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第一章

1

隣のクラスの孝樹がいなくなった。たぶん誘拐された




「冬矢君、いませんか?」

晴れた六月の朝、友達の雪村冬矢と一緒に登校しようと彼の家まで迎えに行ったが、インターホンのスピーカーは無言のままで、今日も無駄足におわった。

冬矢は俺の友達だ。去年も同じクラスで、四月に知り合った。それからずっと一緒につるんでいる。

 だが、少なくとも冬矢は普通の高校生ではない。上手い言い方がみつからないが、どうも独りでいるのがやたら好きなのだ。他人との接触をひたすら避け、あるいは自分が人の目につくことさえも毛嫌いしているようだ。話しかけてもひたすら無視。なぜかはわからない。しかし、人生の最大の楽しみのひとつを味わおうとしないのだから、こんなに悲しいことはない。俺はこれを直してやろうと、仲間と一緒に色々手を尽くしているが、何をしても奴の心は開かない。




インターホンはいつまで待っても返事をしそうになかった。部活の朝練もあることだし、諦めて一人で登校することにした。

 時計を見ると短針は六と七の間を差している。友達を迎えに行く時間には早すぎるのだが、奴は毎朝不思議にもこんな時間に登校しているのだ。俺は朝練があるから大丈夫だが、冬矢は帰宅部で、早く登校する理由がない。孤独を愛するのも同じだが、なぜそうするのか俺にはまったくわからない。


六月といえども早朝の風は、自転車に乗っていないと少し肌寒い。俺は車通りの少ない道を進みながら、冬矢が独り教室でたたずんでいる様を想像した。




部室に入るといつもと雰囲気が違うことに気付いた。同級の仲間が何人か声をかけてくれるが、そもそも人数がいつもの半分もおらず、皆元気がない。絶対いるはずの主将の平賀隆彦もいない。普段なら明るく冗談を言い合っているのだが、今日は一様にうつむいて、重苦しい空気を作っている。何か大変なことが起こったらしい。

「どうした、お前ら。何かあったのか」俺が言うと近くの仲間が言う。

「そうか、お前携帯無くしてたからメール来てないか」

「何があったんだ?」俺が言う。

「いや、」もうひとりの仲間が言う。「昨日連絡があったんだが、平賀の友達が行方不明になったって」

「行方不明?」俺が言う。平賀隆彦はそれなりに顔が広く、友達と一口にいわれてもわからない。

「二日ぐらい家に帰ってなくて、その間学校もずっと休んでるって」

「家出だろ?」俺が言う。

「いや、そいつおとなしくて、家出する奴じゃ絶対無いらしい」

「E組の橋田って奴だっけ」と、他の部員ひとりが言ったとき、俺ははっとした。橋田という奴を知っているのだ。

「橋田孝樹か?」俺が言った。

「そう、確かそういう名前だったかな」

他の部員が携帯を開けて、橋田孝樹であることを確認してくれた。

橋田孝樹が、行方不明――?




孝樹は隣のクラスの生徒だが、よく平賀隆彦と一緒にいたので顔と名前くらいは知っている。彼は冬矢とは違う意味で人とあまり接してなかった。要するにおとなしいのである。友達もせいぜいその隆彦ぐらいしかいなかったはずだ。隆彦も孝樹を「見てられないから世話する」ような存在だった。きっと俺達と同じだ。

