閑話 とある猫娘と冒険者ギルド
本日三回目の投稿です。本来なら23話を投稿予定でしたが、繰り上げてこの話をもって参りました。予告通り、23話も今日中に投稿いたしますのでご期待ください。
なお、この話は冒険者ギルドの説明と、とある人物のサイドストーリーを兼ねています。便宜上、時間軸が前後していることにご注意ください。時系列ですと26話の前日ということになります。
オーストレームの里に新設された冒険者ギルド、その人物は小さな胸板を精一杯に張って重厚な扉を押し開けた。
「とうとう、私はやってきたのにゃあ!」
艶のある青藤色の美しい毛並みはピンと立った二つの耳から足先までを隙間なく覆い、腰から延びた細長い尻尾は左右にゆっくりと揺れている。自信満々に見開かれた眼の下には猫ひげがピクピクと蠢いている。
衣服を身に纏い、腰に短剣を差していなければ、異常に大きな山猫にでも見えるその姿はドヴェルグやアルヴが多く訪れるオーストレームの里においても珍しいことこの上ない。
「あら、草原小人の方ですか? 珍しいですね」
「にゃにゃ。そういうお姉さんはいわゆる一つの受付嬢ってやつなのにゃ?」
「え、ええ。一つもなにも受付嬢ですが……。貴女は?」
その日も真面目に受付業務をこなしていたアイナは奇妙な闖入者に問いかけずには居られなかった。
草原小人といえば動物に近い外見で特に有名な小人族だが、ここから一番近い集落でも何百ロートも離れている。一応秘密の場所であるこの里へ旅人がふらりとやってくることはまず考えられない。
「うにゃ? 私はルツィエ。しばらくこの里に厄介ににゃるのにゃ」
「……? よく分かりませんが、了承しました」
職務に忠実なアイナとしては、自分の仕事の範疇から外れたことにこれ以上首を突っ込むつもりはない。
このルツィエと名乗る草原小人にしても、里には門番もいるのだから問題のある人物であればここにはいないだろう。そう判断をつけると自分の仕事に戻ることに決めた。
「改めまして、冒険者ギルドへようこそ。ご用件を承りま、す……?」
「じ〜〜」
擬音語を口にしながら険悪な眼差しで見つめてくるルツィエにアイナは珍しく脂汗を流しながら固まった。
「えっと、どうされました?」
「……名前」
「はい?」
「名前を聞いてないにゃあ」
暫時アイナは眼を瞬かせると、慌ててルツィエに頭を下げた。
「失礼しました。私はアイナと申します」
「アイニャ……、じゃにゃかった。アイナ、だにゃ。ちゃんと覚えたのにゃ」
「は、はい。よろしくお願いします」
一転して満面の笑顔を浮かべながら手を握って上下に振るルツィエに、子供のような無邪気さを覚えてアイナは自然と笑みを浮かべていた。
「それじゃあ、アイナ、冒険者の登録をお願いするのにゃ」
「冒険者登録ですか……?」
「にゃ、にゃにか問題でもあるのかにゃ」
「あ、いえ、元の集落の近くにギルドは無かったのですか?」
アイナがそう言うと、ルツィエは安心したかのように溜息を吐くと、苦笑を浮かべながら首を左右に振った。
「私の住んでた集落はよく移動するから冒険者登録にゃんかする暇がなかったのにゃ」
「はあ、なるほど。そういうこともあるんですね……」
「まあ、面倒にゃお目付役がいないってのもあるにゃけどね」
片目をウインクさせてそう言うルツィエに苦笑しながらアイナは羊皮紙を取り出してルツィエの前に広げた。
冒険者登録に必要な書類はこの羊皮紙一枚である。
とはいえ、実はこの羊皮紙一つとっても安くはない。冒険者を識別するギルドカードに情報を書き込める唯一の手段であり、一度書き込んだ個人情報を書き換えることはできない。ギルドカードが更新されるのはランクの上下を上書きする時ぐらいのものだ。
「代筆は必要ですか?」
「あー、共通語なら大丈夫にゃ」
「それではこちらにご記入を。分からないことがあれば質問してくださいね」
アイナに促されてルツィエは羊皮紙に眼を落として一心不乱に書き込んでいる。
