世界は大きくて、とても狭い。13
その後、幸秋が持ってきた治療道具を受け取り、血が出ている箇所へ消毒液を振りかけガーゼを貼っていく。
治療している間、外はパトカーのサイレン音で騒がしかった。
警察に見張られている状況では彼らは大きく動くことを制限され、断念するのも時間の問題となる。
加えて、友達の家という安全圏で匿われている僕らを追うことは不可能になった。
「色々と、ありがとう」
ありのままの感謝を幸秋に告げた。
「別に、したくてしたわけじゃない」
あれから何週間も経っていても、僕に対する幸秋の態度は硬いままだった。
時間だけが経過しただけで何も変わっていない。
でも、そんな幸秋の態度に苛立ちを覚えるどころか懐かしさすら感じていた。
治療している間も興味なさそうに、そっぽを向いてコーヒーを飲んでいるのも幸秋らしい。
「朝になるまで厄介になっても大丈夫か? その、親御さんとか」
「二人共今は家を開けている。だから好きなだけいればいいし、好きな時間に帰ればいい」
幸秋はこちらを見ることなく素っ気なく返す。
既に朝刊が届く時間になっていたらしく、優雅に新聞を広げていた。
「なあ、どうしてこんな時間に外にいたんだ?」
ひと段落着いたところで僕は疑問を投げかけた。
「ここは僕の家だ。どうしてもないだろ」
「そうだけど、言いたいのはそうじゃなくて――」
「それより、学校には戻ってこないのか?」
幸秋は強引に話題を変える。
あからさまでも無理やりに、僕の質問をなかったことにしようとしている様に感じた。はぐらかしているのだろうか?
それとも、この話は幸秋にとって瑣末なことで、答える必要性がないから早々に終わりにしたのか? わからない。
「学校にはそのうち戻る、と思う。でも、今すぐには戻れない。やらなくちゃならないことがあるんだ」
幸秋に言われるまでこれから先のこと、つまりは学校をどうするのかはあまり考えていない。それよりも大事なことがある。訳は話せそうにない。
口を開けばどんなところから情報が漏れるかわからないから。
「そうか」
想像通りというかなんというか、幸秋の言葉は少なく、僕が言わなければそれ以上の追求はしてこない。
それが幸秋なりの気遣いなんだと思う。
そして、学校の話を持ち出したということは、多少なりとも心配してくれていたのだろうか。絶交までした僕のことを?
しばらく離れてみても、幸秋が何を考えているのか、発言の意味も僕には伝わらない。それは単純に、僕の理解能力が通常の人よりも劣っているだけなのかもしれない。
でも、そんな理由で納得したくないし、諦めたくない。
だから僕は聞きたい。
「しつこいかもしれないけど、ちゃんと教えてくれ。どうしてこんな夜中に一人であんな暗いところにいたんだ?」
どうしてもそのことが引っかかる。
僕の熱意が届いたのかはわからないが、幸秋は新聞から僅かに顔を離し少し間を置いて答えてくれた。
「そんな気にすることじゃない。たまたまだ」
幸秋が言うたまたまとは、外に出たところで僕と鉢合わせになったとこだろうか。傷だらけの風間を背負う様子から瞬時に状況を判断して匿ったことなのだろうか。ことの起こりも知らない、無関係の幸秋が?
それはあまりにも出来すぎているようにも思る。
けれど同時に、幸秋ならそのくらいのことはしてしまうようにも思えた。
もしかすると、答えたくない何かがあるのかもしれないと思い始めていると、頭上から、がたん、と物音がして僕の思考を逸らした。
「二階に誰かいるのか?」
頭上を見上げながら尋ねれば、幸秋は僅かに眉を寄せた。
「さっきも言っただろ。この家には僕ら以外には誰もいない」
誰もいない、と幸秋が言ったそばから二階で何かが転がる音が聞こえた。
「いやだって……」
「気のせいだ」
幸秋は頑なに言い張る。
どうやら触れられたくない話題らしい。
もし二階に誰がいたとしても僕には関係ないことだし、仮に幸秋が嘘を吐いていたとしてもそれなりの事情があるのかもしれない。
それに、幸秋の言う通りたまたまかもしれないのだから、これ以上追求はしないことにした。でも、何かを追いかけているような足音も聞こえてくる。
気にならないと言ったら嘘になるけど、いつまでも気にしていたってしょうがないと、頭上から視線を下げた。
ふと、今まで気付かなかったがテーブルの上にはもう一つコーヒーカップが置かれていた。自分の分を用意した時に僕のも用意してくれたらしい。
カップに手を伸ばし、すっかり冷めてしまったコーヒーを啜る。
やっぱり苦いと思ったけど、前よりは嫌ではなかった。
一言言ってくれればよかったのにと、幸秋に視線を向けた。
足を組み新聞を見つめる姿は大人っぽくはあれど、今は少しオヤジ臭いなって思った。
ゆっくりとした時間が流れていく。
幸秋といる時はいつもそうだった。
互いに口数は少ない方だったから、一緒にいても交わす言葉は多くなく、いつの間にかそれが当たり前みたいになっていった。