その孝樹がいなくなったのだ。まず家出ではない。となると……

「あいつ、誘拐されたか」俺がぽつりと言うと、周りの雰囲気が変わった。

「誘拐ぃ?」何をいってるんだといわんばかりの口調で近くの部員。

「でも」俺が言う。「学校が嫌になったら仮病で家にこもるんじゃないか? この辺で遭難とかも有り得ねえし」

すると皆は少し納得したふうになったが、何秒もせずひとりが言った。

「でも身代金目当てならもうとっくに連絡来てるだろ」

あーそうか、と皆が言い合った。それで話は大体片付いた。だが、身代金目当てでない誘拐も存在することは全員わかっていたはずだ。

その後はひとまず何十分か朝練をして、教室へ入った。今朝集まったのは、前日悪い知らせを聞いていても朝練は結局やる連中だった。だが、そうでない者もいる。




昼、E組の隆彦のところへ行ってみた。いつものオカマ口調は変わらなかったが、当然ながら落ち込んでおり、泣きそうな顔で語った。

「あの日、孝ちゃんとケンカしちゃったのよ。だから学校が嫌になっちゃったんだわ。アタシのせいなのよ」

「そんなことねえって。ちゃんと孝樹は警察が見つけてくれるから大丈夫だ」

もう朝会で行方不明の件は伝えられている。当事者を出したE組の教室にはさすがに普段の賑やかさはなかったが、いつもどおり馬鹿をやり合う不謹慎な者もちゃんといた。普段なら埋まっている後ろ廊下側の席が空いているのがなぜか一瞬、妙に当たり前の光景ように思えてしまった。彼の不在を残念がるものがこの教室に何人いるだろう? 彼の価値は……。そう思い至りそうになったが、このときは考えなくていいことだとすぐ振り払った。








2

一週間が過ぎた。その間学校に新聞屋が来たり、警察も何十人か動員してさまざまな場所を捜したが、手がかりすらろくに見つからなかった。

「犯人」からの連絡もなかった。つまり誘拐に遭ったわけではないみたいだ。

友達の友達ということもあって、俺も橋田孝樹の失踪が気になっており、詳しい先生に話を聞いた。するとわかったのは、彼がその日、どうも本当に何の痕跡もなく、消えるようにいなくなったということだ。

学校は小高い丘の上にある。その丘の裏道の目立たない場所に孝樹の自転車が置かれていたらしい。自転車は警察が持ち去るまでの数日間、ずっとその場にあったらしい。運悪く、ここ何日か雨が続いていて、足跡等はほとんど消えており、警察犬でも追いきれなかったらしい。

このままではあと一週間ほどで捜索が打ち切られてしまうらしい、とその先生は重い表情で語った。



 孝樹(俺はよく親しい者を下の名で呼ぶ)はどこへ行ったのだろう? 今どうしているだろう。ひとりで腹をすかせていないか。いや、本当はもうこの世にいないかもしれない……

 気付けば俺も平賀と同じくらい思い詰めていたのか、クラスの仲間が休憩中に声をかけてくれた。

「桜井。最近元気がないけどどうしたんだ」

「ああ、隣のクラスのいなくなった奴のことでな」

「知り合いなのか」

「まあ、そんなところ」

こいつは同情してくれた。でも、クラスの大多数の様子は孝樹がいなくなる前と変わらない。人ひとりいなくなった衝撃ってそんなものなのか。もしあいつが死んでしまっていてもか?

俺のなかで何かが動き始めていた。何かを始めるときが近づいていた。








3

 一週間後。警察はまだ孝樹を捜し続けているのか。気になって、上の空のまま朝数時間がすぎた。

その日の休憩時間、クラスメイトの梨野秋一と話しているとき面白い話を聞いた。秋一ははじめ、いつものように妹のくれはと談笑していた。

「やっぱペプシネックスだよな」

「え? ちょっと前はペプシのこと下水って言ってたのに」

「下水? んなこと言ったか? 美味しいところがいいんだぜ」

秋一はコーラが大好きだ。長いことコカコーラ派だったが、最近ペプシ派に傾いてるらしい。薄い無精髭をなでながら機嫌よさそうにしていた。

「昨日も助っ人部は大成功だったし、帰ってからのコーラが楽しみだ」

「秋一のいる助っ人部って、よその部に手伝いに行ってお礼をもらう部だったよね。確か昨日は物理研究部を手伝いに行ったんだっけ」

「違うだろ、言ったじゃねえか、俺らが手伝い行ったのはマカロニ部だ」

「マカロニ部? なんだそりゃ」俺が口を挟んだ。

「うん、マカロニの着ぐるみ着て踊る部なんだ」

「嘘でしょ?」すかさずくれはが言う。

「嘘じゃねえって〜」

「秋一っていつもそんな話ばっかりぃ〜」秋一とくれはは互いに肩を揺さぶりあいいちゃいちゃと始めた。俺はあきれて離れようとしたが、そのときどこかからまた別のクラスメイトの広瀬耕司が現れた。

