ニルヴァーナ
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翌朝レイジを後にした三人は、フロアの探索を始めた。それぞれバックパックを背負い、長旅に備えた装備をしている。
「一晩で妙案が浮かぶほど甘くないわけだよ。だから、地上を目指しながらゆっくりと考えるのが現状ベストな選択だと思うんだよね」
アルは近隣のマップを確認しながら誰にともなくそう言って歩き始めた。言い訳めいているが、それを咎めてどうなるものでもないことはラズにもわかっていた。
「歩いて探索するの?」
「そう。僕たちはいつも歩く」
「人間は疲労するでしょ。大変ね」
「確かに乗り物は便利だけどね、それも道があればこそ。壁や段差、広い裂け目なんかは越えられない。燃料が切れたら動けない。最後に頼りになるのは自分の身体だけさ」
自ら細身の肉体を指差して言うセリフは皮肉めいている。アルの二倍はありそうな筋肉質な身体でラズが伸びをした。
「便利なもんにはそれ相応のリスクもあるしな。それより聞いてくれ、レイン。実は満足に捜索できていないエリアがあるんだ。とある理由で後回しにしていた場所だ」
「理由、というのは?」
言葉を濁したラズにレインが引っかかる。
「それは行けばわかる。そんなに遠くはない。うまくすれば今日中にはたどり着ける」
レイジの北門から数キロ。早くも辺りにはひと気がない。かつては何者かが住んでいたであろう建物が並んでいるが、錆びたパイプや塗装の剥げた外壁からは生活の気配を感じられない。
「ここはまるで集合住宅のようだ。ここを通り抜けるのか」
「半分正解だ、レイン。俺たちは前にも何度かこの辺を通っている。そして学んだんだ」
「そう、僕たちは学んだ。地上を通るよりも空中を抜けた方がいい場合もあるってね」
「空中?」レインが怪訝な表情を浮かべる。
「この先の青い建物に屋上へ抜ける階段がある。そこから建物の最上階に上る。然るのちに、建物を飛び移って進むのさ」ラズが胸を張る。
レインは目の前の建造物を見上げた。土色のマンションが密集して立ち並ぶ中に、たった一棟だけが暗い青色に塗られていた。しかし上を移動するとなると簡単ではない。密集しているとはいえ、それなりの距離を跳躍する必要がありそうだ。
「いいかいレイン。大切なのは無益な戦いを避けることなんだ。初めての君は知らないだろうけど、この辺りには野盗が出るんだ」
「野盗」物騒ね、と人型素体は顔をしかめる。
「何度か返り討ちにしてるんだけど、中々懲りないんだ。そして連中はとても素早い。何故かって、それは――」
アルが言い終える前に、凄まじい破裂音が全員の耳に突き刺さった。モーターサイクルのエンジン音とアフターファイアが混ざり合った耳障りな音が、独特の緩急を付けたリズムで繰り返し炸裂する。
「しまった、やつらだ! 急げ、あのドアから入るぞ」
ラズの指示に頷くと、レインは無駄のない動きで建物へ走った。崩れた建物の瓦礫を飛び越えて、最短距離で辿り着く。錆びた金属のドアへ手をかけて開けようとするが、鍵が掛かっているのかビクともしない。
「ラズ」
「どうした、早く入れ!」
「扉が開かない。どうしたらいい」
「んだと。前は開いたはずなのに」
恐ろしい速さで耳障りなエンジン音が近づいて来る。別の建物へ向かうには猶予が無い。
「アル、網を張れ!」
「もう始めてる! 残念ながら、無益な戦いをしなきゃならないね。時間稼ぎ頼んだよ」
アルは瓦礫の陰に身を隠してポータブルデバイスを操作する。
「アルと俺で何とかする。見つかると面倒だから隠れていろ、レイン」
すぐに物陰から勢いよく三機のモーターサイクルが飛び出した。華麗にスピンターンを決めてマシンを停める。
