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第一章 十四話 神隠しの街なんて気味が悪いだけのものでしかない

 もぬけの殻。

 がらんどう。

 つまりは空っぽ。


 椅子はある。机はある。調理道具も食器もある。ずぼらにも脱ぎっぱなしな衣服もある。生活の痕跡は確かにある。


 けれども、重要なものが見つけられない。

 それらの道具を用い、日常生活を過ごす、その主たる人の姿が、いや人の気配そのものが感じられなかった。


 生活の残り香色濃く、にも関わらず人気をまったくもって感じられない屋内。僕はそこに居た。


「また、駄目」


 深いため息と共に失望の一言を紡ぐ。


 そう、また。またなのだ。

 人の姿が見当たらない屋内にこうして足を踏み入れるのは。


 収穫なし、と気を落としながら、僕は屋外へ歩み出た。

 軒先をくぐれば、整然とした石造りの町並みと、轍のある石畳が僕を出迎える。

 そして視線を上に上げれば、ヨーロッパの古都を彷彿とさせる、洗練された屋根たちがずらりと並んでいた。

 これまで僕が見た異世界の町並みと比すれば、そうすることがおこがましくなるほどに、整ったものであるけど、それとは不釣り合いに一切の活気がない。

 それこそ僕が今まで見てきた人影が失せた街々のようで――いや、そのものであった。


 肩を落としてぼうと向かいの建物を眺めていると、にわかにそれの扉が動いた。

 風はなく、地震もない。だとすれば、扉は誰かが動かしたということ。

 こうして人を求めて探している僕にとって、人の存在の証明であり、喜ばしいことと見るべきなのだけど、生憎と僕の心は躍らない。


 何故であるならば。


「こちらは駄目だ。誰一人と居ない。そちらは如何に?」


 扉を開けた人物とは、僕と同じ人捜しをする立場であるレイチェルなのだから。


 どうやら、彼女が探しに入った家屋も人っ子一人見つけられなかったらしい。

 僕は彼女の問いに対し、落胆した表情で首を横に振ることで答える。成果なし、と。

 それを見て、彼女の顔色も僕と同じものに染まる。


「また、か」

 