「おいおいおい! 知ってるか。E組のなんとかって奴の捜索、明日辺りで打ち切りらしいぜ」

「なんだと!?」反射的に俺は身を乗り出していた。耕司も秋一もすこし驚いていた。

「橋田孝樹のことだよな」と俺は重ねて言ったが、耕司は隣のクラスのことだからか、行方不明になったのが誰かよくわかっていないようだった。

「あ、ああ、確かそう」耕司が言った。

「うん、確かそういう名前だ」秋一が言った。

「聞いた話じゃ、あいつの捜索はあと四日くらいは続くはずなんだ。なんで明日に……」

「桜井、あの人と知り合いなのか」秋一が少し気の毒そうな調子で言った。

「知り合いってわけじゃねえけど、顔知ってるから気になるだろ」

少ししんみりした空気になって、誰も何も言わないまま何秒か過ぎたあと、耕司が「あ、でもさあ」とフォローするように言った。この言葉に俺は耳を疑った。

「その人をうちの学校の生徒会が捜そうとしてるらしいぞ」








4

「なんだって?」俺が言った。今の耕司の言葉が頭で反響する。生徒会が橋田孝樹を、警察と関係なしに捜そうとしているのだ。

 梨野秋一も「え?」と聞き返す。「だって警察が捜しても見つからなかったんだろ? 何で生徒会が?」

「俺は知らねえよ、でもいてもたってもいられない奴がいて、そいつがやろうって言ったんじゃないか」



 放課後

「冬矢! 行くぞ!」亜光速で逃走を試みる冬矢をなんとかつかまえ、俺はE組に急いだ。

昼の広瀬の言葉が俺の指針を定めた。幼い頃から俺は自分の意思と考えを持ち、自主性を持って行動してきた。今、生徒会が孝樹を独自に捜索する。孝樹と同じ学校の仲間として、俺がこれに参加するのは当然のことだ。そして部活のない冬矢にもこんなときくらい活躍してほしい! だが冬矢は協力するどころか今日も本当に逃げ足が速く、バスケ部の俺の脚をもってしても教室を抜けて廊下まで追わねばならなかった。とはいえ廊下の残りを歩けばE組だから、逆に時間の短縮になったかもしれない。俺に首ねっこをつかまれた冬矢はいたずらを見つかった猫のように身体をすくめ、聞こえない声でぶつぶつ文句を言っているようだった。



「平賀君? 休みだけど」

E組を訪れた俺たちを待っていたのはそのすげない一言だった。隆彦はああみえてもろいところがあるのか、この一週間休みがちだという。

なんということだろう。たったひとりいないだけで、そのことは様々に波紋を広げていくのだ。隆彦、お前の苦しみは無駄じゃない。かならず孝樹を見つけるから待っていてくれ。



 E組にはほかに用がない。後にして校舎を出、しばらく歩いた先の体育館の裏にある生徒会舎を目指す。その途中に見つけた柔道着の男、その胸には「岩崎」の字。クラスメイトの岩崎弘宗だ。

「桜井? なんで強制連行してんだ」

「こいつのことか」右腕の冬矢のことだ。今冬矢はうつむいて抵抗をやめているが、目を離すとすぐ亜光速で逃げてしまうだろう。

 俺は続けた。

「この前行方不明になった奴いたろ。生徒会がそれを捜すらしいんだ」

「え? 警察に任せりゃいいんじゃねえの」弘宗が言う。

「警察はもう打ち切るんだよ」

「え!? 見つからないのか?」

「だから、生徒会がやるしかないんだよ」

「でも、警察がやっても見つからないのに――」

「だからって、やるなってのか? そうはいかねえんだよ。仲間がいなくなったってのに、何もしないなんてダメだぜ!!」

「お、おい声……」弘宗が耳打つように言い、俺は、ああ、と周り二、三人がこちらを注目していることに気付いた。冬矢は耳を塞いでいた。

「悪い、熱くなっちまったな」

「それより、そもそも生徒会って何かやるとき朝会か何かで言うだろ」

「ああ、そういえば」

なぜ気付かなかったのだろう、言われてみれば、生徒会がそういうことをするときは普通、かならず通達が来る。だが今回はない。しかし、そのためには警察の打ち切りというニュースも伝えねばならないからなのでは……。