羊皮紙に書き込む内容は大したことは必要ない。名前、性別、年齢、種族、出身、それにギルドの一員になることを宣誓するサイン。それだけである。
ルツィエも、然程の時間を掛けることなく記入を終えるとアイナへと羊皮紙を返した。
「……。はい、問題ないようですね。それでは血で拇印をいただけますか?」
「にゃにゃ!? ち、血じゃにゃいといけにゃいのか?」
「え、ええ、ギルドカード作成に必要な手順ですので」
「う〜〜」
眉根を寄せて嫌がるルツィエにしかし、アイナは困った顔で答えるしかない。
自身の血液による拇印はカードの偽造防止やその他の処置の性質上、どうしても避けては通れない手続きである。
やがて、観念したのかルツィエは懐から短剣を取り出すと、剣先で軽く右手の親指を突ついて血を滲ませると羊皮紙のサインの横に拇印を押した。
「ご苦労様でした」
「痛いのは苦手にゃ……」
「ふふ、これで登録は終わりですから安心してください」
幾分しょんぼりとして耳と尻尾も項垂れているルツィエに笑顔を見せてアイナは羊皮紙を所定の装置にセットした。
魔法発動の証である穏やかな光りとギルドカードへの刻印が行われる音にルツィエは一転して興味津々の様子であったが、アイナも苦笑を返すしかやりようがない。
この装置やギルドカードの仕組みは完全なブラックボックスであり、一受付嬢に過ぎないアイナには与り知らぬ領域であった。
「……できました。はい、こちらがルツィエさんのギルドカードとなります」
「うにゃにゃ! これがギルドカードかにゃ! とうとう手に入れたのにゃ!」
手渡された金属板に飛びつくようにして受け取ったルツィエはあどけない子供のように喜びも露にその場でくるくると飛び回っている。
あまりと言えばあまりのその光景に思わずアイナはクスリと笑ってしまった。
偶然居合わせた他の人々も微笑ましいものを見る目でその姿を見守っている。
「ルツィエさん、説明は必要でしょうか?」
「もちろんなのにゃ!」
「ふふ、かしこまりました」
とはいえ、アイナが伝えることはそう多くない。
まずはランク。これは一般的にも知られていることだが、冒険者ギルドのランクはSを頭にGまでの8段階であり、登録最初は皆Gからのスタートになる。
依頼の遂行やそれまでの実績、依頼以外での活動を加味されてランクは上昇していき、Fランクからは討伐依頼も扱えるようになる。一人前の冒険者として見なされるのはDランクであり、ギルド全体の八割はこのD以下ということになる。
サラマンダーやマウンテンベアなど、一筋縄では行かない魔獣を相手取って戦えるようになればCランク、所謂一流の冒険者として見られるようになる。
「ふむふむ、それじゃあBランクはどれくらい強いのにゃ?」
「Bランクですと、ワイバーン種がよく登竜門に上げられます」
「じゃあAランクは?」
「そうですねドラゴン種に相対できるレベルでしょうか」
テンポよく問いかけるルツィエに、ついついアイナも興に乗って答えてしまう。
「Sは?」
「ほとんど名誉職ですね。歴史上に数人いらっしゃいますが……、一人でドラゴン種を討伐されるような偉人ばかりです」
「ほへえ、すごいにゃねえ。まあ、最初は大人しくDランクを目指すのにゃ」
「それが正解だと思いますよ」
まるでそこが定位置とばかりにアイナの机の上にベタリと身を預けたままルツィエは感嘆の溜息をついた。
その視線は、手に入れたばかりの自分のギルドカードに刻まれたGの文字に吸い寄せられている。
「せっかくですから何か依頼を受けていかれますか?」
「にゃ。Gランクで受けれる依頼にも興味があるのにゃ」
「最初ですし、ご案内しましょう。こちらです」
「あ、待つのにゃ!」
颯爽と立ち上がって歩き行くアイナの後をルツィエは追いかけた。
ギルド受付に併設された酒場は夕暮れ時とあって既に人が集まり始めている。
