柚木香織という人物。3
「そうなんだ。早すぎるんだよ」
重々しく、錦戸くんは口を開く。
「本当なら明日河くんが休んだ日、もしくは次の日にも僕に声が掛かるはずなのに、それがなかったんだ。昼のこともあるし、代わりの人を見つけるにしても連絡があるはずなんだ」
そう断言するからには、過去にそういった経験があったのかもしれない。
僕に声が掛からないことがおかしい、と錦戸くんは言う。
いつ帰ってくるかわからない人を待つより、新しい人材を探したほうが手っ取り早こともあるだろうけど、それは僕が学校に来ないと知ってからになる。
「確かに変だな」
錦戸くんが彼らに僕が休んでいることを報告していたのなら、何かしらの話があったのだろう。それもなく、勝手に事が終わっている。
「手駒が他にもいたのか。もしくは、自分たちで用意したんじゃないか?」
第二、第三の僕が居たのだとすればその人を使えば問題はない。そう思ったのだけれど、錦戸くんは首を振る。
「それはないよ。もし他に居たとしても僕が知らないわけがないんだ。と言っても、今回もことは知らないんだよね」
へへっと錦戸君が笑う。
「その届に行ってる人って、錦戸君の知ってる人?」
「たぶん、知らないと思う。会ったことないからわからないけど」
あの人達と長い付き合いである錦戸君でも知らない人。
代わりを見つけるにしても、僕がそうであったように、錦戸君が連れてくる人なのだろう。それが、今回に限りなかった。
「その人は……僕が休んでいる事を知って、どういう理由かはわからないけど、僕の代わりをしている、っていうことだよね?」
「そうだと思う」
「誰なんだろうな」
話せば話すほどわからなくなる。
僕が学校を休むことは誰にも言っていない。そもそも気分でそうなったのを予期できた人はいない。それでも、その人物はその日から僕の代わりをしている。だから、錦戸君には連絡がいかなかった。
その人物は、僕が休んでいることを午前中または次の日に知り得た人物であり、上級生に購買パンを買いに行かされていることを以前から把握していたことになる。僕とは何ら関係はない、その人自身の事情があるにせよ、事実として僕の代わりをしている。
この条件を満たせる人がこの学校にいるとは思えない。
いくら考えても答えは出ない。情報が少なすぎる。
その人物に直接会って話せばわかるかもしれないが、あの人たちと積極的に関わろうとは思えなかった。
「まあいいんじゃないか? 面倒が減って」
と僕が言えば、錦戸君も、そうだね、と同意してくれた。
不自然な話ではあったが、面倒が省けるならそれでいい、とその時は思っていた。
昼休みも半分を過ぎ、食堂から教室に戻っている途中で錦戸くんはトイレに寄った。一足先に教室に着いてからも一向に帰ってくる気配はなく、退屈しのぎにと、家にあった適当な文庫本を読んで時間を潰していた。
教室には僕の他に数人のクラスメイトがいた。
外から聞こえてくる喧噪と楽しそうな話し声が聞こえてくる。その声がふっと消えた。気になって顔を上げると、いつの間にか誰かが目の前に立っていた。
古臭いことで有名な我が学校の制服を違反なく着ている女子はそれほど多くはない。日々、試行錯誤し努力を惜しまない女子の間では制服の乱れは当たり前になっていた。
けれど、それは生徒側の言い分であり、教師の目に留まれば当然注意を受ける。
それでもやめられない気持ちは、男子の目から見ても伝わってきていた。
そう思っていたが、目の前の女子の格好に〝見栄えの悪さ〟を感じることはなかった。
着る人によって洋服の印象は変わると言われているが、それに始めてそうなんだと頷けた。肩まで切り揃えてある髪は清潔感を感じさせ、装飾品の類も見当たらない。スカートの丈は基準値の膝が隠れる程度であり、首元まで止めてあるボタンに、学校指定のリボン。
入学式にしか見たことのない完璧に整った装いの彼女には優等生という言葉がよく当てはまる。
そんな可愛い女の子だった。
「ごめんなさい」
次に発した言葉は謝罪だった。
申し訳なさそうにしている彼女に謝れる覚えがなかった。
「何が?」
必然そう聞き返すことになった。
彼女は視線を落とし、スカートの裾をきつく握り締めていた。
「あの……」
見るからに弱々しい雰囲気を纏った少女。
無性に、護ってあげたい、と思わせるだけの魅力が彼女にはあった。
それでも、僕はそう単純には受けられない理由がある。
人畜無害そうに見える彼女だけれど、多少は警戒していた。
嫌がらせがなくなったと言っても、僕に関わろうと近づいてくる人の用件などろくなものではないのは明白だ。
これも罰ゲームの一環なのかもれない。
そう思い周りに目を向けてみたが、それっぽい人の姿は見当たらなかった。
何を企んでいるのかと彼女に視線を戻す。
怪しい素振りはないかとじっと目を向ければ、俯いた顔が恥ずかしそうに紅く染まっていた。初対面の女の子をじろじろ見てはさすがに悪いと視線を外そうとすれば、ふと右手にしているミサンガに視線が止まった。
ミサンガに興味があるからとか、変わっていたということではない。
青と水色のシンプルな色は彼女に似合っていた。
それだけなら何ら珍しい物ではなかったが、妙な引っ掛かりを覚えた。
申し訳なさそうに俯いている姿が誰かとかぶって見えた。
それは噂話が始まった日の廊下でぶつかった女子の姿に似ていた。
あの時は相手が誰であったのかを確認している余裕がなかった。
けれど、このミサンガだけは記憶に残っていた。
たったそれだけで判断するのは早計かもしれないが、僕に謝っている理由がそのくらいしか思い当たらなかった。
あの日から数週間も経っている。わざわざ謝りに来るほどではない些細なことだったのに。真面目なのだろう。
「僕の方こそ悪かった。あの日は慌ててたから」
そういうと、彼女は顔を上げた。
「こっちの不注意だった。だから君が謝る必要はない」
「あ、はい。ごめんなさい」
用件が終わったのならさっさと帰ればいいのに、彼女は動こうとしなかった。
何か言いたそうではあるが、依然と黙ったまま。
待っていた僕も流石にしびれをきらした。