三人の内二人が群青色のライダースジャケットに身を包んでいる。フルフェイスのヘルメットを着用していて表情は見えない。
残る一人は黒ずんだ赤いライダースジャケットを羽織り、一際大型のマシンに跨がっている。豪快に開いた胸元から素肌が覗く。ヘルメットはかぶらず、大きなパイロットゴーグルを掛けている。各々片手に持った金属質の棒が地面にぶつかる度にダークブルーの火花が散る。
睨み付ける三人のライダー達。ゴーグルの男が威嚇するようにアクセルを吹かせると、錆びた金属の様な硬い声で叫んだ。
「青髪ぃ! テメェ、今日は〝独り〟かよぅ?」
「さぁな。お前には関係ないな」
「あ? てめナメたこと言ってんとよ……〝スクラップ〟にしてくれんぞコラァ! あぁ?」
再びモーターサイクルのエンジンを唸らせると、今度は己の体格の良さを誇示するようにゆっくり両腕を広げた。
芝居掛かったその仕草に辟易してラズはため息をつく。
「近所迷惑なヤローだな。いいか、デカイ音出せばビビると思ってるんじゃないぜ。時間の無駄だ。さっさとかかって来いよマヌケ!」
ラズが大声で挑発する。仲間から注意を逸らそうとしているのは明白だが、野盗は即座に激昂した。
「だとコラァ! ソロで動いてんならこっちは都合が良いんだよ! こないだの礼をたっぷりしてやるぜ。ソッコー〝スクラップ〟だ!」
最も大型のマシンに乗った男が大げさな仕草でラズを指差した。
「相変わらずユーモアたっぷりな言い回しだな。名前は……トニー、だったか」
「ジョニーだ!」
「ここで会うのは半年ぶりか? マシンは直ったみたいだが、オツムの方は壊れたままってわけだ」
自分の頭を指差して煽るラズに男が激怒する。
「もう殺す! おうテメェら行くぞ!」
ジョニーが叫びながらモーターサイクルをウィリーさせて突進した。その後ろに二台、三角形を描く形で追随する。比較的平坦な足場が広がっていることもあり、ラズは大きく左へステップしてかわそうとする。
「フォーメーション・ドラゴンの恐ろしさ! たっぷり味わえや!」
さらに二台目、三台目の車体が唸りを上げて左右から襲いかかる。ライダーの手には濃紺に光る棒が握られている。
「くっ!」
すれ違いざまに横薙ぎにされた棒を、体をひねって回避する。体勢を崩したところに三台目の車体が迫った。
「ラズ!」
「隠れてろ!」
思わず叫んだレインに舌打ちする。このスピードならまだ避けられる。ラズは不安定な姿勢から跳躍し、回転しながら身をかわした。
三台のマシンがブレーキを掛けて再びラズに向き直る。
「おいおいおーい、何だよ今の声。女か? テメェの相方はあの〝赤いガキ〟じゃなかったのかよぅ」
男がレインの方を見て声を張る。
「はじめましてレイディー。俺たち〝ニルヴァーナ〟の縄張りへようこそ。入場料は後でもらうぜ。このクソ野郎をぶっ潰したらな……!」
「やってみろ!」叫んでナイフを取り出すと、ラズは左半身を前に出して回避重視の構えを取る。
「おいおい、そんな得物でどうしようってんだ? 踏み潰してやんゼェオラァー!」
再び爆音とともにモーターサイクルの攻撃が始まった。三台の動きが一つに重なる。
「ワンパターンかよ。雑魚丸出しだぜ」
「カッコつけてんじゃねぇぞクソがぁー!」
ギリギリまで引きつけてから重心を切り替えて一台目をすり抜ける。かわした所に軌道修正した二台目がすぐさま襲いかかるが、素早く側転してこれも回避する。その時。
「なっ! やべぇ!」
足を着いた場所に瓦礫のクレバスがあり、不運にもそこにラズの左足が挟まってしまった。
問題はジョニーが駆る最後の一台。視線を送った先から、ひと回り大型の機体がうなりを上げて襲いかかる。
「〝スクラップ〟だぁ!」