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隣で支える小さな影  作者: 柳
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雨に打たれて。3

 

 家に着くまで、彼女は一度も目を覚まさなかった。


 夜道を照らす街灯が時折現れて彼女を映した。血色の悪い顔をしていた。

 こんな状態になるまで何故あの場所に居続けたのか。


 理由はわかっている。

 でも僕たちは友達ではなく、どちらかと言えば他人に近い関係だったはずだ。

 それなのに、大事な約束であるかのように、絶対に来てくれると確信しているような彼女の反応。何かが噛み合っていない感覚が強く残る。


「……何でだよ」


 雨足は弱まることはなく、その全てを体で受け止めながらもようやく家に着いた。玄関先に傘を落とし、彼女を動かさないように気を付けながら鍵を取り出しドアを開ける。


 薄暗くて寒い屋内を濡れた靴下のまま進み、二階にある自室のベットに柚木さんを寝かせた。柚木さんの顔色は依然として白い。手も氷の様に冷たい。

 このまま放置すれば、いつまでも体温を奪われ続けてしまう。濡れた服を脱がさなければならない。彼女の名前を呼びかけながら肩を揺すってはみたものの、柚木さんは目覚めなかった。


 迷惑を掛けない約束をしたばかりではあったが、状況が状況だけに寝室で寝ていた母親を起こして必要最低限の経緯を話した。

 翌日にはきちんと事の成り行きを話すと約束を交わし、母親は僕の部屋に入っていった。


 その間、僕は自室の前の廊下で終わるのを待っていた。それほど経たないうちにドアが少しだけ開くと、あんたも着替えなさい、と母親の声と共に部屋から服が飛んでくる。


 今日は冷えるな、とは思っていたけど、それは服が濡れていたからだとようやく気付いた。彼女ほどではないにしろ僕も雨に打たれている。それに、柚木さんに触れた部分がより濡れていた。


 浴室で熱めのシャワーを浴びて体を温め、服を着替えて脱衣所を出るとリビングに灯りがついていた。既に、彼女の介抱を終えたのだろう母親がソファーに座り、飲み物を飲んでいた。


「かあさん、明日早いからもう寝るよ。何かあったら言いなさい」

「あ、うん。おやすみ」


 飲み終えたカップを流し台へ置くと母親はリビングを出た。


 必要ないかもしれないが、一応、寝る前に柚木さんの様子を見に行くことにした。不思議な感覚だった。僕の部屋で、僕のベットで柚木さんが眠っている。

 表情はまだ堅いものの、顔色はだいぶよくなっていた。

 その顔を見てようやく張り詰めていた糸が緩んだ。


「なんで……」


 その問いかけの答えを持っている人は眠っている。

 目を覚ましたら教えてくれるだろうか。

 安らかな小さな寝息を立てている柚木さんを見つめながらそっとドアを閉めた。


 陽が昇って目を覚ましてみれば、ソファーで寝るのは窮屈だと思い知った。

 肩と腰に若干の違和感がある。


 寝相が悪かったのかもしれないが、もともとソファーは寝る為には作られていないのだから、快適な睡眠は得られなくて当然ともいえる。

 そっと上半身を起こし、ソファーの上で身体をほぐしながら時間を確認すると、時計の針はまだ朝の六時半を過ぎたところだった。いつもより一時間も早い起床となる。


 あきらかに睡眠時間が足りていないのか、少しだけ頭がぼんやりとしている。

 まだ寝ていたい欲求はあるものの、あの寝苦しさを経験している今、再びソファーで寝るのも躊躇われる。

 どうしようかと迷っていると台所から物音が聞こえてきた。


 顔を向けてみれば、いつからそこにいたのか母親が台所で何かをしていた。

 清潔感のあるパリッとしたスーツ姿で、ここからではわからないが料理をしていそうな音を出している。

 軽めの化粧に髪を一つに纏め、装飾品の類は身に着けていない。

 仕事の時の母親の姿。


「おはよう。朝ご飯、用意したから勝手に食べなさい」


 こちらに顔を向けないまま、母親が言う。


「かあさん、もう出ないといけないから、あの子のこと任せたわよ」


 そして挨拶もそこそこに母親は足早に玄関へと向かった。

 頑張ってねー、と玄関に向ければ。


「言われなくても頑張るわよ。行ってきます」


 と、いつも通りに、落ち着くなく母親は家を出た。

 母親が忙しそうなのはいつものことだけれど、そういえば見送るのは久しぶりだった。慌ただしい母親を見て目が覚めてしまった。


 ソファーから起き上り、母親が作ったという朝食を確認する。

 鍋の蓋を開けてみれば適当に刻んだのだろう野菜の入った中華スープと、冷蔵庫には大量のコッペパンを見つけた。いつもよりも量が多いのは、柚木さんの分も含まれているからだろう。


 柚木さんは起きてるだろうか。

 もう一度時間を確認し、寝てたら引き返そうと思いつつ階段を上る。

 部屋をノックすれば、小さな声が返ってきた。そっとドアを開ける。

 だいぶ前から起きていたのだろう柚木さんが、ベットの上で身体を起こしていた。


「体調はどう?」


 後ろ手でドアを閉め、ゆっくりとベットへと近づく。

 知らない家で目を覚まし、多少の動揺を顔に浮かべているものの、柚木さんはしっかりとした声色で、はい、と答えてくれた。

 だいぶ身体を冷やしていたので風邪をひかないか、と心配していたが、顔色も悪くはなさそうだ。そっと胸を撫で下ろす。


「その……ここは、明日河くんの家、ですか?」


 控えめな瞳が、遠慮がちに僕に向けられる。


「そうだよ」

「……どうして、明日河くんの、家に?」


 私がいるの? と当然の質問が投げかけられる。

 倒れた後の記憶が定かではないのか、昨日の話とやむなく僕の家にいる経緯を簡単に説明する。

 話していくうちに少しは思い出したのか、柚木さんは僕の言葉の端々に頷いていた。それでも、倒れたことはまったく覚えていないらしい。

 ただ、僕が来たことだけははっきりと覚えているそうだ。


「ごめんなさい、迷惑かけて」


 そう言いながら柚木さんは頭を下げた。


「いや、僕が悪いんだ。謝るのは僕の方なんだ」


 ごめん、と僕も頭を下げる。

 柚木さんが倒れた原因を作ったのは間違いなく僕にある。

 約束を取り付けた僕が遅れては言い訳もできない。

 どんな文句を言われようとも受け止める覚悟をしていが、予想を反して優しい声が僕に告げる。


「謝らないでください。感謝しています。見捨てても同然の私を、こうして介抱してくれたのですから」


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