リーカー
「メイズはひたすら広い世界だ」
ラズの低い声が狭い宿の談話室に響いた。
リナの店を離れて宿に向かった一行は、荷物を部屋に放り投げて今後のプランを相談していた。
そこは『郷愁』という名の宿で、古いぬいぐるみや旧世代の音楽プレイヤーなど、レトロな品々が並べられていた。レイジに滞在するときに二人がよく使う定番の宿だ。
何十年も前の歌が、チープな音質で流れている。
「そして別のフロアに抜ける方法はそう多くない。限られた場所に存在するエレベーターを見つけ出すことがおそらく正規のルートだが、そのエレベーターもワンフロアしか上下できない」
レインが頷く。
巧妙に隠されたエレベーターを探し出す難しさこそ、人々がメイズからの脱出を諦める大きな要因といえる。
「レイン、君は再起動した時にこう言った。『ここは、地下だな』ってね。それはつまり、地上に居たことがあるってことだよね」
やや緊張した面持ちでアルが尋ねると、レインは静かに肯定した。
「そうだ。私は地上に居た」
アルとラズは視線を交わしてニヤリと笑った。
地上から来た存在。それは今や伝説に等しい。
「そこで質問だ。お前一体どうやって地下に来た? それがわかれば地上へ行く術もおのずとわかるはずだ」
「それは……」
言葉を探してレインは下を向いた。言い淀むということが機械にもあるものなんだな、とラズは思った。
優れたAIを持つオートマタと話すことは、人間を相手にすることと変わらない。だとしたら人間に偽装した人型素体を見分けることは難しいのではないだろうか。
「どうした。協力関係になったんだ。情報の出し惜しみは無しだろ」
逡巡した後、レインは顔を上げて言った。
「あまり覚えていないんだ」
「……何を? エレベーターの詳細な場所?」
「そうじゃない」レインはかぶりを振った。「どうやってメイズに入ったのか。私にはわからないんだ」
「おい、そんなはずあるか」
ラズが思わず机を叩く。
大きな音にもレインはまるで動じることなく、明瞭なトーンで続けた。
「襲撃者が現れた時、マスターは私に逃げるよう命令した。おそらく私は攻撃を受けた。その後のことは、データが損傷していて思い出すことができない。覚えているのは、イソギンチャクに取り憑かれるところからだ」
アルが大きなため息をつく。どうやら期待していたほどうまくはいかないらしい。
「これじゃ本当に地上に居たかどうかもあやしいね。メイズにだって殺しを厭わないならず者や野良ロボットは存在するし」
まだ諦めきれないラズは、食い下がった。
「レイン、お前のマスターは最後になんて言った? 正確に覚えているか?」
「それは……ちょっと待って。確かこうだ。奴が来る。リーカーだ。逃げろ」
口調を真似するわけではなく、文言をなぞるように言った。
「リーカー? なんだそれ」ラズが訝る。
レインは自分で言った言葉に驚いたような表情をしていた。
「いや、そうだ、確かに。リーカーと呼ばれる存在がマスターを殺した」
「聞いたことないな。リーカー……一体どんな野郎だ」ラズが拳を握る。
すぐにアルがノートパソコンを広げてキーボードを叩き始める。
「僕も初耳だ。でももしかしたら今まで蓄えてきた情報の中にヒットするかもしれない」
「今まで名前など忘れていた。イソギンチャクから離れたことでメモリーの自動修復が進んでいるせいだろうか」レインが呆然と呟く。
「まさか……こいつか……?」アルの表情がこわばった。「無名の詩人が書いた詩の一節だけど」
「アル、読んでみてくれ」
「うん。……終末記って名前の詩集に入ってる。でもこんなのきっとフィクションだ。当てになるかどうか」
「いいから読めって。なんて書いてある」
小さく咳払いをしてアルが読み上げた。
天空の時代の終焉
すべての災厄のきっかけ
空からの襲来者
暗黒の友人
それは滅びをもたらす者
リーカーはすべてを壊し
リーカーは誰も逃さない
やつの狙いはこの大地そのものなのだから
◆
奇妙な静けさが部屋に満ちる。ゴクリと固唾を呑む音は誰のものかもわからない。
焦燥感を打ち消そうとして沈黙を破ったのはラズだ。
「これが何かの隠喩だという可能性もある。病気の流行を指してモンスターのように表現したとか」
「ラズ、それでは私を襲ったのは何者だと? マスターはリーカーが来ると言った。そして襲撃から逃れて私はここに居る。間違いない。空からの襲来者、リーカーなる者が私たちの、そして人類の敵だ」
「それは……そういうことになっちまうのか」
ラズは二の句を継げずに酒を口にした。
「気になっていたんだけど、レインは何故地上に行ったんだろう」アルが机を見ながら言った。
「方法じゃなくて理由か」ラズがレインに視線を送る。「何故だ?」
人間がそうするように、レインは机の上で両手を組む。
「それは、わからない。リーカーを倒す為だとしたら、私にはその術があるはずだ。しかし現にマスターは死に、私も深手を負って逃走している」
「そこだよね」アルが割って入る。「レインは逃走した。メイズの中へ。これはもしかしてレイン自身にメイズと地上を行き来する能力があるってことかも。だとしたら、答えは簡単だ。マスターを地上に連れて行くことそれ自体がレインの役割だったのかも」
「そのあとやられちまってるじゃないか」
「そりゃそうさ。地上にそんなモンスターがいるって誰が知ってた? すべて推測に過ぎなかったんだ。蓋を開けてみたらビックリ。よくある話だよ」
「これも推測に過ぎないが」レインが続く。「大昔に災害があったとして、それが現在も続いている可能性は低いと考えたのかもしれない」
「確かに……えげつない強さのモンスターが居たとして、そいつが今まだ生きてるなんて考えにくいか」ラズは得心してため息をついた。
各々が沈黙して思考を整理する。果たしてアルの推論は正しいのだろうか。
「もしその考えが正しかったとしたら、私は地上へ出る方法を知っていることになる。しかし私は地上への道もわからない」
レインの言葉にラズが答える。
「それはリーカーから受けたダメージによるものかもしれない。君のメモリーは襲われた衝撃で欠損している。さっきみたいに何かのきっかけで思い出すこともあり得る。なら、君を連れて行くことが現時点における最善手だ」
「でも、どうなのかな」アルが首をかしげる。
「何がだよ、アル」
「いや、これが真実だとしてね。人類を全て地下に避難させる程の脅威だよ。ラズ、どうやって僕ら三人で始末するわけ?」
「それはお前……得意のハッキングでさ、なんとかならないの?」
余りにも人任せなラズの言葉にアルはため息をつく。
「相手が機械ならまだしもさ、ナマモノだったらお手上げだよ。プログラムはそこまで万能じゃない。それができるんならとっくにお前の酒を止めさせてるよ」
ラズは顔をしかめる。
「……じゃあどうするんだ?」
「どうするかって? もちろんそれを考えるのは僕だ。頭脳労働担当として、当然僕が考える」回りくどく前置きをしてアルが続ける。「まずは情報収集だ」
レインが了解のポーズを取った。