世界は大きくて、とても狭い。19
そんな環境が、仲間に暴力を受ける場所が、警察に怯える毎日が風間の居場所であっていいはずがない。
「言っとくけど、風間はここから離れられないから。それに、この場所だけは警察は来ないよ」
脅しを掛けつつも、日高さんは僕の考えを見透かしたような言葉を吐いた。
日高さんがどこまで想定しているのかは知る世もない事だが、それは当たらずも遠からずだった。
「お願いがあります」
覚悟を決め僕は口を開く。
「なに? 風間は渡せないよ。僕らの仲間だから、勝手なこだけはしないでね」
話し終えてからはまた日高さんは雑誌に向き直ってしまった。
詳細は話はしたけど、結局はどうだっていいという構えだった。
無視しされているわけではないし、拒絶されているとも思わない。
言葉を発すれば耳を傾け返してくれる。
ただし、その関係も風間を置いていくことが絶対条件であり、余計なことをするならば変わるのだろう。
要は、無関係の僕には興味がない。
何を言おうと、何をしようと彼らには気にもならない些細なことでしかない。
大したことではない。
目に見えない壁が僕と彼らの間にあった。
踏み込むことは簡単だけれど、一度入れば出ることはできない厚い壁。
こちら側が自由な世界だとするならば、向こう側の世界は暗闇だ。
世間の枠組みから外れ欠けた世界だ。
そんな世界にどっぷりと浸ってしまった彼らは、どこか歪んでいた。
自分がまっとうな人間だとは思わないが、異常な空間で平然としていられる神経は持ちあわせていない。ここに正常などなく、僕だけがイレギュラーだった。
風間をこちら側に連れて行くのは許されない。
それを覆すのは簡単ではないだろう。
でも、決めたんだ。
「風間を開放してください」
僕は言う。
この問題は単純に連れ去ればいい、という物理的なことでもない。
完全に、彼らの口から、彼らの意思で、風間を諦めさせればならない。
だから僕は願った。
そんなことでおいそれと解決するとは思っていない。
でも非力な僕が、正常な思考が、解決する方法が、これくらいしか思いつかなかった。
この場で土下座し、頭を下げることでしか彼らと交渉する方法を見い出せないでいる。
「ダメ」
考慮する間もなく日高さんは言う。
覚悟していたとはいえ、その一言は僕を落胆させた。
「お願いします!」
でも、僕は引けない。
引くことができない。
静まった部屋に雑誌のページがめくれる音だけが響く。
「抜けたければ好きにすればいい」
ふと、日高さんが口を開く。
「誰も止めはしない。けど、風間はダメだ許されない。一度手を貸せば抜けることは出来ない、当たり前だ。甘い蜜を受け取ってしまったら地獄に落ちるのも一緒」
裏の世界の常識や掟の大事さは僕にはわからない。
ただ、このまま繰り返しても考えは変わらないのはわかった。
だから僕は立ち上がり呼吸を整える。
覚悟なら出来ていた。
「すべてを警察に話します」
僕には知恵もなく、力もなく、彼らのことだってよく知らない。
交渉術など持ち合わせていない。
だから考えた。
彼らが不利になることを。
だから脅した。
「ここで知ったことを話せば、あんたたちは困るはずだ」
ここまで言ってようやく反応らしい反応が返ってきた。
田辺さんは血走った目で僕を睨みつけ、月城さんは携帯を手放し、日高さんはようやく雑誌をめくる手を止めた。
かつて僕を友達だと温かく受け入れてくれた人たちに対し、酷い仕打ちをしているのは自覚していた。
でも、罪悪感は生まれなかった。
「ただの、悪戯だと思われるだけ」
日高さんが口を開く。
「警察だって子供の、それも素行不良の学生の戯言なんて間に受けるわけがない。みんな忙しいんだ。それを明日河くんはわかっていない」
日高さんの言う通りかもしれない。
子供の言葉など信じてはくれないのかもしれない。
でも、問題はそこではない。
「信じてもらえる自信はあります。昨日の争い、縄張りのことを話せばいい。信憑性はある。そうすれば嘘だと思っていても、警察は動かざるおえない。それに、決定的な証拠をあんたたちは持っているはずだ」
話し終えると、日高さん以外の二人が無言で立ち上がり僕に近づいてくる。
僕は続ける。
「そうなったら、あんたらは終わ――」
宣告なしに顔面を殴られた。たった一発で僕の足は力を失った。
崩れ落ちる寸前の身体を、手の力だけで立て直そうとしたが、バランスをとれずに床に倒れた。
いくら痛くても逃げたくない。
そう誓いながら立ち上がろうとして、失敗した。
「警察に……話すだけ……で、あんたらは……動き、を制限される」
話している間にも容赦のない蹴りが体を突き刺し、痛みに声が詰まると髪の毛を掴まれ床に叩きつけられた。
意識が途切れ、目覚めると揺れる世界の中で、血の味だけを感じていた。
立ち上がる力などもうなく、倒れたままだったが、口だけは動いてくれた。
「お願い、します……風間を、自由にしてください。お願いします」