アイナに導かれてルツィエがやってきたのは、その酒場と受付の境に作られた壁に取り付けられた大きな木板の前であった。
時間帯もあってすでに依頼は少ないが、それでも木板のそこここに依頼が書き込まれた小さな羊皮紙が貼付けられている。
「一応、右に行けば行くほど依頼のランクは低くなります。今のルツィエさんが受けられる依頼はGランクですので、一番右端ということになりますね」
「ふむふむ。薬草の採取にギルドで解体の手伝い、にゃんというか雑用って感じだにゃあ」
「まあ、そうですね。その代わり、冒険者として必要な知識や経験が得られるような依頼になっているんですよ?」
「にゃるほど、薬草も解体も必要な技術に違いにゃいのにゃ。……でも、こう言っちゃにゃんだけど私は集落でどっちも経験済みにゃよ?」
ふんす、とどこか誇らしげにそう言うルツィエに頬を緩めながらも、アイナは説明を続けた。
実のところ、Gランクは冒険者としては準備期間のようなものであり、Dランクの冒険者による実地訓練や各種一般的な薬草採取、それに解体といった依頼を完了したのを確認してFランクに上がることができる。
それ以外の手段としてはEランク以上のパーティーに加入して実績を積むか、既になんらかの実績を持っている場合、もしくは誰かの紹介によってのみ上のランクに上がることができるのである。
「ふーん、勉強になったのにゃ」
「それでは、試しにどれか受けてみますか?」
「解体はいつでもできそうだし、とりあえず薬草の採取にするのにゃ」
「分かりました。普通の薬草採取……、これがそうですが黒く縁取られた依頼書は常設依頼ですので受付は必要ありません。ですが、一定以上のランクの討伐依頼や、……例えばこのジーラの採取がそうですが、ギルド以外が依頼主の場合は最初に依頼書を取って下さい」
「これにゃ? ……うんしょ」
「それで大丈夫です。では受付に戻りましょう」
言われてルツィエは大人しくアイナに連れられて受付に戻り、言われるがままに依頼書とギルドカードを手渡した。
「……これで、依頼が受理されました。依頼を完了したら現物……、討伐の場合は最低でも討伐証明部位を持ってこちらにお持ちください。ギルドカードも必要です」
「にゃにゃ? 罰則とかはにゃいのか?」
「Gランク依頼に罰則はありませんが、Fランク以上は罰金になります。ひどい場合はランクの降格もありえますが……。幸いにもここは律儀な方が多いので困ったことはありませんね」
「律儀ねえ、アニム族ってのはどこもそうだと有り難いんだが……」
「にゃにゃ?」
「あら、クスターさん。お疲れさまです、討伐証明ですか?」
急に現れた巨体に、ルツィエは眼を白黒させて飛び退いた。
二メイルはあろうかという巨躯に傷痕が目立つ面長の顔には微笑みが浮かんでおり、鉄黒色の髪と熊耳がちょこんと乗っかっているようでなんとも愛嬌のある顔立ちである。
「おう。草原小人か、珍しいな。俺の名前はクスターっつうんだ、よろしくな」
「クスターさんはDランクですから、色々勉強になると思いますよ?」
「うにゃ、Dランクとはやるにゃ、クスター! 私はルツィエだにゃ、よろしくにゃ」
「なはは。面白いやつだな、気に入った!」
「うにゃー! なーでるーなー! 毛並みが乱れるのにゃあ!!」
うりうりと頭を撫でられてお冠のルツィエに、しかしクスターは飄々として取り合わない。
その様子を微笑ましく見ながらアイナは口を開いた。
「ルツィエさんは冒険者に成り立てですから、よかったら色々教えて上げてください」
「お。そうか、それなら討伐証明でも見とくか? 将来の勉強になるぞ?」
「いいのかにゃ? クスターは見た目によらず良いやつなのにゃー?」
「がははは。疑問系ってのがいいじゃねえか。構わねえよ、アイナ、案内頼まあ」
「それでは、こちらへ」
アイナに連れられて二人はギルドの裏手に併設された解体場へと通される。
