雲龍巣
「創造主――メイズを作った三体の工業機械……だった?」
スキャンを解除してレインが振り返る。その動きに合わせて外套が揺れて、シャツの鮮やかな青をひらりと覆い隠した。
「ああ、間違いない。人型の機械ってだけなら珍しくもないけどな。そこまで巨大で、腕が四本となれば話は別だ。メイズを築き上げた工業用機械メーカーのひとつ『ミツルギ重工』が誇る機神――ダイダロス」
「うわあ、ほんとにダイダロス? 創造主に会えるなんて信じられないよ! ……と言っても全然見えないけど。余程遠いのかな」
「およそ二十キロといったところだ」
「見えないわけだ、遠すぎる。ラズ、近づいてみるか?」
「どうするか……。レイン、エレベーターの痕跡はサーチ出来なかったのか?」
「それらしい光源は見えなかった。障害物が多過ぎるし、あまり当てにはしないでほしいけど」
「そうか……」
創造主が同じフロアに現れるというのは、ラズにとってまったく想定外の事態だった。一度整理する必要がある。ラズは腕組みをして瞑目すると、レインに向けて話し始めた。
「創造主が中心となってメイズを作ったというのは、メイズで暮らしていれば誰でも知ってる人類の歴史だ。
星の地下に広大な空間を作る。それがどれだけ大掛かりで大変なことかは想像を絶する。掘り進み、固めて、建造していく。その作業を三体の創造主が行った……いや、今もその活動は続いていると言われていた」
「僕もラズもメイズで生まれ育ったわけだけど、創造主を見たことは一度も無かったんだ。だから疑わしいとさえ思ってた。創造主なんてものは作り話。あるいは、かつて存在したけど今はもう居ないんだろうってね」
レインは適切なタイミングで頷いたり相槌を打ったりする。本当に優れたオートマタは人間と変わらない。話しながらアルはそれを実感した。
「でも、レインの言うように創造主の一体――ダイダロスがこのフロアに居るとすれば、伝説の証明だ。すごい事だよ。サインもらいたいくらいさ」
「アルよ、そんなことよりも俺はこう考えてる。そもそも地下へ掘り進めた機械なら、地上へ戻ることも可能なんじゃないか?」
「そうか! あの大きさでエレベーターを使うわけがない。超凄いドリルか何かわからないけど、あいつにとっては階層を移動するぐらい朝飯前なのかも!」
「確かに地面も壁も、オモチャみたいに簡単に壊していた」
レインはうんうんと頷いてからラズの表情を伺う。
「けど、そんなのに近づいて無事だっていう保証は無い。それは大丈夫なの?」
レインの心配にラズは大きく頷いてみせた。
「心配ムヨーだぜ、レディー。こんな時のために腕を磨いてきたわけだからな。俺は護衛屋だぞ? それに、考えもある」
「考え?」
嫌な予感がするな、とその時アルは思ったが、大抵こういう時の嫌な予感は当たるし、それを回避することは困難だということをアルは身をもって学んでいた。
◆
ガサガサと甲虫が這い回り、それに気づいた白猫が機敏な動きで追い掛ける。しかし狭い隙間に逃げ込まれ、猫は口惜しげに尻尾を揺らした。
メイズに生息するのは人間だけではない。各フロアの天井高くに埋め込まれた無数の灯りはただの光源ではない。それは紫外線を発し、植物の光合成を可能にしていた。
そして地上と違い雨こそ降らないが、空気から水分を合成する技術により、ほぼすべてのフロアの何処かに最低でも一つの湧水機が存在し、それを水源とした川や湖が生まれていた。その結果、植物が育ち、それを食す虫や小動物が生息するようになった。ただし人間を襲いかねないような肉食獣は存在しない為、かつての地上とも違った独自の生態系が生まれていた。
そんなメイズの中でも比較的無機物が目立つ廃墟のような集合住宅跡。屋上から屋上へと、狭い間隔で建ち並ぶ四角い建造物を彼らは飛び移って進んでいく。
ラズは人間離れした身体能力の高さで軽々と跳躍する。レインもまた、オートマタとしての性能を遺憾無く発揮してしなやかに飛び越える。競い合うようにテンポ良く進んでいく二人を、必死に赤い髪を振り乱してアルが追いかけていく。
「おいおい、おーい! 待てってば! 僕は文化系なんだよ。そんなペースで行かれたら着いていけないよ!」
「何言ってんだ、大した距離じゃないだろうがこのくらい」
「それはそうだけど、うっかり落ちたら死ぬんだぞ。もっと安全マージンを取って進むことを僕は希望するね!」
ラズは足を止めると、やれやれと両手を広げてみせた。肉体派のラズがアルに合わせてペースを落とすのはいつものことだが、想像以上に高いレインの能力に引っ張られた結果、気づけばアルを置き去りにしかねないスピードで疾駆していた。
