか叱りつける。

 彼はしょんぼりと目を伏せながら、ぼそぼそと顛末を話し始めた。


「いやね。借りたオークをね。増やして返そうと思ったのよ。そしたらデカい街を見つけてね。ああ、ここにオークを解き放てば、いい感じで増やせるぞ、って思ったんだよ。んで襲わせたら……そしたら」


「そしたら?」


「オークが組み敷いた女達が片っ端から、一人残らず自害した」


 本当にそれは圧巻の光景だった。

 皆口々に彼らの信仰する神に許しを請いながら、あるいは舌を噛みちぎり、あるいは石畳に頭を強かに打ち付けて、自害していったのだ。


 あれよあれよの内に女達が自死していき、そうして気付いてみれば、残ったのはオークと一人の男である彼のみ。

 しかも豚の怪物どもの方は、ご立派な一物をギンギンに滾らせてると来た。

 男をそういった目的で襲うことはない、それを知っているとは言え、その光景は極めておぞましく、恐怖そのものでしかなかった。


「……ちなみに襲った街の名前は」


「えっと……エクレだったかな。やべーよエクレ。イカれの街だったよ、マジで」


 それは心からの感想であった。

 確かに化け物に犯されるのは、想像を絶するほどの屈辱と嫌悪を覚えるだろう。


 が、だからといって、仲良く揃って自殺することはないではないか。

 彼にとって街の女達の選択は、理解の外にあった。

 だから、きっと全員素面でなかったに違いない、と安直な結論を下したのだ。


「……君はバカだろう」


 呆れた、と言わんばかりの大きなため息の後に、ぼそりと罵倒の言葉が飛んできた。

 バカとはなんだ、バカとは。

 ムキになってそう言い返したくなったが、彼はぐっと堪えて、彼女の次の言を待った。

 どうにも遠くの地に居る彼女には、女達が死を選んだ理由の心当たりがあるらしい。


「そこはかの宗教の一大都市だ。住民全てが敬虔な信徒だ。汚されるなら信仰的に清くなるために死を選ぶ。そういう土地柄だぞ、そこは」


「つまりは宗教のために死んだ……ってこと?」


「その通り」


「理解出来ないなぁ……生きて復讐の機会窺った方が、ずっといいと思うけどなぁ……」


 思想に殉ずる、といった概念を、どうにも彼は理解できなかった。

 味方を逃がすために、捨て石となるのは理解できる。

 少数の命を、多数の命を維持させる力に変換するのだから、決して非効率的な行動ではないからだ。


 が、思想のために死んだところで、その消費した命が何を生むというのか?

 何も生みはしないだろう。

 ただただ、屍を量産するだけで、あまりに効率的ではない。

 それはいわゆる無駄死にというやつではないのか?

 無駄死にを進んで行う感性を、やはり彼は理解することが出来なかった。


「それで? どうしてオーク全滅させたのか、その説明はまだ聞いていないのだけど?」


 襲った街の名前から話を横道にそらさせて、肝心要の何故借り物を全滅させたか、それをはぐらかす作戦は失敗に終わった。

 自分よりずっと頭のいい彼女を、ちょっとやそっとの脱線で、話を有耶無耶にさせようというのは、流石に無理があったか。


「……一応エクレは落としたんだよ。でもあまりにデカすぎて、守るにはキツくてな。ならいっそのこと拠点にしないで、街そのものを罠にしたわけですよ。そして、獲物がかかってくれたわけですよ」


「ははあん。なるほど。で、その獲物に罠を踏み壊されたと、そういう訳だね?」


「……はい。その通りで」


 頭の回転の速い奴はこれだから困る、と彼はばれないように嘆息した。

 言わんとしていることを、さっさと理解してしまうがために、嘘をつく余地がなくなってしまうからだ。


 この期に及んで嘘をついて事実をぼやかそうとする彼を、普通の感性を持つ者なら、なんと往生際が悪い、と思うことだろう。

 愚か者、とすら思われるだろう。


 だがしかし、悲しいことに彼の頭の出来は良くはないのだ。

 頭が弱い者は往々にして、怒られるのが嫌だからと、要らない嘘をついてしまう、そういう生き物なのだ。


 そしてそういった彼らは、叱責を恐れるのと同時に、叱責の最中に訪れる沈黙も嫌う傾向にあった。

 ぐっと我慢すればいいのにも関わらず、彼は新たに余計な一言を紡いでしまう。


「あのー。失敗しておいてこう言うのもアレですが……いろいろと動くにも数が足らんわけで……またオークを貸して……」


 それが失言だったと彼が気付いたのは、水晶越しに、ぶつりという音が聞こえてからだ。


 あ、堪忍袋の緒を切ってしまった。

 そう思った時には、がなり立てる声が、彼の鼓膜を破れる寸前にまで振るわせていた。


「貸せるわけないだろう!」


「ですよねー」


「というか私ももう持ってないんだ! 再調達するにせよ、世が世だ。きちんと腰を落ち着けせなければ無理!」


 じんじんと痛む耳をさすりながらも、彼女の言っていることは何も間違ってはいないことは、彼にも理解できた。


 何せ世界は唐突に荒廃してしまったのだ。

 ただでさえ、彼らの側は今回襲った街が属していた、あちら側よりも大きな被害を受けたのだ。

 それはもう街が死んでいるか否か、の話ではなく、一人一人、個人の単位で生きながらえているか否かを問うべきレベルで。

 貸せるだけのオークを手に入れるにせよ、どっしりと腰を据えるような、そんな環境が必要なのは自明であった。


 そしてそれを一から作り上げるのは非常に困難と来た。

 ならば既存の環境を奪うしかない。

 生きるために奪うしかない。

 故に彼は、まくし立てた後に彼女が紡ぐであろう言葉の、心当たりを得ることが出来たのだった。

 