その間、ルツィエはクスターに頭を撫でられては猫パンチをお見舞いするというなんとも子供らしいしぐさを見せていたが、懸命にもアイナは何も突っ込まなかった。
「それでは、出していただけますか?」
「はいよ。嬢ちゃんはちょいど退いてな」
「うにゃ?」
クスターが徐に腰に括り付けた“魔法の袋”に手を伸ばすと、その直後、ドシン、と大きな音と共にロックボアの巨体が床に放り出された。
見たこともない魔獣の登場にルツィエは眼をまん丸にして爛々と輝かせている。
「ロックボア一頭ですね。確かに依頼通りです、こちらの書類にサインをお願いします」
「へいへいっと……。これでいいか?」
「はい。ご苦労様でした」
「ってなわけで、一定ランク以上の討伐依頼はこうやって終了するわけだ」
「にゃにゃ、こいつはクスターが倒したのにゃ?」
「そりゃそうだ。他の奴が倒してたら問題外だろうが」
苦笑しながらクスターはルツィエに説明を続ける。
およそ討伐依頼のほとんどは討伐そのものに値段がついているため討伐証明部位さえ持ち込めばそれで良いのだが、クスターのように獲物を丸ごと持ち込めば状態に応じてギルドが解体と買い取りを行ってくれる。
もちろん、懇意の肉屋に卸すのも自由だが多くの冒険者はその煩雑さを嫌って多少安くてもギルドに買い取りを任せ、ギルドはその差額分で運営の足しにしているのである。
もちろん、獲物の状態は完全に近ければ近いほど良い。
例えばロックボアの場合、毛皮や血液、肉、一部の内臓、角、骨が買い取り対象であり、それらの状態が良いほど買い取りに色がつく。
つまり、できるだけ綺麗に仕留めて、かつ状態を保存するために“魔法の袋”を使用するのが冒険者の鉄則ということになる。
「色々考えてるにゃね」
「そりゃそうだろ。俺たちとっちゃ飯の種だからな」
「ほんとに見た目によらにゃいのにゃ」
「うるせえよ。それより、お前、ちゃんとマジックポーチ持ってるのか? 高ぇぞ?」
「そうですね。この里だと比較的安いですけど、手軽には買えませんから」
「にゃにゃ? どうしてここだと安いのにゃ?」
ルツィエの質問にアイナとクスターは眼を合わせて一瞬黙り込んだが、すぐに口を開いた。
「本来個人情報の漏洩はよろしくないんですが……」
「ま、ケーゴなら大丈夫だろ」
「うにゃ、ケーゴってあの放浪者のケーゴなのにゃ!?」
「あ、ああ」
魔法使いオージンの元で修行を積んだケーゴは扱いが難しい上に詳細が失伝していると言われる時空魔法を使いこなすようになり、ここ数年は“魔法の袋”の作製で小銭を稼いでいるのである。
おかげで、里の“魔法の袋”は若干の供給過多で値段が下がり気味なのである。もちろん、最近ではヴァイマール王国への輸出も始めているので値段も落ち着いてきているのではあるが。
「ほえ〜、話には聞いていたけどケーゴはすごいのにゃね」
「すごいっていやあ、そこのでけえサラマンダーもあいつらが討伐した分だぞ」
「といっても解体も終わり気味で原型は残っていませんが……」
「おおー! すごいのにゃ!!」
解体場の隅に積まれたサラマンダーの残り屑にルツィエが興味を示したそのときであった。
「ルツィエ嬢!!」
「うにゃ!? そ、その声はカシュバル!?」
息せき切って解体場に飛び込んできたのは礪茶色の毛並みの大きな犬……ではなく、犬の姿をした草原小人であった。
「どこに行ったのかと思えばこんな所で! ドゥシャン殿がお冠ですぞっ!」
「にゃ、嫌にゃ。私はまだ帰らないのにゃ〜」
「嫌じゃありません! 皆様、ルツィエ嬢がご迷惑をお掛けしました。申し訳ありませんがお詫びは後日にて」
「うにゃ〜〜」
有無を言わせずルツィエの腕を取ったカシュバルはアイナ達に一礼するとルツィエを引きずるようにしてその場を去っていった。
「……なんだったんだ?」
「なんだったんでしょう」
取り残された二人は、唖然として見送るしかできなかった。
「あ、ルツィエさん。ジーラ採取の依頼受けたまま……」




