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隣で支える小さな影  作者: 柳
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疑い。3

 

 その日の昼休み、登校時に買っておいたパンを一人、自分の席でのんびりと食べていると、話をしたこともないクラスメイトの女子が声を掛けてきた。


「ちょっと付き合って」


 担任に続き、なんの脈略のなく声をかけられることに僕は心底げんなりしていた。嫌な予感を抱えながら横目で誰なのか確認すると、井口さんだった。


 席も割と近く、楽しそうに笑う顔が印象的な女の子だった。

 そんな彼女が無表情で僕を見下ろしている。

 僕が低い位置にいるのだから見下ろす形になってしまうのは仕方ないとしても、向けられる瞳はとても友好的には見えない。


「なに?」


 そう返し相手のでたかを伺った。


「いいから付いてきて」


 理由も説明もなく、ただ一方的に言いたいことだけを告げてきたばかりか、その口調は苛立ちを含んでいた。僕が覚えているかぎり初めての会話だったが、その記念すべき一回目で彼女の印象はあまりよくないものになった。


 ついてきて、と言うからには場所を変えたいのだろう。

 理由もなくそんなこと言うわけもなく、井口さんにはそうしてほしい訳がある。

 けれどそれは彼女の都合であり、僕が振り回される必要はない。


 どうしようかと迷っている間も、井口さんは僕の傍から頑なに動こうとしなかった。隣からひしひしと伝わる不機嫌なオーラと無言の圧力に居た堪れなくなり、僕は渋々ながら席を立った。

 それでも、遅いと言わんばかりの視線を僕に向け、井口さんは何も言わずに背を向け教室を出た。その態度に苛立ちを抱きつつも、その後に続いた。


 連れられたのは校舎の端、図書室や視聴覚室、特別教室のある第二校舎だった。


 井口さんは無言のまま、廊下の突き当たりまで歩みを進め立ち止まる。

 わざわざ人気のない場所を選んだということは、他の人に聞かれたくない話題なのだろうことは容易に予想できた。

 あまりいい話ではないことは覚悟していたし、井口さんが何かに怒っていることも伝わっていた。


 けど、これほど明確な敵意を向けられている理由が思い当たらない。

 悪いことをした記憶はないが、何かしてしまったのではないかと不安に駆られ心臓が激しく脈打つ。


「あんたがやったんでしょ」


 何を言われるのかと身構えていたが、その第一声からはまるで意味が伝わらなかった。


「やったって、僕が何を……?」

「わかるでしょ?」


 その物言いは僕が自覚できる何からしい。

 けれど、与えられた情報は少なく、さらに言うなら僕と井口さんは意志疎通できるほど親しい間柄でもない。


「井口さんに何か、気に障ることした覚えないんだけど」

「今朝、先生に呼び出されてた」


 見つめる瞳は僕を捉えたまま、僅かな変化も見逃さないように張り付いていた。


「それが、何……?」

「何を話していたの?」


 探るような口調のまま、井口さんは決定的な言葉をぼかしている。

 遠回りしながら僕に何かを喋らせようとしているようだった。


「言えないことなんでしょ?」


 束の間の時間すら与えてはもらえず、黙っている僕に言葉をぶつけて外堀を埋めようとする。


「だったらなんだよ。井口さんには関係ないだろ」

「気になるから」


 担任からの呼び出しがクラスの話題になっているのは僕の耳にも入っていた。

 内容は誰も知らない。


「いいから話してみてよ。誰にも言わないから」


 井口さんは苛立ちながら何かに焦っていた。

 興味で聞いているのにしてはこんな険悪な雰囲気では相応しくなく、また、刺のある言い方からして井口さんにとっては全く関係ない話ではないように思える。

 ただ、考えたところで井口さんが僕に向ける敵意と、一昨日起きた事件がどう繋がっているのかがわからない。


「井口さんにどんな理由があるのかは知らないけど、僕から言うことは何もない」


 嫌な感じにとられてしまったとしても、窃盗事件の話なんて口が裂けても言えない。迂闊に口を割れば被害に遭った女子生徒の話が広がるかもしれないし、他言無用と言われた約束を破ることになる。

 何よりも、濡れ衣を着せられる可能性を生み出したくなかった。


 嫌な沈黙が続く。

 僕から話すことはなく、なるべく平静を装い動揺を悟られないよう注意していた。井口さんは相変わらず何か言いたげに僕を睨んでいたが、ふっと僅かに視線を下げた。


「一昨日の放課後、友達の制服がなくなった。部活が終わってすぐに気が付いたみたいだけど、遅かった。制服はどこにもなくて、犯人も見つからなかった」


 井口さんは顔を伏せ、僅かに語尾を震わせていた。

 細い身体を両手で抱きしめ、何かに耐えるように立っているその姿はそのまま、友達を想い苦しんでいる弱い女の子のようだった。


 突然の変わりように驚いたものの、それ以上にいつ泣き出してしまってもおかしくない井口さんの姿を目の当たりにし、僕は心配に似た気持ちを抱いていた。


「友達だったのか」


 同情だったのか、単なる独り言だったのかはわからない。

 ただ、無意識に呟いた言葉は僕が考えているよりも大きな意味を生んでいた。


「やっぱりあんたが!」


 泣いていると思っていた瞳は乾いていた。

 どこからが演技で、どこまでが本心だったのかもわからないまま、険悪だった空気が更に濃くなり、話し合いでは収まらない状況まで下る。


「あんたのせいで、優香が」


 冷や汗が背中を伝う。

 被害に遭った女子と井口さんは友達だった。

 担任が口止めしようと、この事件がそれほど広まっていなくても、親しい友人の身に起きたことならば知っていてもおかしくはない。


 授業が始まろうとしている最中の不自然な担任の呼び出しも、僕が更衣室の周辺にいたことを掴んでいれば、呼び出した理由も、話の内容にも察しがつく。

 けれど事件で呼び出したという確証がなかった為、回りくどい言い回しを繰り返し僕を試した。それが今、関係者でなければ知りえない反応を僕が漏らしてしまった。


 それでも冷静に考えれば、犯人の証拠もない僕は無関係である可能性の方が高く、呼び出された理由も話を聞いただけに留まるはずだった。

 けれど、冷静さを無くしてしまった井口さんはたったそれだけで僕こそが犯人だと決め付けてしまった。


「違う、それは先生から聞いたからであって……最後まで話を聞いてくれ。制服が盗まれたって聞かされて、でも、それはたまたま近くにいたから、不審者を見なかったかって訊かれたんだ。それだけだよ」


 今の井口さんに誤解だと伝えるにはありのままの事実を話すしかなかった。


「じゃあ訊くけど、どうしてそんな場所に一人でいたの」

「それは……」


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