 がっくしと肩を落とし、レイチェルは身体全体で失望を表現した。

 そして先の僕と同じく、ため息を一つ漏らして、相も変わらず鈍色の重苦しい空を眺めた。


「一体全体。ここで何が起こったというのだ」


 空に向かって紡いだ一言は、僕もまったくの同意見であった。


 今、僕らは大宗教都市であるエクレに居る。

 大災害の被害を免れ、健在であるはずのエクレに居る。


 にも関わらず、それだというのに、だ。

 僕らは未だこの街でその住民に出会うに至っていない異常事態に見舞われていた。


 あの食事会の後、僕らはその場で一晩を明かし、共に目的地であるエクレに向かうことになった。

 その道中はこれまで僕が歩んできたそれとは、比べものにならないくらいに、僕の足取りは軽かった。


 もちろん、足下が不毛な荒野でも、無骨な石塊の原ではなかったことも理由の一つでもある。

 けれどそれ以上に、誰かと共に道を行くこと、これが僕の心に与える影響は、計り知れないほど大きかった。

 話をすれば言葉が返ってくること、周囲の警戒の負担が軽くなること、道を知っている者と帯同することにより、道に迷う心配がなくなること――影響は枚挙にいとまがない。


 さて、エクレに至るまで万事問題なく道を歩めたのかと言えば、実はそうではない。

 先日来、僕が魔法で打ち落とし、肉としていたあの怪鳥が、エクレに近付くにつれにわかに増えだしたのだ。


 それだけであったら、大して問題はなかった。

 ちらりちらりと小さくエクレの姿が視界に入るようになった頃合いには、なんと彼らは僕らに向かって飛びかかるようになったのだ。


 面食らいつつ、襲いかかられる恐怖に駆られながらも、魔法でなんとか返り討ちにしてきた。

 襲われる度必死になって迎撃に努めていた。

 それはもう、必死な形相であったに違いない。


 とても必死な僕に対してレイチェルは、余裕の対応を見せていた。

 なんと、自身の間合いに入った空飛ぶ怪鳥を、そのまま中空で訳もなく斬り伏せて、この問題を処理していたのである。


 佐々木小次郎もびっくりな剣技だ。

 当の本人は近付いてくれないと斬れないのが不便だと、ぶつくさぼやいてはいたが。

 いやいやいや……


 さて、怪鳥の襲撃を凌ぎ、エクレの城壁が目前にまで迫ったその時、僕は得も言われぬ違和感を覚えた。

 その違和感は既知のものだった。

 それはそう、この世界に来てはじめてたどり着いた、あの廃墟の街で覚えたものだった。

 明らかに外敵から身を守るための城壁なのに、世界規模の破壊をもたらした災害の直後だというのに、まったくもって警戒の視線が飛んでこないという違和感。


「レイチェル。これ、おかしいよ」


「静かに過ぎるな」


 その違和感をレイチェルも確かに感じ取っていた。

 翡翠色の切れ長な目に、困惑を大いに滲ませて沈黙する城壁を眺めていた。


「僕はちょっと前にも、こんな感じの街に、いくつか出会ったことがあったんだ。もちろん大災害の後で」


「……穏やかではない」


 僕は昨日レイチェルに、ここより南は悲惨を極めていると言った。

 ほぼ生き残った集落は存在しないと。

 そう彼女に教えた僕が、悲惨な方角の街々に雰囲気が似ていると言ったのだ。

 言わんとしていることは、つまりそういうこと。

 その意図をレイチェルはしっかり読み取ったようだった。


 破壊され尽くした街々の姿が脳裏に蘇った僕は、眼前のエクレへと向かう一歩が踏み出せなくなった。

 またあの地獄を見るのではないか。その恐れが重りとなって僕の両足にのしかかったのだ。


「行こう。エクレになにかあったのなら、助けが必要となろう。二人だけでは当然足らぬだろうが、ないよりはずっと良いはずだ」


 恐怖で竦む僕をエクレへと赴かせたのは、正義感と使命感の強いレイチェルであった。

 この困難の時において、人助けをせぬとは何事か。しない理由なぞ何処にもあるまい。

 態度でそう語るレイチェルに引っ張られたのだ。

 

 (そう言えば)


 自分のためではなく、誰かのために動くのは、この世界にきて初めてだ。


 そんな感慨を抱きながら、僕はこのエクレに足を踏み入れたのである。


 そして結果がこれである。

 確かにエクレは大災害の被害を直接に受けてはいないようであった。

 巨石で押しつぶされた家屋や人もなければ、地が割れている様子もない。

 街そのものの状態は、今まで見てきた街々の中で最高と呼んで差し支えなく、その点で言えば、間違いなくエクレは生きた街であった。


 しかし肝心要の存在が、エクレにはごっそり欠落していた。

 街を必要とし、街を作り上げ、そして生活を営んでいたはずの人間が影一つ見当たらないのである。


 ミステリ小説さながらの、破壊の跡もないのに人の居ない街。

 滞留する気味の悪い空気を切って、僕らは人を探し始めたのだった。

 広場を、市場を、宿屋を、兵舎をくまなく、くまなく探した。

 だがしかし、いくら探せど探せど結果は同じ。

 いずれも無人、無人、無人――僅かな生活臭を残して。


「次だ。ツカサ、行こう」


「でも何処に行くの? 主立った施設、今ので粗方踏み入ったと思うけど」


 先に僕と彼女が内に入って、人を探していたのは共に、この街を守護する聖堂騎士の兵舎。

 今は大災害の直後故に、本来忙しなく動きがあるはずの場所。

 そうあるべき場所でも動きはおろか、誰一人と居ないというあまりに具合の悪い事実だ。

 それは正常な状態に戻すための存在が、まったくもって機能していないことを意味している。


 異常を直す者がいない、この街はかような状況下なのだ。

 故にこの街はずっと異常のまま。

 だから、この街に真っ当な場所なぞ、もう何処にもないのではなかろうか。

 僕はそんな確信めいた懸念を抱いている。


「……教会。そう教会。教会だ。教会に行こう。教会であれば……」


 僕の抱く懸念はきっとレイチェルも持っているものなのだろう。

 焦りが口元に、目元に、いや顔全体に浮かび出ている顔で、彼女はひたすらに教会という言葉を紡ぎ続けた。

 それは自身の懸念を否定するための、必死なる祈りの言葉に僕は聞こえた。


 だが彼女の祈りは儚くも叶うことはなかった。

 巨大で荘厳な尖塔を有した、石造りの真っ白な教会。僕らは今そこに居る。


 ()()()()()()()()()()()


 本来そこで教えを説くべき司祭も、救いを求める大衆も、教会の内にも外にも認めることが出来ない。

 やはり教会もがらんどうであった。


 けれど街とまったく同じかと問われれば、答えは否となる。

 教会の外側はともかくとして、内側の様子は、街とそれとは異としていた。


「これは……一体」


 先まで人の気配を感じられぬ教会を目に、肩をがっくり落として落胆をあらわにしていたレイチェルが言う。

 驚きを多分に含んだ声で。

 もちろん僕だって驚きを覚えた。


 その原因は眼前の光景にある。

 本来整然と並んでいるべきの、信者のための長椅子が、それと対する形で誂えている司祭の為の壇が、無秩序に、滅茶滅茶にひっくり返り、荒れ果てていたのだから。


「何かがあった、それは間違いないみたい。街よりも穏やかじゃない何かが」


 まるで地震に遭ったか、あるいは泥棒の被害にあったかのような、拝堂の惨状を目に入れ、僕は言う。


 街で様子を見てきた家屋、施設は奇妙にも何か大事があった痕跡は認められなかった。

 生活のその途中、ある瞬間をもって、突然住民達が居なくなってしまった――そんな神隠しめいた印象を、僕は街では抱いた。

 けれどもこの場所は違う。神隠しなんて穏当なものが起こったとは、とてもではないが思えない。


 ただ消え去ってしまっただけならば、何故長椅子があちこちに倒れている?