そのことを話してみた。

「まあ、そうなのかもな。それに初めから大人数でやるつもりじゃないのかも……」

そうかもしれない。ともかく生徒会にいかなければわからない、と言おうとしたその時、右腕の冬矢が隙をみて駆け出した。

「あっくそ! 冬矢ぁ!!」

俺が悔しがる間に冬矢の姿はどんどん小さくなって、消えた。追い掛けようとしたが弘宗に止められた。

「やめろよ、また目立つぞ」

「なこと言ってもなー」

「大体なんで雪村を連れてたんだ」

「孝樹を捜すだろ。だからさ」

「ええ!? 橋田捜すのに雪村を!? なんで」

「あいつ帰宅部だろ、こんなときくらい働いてもらってもいいんじゃないか」

「つっても、あいつどう考えても捜すには役に立たないじゃん」

「いや、けど」

「つか、捜す当日はジュースとか出るはずだから、そういうの考えたら逆に生徒会にとっては赤字の元だぞ」

「……」

「あとな、一番大事なことだけど、わかってるか? ずっとさっきみたいに雪村の腕握ってたらお前あからさまに変な奴だぞ。生徒会室でも、捜索始めても、ずっと握っとくのか?」

「…………」

「それも逃げられなかったらいいけど、もし逃げられたらその時お前――」

「だぁーっもうわかったからそのぐらいにしてくれ! わかったから。もう行くからな」

「本当にわかってんのかよ……でもまあ、」弘宗は最後、急に顔を背け、口調をすぼめるように言った「……ばれよ」

「え?」よく聞き取れなかったので聞き返す。

「……だから……。もういい、俺いつまでもこんなことしてられねえから戻るぜ! じゃあな!」

こちらに背を向けて叫ぶように言い、足早に去った弘宗。俺はその場にひとり残された。ふた月ほどの付き合いだが、まだあいつのことは少しよくわからない。








5

(……あれ?)

生徒会室の前まできて、中の様子が思っていたものと違うことに気付いた。耕司の言葉からさぞ大勢いるものと思っていたが、実際は中に5、6人ほどの生徒しかいなかったのだ。

まさか、広瀬の言葉は間違いだったのか? あるいは、生徒会はそもそも孝樹を捜さないというのだろうか。俺は目の前の扉を開けて大丈夫だろうか。そういう思いが浮かんで一瞬足がとまった。だが行かねばならないと己に言い聞かせる。俺は本来生徒会とは何の関係もないただのバスケ部員だ、こんな場所に来たこともない。だが、仲間を救うためほんの微力としても何かできるはずだ。中の生徒会が孝樹を捜すつもりがなかったとしても、今俺が一歩を踏み出せば少なくともそれを知ることができる。努力は無駄にならない。

小さく息を吸い込み、おもむろにドアを開く。ガララと音を聞いて中の全員がこちらを向く。

「失礼します、……えーと、生徒会の皆さんが橋田君を捜そうとしてるって聞いて来ました」

中の6人は『え?』という声が聞こえてきそうな感じで硬直していて、場違いという言葉が頭に浮かんだ。俺は、ああしまったな、やっぱり孝樹はせいぜい俺一人で捜すしかないみたいと思いかけたが、議長格らしい眼鏡の男子が「そうですか、じゃあこっちに」と手招きしてくれた。

彼がまず説明してくれたのは、彼自身が2年A組の中西篤という名であることと、確かに生徒会は橋田孝樹を捜すプロジェクトを進めているが、残念ながら有志はあまり集まっていないということだ。生徒会員といえど今回のような仕事にはさすがに強制参加させられないらしく、ここにいる6人は橋田孝樹を捜すためにここにいるということになる。まさに生徒会有志の精鋭メンバーというわけだ。だが、人数が集まらなさすぎて生徒会本隊の支援体制は微妙で、この部屋を使わせてもらうくらいが限度だそうだ。ひどい話だが、俺一人の増員でも少しはマシになると思いたい。どうやら生徒会員でなくても参加させてもらえるみたいだから、これから頑張らないとな。俺はやるぜ!!

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