柚木香織という人物。8
翌日も錦戸くんと一緒に食堂で昼飯を食べた帰り道、会いたくない人とばったり出くわしてしまった。
いずれは、と覚悟はしていた。
「やあ、久しぶり」
爽快な笑顔で向かってくる内藤さんに威圧感はない。
そのまま通り過ぎてしまおうかと思ったが、錦戸くんが足を止めたので仕方なく僕も立ち止る。
「もう学校きてたんだ」
「まあ」
話もしたくないが、変に亀裂が起きても面倒なので一応の返しはした。
「明日河くんが休んでいるって聞いたときは焦ったよ、でも代わりの子を前もって用意しておくなんてなかなかできることじゃないよ」
代わりというのは柚木さんのことか。
僕がしたことでもないし、この人たちに褒められても嬉しくない。
「彼女は優秀だよ。よく見つけたね」
そろそろ昨日の文句の一つでも言われる頃かと思っていたが、一向にその気配がない。違和感が駆け巡る。
「知ってるかい? オレらが欲しいものを言えばその通りに買ってくるんだ。一日も欠かさずに。どうしたらそんなことができるんだろうね?」
嬉しそうに僕に語りかける。
怒っているどころか、気分は良さそうだ。
「昨日、彼女来たんですか?」
僕が尋ねれば数秒の間が空く。
「何言ってんの? 来たに決まってるじゃん」
さも当然のように言っていた。
なぜ止めない。昨日のことを忘れたわけじゃないだろうに。
「ところでさ、彼女可愛いけど、同性愛者なんでしょ?」
「はあ?」
突拍子もない発言に思考を分断された。
「あれ? 君が脅して手懐けていたんじゃないのか?」
脅す、その言葉は長岡がそれとなく言っていたことだ。
「まあ、どっちでもいいよ。今まで通り届けてくれれば」
内藤さん達はひらひらと手を振りながら遠ざかっていった。
それを見つめながら、僕は奇妙な感覚を覚えていた。
きちんと話をしなければならないと思った。
その日の放課後、隣の教室まで足を運んだ。
「ちょっといいかな?」
教室の入口付近にいた男子生徒に声をかけた。
簡潔に、柚木さんを呼んで欲しいとお願いすると、その男は少しためらうような表情を見せてから柚木さんを呼んだ。
やってきた彼女は僕を見て驚き、しばらく静止していた。
噂話がはクラス中に広まっているらしく、僕らに視線が集まる。
聞き耳をたてられている環境で落ち着いて話が出来るはずもなく、僕は彼女の手を引いて廊下を歩く。
彼女は嫌がる素振りもなく、素直についてきてくれた。
一クラス分離れた窓際で僕は足を止め、彼女と向かい合う。
「話したいことがある。この後何か用事あったりするか?」
柚木さんは俯いていた。
「先生に、呼ばれてます」
「その後時間あるか?」
柚木さんは小さく頷いた。
「鳥居神社に来てくれないか? 場所はわかるよな?」
彼女は戸惑った表情をしていたが、しばらくすると小さく頷いてくれた。
話が長くなるかもしれないからと、余裕を持って六時に約束を取り付けた。
放課後になり錦戸君と少し話をしてから校舎を出ると、時刻はもうすぐ四時になろうとしていた。
入学してから三ヶ月も過ぎると新鮮に感じていた風景も見慣れたものとなった。
閑散とした住宅街を一人で歩いているのも三ヶ月前と変わらない。
少し上へ視線を上げてみれば、遠くの空に雨雲らしい暗い影の固まりがあった。
そこから地上へと視線を戻せば壁に背を預け立っている人がいた。
こびり付くような熱い視線を向けるのは幸秋だった。
軽く手を上げ僕は近づいていく。
「待ってたのか?」
幸秋は黙って僕を見続けていた。
憎しみとは違う真剣な表情。
数歩残して対峙する。
「なんとなくわかったよ。幸秋が言ってた〝誰か〟ってのが」
話があって待っていたと思うけど、あの時の答え合わせがしたくて僕から話し始めた。
「柚木さんなんだろ? 僕の代わりに上級生にパンを届ける為に信頼を無くして、陰口を叩かれてる。そうする理由を話してくれないからわからないままなんだけどさ」
「彼女、おまえの目にどう映った」
口数少なく幸秋は言う。
「どうって、真面目で、怖がりで、男子に人気のある。可愛い子だとは思うよ」
これまでに感じた彼女の印象。
幸秋以上に何を考えているかわからない存在。
「明日河には、そう見えるんだな」
「まるで違うって言い方だな」
幸秋はそっと視線を斜め下へと落とす。
「彼女は、性別問わず人気があって、教師からも信頼されて、目立つことが嫌いで表舞台には立つことは望んでいない。控えめなのに頑固で、大人しくて無口なのにいつも周囲に気を配って――」
幸秋にしては饒舌で、言いたいことが溢れてくるみたいに矢継ぎ早に語る。
話しぶりからして、よく知る人物のようだった。
「誰もが憧れるその全てを彼女は持っていた。でも、今はそれがない」
幸秋は僅かに顔を歪ませていた。
「彼女は積み上げてきたものを捨てたんだ。毎日のように嫌がらせが起きて陰口を叩かれている。集団の輪からははぶられ、助けてくれる人は僅か数人だ」
そこまで酷い状況だとは思ってもみなかった。
でも、その一部を僕は目にしている。
昼休みに僕のところに来たときも、体育の時間も彼女は独りきりだった。
背中に貼り付けられた紙には、キモい、消えろ、同性愛者、などと書かれているのを僕は目にしていた。
「柚木さんがなにをした? 僕のせいなのか?」
「それは、本人に聞けばいい」
幸秋は多くを語ってくれない。
「どうして話してくれない? ぼかした言い方じゃなくて、もっとちゃんと話してくれていたらそんなことにはならなかったんじゃないのか?」
もう話すことはないと幸秋は背を向けた。
「柚木さんのこと、好きなのか?」
幸秋がこれほど女子に関心を持っていたのは始めてのことだった。
悲惨な状況だと語る幸秋もまた、苦しんでいるように見えた。
でも、話してくれない。
わからないことだらけだった。