 何故壇へと続く赤絨毯が、蛇腹となり拝廊の隅にて固まっている?

 何故何かが壊れたとしか思えない木片が、いたるところに四散している?


 何かが急に襲ってきて、教会を滅茶苦茶にして、内に居た人々の一切を攫って行った――そうとしか思えなかった。


「うん?」


 何気なく、壇の方へと歩み寄っているその最中のことであった。

 僅かに違和感を覚える。

 はじめそれを認めたときは、漠然とした違和感、といった風でその正体が何であるか、それを掴めることが出来なかった。


 けれど、一歩、また一歩と歩みを進めるごとに違和感の輪郭を捉えることが出来た。

 鼻だ。

 嗅覚が何か尋常ならざるものを感じ取ったのだ。


 一歩、また一歩と更に足を動かせば動かすほど、そのにおいは強さを増していき、今や鼻刺すほどにまでなった。


「ツカサ? 何をしているのだ?」


 鼻を鳴らしながら、ゆっくりと倒れた壇の方へと向かう僕を見て、レイチェルが訝しんだ声色で問いかける。


「においがね、するんだ」


「におい? どんな?」


 一歩を刻む毎に強くなるにおい。

 さて、それを説明する段になると、はてと僕は首を傾げざるを得なかった。

 僕の貧弱な語彙でにおいをどのように形容したらいいか、とんと見当もつかなかったのである。


 その間にも足は休まず動かし、とうとう僕は、拝廊の奥の奥、壁際の祭壇にまで来てしまった。

 そこでのにおいは一層強く、顔をしかめたくなるほどである。


「うーん。どう言ったらいいんだろう。生臭いというか、青臭いというか……いいにおいじゃない、てのは確かとしか」


 よく解らないにおいであった。

 実は似たようなものは嗅いだことはある。

 それに例えればとても楽なんだけど、この世界でその名前を言っても、それが通じるかどうかは解らない。


 塩素のにおいに似ていたのだ。

 そう、水を消毒する塩素。

 よくプールの時期に嗅ぐ、あのにおいに似ていた。


「どれ」


 要領の得ない僕の答えに、レイチェルはしばらく首を傾げていたけれど、やがて自分も嗅いだ方が良い。

 そう結論づけたのか、僕の方へと歩み寄る。

 先の僕と同じく鼻を鳴らしながら、彼女は歩く。

 一歩、また一歩とゆっくりと歩を刻む。


「え?」


 何歩目のことだろう。

 唐突にレイチェルは間の抜けた声を一つ言葉を漏らして、足を止めた。

 表情を見るにどうやら驚いているようであった。目をまんまるに丸めている。

 ちろりと舌を覗かせる程度に小さく開いた唇を見るに、その驚きは大きいようだ。


「嘘だ。これは……」


 レイチェルはぶつぶつ呟いている。

 何を呟いているのだろう?

 何かこのにおいに心当たりがあるのだろうか。


 このにおいを知っているの?

 そう聞いてみようと僕が口を開きかけたその時であった。

 にわかに彼女の顔色変わる。


 焦りに支配された表情へ。

 急変したのは顔色だけではない。

 突然レイチェルが駆け出し、僕の方へと向かい来る。

 とても慌ただしい足運びでもって駆け寄ってくる。


「ツカサ! そこを離れろ!」


 必死の形相でそう叫ばれる。


 どうして?


 そう聞くまもなく、僕の元へとやってきたレイチェルに首根っこをひっつかまれ、そして。


「わ」


 僕は後ろへと投げ飛ばされる。何をするんだ! と抗議の声を上げる暇もなく投げ飛ばされた。

 けれど、どうして彼女が僕を引き投げたのか、それを問う必要はすぐさまなくなった。


 僕が宙にて後ろ向きに滑り飛んでいる最中のことだ。

 先まで僕がその前に居た壁が、祭壇が、にわかに勢いよくはじけ飛んだのだった。

 そしてその先より、大きな大きな、とにかく大きな人型の影が拝堂の内側に飛び込んできたのだ。


 荒い呼吸の音が聞こえる。

 壁を破壊して踏み入ってきたモノから。

 害意みなぎる眼光がぎらりと瞬く。

 尋常ならざる乱入を果たしたモノのが。


 何かが、やってきた。

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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