「のんびりしてる間にダイダロスが消えちまったら、お前のせいだからな」
「イジワルな奴だなぁ。ここで死ぬよりはマシだよ。それに、ほら」
アルは頭上を指さした。
「そろそろ夜だ。休憩を挟んだ方ががよくないか?」
アルが示した先には広大なメイズの天井が広がっている。それは屋上からでもまだ高く遠く離れている。その至る所に埋め込まれた無数のクリスタルのような装置。一つ一つが照明のような役割を果たすが、一定の周期でゆっくりと明るさが切り替わる。それは地上における朝と夜にリンクしていると云われていた。
今、その輝きはすっかり弱まり、淡い薄明かりと化していた。メイズにおける夜の訪れだ。
「このまま夜通し走り続けてからあいつに挑むのは体力的に厳しいな。仕方ない、きっちり充電してから追いつこう。今日はここらで休むぜ。キャンプの準備だ」
「了解!」
キレのいい返事をしたアルに倣って、レインは了解のポーズをビシッと決めた。
◆
「ここらは何年か前まで大勢人が住むクラスターだったらしい。四階建てから七階建ての建物がこれだけ乱立してて、住んでる連中はよく迷子にならなかったよな」
ラズは話しながら保存用の合成干し肉をムシャムシャとかじった。
最小限の暖を取る為、携帯型のテント——超軽量の素材で出来ていて、手のひら大まで収納可能——の中に三人は座っている。携帯型とはいえ、三人横になれる広さがある。
眠る前にアルとラズは食事を、レインはシリンダーで充電をしている。
「当時の画像もネットには残ってるよ。僕も見たことある」
甘い木の実を頬張りながらアルが言った。
「〈雲龍巣〉って検索すると出てくるんだけど、レインは見られる?」
「少し待って——出た。凄い、こんなに大勢住んでたの……なんというか、独特。物が多いし張り紙もあちこちに。どこか猥雑としている」
ほとんどの人型素体にはネットへアクセスする機能がデフォルトで搭載されている。プロトタイプのレインもまた例外ではない。
「ああ、無法地帯だ。メイズにおけるルールってのはフロアによってまちまちだが、大抵はモラルに則って、治安を維持するように作られている。だが、雲龍巣はちょっと違った。今日を生きる為に暮らす。その為なら自分以外の奴が損をしても構わない。出し抜かれた奴が悪い。そんな連中が集まってたもんだから、いざこざはさぞかし多かったと思うが、奴らは奴らで上手くやってたみたいだ」
「レイジの住人なんかはみんな毛嫌いしてたらしいけどね。実はねレイン、僕もラズもその頃はまだこのフロアまで来てなくてね。今のはレイジに住んでる連中の受け売りなんだ」
そう言ってアルは舌を出す。
「その雲龍巣が何故無人になっているの?」
「ふん、当然の疑問だよな。——数年前、奴らは丸ごと引っ越した。子供も老人も残さず綺麗に居なくなったんだ。建物の老朽化に耐えかねたとか、新たな安息の地を見つけたとか色々言われてるが、真相は藪の中だ」
ラズが干し肉をごくりと飲み込んだ。
「小規模なエクソダスってところだな。とにかく、今は誰も住んじゃいない。誰かが居るとしたら、世捨て人とか旅人とか、もしくは逃亡犯とかの類だな」
「勉強になった、ありがとう。……私のメモリーはやはり不具合で上手く読み込めなくなっている。ネットにアクセスすれば知識は得られるが、そもそも何を調べたらいいのかわからないし。
「ネットの情報が全部正しいわけじゃないしね。一度僕とラズのことがボロクソに書かれてたことがあってさ。借りた金を返さないだの女癖が悪いだの、身に覚えのないことばっかり」
「それはひどい……何故そんなことが」
「わからない。けどね、ちょうどそれがジョニーたちと揉めた後のことでさ。あいつらの嫌がらせって線が濃厚。ほんと面倒な奴らだよ」
「確かに。それはオートマタでもわかる」
レインが眉間のシワに苦悩を浮かべて頷いた。
「さて、くだらない話はその辺にして。食い終わったならさっさと寝ようぜ。明日は早く出るぞ」
「はーい」
「充電は完了した。スリープモードに入る」
そう言い残してレインは目を閉じた。
「ところでラズ、ダイダロスに追いついてからどうするつもりなの? 考えがあるって言ってたけど」
保温緩衝素材の寝袋に身を包んで横になったアルが言った。
「今教えてくれるならすっごくありがたいんだけどな」
「それは追いついてからのお楽しみだ。心配すんな、上手くいけばメイズ脱出も夢じゃないぜ」
「そのお楽しみってのが……不安しかないんですけど」
数秒後にはラズの寝息が聞こえてきた。アルはため息をつくと、目を閉じて羊を数え始めた。