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隣で支える小さな影  作者: 柳
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雨に打たれて。2

 

 表紙に可愛らしいクマが描かれた童話の絵本。


「いいよ」


 ユミちゃんが読みやすいように寝そべって絵本を畳に広げると、すぐ右隣に同じ格好になって僕に寄り添う。本を読む準備が整ったのを確認し表紙を開く。

 絵本の世界に入り込んでいる間のユミちゃんは一言も発することはなく、僕の言葉に耳を傾け、描かれた絵を見つめていた。

 そうしている間にも時間は経過し、陽は沈んでいく。


「ねえ、早く続き」


 ふと、真っ暗になった窓の外を眺めていると眼前に絵本がやってくる。

 いつの間にか隣にいたユミちゃんが正面に回り、むっとした顔で僕を見つめていた。勝手に中断させられ立腹のようだった。


「ごめんごめん」


 謝ると、ユミちゃんは笑顔でいいよ、と言って隣に戻る。

 怒っていると思っていたのだけど、意外とあっさり許してくれた。

 幼くも女の子の考えていることはわからない。

 それからユミちゃんのお気に入りとなった絵本(何度目になるのだろう)を再び最初から音読する。

 クマさんの身に起こる困った出来事を、隣の女の子に語り聴かせるのだ。


 どのくらいの時間が経ったのだろうか、誰かが駆け込んでくる足音が聞こえた。

 話し声はこちらにも聞こえ、ユミ、と名前が飛び出した途端、ユミちゃんは立ち上がると休憩所を飛び出した。

 後を追いかければ職員の男性と話す二十代後半らしき女性がいた。

 必死に捜していたのだろう、品の良さそうな衣服が僅かに乱れていた。


「ママ!」


 ユミちゃんがその女性に飛びつく。

 ようやく僕の役目が終わりを迎えた瞬間だった。

 しっかりと受け止めたユミちゃんのお母さんの手には畳んだ傘があり、水滴が流れて地面に落ちる。雨が降っていた。


「本当にありがとうございました」


 ユミちゃんの母親は何度も頭を下げ、お礼を言った。


「ご苦労さま」


 職員の男性に労われた。

 その後、ユミちゃんのお母さんが職員の男性と話しているのを横目に僕は交番の入口に立つ。


「おにいちゃん」


 この雨の中、どうしようかと真っ暗な空を見上げて途方に暮れていると、ユミちゃんが僕を呼んだ。


「なに?」


 振り向き、目線の高さまで身を屈める。


「ユミね、おにいちゃんのこと好き!」


 過去と合わせこれで二度目の告白。

 両方共、幼女からだった。


 またね、と笑顔で手を振るユミちゃんに別れを告げ、親切な職員の男性にプレゼントされたビニール傘を開く。約束していた時間から二時間が経っていた。

 傘を叩く雨音は強く、もう少しで夏になるというのに、この日の夜は寒さすら感じた。


 神社に着いた時には膝までズボンを濡らしていた。

 外から境内を覗いてみれば周囲は暗く、幽霊でもでそうな薄気味悪い雰囲気を漂わせていた。

 これだけ遅刻していれば、呆れて帰ってしまっただろうと思いながらも、境内へと足を進めた。


 境内に灯りはなく、敷地の外にある電柱に取り付けられた電灯が微かに光を届けてくれてはいるのが、ほとんど意味がない。

 闇の中を必死に目を凝らし辺り見渡すが、足元の段差に気付けないほど視界が悪い。流石に身体も冷えてきた。


「いない、よな」


 居るはずがない。

 そう呟いて踵を返そうとした時、視界の隅の闇のなかで何かが揺らいだ気がした。そして、次の瞬間にはバシャっと水しぶきが上がる音が聞こえた。

 重い、何かが倒れた音だった。

 音のした方へ視線を向けてみる。暗くてそれが何かまではわからない。

 妙な胸騒ぎを覚えながら、感覚だけを頼りに音のしたと思われる方へと足を向ける。


 そして、大きな木の根元にぼんやりと黒い固まりみたいな物を見つけた。

 そんなはずがない。そう思いつつも、ぬぐい切れなかった予感が最悪の形で的中する。地面に溜まった水溜まりの中で柚木さんが倒れていた。


「嘘、だろ……」


 目の前の光景を、僕は信じらずにいた。

 汚れることも意識せずぬるんだ地に膝を付け、彼女の肩を掴んだ。


「おい……。おい!」


 身体を揺すりながら呼び掛けると、うっすらと目蓋が開いた。


「……来てくれたんだ」


 雨音に掻き消されながらも、小さく力のない声が聞こえた。

 暗くて表情まで読み取れない。

 けれど、微かに微笑んでいるように見えた。


「何で、何でこんな時間まで、こんな場所に……」


 僕は彼女に問う。


「だって、約束……したら」


 痛々しい彼女の笑みに胸が張り裂けそうだった。


「……約束、だから」

「約束じゃねえだろ。どうしてなんだよ? わけわかんねえよ。お前は一体……一体、なんなんだよ!」


 僕は叫ぶ。


「ごめんね……」


 そう最後に呟くと彼女の目蓋が静かに閉じていく。

 完全に目蓋が閉じると支えていた身体がずしりと重く感じた。


「嘘だろ……おい、しっかりしろ」


 声を張り上げ何度も呼び掛けたが、反応は返ってこなかった。

 掴んだ手から伝わる体温は氷のように冷たい。

 長い時間、傘もささずこの場所に居た証明だった。


 雨に打たれ熱を奪われた。

 気絶しているのだろう。柚木さんの意識は戻らない。

 救急車を呼んだ方がいいのだろうか。そこまで大げさにする必要はあるのだろうか。混乱する思考でも、このままというわけにはいかない、ということわかった。


 とりあえず、冷え切った温めてからでも遅くはないだろう。それから今後の行動を決めればいい。

 柚木さんの携帯番号すら知らない僕が彼女の家を知るわけもなく、とりあえず僕の家へと向うことにした。


 抱き上げた彼女は軽く、か細い僕の腕でも苦労することはなかった。

 おんぶする形で背に載せ、小走りで雨の中を進んで行く。

 気休め程度だが持ってきた傘を体に引っ掛け、少しでも彼女に雨が当たらないようにした。


 視界が悪い夜道。

 万が一にでも躓かないよう足元に気を付けながら走る。


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