「つまり、さっさと何処でもいいから手が回りきるような、そんな街を奪えと」


「その通り」


 彼女に先んじて言いたいことを答えられた効果であろうか。

 水晶から聞こえる声に含まれる怒気が、すっと薄くなる。


「アテはあるのかい? 街も兵隊も」


「街の心当たりはまだないな。まず生きてる街見つけるのが一苦労だ。死んだのは復旧、結構キツそうだからなあ」


 街を奪うにしても労力と、奪うに手頃で、維持が可能である規模である街が絶対条件だ。

 エクレを襲ったのは、規模こそ大きすぎであれど、そこに居る女を用いてこちら側の頭数さえ増やせば、維持は能うると考えたからであった。


 もっとも結果は散々に終わってしまったが。


 街の住民が死に絶えたところであれば、探すに易いが、その場合腰を据える前に、人が再び住めるようにするための、環境整備が厄介となる。

 人が今も住んでいて、なおかつ、襲うに無理のないところを見つけ出すのは、相当に難しいことだった。


「では、兵隊の方は」


「ああ、そっちは心配しないでいい。オーク潰していて言うのもアレだけどさ。向こうの人間も、話のわかるイイ奴ばっかだよ。あの宗教信じてない奴、に限るけど」


 申し訳なさげに伏し目がちだった瞳を、彼は少しばかり上向かせた。

 雲の覆われながらも、それでもなお届く日の光が、彼の瞳をきらりと輝かせた。


 深い紫色の妖しい光を放つ瞳。

 上下に広い菱形に割れた黒の瞳孔。


 それらの身体的特徴が語ること、それは。

 彼は向こう側の人間と長い間争ってきた種族、魔族であることの証左であった。


 向こう側の人類にも話が通じる連中が居る。

 以前の彼なら、そのことを考えつきもしなかっただろう。


 それも仕方のないこと。

 何しろ、向こうはこちらに殺意を持っているし、こちらも向こうを一人でも多く殺したい。

 そしてそれを、両者は何度も何度も何度も実行に移してしまっていた。

 そんな間柄だった。


 が、世界が終末を迎えたことが、その関係性を少しばかり変えてしまった。

 向こう側の人間も、彼ら魔族も、今のご時世では生きるのに必死なのだ。


 勿論、多くの同胞を殺された恨みは忘れたわけでもない。

 が、今そのことに拘泥していては、自らが死にかねない。


 なら、少なくとも自分の内にある恨み辛みに蓋をして、生存という目的で協力すべきではないか。

 彼も、また少なくとも向こう側の一部の人間もそう考え始めていたのだ。


 その一部の人間らの特徴というのが、かの宗教を信仰していない、という点にあった。

 あの宗教は魔族を不倶戴天の敵と説いてる。

 信仰していないがために、身体、魔力的に優れる魔族と手を組んだ方が合理的、という判断に至ったのだろう。


 また、その信仰上の特徴故に、かの宗教から白眼視と迫害を受けていた。

 故柄に彼らは魔族にシンパシーを抱いたのかも知れない。

 とにかく、彼が簡単すぎる、と驚くくらいにあっさりと手を結ぶことが出来たのだった。


 宗教都市を選んで襲ったのもそこに理由があった。

 手を結んだ人々に恨みを買わず、むしろ歓迎されるのだから、襲わない手はない。


「現地調達の目処あり、か。なるほど。なら今度は潰さないように気をつけろよ。彼らをうかつに潰すと、恨まれて寝首をかかれるぞ。特に私たちは、ね」


 とは言え、その同盟は困難な現状を切り抜けるために結んだ、極めて打算的なものだ。

 些細なほころびから、破滅を生みかねない繊細な代物で、だからこそ、彼らの命直結する決断は慎重にしなければならない。


 オークの時のように、油断と慢心を抱いてはならぬ、と彼は気を引き締めた。

 とは言え、会話の相手に要らぬ心配を抱かせる必要もあるまい。

 軽い口調を彼は努めて作る。


「その辺は信じて欲しいな。オークの扱いは適当だけど、他人の扱いは慎重なんだぜ、俺。何より知り合っちまったからね。知り合い、殺すのは目覚めが悪いよ」


「……人の借り物も大切に扱って欲しいんだけどね」


 水晶から呆れかえった声が返ってきた。

 うん、それはもっともだ。

 返す言葉を彼は持っていなかった。

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